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電子線ホログラフィーの基礎

電子線ホログラフィーは、透過電子顕微鏡(TEM)で得られる電子波の位相を定量計測し、試料内部・近傍の静電ポテンシャルや磁束密度(誘導磁場)の情報へ変換する手法である。像強度だけでは失われる位相を復元することで、電荷・電場・磁区・渦糸などの「場」を材料内部の微細構造と結び付けて議論できるようになる。

参考ドキュメント

1. 位置づけと歴史:像強度から位相へ

電子顕微鏡像は一般に強度像であり、観測されるのは複素波動関数 ψ(r)|ψ|2 である。材料中の散乱は振幅と位相の両方に作用するが、位相は直接観測されないため、情報の一部が失われる。電子線ホログラフィーは、参照波との干渉によって位相差を干渉縞として符号化し、計算処理により複素波(振幅と位相)を取り戻す。

歴史的には、ホログラフィーの基本概念は光学に端を発し、電子の波動性と高い空間分解能が結び付くことで、ナノスケールの電位・電磁場計測へ展開された。特に電子線バイプリズム(電子波を分岐・重ね合わせる要素)の開発により、TEM でのオフアクシス(off-axis)電子線ホログラフィーが実用化した。さらに、アハラノフ・ボーム効果の検証など「ベクトルポテンシャルが位相に現れる」量子性を、電子干渉計測で実験的に示したことは、位相計測が電磁場評価の本質であることを強く印象付けた。

2. 基本原理:干渉から複素波を復元する

2.1 ホログラム形成

物体波(試料を透過して位相が変調された波)を

ψo(r)=Ao(r)eiϕo(r)

参照波を(オフアクシス設定によりわずかに傾けた平面波として)

ψr(r)=Arei2πqr

とおく。記録される干渉像(ホログラム)強度は

I(r)=|ψo+ψr|2=|ψo|2+|ψr|2+ψoψr+ψoψr

である。交差項は

ψoψrAo(r)Arei(ϕo(r)2πqr)

となり、位相 ϕo がキャリア周波数 q を伴う縞として符号化される。

2.2 再生:フーリエ空間での側帯抽出

ホログラムのフーリエ変換 F[I] は、低周波成分(自己項)と、±q にシフトした側帯(交差項)に分離する。片側帯を窓関数で抽出し、逆変換すると複素波が得られる。概念的には

  1. F[I] を計算する
  2. q 側帯の一つをフィルタで切り出す
  3. 逆変換して複素像波 ψ~o(r) を得る
  4. 位相 ϕ(r)=argψ~o(r)、振幅 A(r)=|ψ~o(r)| を得る
    という流れである。

ここで得られる位相には、試料の静電ポテンシャルや磁場による「伝搬中の位相遅れ」が含まれる。次節では、その物理的内訳を導出する。

3. 位相の起源:電磁ポテンシャルからの導出

3.1 最小結合と位相因子

電荷 q=e を持つ電子の運動は、電磁ポテンシャル (ϕ,A) に対し最小結合

ppqA

で与えられる。非相対論的には

iψt=[12m(iqA)2+qϕ]ψ

となる。高エネルギー電子が z 方向へ主に進む(パラキシャル)近似では、透過により付与される位相は「光学的経路長」に対応する積分形へ落ちる。

3.2 電場(静電ポテンシャル)による位相:投影ポテンシャル

TEM の高加速電子に対し、試料内の静電ポテンシャル V(r)(ここでは慣習的に V と書く)が与える位相は

ϕE(x,y)=CEV(x,y,z)dz

と表せる。係数 CE は加速電圧(電子の波長・相対論補正)で定まり、一般に

CE=πλEE+E0E+2E0

の形で書かれる。ここで λ は相対論的ド・ブロイ波長、E は運動エネルギー、E0 は静止エネルギーである。したがって位相像は、厚さ方向に投影された電位(平均内部電位、空乏層電位、帯電、界面電位など)を反映する。

