2025年ノーベル化学賞
金属有機構造体(MOF)と空間を設計する化学
2025年ノーベル化学賞は、分子を「作る」だけでなく、分子の並び方によって内部空間を持つ結晶を「設計する」化学を確立した点を讃えるものである。金属有機構造体(metal–organic frameworks; MOF)は、吸着・分離・貯蔵・触媒などで「空間そのもの」を機能として使える材料群である。

参考ドキュメント
- Nobel Prize in Chemistry 2025: Press release, NobelPrize.org
- Scientific Background to the Nobel Prize in Chemistry 2025: Metal–Organic Frameworks (PDF), NobelPrize.org
- Science Portal(JST)「ノーベル化学賞に京大・北川氏ら3氏 気体を貯蔵できる金属有機構造体『MOF』を開発」
1. 受賞の概要
1.1 受賞者と授賞理由
- 北川 進(京都大学)
- Richard Robson(University of Melbourne)
- Omar M. Yaghi(University of California, Berkeley)
授賞理由は「金属有機構造体(MOF)の開発」である。
1.2 何が新しかったのか
焦点は、分子を離散的に合成する化学の延長ではなく、金属イオン(あるいは金属クラスター)と有機配位子を自己組織化させ、結晶中に大きな空隙(cavity)を恒久的に内包する「分子アーキテクチャ」を作り出した点にある。MOFの特徴は次の三点に要約できる。
- 結晶である:原子配置が規則的で、構造と物性を結びつけやすい
- 多孔体である:気体や分子が内部に出入りでき、吸着・分離が可能である
- 設計自由度が高い:金属種、配位子、トポロジー、官能基、欠陥などを変数として扱える
2. MOFの基本:ノードとリンカーから空隙が生まれる
2.1 構成要素
MOFは、概念的には「ノード(節点)」と「リンカー(連結子)」からなる。
- ノード:金属イオン M、または金属酸化物クラスター(secondary building unit; SBU)
- リンカー:多座配位子 L(カルボキシラート、イミダゾラート、ピリジルなど)
単純化すると、ネットワークとして
のような無限配位高分子である。重要なのは、生成物が単なる高分子ではなく、空隙を保った結晶格子として安定化されることである。
2.2 代表的な構造イメージ
- 「角」として働く金属(あるいはSBU)を、有機リンカーが梁のようにつなぐ
- その結果、格子の中に“部屋”が形成され、分子が出入りできる
この「部屋のサイズ」「入口のサイズ」「内壁の化学性」が、吸着・分離・触媒に直結する。
2.3 MOFと関連概念
用語は文脈で揺れるため、関連用語の定義を示す。
| 用語 | 大まかな意味 | コメント |
|---|---|---|
| 配位高分子(coordination polymer) | 金属と配位子が無限に連結した構造 | 空隙がなくても該当する |
| 多孔性配位高分子(PCP) | 配位高分子のうち多孔性を示すもの | 日本発の文脈でよく使われる |
| MOF | 多孔性を持つ配位ネットワーク材料の総称 | 実質的にPCPと大きく重なる |
3. 「設計できる多孔体」を支える考え方
3.1 形を作る指針:トポロジー(ネットワーク)という言語
MOFの設計では、分子の詳細だけでなく、結晶をネットワークとして抽象化する発想が効く。ノードの結合数(connectivity)とリンカーの幾何によって、得られるネット(網目)がある程度予測可能になる。
- 低次元(1D/2D)にならないように、連結数と立体配置を調整する
- 自由度の高い配位子は多形を生みやすく、狙いのネットに収束しにくいことがある
- 逆に、剛直な配位子やSBUは、再現性よく同じネットを与える傾向がある
3.2 欠陥と柔軟性:理想結晶からのずれが機能になる
MOFは「完全な結晶」だけで勝負していない。欠陥(missing linker / missing node)や、骨格の呼吸(flexibility)、ゲスト分子誘起の構造変化が機能を増幅する場合がある。
- 欠陥:吸着サイトや拡散経路を生む
- 柔軟性:圧力や吸着に応じた開閉(ゲーティング)を生む
- 官能基:内壁の極性や酸塩基性を変える
ただし、欠陥や柔軟性は安定性と表裏であるため、設計変数として扱う意識が必要である。
4. 物性の中核:吸着・分離をどう記述するか
MOFが「空間を使う材料」である以上、気体や溶媒分子の統計的な振る舞いが中心になる。
4.1 吸着等温線の基本式
低圧極限の吸着はヘンリー則で近似される。
ここで
単一サイトの飽和を含むモデルとして、ラングミュア式がある。
4.2 表面積評価とBET
多孔体の評価では比表面積が頻出であり、BET式が参照される。
4.3 分離性能の表現:選択性
混合気体の分離を定量化する最も素朴な指標は選択性である。
5. 多孔性材料の中でのMOFの位置づけ
MOFは既存の多孔体を置き換えるというより、設計自由度の高さで新しい探索空間を開いた材料群である。
