第一原理計算ソフトウェアと特徴
第一原理計算ソフトウェアは、同じ密度汎関数理論(DFT)を基礎にしつつ、基底関数・全電子/擬ポテンシャル・実装思想(性能最適化、拡張手法、対象スケール)の違いにより多数に分かれる。研究テーマに対して「何が得意で、何が苦手か」を最初に整理して選ぶことが再計算コストを下げる鍵である。
参考ドキュメント
- Quantum ESPRESSO User Guide (PDF) https://www.quantum-espresso.org/Doc/user_guide_PDF/user_guide.pdf
- CP2K Project (official) https://www.cp2k.org/
- CMSI Torrent 006: 10^16が創り出す新マテリアル(国内の公開ソフト紹介を含む、日本語PDF) https://cmsi.issp.u-tokyo.ac.jp/torrent/torrent006/torrent6j.pdf
1. ソフトが分かれる理由
第一原理計算の中心は、電子密度からポテンシャルを決め、Kohn–Sham方程式を自己無撞着に解く枠組みである。
ここで「波動関数や密度をどう表現するか」が実装の分岐点であり、主に次で分類される。
- 平面波 + 擬ポテンシャル/PAW:周期固体に強く、収束が体系的である
- 局在軌道(LCAO/NAO/LCPAO):大規模系・欠陥・界面で計算量を抑えやすい
- 実空間格子:局所性や多重解像度で柔軟に扱える場合がある
- 全電子(FP-LAPW, NAO all-electron, KKR等):内殻も含めて精密だが計算が重くなりやすい
2. チェックリスト
- 対象:周期固体/表面・界面/分子・クラスター/液体・アモルファス
- 必要物性:構造最適化、バンド、磁性(SOC含む)、フォノン(DFPT/有限差分)、GW/BSE、輸送、スペクトル
- スケール:原子数(10–100、10^2–10^3、10^4級)、サンプル数(ハイスループットか)
- 品質要件:全電子が要るか、擬ポテンシャルで十分か、相対比較か絶対値が要るか
- 運用:ライセンス、HPC環境、周辺ツール連携(ASE等)、既存コミュニティ資産
3. 代表ソフトウェアの分類一覧
表中の「得意」は実務での傾向であり、最終的な優劣は対象系・入力設定・擬ポテンシャル/基底セット・収束条件に強く依存する。
| 系統 | ソフト例 | 表現/基底の要点 | 得意な場面 | 注意点 |
|---|---|---|---|---|
| 平面波(PW) | VASP | PW + 擬ポテンシャル/PAW | 周期固体の標準的ワークホース、参照計算の統一 | 有償ライセンス、計算コストは大きくなりやすい |
| 平面波(PW) | Quantum ESPRESSO | PW + 擬ポテンシャル、統合スイート | オープンソースで広範囲、教育・共有がしやすい | 擬ポテンシャル選定の作法が品質を左右する |
| 平面波(PW) | ABINIT | PW + 擬ポテンシャル、DFPT等の拡張 | オープンソース、線形応答(フォノン等)と相性がよい | 入力流儀に慣れが要ることがある |
| 平面波(PW) | CASTEP | PW + 擬ポテンシャル(商用系で流通) | GUI/商用環境と組み合わせたい場合 | ライセンス形態・環境依存に留意 |
| 局在軌道(LCAO/NAO) | SIESTA | 原子軌道(有限範囲NAO)+ 擬ポテンシャル | 大規模系、欠陥・界面、計算資源が限られる場合 | 基底の作法が収束と精度に効きやすい |
| 局在軌道(LCPAO) | OpenMX | 擬原子軌道の線形結合(LCPAO) | 日本語資源が充実、材料・磁性・大規模に強い場面がある | 完全基底でないため「収束の見切り方」が重要 |
| 混成(Gaussian+PW補助) | CP2K | Gaussian and Plane Waves(GPW/GAPW) | 分子/固体/液体をまたぐAIMD、比較的大規模 | 基底セットと設定の習熟が効率に直結する |
| 実空間・マルチ表現 | GPAW | PAW、実空間格子/平面波/局在基底 | Python主導の解析・ワークフロー、柔軟な表現 | HPC運用・依存関係の整備が必要な場合がある |
| 全電子(FP-LAPW) | WIEN2k | 全電子・フルポテンシャルLAPW | 精密参照、内殻も含めた厳密性が欲しい場合 | 計算が重く、入力・運用に専門性が要る |
| 全電子(FP-LAPW) | FLEUR / Elk | 全電子・フルポテンシャルLAPW | 全電子系の研究用途、手法開発寄り | 学習コスト、系のサイズに限界が出やすい |
| 全電子(NAO all-electron) | FHI-aims | 数値原子中心軌道の全電子 | 高精度とスケールの両立を狙う場合 | 利用条件や環境整備の確認が必要 |
| Green関数・KKR | SPR-KKR / JuKKR等 | KKR Green関数、相対論等 | 磁性・輸送・分光など特定物性に強い | 一般DFTとは流儀が異なり学習が必要 |
4. 分子・クラスター寄り(量子化学系)
固体でもクラスター近似や分子吸着の局所モデルで役立つ。分散力、励起状態、開殻分子の分光などで選ばれることが多い。
- ORCA:DFTから多体法まで幅広く、学術利用が容易な形態で提供されることがある
- NWChem:大規模並列を意識したオープンソース
- Psi4:オープンソース、教育・自動化にも向く
- Gaussian:商用の定番枠として参照されることが多い
5. 目的別
- 周期固体の標準計算(構造・バンド・磁性の基礎):PW系(VASP/QE/ABINIT)を軸に統一しやすい
- 欠陥・界面・巨大セル、反復サンプルが多い:局在軌道(SIESTA/OpenMX)やCP2Kの優位が出やすい
- AIMD(液体・アモルファス・界面の統計):CP2K、PW系、状況によりGPAW
- 参照精度(全電子、比較検証、内殻の厳密性):WIEN2k/FLEUR/Elk/FHI-aims
- 輸送・分光・磁性の特定物性(Green関数/相対論が効く):SPR-KKR系
6. 注意点
- 擬ポテンシャル/PAWデータセットと基底セットが、コード差より結果差を生むことがある
- 収束指標(カットオフ、k点、スメアリング、セル/原子緩和条件)を「比較軸」として固定する設計が重要である
- 同一テーマ内では、参照コード(高精度)と探索コード(高速)を役割分担して運用すると強い
- ワークフロー化(自動化)で再現性が上がる。ASEのような共通インターフェースで複数コードを統合する設計も有効である
まとめ
第一原理計算ソフトウェアは、平面波・局在軌道・実空間・全電子・Green関数といった表現の違いにより強みが分かれる。対象スケールと必要物性、そして運用制約(ライセンス・HPC・自動化)を先に固定し、参照計算と探索計算を役割分担するのが実務的である。