ギブス自由エネルギーに基づく合金設計
合金設計における「どの相が、どれだけ、いつ安定か」は、温度T・圧力P・組成に依存するギブス自由エネルギーGの比較として定式化できる。Gを相ごとにモデル化し、平衡条件を満たすように最小化することで、相図・析出・偏析・熱処理窓を定量的に決めることができる。
参考ドキュメント
- 計算状態図データベース(CPDDB, NIMS) https://cpddb.nims.go.jp/
- 西澤泰二, CALPHAD(計算状態図)の進展(まてりあ, J-STAGE) https://www.jstage.jst.go.jp/article/materia1962/31/5/31_5_389/_article/-char/ja/
- 名古屋大学 講義資料:第5章 化学的自由エネルギー評価法(PDF) https://www.material.nagoya-u.ac.jp/PFM/docs/Lecture_H19/H19_Chapter_5.pdf
1. ギブス自由エネルギー
合金は、複数元素が複数相に分配し、しかも温度や熱履歴で状態が変わる系である。相安定性と組織形成を一貫して扱うには、状態量のうち「T,P一定で平衡を決めるポテンシャル」が必要であり、それがギブス自由エネルギーである。
定義
ここで
はエンタルピー、 はエントロピーである。 基本微分形(閉じた多成分系)
は化学ポテンシャル、 は成分iの物質量である。
合金設計で重要なのは、組成と温度の関数として相ごとのGを用意し、全体系のGが最小となる相の組合せと相分率を求めることである。相図とは、その最小化問題の解集合(条件を走査した地図)である。
2. 化学ポテンシャルと平衡条件:相図
2.1 化学ポテンシャルの定義と意味
化学ポテンシャルは、成分iを微小に加えたときのGの増分である。
多相平衡では、各相での
2相平衡(相
)の一般条件 より実装に近い表現(全
最小化) 相の物質量を 、相のモルギブスエネルギーを とすると、 を、物質収支
の下で最小化する問題に帰着する。
2.2 活量と非理想性)
溶体相では非理想性が一般であり、
と書く。
3. 混合自由エネルギー
相図の直観を得るには、まず混合による自由エネルギー変化
3.1 理想溶体
二元A-B(Aのモル分率をxとする)で、理想混合のエントロピーは
理想溶体の混合自由エネルギーは
である。エンタルピー項がゼロなので、混合は常に自由エネルギー的に有利である。
3.2 正則溶体(相互作用パラメータ )
エンタルピー的相互作用を最小限で入れると
となる。
- スピノーダル条件(自発的分解の領域)
正則溶体では であり、例えば では臨界温度 が得られる。
3.3 共通接線(2相共存組成)
二元系のモルギブスエネルギーを
三元以上では共通接平面に一般化される。CALPHADが内部で行っているのは、実質的にこの幾何学条件を多相・多成分で満たす最小化である。
4. ギブス自由エネルギーの内訳
合金のGは、単一の「化学項」だけでは精度が足りない場合が多い。代表的には
:純物質(端成分)基準 :配置(混合)エントロピー起源(理想混合など) :過剰ギブスエネルギー(非理想相互作用) :磁気寄与(Fe系などで相境界を動かし得る) :格子振動(フォノン)寄与(高温で効く) :電子励起寄与(必要な場合)
設計上は、どの寄与が相境界や析出温度を動かし、どの寄与が二次的かを見極め、モデルの複雑度と入手可能なデータを釣り合わせることが肝要である。
5. CALPHAD: を相ごとにモデル化し、相図へ落とす枠組み
5.1 コアアイデア
CALPHAD(CALculation of PHAse Diagrams)は、各相のギブスエネルギーを温度・組成の関数として表式化し、利用可能な実験値と計算値に整合するようにパラメータを最適化し、二元・三元を基盤に多元系へ外挿して相平衡を計算する方法である。出力は相図だけでなく、活量、化学ポテンシャル、比熱など、Gから導ける量全般である。
5.2 過剰ギブスエネルギー(Redlich-Kister型)
二元溶体相の過剰項は、例えば
のように展開することが多い。
5.3 規則相・化合物相
B2、L1_2、σ相など、サイト占有が重要な相は、単純溶体モデルでは表せない。そこで亜格子(sublattice)を導入し、サイト分率
のように、端成分(endmember)の線形結合+配置エントロピー+相互作用で組む。
5.4 データベース(TDB)
CALPHADの成果物は、相ごとのG関数を集約したTDBファイルとして流通する。国内では、CALPHAD由来のTDBを集録したデータベースが公開されており、既存の熱力学計算ソフトと組み合わせて相図・熱力学量を算出できる。
6. 計算科学との統合
CALPHADは現象論モデルである一方、近年は計算側の情報を
6.1 第一原理計算(DFT)による 0 K エネルギーと温度効果
- 生成エンタルピー(0 K近傍)
- フォノン自由エネルギー(準調和近似など)
を用いて温度依存
6.2 クラスター展開・モンテカルロ:統計熱力学
規則—不規則転移や短距離秩序が強い場合、配置自由エネルギーをより物理的に扱うために
- クラスター展開でエネルギーを有効ハミルトニアン化
- モンテカルロで有限温度の秩序度・比熱・相境界を推定 し、結果をCALPHADのパラメータ化へ還元する経路が有効である。
6.3 拡散・析出・粒界偏析
Gが整えば、駆動力は化学ポテンシャル差として得られる。例えば組成場
から、拡散を駆動する化学ポテンシャルは
で与えられる。ここで
7. 合金設計での比較表
| 設計課題 | 問いの形 | Gに基づく計算出力 | 得られる設計判断 |
|---|---|---|---|
| 単相固溶体を維持したい | どのT,xで相分解しないか | 相境界、スピノーダル、相分率 | 組成窓、熱処理窓、危険領域 |
| 析出強化相を狙う | どの相が析出しやすいか | 平衡相分率、駆動力、溶解限 | 時効温度、ターゲット組成 |
| 脆性相を避ける | σ相などを出さない条件 | 多相平衡計算、相安定域 | 禁止組成、温度制約 |
| 溶製・凝固の割れや偏析を抑える | 凝固経路はどうなるか | 液相線・固相線、Scheil計算 | 合金元素の上限、凝固条件 |