平均内部電位(mean inner potential, MIP)V0 は組成や密度、結合状態に由来する「材料固有の背景」であり、ナノ粒子形状や厚さ変動は V0 寄与として位相に現れる。一方、半導体接合の内蔵電位、誘電体近傍の帯電、界面の分極電荷などは V0 とは区別して議論したい対象であるため、後述の分離操作が重要になる。

3.3 磁場による位相:ベクトルポテンシャルと磁束

磁場に対応する位相は、ベクトルポテンシャル A によって

ϕM(x,y)=eAz(x,y,z)dz

と書かれる。ストークスの定理により、この項は「面を貫く磁束」へ結び付けられる。電子線が囲む面 S を取ると

ΔϕM=eSBdS=eΦ

となり、位相差が磁束 Φ に比例する形が得られる。これが電子線ホログラフィーで磁束線(等位相線)を描ける根拠である。

さらに、位相の面内勾配から、試料厚さ t を通した投影磁束密度(面内成分)が得られる。一次元表示の一例として

dϕ(x)dx=(et)B(x)

の形が示され、位相の微分が局所磁束密度に比例する。実際には x,y の2次元勾配を用いてベクトル場として復元する。

4. オフアクシス電子線ホログラフィーの装置概念

4.1 電子線バイプリズム

オフアクシス法では、電子線バイプリズム(微細な導線や薄膜に電圧を印加して電子波を電場で偏向する素子)により、同一光学系内で物体波と参照波を作る。参照波は真空領域を通る波、物体波は試料領域を通る波として準備され、両者を重ねて干渉縞を得る。

主要な制御量は、干渉縞間隔(搬送波数)、縞コントラスト(時間・空間コヒーレンス)、重ね合わせ領域幅である。場の定量では位相ノイズが支配的になりやすいため、電子源(電界放出など)、エネルギー幅、機械・電気的安定性、検出器ノイズが測定限界を決める。

4.2 ローレンツ条件と磁性材料

磁性材料の内部磁区や漏洩磁場を観る場合、対物レンズの強磁場が試料の磁区構造を変えてしまうため、対物レンズ磁場を弱めたローレンツ条件(磁場フリーに近い環境)で記録する設計が一般的である。その上で、外部磁場を別系統で与えたり、傾斜により面内磁場成分を作ったりして、磁化状態を制御しながら位相を取る。

5. 電位項と磁気項の分離

観測位相 ϕ は概念的に

ϕ(x,y)=ϕE(x,y)+ϕM(x,y)

であり、電位項と磁気項が重畳している。磁性材料では MIP の寄与が大きく、磁気項はその上に小さく載ることも多い。そこで、以下のような分離が用いられる。

5.1 試料反転

試料を反転すると、電位項(厚さ積分)はほぼ不変である一方、磁気項は符号が反転する(幾何学的に面の向きが変わるため)と整理できる場合がある。このとき

ϕsum=ϕfront+ϕback2ϕE,ϕdiff=ϕfrontϕback2ϕM

のように和と差で抽出する。

5.2 磁化反転(同一視野で磁化だけ反転)

同一領域で磁化を反転できる場合、MIP は変わらないとみなし、

ϕ(+M)=ϕE+ϕM,ϕ(M)=ϕEϕM

より

ϕE=ϕ(+M)+ϕ(M)2,ϕM=ϕ(+M)ϕ(M)2

が得られる。磁化反転の方法は試料形状・磁気硬さ・顕微鏡の磁場制御能力に依存するが、分離の考え方は普遍である。

5.3 加速電圧依存性の利用

ϕECE を介して加速電圧に依存し、ϕM は基本的に電圧に依存しないという性質を利用して分離する考え方もある。ただし実際には像倍率や収差条件も変わるため、同一視野での整合が課題となる。

6. 材料・デバイスへの応用例

6.1 磁性材料:磁区、磁壁、漏洩磁場、トポロジカル磁気構造

位相像に等位相線(2π ごとの等高線)を重ねると、磁束線の可視化として解釈できる。ナノ粒子鎖、微細パターン磁性体、永久磁石微細組織などで、磁束の閉路や漏洩成分、磁壁近傍の局所的な磁束密度変化が読める。近年は、スキルミオンなどのメゾスコピック磁気構造の磁束密度マップにも適用され、温度や外部磁場に伴う位相変化(磁気相転移の兆候)を議論する例もある。

