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物理学の未解決問題-2025

物理学の未解決問題とは、観測事実を統一的に説明する理論枠組みがまだ確立していない、あるいは理論は存在しても決定的検証に到達していない問いの総称である。未解決の様相は単一ではなく、基礎理論の整合性、宇宙スケールの観測、そして多体系の計算困難性が複雑に絡み合っている点に特徴がある。

参考ドキュメント

0. 目次

  1. 未解決問題の分類:何が「解けていない」のか
  2. 宇宙論・重力:暗黒成分、初期宇宙、ブラックホール
  3. 素粒子・場の理論:標準模型の外側に残る必然的な穴
  4. 物性・凝縮系:多自由度が生む新奇相と機構の未確定性
  5. 非平衡・複雑系:乱流と時間の矢
  6. 量子基礎・量子情報:測定、古典極限、誤り耐性
  7. 主要未解決問題の俯瞰表
  8. まとめと展望

1. 未解決問題の分類:何が「解けていない」のか

未解決問題は「大きな謎」という言い回しで一括されがちであるが、学術的には少なくとも次の型に分けて理解するのが有益である。

1.1 観測が先行し、理論が追随していない型

例:暗黒物質・暗黒エネルギー、宇宙膨張率の不一致などである。観測量の整合性が高い一方で、ミクロに何が存在するか(粒子か、場か、重力理論の修正か)が未確定である。

1.2 理論は整っているが、決定的検証が難しい型

例:量子重力の直接検証、インフレーションの具体模型選別などである。プランクスケールなど到達困難な極限が関与し、間接証拠の積み上げが中心となる。

1.3 同じ現象を記述する複数の理論像が併存する型

例:高温超伝導の機構、ガラス転移、量子測定問題などである。互いに排他的でない説明が並立し、どの記述が「最も基本」かが定まっていない。

1.4 数学的・計算論的困難性が本質である型

例:三次元ナビエ–ストークス方程式の滑らかさ問題、乱流の統計法則の導出、多体系量子の厳密解などである。物理学の言葉で立てた方程式が、数学的にどこまで制御できるかが問われる。

2. 宇宙論・重力

2.1 暗黒物質:重力源は見えているが、実体が見えない

銀河回転曲線、銀河団の重力レンズ、宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の角度パワースペクトルなどは、可視物質だけでは説明が難しい重力源の存在を強く示唆する。

回転曲線の最小モデルとして、半径 r における円運動速度 v(r) は

v(r)2=GM(r)r

で与えられる。観測的には外縁で v(r) が落ちにくく、M(r) が可視分布より速く増えることが示唆される。

未解決点は「何が暗黒物質か」である。候補は、弱く相互作用する粒子(WIMP)、軸子(axion)系、低質量の暗黒光子、あるいは重力理論修正など多岐にわたる。宇宙論側では、暗黒物質が初期揺らぎから大規模構造を形成する“種”として機能することは整合的である一方、直接検出・間接検出・加速器生成のいずれも決定打に至っていない点が核心である。

2.2 暗黒エネルギー(宇宙加速):宇宙定数か、動的成分か

観測宇宙が加速膨張していることは、Ia型超新星、CMB、BAOなどの組合せで支持される。等方・一様宇宙の基本式はフリードマン方程式であり、

H2=(a˙a)2=8πG3ρkc2a2+Λc23

である。加速度方程式は

a¨a=4πG3(ρ+3pc2)+Λc23

であり、pρc2 の成分(負圧)が加速をもたらす。

暗黒エネルギーは方程式状態

w=pρc2

で特徴づけられ、w=1 は宇宙定数(真空エネルギー)に対応する。未解決点は、(i) w が厳密に −1 か、時間変化するのか、(ii) そのミクロ起源が量子場の真空とどう接続するのか、(iii) そもそも一般相対論の改変が必要なのか、である。とりわけ「宇宙定数問題(真空エネルギーの大きさのギャップ)」は、量子論と重力の接点にある基本問題として残っている。

国立天文台の解説は、暗黒エネルギーを宇宙項(宇宙定数)と関連づけつつ、観測的事実と理論史を整理している。

2.3 ハッブルテンション:宇宙膨張率 H0 の二つの測り方

H0 は現在の膨張率であり、距離はしご(セファイド+Ia型超新星など)による“近傍宇宙”の測定と、CMB(初期宇宙)からΛCDM模型を介して推定する方法がある。両者の中心値が有意にずれるという議論が続いており、系統誤差か新物理かが争点である。

この問題は「一つの数の不一致」に見えるが、実質的には

  • 初期宇宙の音響スケール
  • 再結合前後の物理(放射成分、相互作用、初期条件)
  • 晩期宇宙の距離指標の系統 が同時に関与する、宇宙論全体の自己整合性テストである。

2.4 インフレーション:初期宇宙の機構は一意に定まるか

インフレーションは、地平線問題・平坦性問題・単極子問題などを緩和し、量子的揺らぎを大規模構造の種として供給する枠組みである。単一スカラー場 ϕ に対し

ρϕ=12ϕ˙2+V(ϕ),pϕ=12ϕ˙2V(ϕ)