| 粒界偏析を制御する | どの元素がどれだけ偏析するか | 化学ポテンシャル、活量、相互作用 | 添加元素の選別、熱処理設計 |
| 高エントロピー合金の相安定性 | 単相か多相か | 多元相平衡、相分率、活量 | 単相化の方針、相制御 |
8. 手法の比較表
| 手法 | 強い点 | 弱い点 | 位置づけ |
|---|---|---|---|
| CALPHAD + TDB | 多元系の相平衡を高速に走査できる。G由来の量を一括で出せる | データ範囲外の外挿、未知相、準安定の扱いに注意が要る | 合金設計の地図生成エンジン |
| 第一原理(DFT) | 0 Kの相対安定性、端成分・化合物の基礎量を与える | 高温・乱れ・大単位胞で重い | モデルの基準点、未知相探索 |
| フォノン(準調和等) | 温度依存Gの補強、相境界の温度シフト | 非調和・液体近傍で難化 | 高温域の精度改善 |
| クラスター展開 + MC | 規則相、短距離秩序、臨界現象に強い | モデル構築にデータが要る | 秩序化・相転移の精密化 |
| 相場(フェーズフィールド等) | 組織の空間発展を扱える | Gと移動度の精度が支配的 | 組織設計への接続 |
9. 注意点
- データベースの適用範囲を超える 合金設計では多元外挿が魅力であるが、二元・三元の根拠が薄い部分では相境界が大きく動き得る。対象系に近い評価体系(論文・TDBの由来)を確認すべきである。
- 準安定相と平衡相の混同 実材料の時効や急冷では準安定相が支配する場合がある。平衡計算と準安定拘束計算を分けて議論すべきである。
- 磁気寄与・体積寄与の軽視 Fe基などでは磁気寄与が相境界を動かし得る。高温ではフォノン寄与の無視が誤差要因になる。
- 不確かさの見積り不足 相図計算は点推定になりやすい。入力データやパラメータの感度解析、複数データベースの比較が有効である。
まとめ
ギブス自由エネルギーは、多成分・多相の平衡条件を一つの最小化問題として統一し、相図、活量、化学ポテンシャル、駆動力といった合金設計に直結する量を与える。CALPHADは相ごとのG関数をデータと整合する形で構築し、多元系の設計空間を現実的な計算コストで探索する基盤である。近年は第一原理・フォノン・統計熱力学の結果をGモデルへ接続する流れが強く、相安定性の地図と組織形成の時間発展を同じ自由エネルギー基盤で連結する設計が中心的になりつつある。
関連研究
- Thermo-Calc, CALPHAD Methodology https://thermocalc.com/about-us/methodology/the-calphad-methodology/
- Thermo-Calc(日本語解説ページ), 理論(CALPHADとGibbsエネルギー) https://www.engineering-eye.com/THERMOCALC/details/theory.html
- 大沼郁雄, 計算状態図(CALPHAD)の進展と軽金属への応用(軽金属, J-STAGE) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jilm/69/7/69_690703/_article/-char/ja/
- 林直宏ほか, Al-Mg-Zn 3元系状態図の熱力学的解析(日本金属学会誌, J-STAGE) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jinstmet/84/5/84_JBW201905/_article/-char/ja/
- 高橋宏太ほか, Fe-Mo-B三元系状態図の熱力学的解析(鉄と鋼, J-STAGE) https://www.jstage.jst.go.jp/article/tetsutohagane/106/6/106_TETSU-2019-097/_article/-char/ja
- 及川勝成・上島伸文, Fe–Ni, Fe–C, Ni–C, Fe–Ni–C系の熱力学的解析(鉄と鋼, 2025, PDF) https://www.jstage.jst.go.jp/article/tetsutohagane/advpub/0/advpub_TETSU-2025-072/_pdf
- Ikehata et al., Grain Boundary Segregation Behavior and CALPHAD-based thermodynamic calculation (Materials Transactions, 2024) https://www.jstage.jst.go.jp/article/matertrans/65/5/65_MT-M2023199/_article/-char/en
- Sundman, A Review of Calphad Modeling of Ordered Phases (J. Phase Equilibria Diffusion, 2018) https://link.springer.com/article/10.1007/s11669-018-0671-y
- Thermo-Calc, TCHEA6 High Entropy Alloys Database Technical Information (PDF) https://www.engineering-eye.com/THERMOCALC/details/db/pdf/thermo-calc/2022b/TCHEA6_technical_info.pdf
- Thermodynamic Modeling by the CALPHAD Method and its Applications to Innovative Materials (PDF) https://calphad.com/wp-content/uploads/2025/07/Thermodynamic_Modeling_by_CALPHAD_Method.pdf
- Construction and Tuning of CALPHAD Models Using Machine Learning (arXiv, 2025) https://arxiv.org/abs/2508.01028