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放射光ビームラインの光学設計

放射光の光学設計は、光源の位相空間(サイズと発散)を出発点に、単色化・集光・高調波抑制・波面品質を同時に満たすように光学素子を組み上げる作業である。硬X線と軟X線では単色化機構が大きく異なるため、同じ「ビームライン」でも設計思想が変わるのである。

参考ドキュメント

  1. SPring-8 サマースクール 基礎講座:ビームライン(結晶分光器・ミラーの基礎、固定出射など)(日本語PDF) https://www.spring8.or.jp/ext/ja/sp8summer_school/sp8ss2005/text/B3.pdf
  2. Yabashi et al., Optics for coherent X-ray applications(コヒーレントX線でのミラー光学と波面保存の概説) https://journals.iucr.org/paper?vv5080=
  3. Rebuffi et al., ShadowOui: a visual environment for X-ray optics and beamline simulations(レイトレース設計環境の代表例) https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5298219/

1. 光学設計が決める量

放射光ビームラインの光学設計では、次の量が出口(試料位置)で最終的に規定される。

  • 光子エネルギー範囲:EminEmax
  • エネルギー分解能:ΔE または分解能 R=E/ΔE
  • ビームサイズ(焦点サイズ):σx,σy
  • 発散角:σx,σy
  • フラックス(単色光子数):Φ [photons/s](しばしば帯域幅規格込み)
  • 偏光状態:直線・円偏光、偏光度
  • 波面品質:コヒーレンスと位相誤差(コヒーレント回折・位相回復で本質)
  • ビーム位置・角度の安定性:時間的揺らぎ(測定の再現性に直結)

これらは独立ではない。例えば、狭いスリットで見かけの焦点を小さくするとフラックスは落ち、単色化を強くすると縦コヒーレンスは伸びるが熱負荷と安定性の要求が増す、といった相互牽制がある。

1.1 位相空間

光学設計の根は「受け入れる位相空間をどう配分するか」である。横方向1次元で、光源サイズ σx、発散 σx のとき、幾何学的エミッタンスを

ϵxσxσx

とみなすと、ビームラインはこの位相空間を

  • そのまま輸送する(発散とサイズの積を保存する方向)
  • スリットで切り取る(位相空間を捨てる)
  • 集光で空間に寄せる(サイズを縮める代わりに発散を増やす)

のいずれか(または組合せ)として理解できる。

コヒーレンスを意識する場合、縦コヒーレンス長はおよそ

lcλ2Δλ

であり、単色化が強いほど lc は伸びる。一方、横コヒーレンスはエミッタンスと受け角(アパーチャ)に強く依存し、波面保存光学の要求へ直結する。

2. 入口側の設計

2.1 光源の種類と設計自由度

  • 偏向電磁石:広帯域で汎用、光学設計は取り回し重視になりやすい
  • アンジュレータ:準単色の高輝度、高熱負荷、単色化・波面保存の設計が中核になる
  • ウィグラー:高フラックスで硬X線まで到達しやすいが、発散と熱負荷が設計を支配しやすい

同じ目的でも、光源を変えると受け角(ミラー長さ・結晶サイズ・スリット)と熱負荷(冷却方式)が設計の中心に移る。

2.2 受け角と仮想光源

多くのビームラインでは、上流スリットや四象限スリットを「仮想光源」として扱い、下流の集光光学(KBなど)にとって扱いやすい幾何へ変換する。これは、光源そのもの(蓄積リングの放射点)の形状・揺らぎが直接焦点に写り込むことを弱める操作である。

3. 単色化(硬X線):結晶分光器の設計

硬X線では結晶のブラッグ回折を用いることが多い。ブラッグ条件は

2dsinθB=nλ

であり、E=hc/λ よりエネルギー掃引が可能である。

3.1 二結晶分光器(DCM)の幾何と固定出射

最も一般的な構成が二結晶分光器(Double Crystal Monochromator, DCM)である。第1結晶で分散したビームを第2結晶で回折し、入射と出射の方向・高さを一定にする(固定出射)配置がよく用いられる。固定出射は、下流光学と試料位置を“エネルギー掃引で動かさない”ための幾何学であり、実験の取り回しを大きく改善する。

エネルギー分解能の直観は、角度広がり Δθ を用いて

ΔEEcotθBΔθ

と表せる。ここで Δθ には

  • 光源発散やスリットで決まる入射角分布
  • 結晶反射の固有幅(ダーウィン幅)
  • 熱歪みによる局所角度のばらつき

が重畳する。

3.2 チャンネルカット、Si(111)と高次反射

単色化ではSi(111)が代表的である。さらに高分解能が必要なら Si(311) など高次面を使うことがあるが、反射幅が狭くなる代わりにフラックスが落ち、角度安定性や熱歪みの影響が相対的に増える。したがって単色化の強さは、必要な ΔE と許容フラックスの兼ね合いで選ばれる。

