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数学の未解決問題-ミレニアム懸賞問題

ミレニアム懸賞問題(Millennium Prize Problems)は、クレイ数学研究所(Clay Mathematics Institute, CMI)が2000年に設定した7つの重要未解決問題と、その解決に対して与えられる賞である。現在までに解決が認められているのはポアンカレ予想のみであり、残る6問は数学・理論計算機科学・数理物理の根幹に関わる問いとして研究が継続している。

参考ドキュメント

  1. Clay Mathematics Institute, The Millennium Prize Problems https://www.claymath.org/millennium-problems/
  2. Clay Mathematics Institute, Rules for the Millennium Prize Problems https://www.claymath.org/millennium-problems/rules/
  3. (日本語)京都産業大学 Discovery Project(ポアンカレ予想・素数と難問の紹介) https://www.kyoto-su.ac.jp/project/st/st10_01.htmlhttps://www.kyoto-su.ac.jp/project/st/st04_01.html

1. 制度の背景と目的

ミレニアム懸賞問題は「新しい千年紀の数学を記念し、数学の未解決問題が依然として開かれたフロンティアであることを広く示す」ことを意図して設計された枠組みである。CMI は2000年5月24日にフランスのコレージュ・ド・フランス(Collège de France)で行われた会合で7問題を公表し、各問題に100万ドル、総額700万ドルの賞金基金を設定した。問題は、長年にわたり解決を拒み続け、かつ分野横断的に深い含意をもつ「古典的で本質的な問い」であることを重視して選定された。

この枠組みの特徴は、単なる「難問リスト」ではなく、(i) 明確な問題文、(ii) 解決を認定するための規則、(iii) 社会へ向けた数学の可視化(未解決問題の存在そのものが学術の活力を表す)を一体として提示した点にある。さらに、ヒルベルトの23問題(1900年)との歴史的連続性が意識され、実際にリーマン予想はヒルベルト問題にも含まれる。

2. 賞の認定と授与の枠組み

CMI は授与手続きの規則を公開しており、核心は「数学的正しさの社会的確証」をどのように形成するかにある。概略は次の通りである。

  • 解答は、専門誌等の査読付き媒体で公表され、共同体による検証に耐えることが要請される。
  • 解答が公表されても直ちに授与されるわけではなく、一定期間にわたり外部の専門家コミュニティで精査されることが前提となる。
  • 最終的な賞の授与は、CMI の諮問委員会・理事会の手続きを経て決定される。

ポアンカレ予想については、最初のミレニアム賞授与が2010年に公表され、しかし受賞対象者が賞金を受け取らない決定をしたこともCMIの年次報告で述べられている。これらは、証明の正しさが共同体的プロセスで確定していくこと、そして「受賞=研究者の個人的動機」という単線では捉えられないことを示している。

3. 7問題の一覧

問題主分野問いの要点(短い要約)現状
バーチ=スウィンナートン=ダイアー予想(BSD)数論・代数幾何楕円曲線の有理点の「多さ(ランク)」と L 関数の s=1 での零の次数の一致未解決
ホッジ予想代数幾何・トポロジー幾何(代数的サイクル)で表せるコホモロジー類の特徴付け未解決
ナビエ=ストークス方程式の解の存在と滑らかさPDE・流体力学3次元粘性流体の基本方程式が、全時間で滑らかに解けるか未解決
P vs NP 問題理論計算機科学検証が容易な問題は発見も容易か(P=NP か)未解決
リーマン予想解析数論ゼータ関数の非自明零点の実部がすべて 1/2未解決
ヤン=ミルズ方程式と質量ギャップ数理物理4次元量子ヤン=ミルズ理論の厳密構成と質量ギャップの証明未解決
ポアンカレ予想幾何・トポロジー「単連結な閉3次元多様体は3球面か」解決済

4. 各問題の内容

4.1 ポアンカレ予想(解決済)

ポアンカレ予想は3次元多様体の分類問題の中心にある問いである。位相的な「穴のなさ」を表す単連結性と、3次元球面 S3 の同一視を結びつける。

  • 用語

    • 閉多様体:境界を持たずコンパクトである多様体である。
    • 単連結:任意の閉曲線が点へ連続変形できる性質である。
  • 問題の主張 任意の閉3次元多様体 M が単連結であるならば、

    MS3

    が成り立つか、という問いである( は同相を表す)。

この予想はサーストンの幾何化予想の特別な場合として理解され、リッチフローとその特異点解析を通じて解決されたとされる。CMI は2010年に最初のミレニアム賞授与を公表している。

4.2 P vs NP 問題(未解決)

計算可能性を「資源(時間)」で分類する計算量理論の中心問題である。直観は「正解を見つけること」と「正解だと確認すること」の隔たりである。

  • 定義(決定問題の計算量クラス)
    • P:決定問題が決定性チューリング機械で多項式時間に解ける集合である。
    • NP:解の候補(証明書) y を与えれば、入力 x に対し関係 R(x,y) を多項式時間で検証できる集合である。

形式的には、ある多項式 p() が存在して、

xLy, |y|p(|x|) かつ R(x,y)=1

を多項式時間で判定できるとき、言語 LNP に属する。

  • 問題の主張P=?NPである。等しくない(PNP)ことを示すだけでも解決である。

この問いは暗号、最適化、証明検証、アルゴリズム設計の限界の理解と直結する。特に NP 完全性の理論(多項式時間帰着)により「ある1つの難問が解けるなら多数が解ける」という構造が整理されたが、根本の等式・不等式は未解決である。

4.3 リーマン予想(未解決)

素数分布を支配する解析数論の中心問題である。リーマンのゼータ関数を

ζ(s)=n=11ns(Re(s)>1)