と置けば、V(ϕ) が支配的な領域で pρc2 に近づき加速が得られる。

未解決点は、候補となる V(ϕ)(模型)が多数存在し、観測(スカラー傾き、テンソル比、非ガウス性など)がまだ決定的選別を与えていない点である。またインフレーション以前の初期条件、再加熱の詳細、量子重力効果の寄与も残る。

2.5 ブラックホール情報問題:量子論のユニタリ性と蒸発

ブラックホールは一般相対論の古典解であり、ホーキング放射は量子場の効果として熱的放射を与える。ここで、純粋状態が熱混合状態へ遷移するかのように見える点が「情報が失われるのではないか」という矛盾を生む。

エンタングルメントエントロピー

SA=Tr(ρAlnρA)

の時間発展(ページ曲線)をめぐり、ホログラフィーや量子情報の成果と結びつきつつ理解が進む一方で、一般相対論と量子論を同時に満たす“基本”な描像がどの程度普遍的かは依然として議論が続く。

2.6 量子重力:時空は連続か、離散か

一般相対論は時空を連続多様体として記述し、量子論は確率振幅と演算子の枠組みで記述する。両者の統合は、プランク長

p=Gc3

の近傍で不可避となると考えられるが、実験的アクセスが困難である。弦理論、ループ量子重力、漸近的安全性など多様な方向性があるが、観測可能量へ落とし込む道筋が未完成である。

3. 素粒子・場の理論:標準模型の外側

3.1 ニュートリノ質量の起源:標準模型の最小形では説明されない

ニュートリノ振動は質量固有状態の混合を意味し、質量差二乗

Δmij2=mi2mj2

が非零であることを示す。未解決点は、(i) 質量階層(通常順序か逆順序か)、(ii) ディラックかマヨラナか、(iii) レプトンCP位相、(iv) 絶対質量尺度、である。これらはバリオン非対称(後述)とも接続し得る。

3.2 物質–反物質非対称:なぜ宇宙は物質で満ちているのか

観測宇宙が物質優勢であることは、基本的問いである。一般にサハロフ条件として

  1. バリオン数の非保存
  2. C と CP の破れ
  3. 熱平衡からのずれ
    が必要とされる。標準模型にもCP破れはあるが、宇宙の非対称を説明するには不十分である可能性が高く、電弱バリオジェネシスやレプトジェネシスなどが検討されている。

3.3 強いCP問題:θ項はなぜ極小なのか

量子色力学(QCD)には

Lθ=θgs232π2GμνaG~aμν

のようなCPを破る項が許されるが、中性子電気双極子能率の実験制限から θ は非常に小さいことが要求される。自然な大きさを想定すると不思議であり、ペッチェイ–クイン機構と軸子はこの問題の有力解として提案されてきた。これは暗黒物質問題とも自然に連結する。

3.4 階層性問題:ヒッグス質量の安定性

ヒッグス質量が高エネルギー理論による量子補正に対してなぜ小さく保たれるのか、という問いである。超対称性、複合ヒッグス、追加対称性などが議論されるが、現時点で決定的裏付けはない。これは「標準模型がどこまで有効理論として自己完結か」という問いに直結する。

4. 物性・凝縮系:多自由度が生む新奇相と機構の未確定性

4.1 高温超伝導:秩序パラメータの“原因”が定まらない

銅酸化物高温超伝導は、強相関電子系(モット性、反強磁性揺らぎ)と密接に関係し、擬ギャップやストレンジメタルなど多彩な現象を示す。BCS理論が与える基本関係式

ΔωDexp(1N(0)V)

はフォノン媒介を前提とするが、銅酸化物では電子相関主導の対形成機構(スピン揺らぎなど)が議論され、単一の合意に至っていない。

同問題はしばしばハバード模型

H=ti,j,σ(ciσcjσ+h.c.)+Uinini

のような最小模型へ落とし込まれるが、そこから実材料の相図を第一原理的に導く道はなお険しい。高温超伝導は「単純な模型なのに解けない」という意味でも、現代の多体系量子の限界を示す題材である。

4.2 量子スピン液体とトポロジカル秩序:局所秩序の概念を超える

トポロジカル相では、局所秩序変数だけでは分類できない長距離エンタングルメントが本質となる。分数量子化、非可換任意子などは量子計算とも接続するが、実材料での決定的検証(励起の同定、熱輸送、干渉実験など)は容易ではない。

4.3 ガラス転移・ジャミング:平衡統計の外側で現れる普遍性

ガラス転移は明確な相転移か、動力学的クロスオーバーか、という問いが残る。緩和時間の発散、動的不均一性、エネルギー地形の多谷構造といった概念は発展しているが、微視的模型から普遍的法則を導くことは未完成である。これは「多数自由度の遅いモードがどのように自己組織化するか」という基本問題の一部である。