3.3 熱負荷と冷却:単色化の入口問題

アンジュレータの白色光は、分光器第1結晶に大きな熱負荷を与える。熱負荷は局所膨張による結晶面のわずかな回転・湾曲を生み、結果として

  • エネルギーの時間揺らぎ
  • ビーム位置の変動
  • 波面の劣化

として現れる。そこで水冷や低温(液体窒素)冷却、熱伝導設計、入射受け角制御が重要となる。単色化が上流に置かれるほど、以後の全光学系がその影響を引き継ぐ。

4. 単色化(軟X線):回折格子分光器の設計

軟X線では、結晶ではなく回折格子を用いる方式が主流である。回折格子の基本式は

mλ=d(sinα+sinβ)

であり、m は回折次数、d は溝間隔、α,β は入射・回折角である。

理想化した分解能の上限は、照射された溝本数 N を用いて

R=λΔλmN

と表せる。ただし実際は、光源サイズ、スリット幅、収差、面粗さが支配的になることが多い。

4.1 PGMとSX-700系

平面回折格子分光器(Plane Grating Monochromator, PGM)では、平面ミラー+平面格子+集光ミラーの組合せが代表的である。SX-700系は、焦点条件と分散条件を独立に調整しやすい点が特徴であり、アンジュレータ光の高輝度を活かしつつ高分解能を得る設計として発展してきた。

軟X線では、反射率を確保するために入射角が浅くなり、光学素子の面形状誤差が波面に強く効く。そのため、格子の溝形状・ブレーズ角、ミラーの面精度、機構の角度再現性が、到達し得る分解能とスループットを決める。

5. ミラー光学:全反射・高調波抑制・波面保存

X線領域では屈折率が

n=1δ+iβ

と表され、δ>0 のため小さな入射角(グレージング入射)で全反射が起こる。臨界角はおよそ

θc2δ

であり、エネルギーが高いほど δ は小さくなり、θc は小さくなる。結果として硬X線ほどミラーはより浅い角度で用いられ、ミラー長・機械安定性・面精度要求が増す。

ミラーは次の役割を同時に担うことが多い。

  • コリメーション(発散を抑え、分光器の角度幅を改善)
  • 集光(KB、楕円筒、トロイダル等)
  • 高調波抑制(臨界角のエネルギー依存を利用して高エネルギー成分を落とす)
  • 波面保存(コヒーレント手法での位相誤差を抑える)

5.1 ミラー高さ誤差が位相に与える影響

グレージング入射ミラーで、面形状の高さ誤差を h(x)、入射角を θ とすると、反射による光路長差は概略 2hsinθ であり、位相誤差は

ϕ(x)4πλh(x)sinθ

で与えられる。したがって短波長(硬X線)ほど、また入射角が大きいほど(ただし全反射の範囲内で)、同じ形状誤差が波面に与える影響は増大するのである。

6. 集光光学:KB、楕円ミラー、CRL、ゾーンプレート

集光では、幾何光学的な像形成と回折限界を同時に考える必要がある。焦点サイズを単純化して

σfocus2(Mσsource)2+σdiff2+σaberr2

と分解すると理解しやすい。ここで M=q/p は倍率(p は光源から光学素子まで、q は光学素子から試料まで)である。

回折限界の見積もりは、開口数 NA を用いて

wdiff0.61λNA

である。コヒーレントイメージングやナノ集光では、σdiff と波面誤差の両方が実質性能を決める。

6.1 集光素子の比較

集光素子原理色収差長所主な制約
KBミラー(2枚直交)全反射鏡で2次元集光ほぼなし広帯域、波面保存に適する面精度・機械安定性・長尺化
楕円・トロイダルミラー反射による像形成ほぼなし1素子で集光可能な場合がある収差と製作難度、入射角制約
CRL(複合屈折レンズ)微小屈折の積算あり硬X線で実装しやすい吸収損失、材料選択
ゾーンプレート回折による集光強い高分解能効率と帯域、オーダー分離が必要
多層膜KB/ミラー多層反射で反射率増強あり(多層は帯域選択性)高エネルギーや特殊帯域で有利多層歪み・熱負荷・位相誤差

7. スリットとアパーチャ:分解能・コヒーレンス・フラックス

スリットは「ビームを細くする道具」ではなく、位相空間を選別して

  • 分光器の分解能(入射角分布)を決める
  • 仮想光源サイズを作り、集光の像を定義する
  • 横コヒーレンス分率を調整する

という役割を持つ。例えば軟X線分光では入口スリット幅が分解能とスループットを直接決め、硬X線でも仮想光源化によりナノ集光の再現性が決まる。

8. 高調波と迷光:スペクトル純度

アンジュレータは高調波を含むため、単色化後でも高次成分が残る場合がある。高調波は吸収端近傍の微小差分(XANESの微細構造、二色性、微弱散乱)を見えにくくするため、次の要素が組み合わされることが多い。