で定義し、解析接続により s=1 を除く複素平面上で定義される関数として扱う。

  • ゼータ関数の零点 自明な零点は s=2,4,6, にある。非自明な零点は

    0<Re(s)<1

    の帯(臨界帯)に存在することが知られている。

  • 問題の主張(リーマン予想) 非自明な零点 s はすべて

    Re(s)=12

    を満たすか、という問いである。

この命題が成立すると、素数定理で与えられる平均的分布からの揺らぎを、きわめて鋭く評価できる。逆に、もし反例が存在すれば、素数分布の偏差評価に根本的修正が必要となる。

4.4 ナビエ=ストークス方程式の解の存在と滑らかさ(未解決)

粘性をもつ非圧縮流体の速度場 u(x,t) と圧力 p(x,t) に対し、3次元での基本方程式は

tu+(u)u=p+νΔu,u=0

である(ν>0 は動粘性係数である)。

  • 問題の焦点: 初期値 u(x,0)=u0(x) が十分滑らかでエネルギーが有限であるとき、任意の時間 t>0 で滑らかな解が存在し続けるか、また一意であるか、が問われる。

  • 重要性: この問題は「乱流の数学的理解」そのものと同一視されないまでも、乱流へ至る過程で生じうる特異性(速度勾配の発散など)を排除できるかという根本の問いを含む。2次元ではより強い結果が知られているが、3次元は本質的に難しい。

4.5 ホッジ予想(未解決)

複素射影多様体 X のコホモロジーには、複素構造に由来するホッジ分解が存在する。具体的には

Hk(X,C)=p+q=kHp,q(X)

である。

  • ホッジ類 次元 2p の有理コホモロジー類 γH2p(X,Q)

    γHp,p(X)H2p(X,C)

    を満たすとき、γ を(有理)ホッジ類と呼ぶ。

  • 問題の主張(ホッジ予想) すべての(有理)ホッジ類は、余次元 p の代数的サイクルのコホモロジー類の有理線形結合として表されるか、という問いである。

この予想は「トポロジー的情報がどこまで代数幾何の言葉で記述できるか」を問う。代数的サイクル、周期写像、モチーフといった広範な理論と接続し、部分的な肯定例・反例候補の議論を含めて現在も中心課題である。

4.6 バーチ=スウィンナートン=ダイアー予想(未解決)

有理数体上の楕円曲線 E/Q に対し、有理点全体 E(Q) は有限生成アーベル群であり

E(Q)E(Q)torsZr

と書ける。この r をランクという。

一方、E に付随する L 関数 L(E,s) を考え、s=1 近傍での零の次数を

ords=1L(E,s)

とする。

  • 問題の主張(BSD 予想の第1部)

    ords=1L(E,s)=r

    が成り立つか、という問いである。

  • 予想の第2部(主係数の精密公式) L(E,s)s=1 でのテイラー展開の先頭係数が、調整された実周期、レギュレーター、タマガワ数、シャファレヴィッチ=テイト群などの不変量で表される、という精密な等式を主張する。

BSD 予想は、数論的対象(有理点)と解析的対象(L 関数)の一致という大きなテーマを体現し、フェルマーの最終定理に連なるモジュラー性、暗号、整数論アルゴリズムとも深く関係する。

4.7 ヤン=ミルズ方程式と質量ギャップ(未解決)

ゲージ群 G(例:SU(N))の主束上の接続 Aμ に対し、曲率(場の強さ)

Fμν=μAννAμ+[Aμ,Aν]

を定める。古典論の作用は

S=14g2R4tr(FμνFμν)d4x

で与えられる。

  • 問題の焦点 4次元の量子ヤン=ミルズ理論を数学的に厳密に構成し、かつ「質量ギャップ」が正であること(基底状態から最初の励起までに正のエネルギー差があること)を証明することが要求される。

  • 重要性 量子色力学(QCD)を含む標準模型の根幹に位置し、摂動論の外側にある強結合領域の理解と直結する。格子ゲージ理論や数値シミュレーションは強い示唆を与えるが、連続極限での厳密な理論構成と質量ギャップの証明は未達である。

5. ミレニアム懸賞問題が示す「未解決」の意味

ミレニアム懸賞問題は「難しい計算が残っている」ことではなく、「概念が確立していない」ことを可視化する。例えば、P vs NP は計算困難性の本質に触れ、ナビエ=ストークスは非線形PDEにおける正則性の限界を問う。BSD やホッジは、幾何・数論・解析という異なる言語が一致する範囲を定めようとする。ヤン=ミルズ質量ギャップは、物理が要請する構造を数学がどの公理系で受け止めるかという問題でもある。

このように、各問題は「単独の山頂」ではなく、多数の理論が交差する稜線に置かれている。そのため、最終的な解決の有無とは別に、周辺で生まれる部分結果・新概念・新手法が学術全体へ持続的な影響を与える。

まとめと展望

ミレニアム懸賞問題は、現代数学が直面する根本的問いを7件に凝縮し、問題文と賞の認定規則を公的に整備した制度である。ポアンカレ予想の解決は、幾何解析とトポロジーを統合する枠組みが「長年の未解決」を動かしうることを示し、残る6問も同様に、新しい概念装置の出現を促す役割を持ち続けている。

今後の展望としては、(i) 純粋数学の内部で成熟してきた理論(表現論・モチーフ・幾何解析など)が、未解決問題の核心へ新しい座標系を与える可能性、(ii) 形式化証明・計算機支援の発展が、検証の信頼性と共同体的合意形成の速度を変えうる可能性、(iii) 数理物理や計算機科学との相互作用が、問題設定そのものの再定式化を導く可能性が重要である。解決は単発の事件ではなく、数学の言語が更新される過程として現れるはずである。

参考文献・資料