4.4 非フェルミ液体と量子臨界:準粒子像はいつ破れるか

フェルミ液体論は金属の基本像を与えるが、ストレンジメタルなど準粒子が成立しにくい系が存在する。量子臨界点近傍でのスケーリング、エンタングルメント、散逸の役割など、場の理論・数値計算・実験が交差する領域として活発である。

5. 非平衡・複雑系:乱流と時間の矢

5.1 乱流:方程式はあるが、統計法則が導けない

非圧縮性流体のナビエ–ストークス方程式は

ut+(u)u=1ρp+ν2u+f,u=0

である。乱流はこの基本式の解の性質として現れるが、「三次元で解が常に滑らかに存在するか」という数学的問題は未解決であり、乱流統計の厳密導出も困難である。コルモゴロフのスケーリングやエネルギーカスケードは強力な現象論を与える一方、第一原理的導出は部分的に留まる。

5.2 非平衡統計と時間の矢:不可逆性の根源

微視的力学(多くは可逆)から、マクロな不可逆性やエントロピー生成がどう現れるかは、基礎問題である。揺らぎ定理や大偏差原理、開放量子系の理論は進展しているが、一般系に対してどこまで普遍的な記述が可能かは未確定である。

6. 量子基礎・量子情報

6.1 量子測定問題:波動関数の収縮は何を意味するか

シュレーディンガー方程式

it|ψ(t)=H^|ψ(t)

はユニタリ発展を与えるが、測定で得られる確率はボルン則

P(a)=|a|ψ|2

で与えられる。観測により状態が射影されるという描像と、ユニタリ発展の整合がどのように担保されるか(デコヒーレンス、相対状態、多世界、客観崩壊模型など)は、解釈論に留まらず「どの追加仮定が実験で区別され得るか」という問題でもある。

6.2 大規模量子系と誤り耐性:量子計算はどこまで拡張できるか

量子誤り訂正は原理的可能性を示すが、必要な物理資源(論理量子ビットあたりの冗長度、ゲート忠実度、デコヒーレンス時間、測定フィードバックの速度など)を満たす実装は容易でない。ここには工学的側面が強い一方、ノイズの基本的分類や「実現可能な計算能力の境界」を問う点で基礎性も高い。

6.3 量子情報と重力:エンタングルメントは時空を形作るか

ブラックホール情報問題の進展により、量子情報の概念(エンタングルメント、符号化、量子誤り訂正)が重力理論の理解に入り込むようになった。時空幾何と量子相関の対応がどこまで一般的か、どの観測量が決定的かは未解決である。

7. 主要未解決問題の俯瞰表

分野問い(要約)何が未確定か代表的な観測・理論の接点
宇宙論暗黒物質は何か粒子種・相互作用・分布の起源重力レンズ、CMB、大規模構造、地下検出器
宇宙論暗黒エネルギーの正体w の時間依存、宇宙定数問題Ia超新星、BAO、CMB、重力理論検証
宇宙論ハッブルテンション系統誤差か新物理か距離はしご vs 初期宇宙推定の整合性
重力量子重力統一理論と観測可能量初期宇宙痕跡、BH物理、量子情報
重力BH情報問題ユニタリ性の回復機構ページ曲線、ホログラフィー、量子補正
素粒子ニュートリノの性質階層、CP位相、マヨラナ性振動実験、0νββ、宇宙論制限
素粒子バリオン非対称生成機構、必要な新CP破れ電弱相転移、レプトジェネシス、BSM探索
素粒子強いCP問題θ の自然さ、軸子の実在中性子EDM、軸子探索、宇宙論
素粒子階層性問題自然さの原理の位置づけLHC以後のBSM制限、理論枠組み
物性高温超伝導機構対形成の媒介、擬ギャップの役割ARPES、STM、中性子散乱、数値計算
物性トポロジカル秩序実材料での決定的同定熱ホール、干渉、分数量子化
非平衡乱流の第一原理理解解の正則性、統計法則の導出DNS、実験流体、数理解析
量子基礎測定問題収縮の物理的実体、区別可能性マクロ量子実験、崩壊模型検証

8. まとめと展望

物理学の未解決問題は、単に知識が不足しているというより、観測の精密化と理論の整合性が互いを強く拘束する局面で顕在化するものである。暗黒物質・暗黒エネルギー・ニュートリノ・量子重力のように宇宙と素粒子を跨ぐ問いがある一方で、高温超伝導や乱流のように「方程式はあるのに一般解の性質が掴めない」タイプの困難も同じくらい根深い。

今後は、(i) 観測装置・実験の系統誤差の抑制と多波長・多手法の突き合わせ、(ii) 多体系量子・非平衡の計算手法の進展、(iii) 量子情報の概念の移植(重力や物性への横断)が、未解決問題の地図を塗り替える駆動力となると期待される。最終的には、宇宙の大域的な振る舞いと、ミクロな自由度の量子論が、同一の言語で語られる段階へ到達することが展望として掲げられる。

参考資料