  • ミラーのカットオフ(臨界角で高エネルギーを落とす)
  • フィルタ(薄膜で選択的吸収)
  • 多層膜や追加分光素子(目的帯域を強調)
  • 光学レイアウト(不要反射を減らし迷光を抑える)

“スペクトル純度”は、分光器単体の能力ではなく、ミラー・スリット・フィルタを含むシステム設計として達成されるのである。

9. 波面保存とメトロロジー

低エミッタンス光源(回折限界蓄積リングへ向かう流れ)では、光がもつコヒーレンスを測定に変換できる一方で、光学系が波面品質を損なうと利得が失われる。したがって、ミラーのスロープ誤差、粗さ、結晶の熱歪み、格子の面精度、支持機構の微小揺らぎが、実効コヒーレンスを決める支配因となる。

波面の許容は用途で変わる。回折像から位相回復を行う場合、RMS波面誤差が波長の十分小さい割合に収まることが望ましく、式で書けば

σϕ1

σϕ は位相誤差のRMS)である。前節の

ϕ(x)4πλh(x)sinθ

を用いると、要求される h の桁が直ちに見積もれる。

10. 光学設計の計算:幾何光学と波動光学

放射光ビームラインの設計計算は大きく二系統である。

  • レイトレース:フラックス、像形成、収差、受け角、コンポーネント配置の最適化に強い
  • 波動光学:回折、コヒーレンス、位相、スペックル、波面劣化の評価に強い

両者は対立概念ではなく、設計段階で併用されることが多い。例えば、最初にレイトレースで大域配置と受け角を決め、コヒーレント計測を想定する区間だけ波動光学で波面と回折を評価する、という流れが自然である。

10.1 設計計算の比較

視点レイトレース波動光学
主対象光線束、幾何学像電場、位相、回折
得意受け角、焦点位置、収差、迷光の幾何コヒーレンス、回折限界、波面誤差の影響
典型出力スポット図、光線分布、透過率強度像+位相、相関関数、スペックル
前提の限界回折を直接表現しない大域の複雑系は重くなりやすい

11. 代表的レイアウト

11.1 硬X線分光・XAFS(アンジュレータ/偏向)

  • 上流:白色光受け(ガンマストッパ等)、一次スリット
  • 単色化:Si(111) DCM(熱負荷対策込み)
  • 反射ミラー:高調波抑制+ビーム整形
  • 下流:二次スリット(仮想光源化)
  • 集光:KBミラーまたは楕円ミラー(必要に応じて可変焦点)

この構成は、吸収分光の掃引と安定輸送を両立させる典型である。

11.2 硬X線ナノ集光(コヒーレント志向)

  • 単色化:DCM後に追加の高反射ミラー(HRM)やチャネルカット(CCM)で帯域・安定性を整える
  • 仮想光源:四象限スリットで見かけ光源を作る
  • ナノ集光:高精度KBまたは回折光学(用途による)
  • 必要に応じ:波面計測素子や位相板

ナノ集光は、幾何学的縮小だけでなく波面品質で決まるため、光学素子の面精度を設計要件の中心に置く構成になりやすい。

11.3 軟X線分光(ARPES/RIXS/XAS)

  • 前段ミラー:収束/コリメーションと高調波抑制
  • 回折格子分光器:PGMやSX-700系
  • 出口スリット:分解能とフラックスを決める中核
  • 終段ミラー:試料位置への集光、角度分解条件の整形

軟X線は反射率の条件が厳しく、ミラー・格子の面品質が分解能とスループットを同時に規定する。

12. 国内施設に見る設計要素の実例

国内のビームライン解説や計画書には、上で述べた要素が具体部品として現れている。例えば、標準的な硬X線ビームラインでは二結晶分光器とミラーによる固定出射・集光が中核として説明される。また、ナノ集光を志向する計画では、DCM後にスリットで仮想光源を作り、HRMやCCMで帯域と波面を整え、KBでナノ集光する構成が明示されることが多い。

まとめ

放射光の光学設計は、光源の位相空間を出発点に、硬X線では結晶分光器、軟X線では回折格子分光器を核とし、ミラー・スリット・集光素子を組み合わせて、分解能・フラックス・波面品質を同時に成立させる設計学である。低エミッタンス化とコヒーレント手法の拡大により、面精度と熱歪みが性能を支配する割合が増しており、レイトレースと波動光学を併用して全系最適を行う判断が、現代の光学設計の中心となるのである。

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