| 材料カテゴリ | 構造の規則性 | 孔径の制御性 | 化学修飾の自由度 | 一般的な強み | 注意すべき点 |
|---|---|---|---|---|---|
| ゼオライト | 高い | 高い | 低〜中 | 高耐熱・工業実績 | 組成・骨格の選択肢が限定的 |
| 活性炭 | 低い | 中 | 低 | 安価・大量生産 | 構造解析と設計が難しい |
| メソポーラスシリカ | 中 | 中〜高 | 中 | 孔径制御がしやすい | 化学的な吸着サイト設計は限定的 |
| MOF | 高い | 高い | 高い | 設計自由度が非常に高い | 水・熱・機械強度は系により差が大きい |
6. 応用:なぜ社会課題と結びつくのか
発表資料では、MOFが気体や分子の流入出を許す「部屋」を持つことが強調され、以下の用途が例示されている。
6.1 水の回収(低湿度からの吸着)
水分子は極性が強く、内壁の官能基・金属サイト・孔径分布に敏感である。乾燥地での夜間吸着・日中放出のように、吸着熱と拡散の設計が重要になる。
6.2 二酸化炭素の回収(排ガス・大気)
CO2は四極子モーメントを持ち、極性サイトやアミン様官能基、開放金属サイトで選択的に捕捉されることがある。単に吸着量を増やすだけではなく、再生エネルギー(脱着の容易さ)とのバランスが焦点になる。
6.3 水素の貯蔵
H2は小さく相互作用が弱いため、低温での物理吸着や高比表面積の活用が議論される。孔径最適化や軽元素骨格の設計が主要テーマになる。
6.4 有害ガスの捕捉、触媒反応場としての利用
内部空間は、反応物の濃縮・配向・拡散制御を同時に扱える「反応場」として働く。さらに、金属サイトや官能基を触媒点として埋め込める。
7. 合成と材料化:機能に到達するまでの要素
7.1 合成(自己組織化)の特徴
MOF合成は、配位結合の可逆性を利用して結晶性を獲得することが多い。代表的には溶媒熱条件などで結晶を育て、生成後に溶媒を置換・除去(活性化)して孔を開く。
7.2 安定性の論点
MOFは系ごとの差が大きい。たとえば、Zr系や一部のZIF系は水や熱に強い一方、金属–配位子結合が加水分解されやすい系もある。耐久性は、結合の強さだけでなく、骨格の疎水性、欠陥密度、粒子形態にも依存する。
7.3 形状付与(粉末から部材へ)
粉末結晶として優れていても、膜・ペレット・複合化などの形状付与で性能が変わり得る。吸着速度、圧損、熱輸送、機械強度は、結晶内部の性能とは別軸の要因として現れる。
8. データサイエンスとの接点
MOFは結晶構造が明確で、組成・構造・物性の対応付けがしやすい。そのため「構造記述子 → 物性予測 → 探索」という流れが組みやすい材料群である。
8.1 代表的なデータ表現
- 結晶構造(CIF)からの幾何特徴:孔径分布、accessible volume、比表面積、密度
- 化学特徴:金属種、官能基、極性、部分電荷
- トポロジー:ネットワークの種類、連結数、SBU分類
8.2 計算との役割分担
- DFT:局所サイトの相互作用、電荷移動、反応障壁の評価
- 分子シミュレーション(GCMC/MD):吸着等温線、拡散、混合系分離の推定
- 機械学習:膨大な候補構造のスクリーニング、逆設計候補の生成
ここで重要なのは「予測値」を出すこと自体より、設計変数(孔径、官能基、金属サイトなど)が性能にどう効くかを説明可能な形で接続することである。
9. 受賞研究の歴史的意味
| 年代 | 進展(概略) | 意味 |
|---|---|---|
| 1980年代末 | 3D配位ネットワークの設計思想が提示される | 配位化学に「構造設計」の視点が強く入る |
| 1990年代 | 多孔性配位高分子(PCP)の体系化が進む | 吸着・可逆なゲスト取り込みが研究の核になる |
| 2000年代以降 | “MOF”という枠組みが一般化し設計空間が拡大 | 分離・貯蔵・触媒・水回収などへ展開する |
関連研究
- Nobel Prize in Chemistry 2025: Popular information, NobelPrize.org
- 京都大学ニュース「2025 Nobel Prize in Chemistry awarded to ... Susumu Kitagawa」
- Reuters(日本語)「ノーベル化学賞に北川進京大特別教授ら3人、金属有機構造体の開発」
- JST-CRDS 連載「第308回『ノーベル化学賞 基礎科学から新材料』」
- Nature(コレクション)Nobel Prize in Chemistry 2025 関連ページ
- UC Berkeley News: Omar M. Yaghi shares 2025 Nobel Prize in Chemistry
- Chem-Station(日本語解説記事)「2025年ノーベル化学賞になぜMOFが選ばれたのか?」
まとめ
2025年ノーベル化学賞は、金属と有機分子を組み合わせて結晶内に機能空間を作り込むMOFの確立を通じ、化学を「分子の合成」から「空間の設計」へ拡張した点を評価したものである。MOFは設計自由度の高さゆえに、吸着・分離・貯蔵・触媒など多方面に広がる一方、安定性や材料化の要素も含めて性能が決まるため、構造・化学・統計熱力学を一体として扱う視点が今後も重要である。