6.2 半導体・誘電体:接合電位、空乏層、帯電、界面電位

ドーピングプロファイルで形作られる内蔵電位は、電子線ホログラフィーで投影電位として現れる。pn 接合、トレンチ構造、ゲート近傍の電位分布など、ナノスケールでの電位勾配が直接的に得られる点が強い。誘電体や絶縁膜では、照射帯電やトラップ電荷が位相ドリフトとして現れることもあるため、材料固有の電位と測定中に誘起される電位の区別が重要になる。

6.3 触媒・ナノ粒子:形状(MIP)と電荷状態の同時計測

ナノ触媒では、粒子の形状・厚さ・担体との界面が MIP 寄与として位相に現れ、さらに界面の電荷移動や表面電荷が上乗せされる。観察条件を調整し、基準領域(真空や一様領域)を確保することで、形態情報と電位情報を同時に扱う枠組みが作れる。

6.4 超伝導:渦糸(フラックスライン)の可視化

超伝導体では、磁束量子により渦糸が形成される。位相差が磁束に比例する関係から、渦糸に伴う磁束分布を位相として可視化できる。材料中のピン止め、欠陥、界面が磁束線配置に与える影響を、微細組織と同時に観察できることがある。

7. 近接手法との比較

電子線ホログラフィーは位相を定量復元する点が特徴であるが、磁性・電場観察には関連する手法が複数ある。目的量と仮定の違いを表に整理する。

手法主な観測量取得される情報の形強み留意点
電子線ホログラフィー(オフアクシス)位相 ϕ投影電位 Vdz、投影磁束 BdS電位と磁気を同じ枠組みで定量化できるコヒーレンス・安定性の要求が高い
ローレンツTEM(フレネル/フーコー)強度コントラスト磁区・磁壁の存在、相対変化セットアップが比較的単純定量性は間接的になりやすい
STEM-DPC(微分位相コントラスト)ビーム偏向電場・磁場の投影(勾配に近い量)走査で局所応答が得られる走査ノイズ、解析モデル依存
電子タイコグラフィ(ptychography)位相(再構成)透過関数の位相・振幅高分解能位相像が得られうる走査データの大規模処理が必要
EELS/EDSスペクトル組成・化学状態化学情報に強い電位・磁場は直接量ではない

同じ「位相」でも、ホログラフィーは干渉計測、タイコグラフィは回折の冗長性を使った逆問題、DPC は偏向(位相勾配)を読むという差がある。材料により、位相の由来(MIP、帯電、磁気)をどの程度分けて議論したいかで選択が変わる。

8. 位相像を物理量へ結び付けるための整理

8.1 投影量であること

ホログラフィー位相は基本的に厚さ方向の積分であり、三次元分布そのものではない。したがって、薄膜試料の作製方針(厚さ一定化、楔形による厚さ同定、断面試料での幾何学確定)が、解釈に直結する。

8.2 電位と電荷密度の関係

静電ポテンシャル V と電荷密度 ρ

2V(r)=ρ(r)ε

(等方誘電体近似)で結ばれる。位相から得た投影電位をそのまま ρ に変換するには、境界条件や三次元性が問題となるため、トモグラフィやモデルフィッティングと結合して議論するのが自然である。

8.3 磁気位相と磁束密度の関係

磁場は

B=0,B=×A

であり、位相は A の線積分として現れる。したがって、位相そのものはゲージの取り方に依存する表現であるが、位相差として磁束へ落とすとゲージ不変になる。実際の解析では、位相の面内勾配から投影磁束密度を得る形にして、磁束線の可視化とベクトルマップの双方を行う。

9. 位相計測としての注意点

9.1 参照領域の確保と背景位相

参照波は真空領域を通る必要があるため、視野内に十分な真空領域が必要である。支持膜や汚染が参照側にかかると、参照位相が乱れて差分が難しくなる。

9.2 試料帯電と時間ドリフト

絶縁性材料・酸化膜・有機物では照射帯電が起こりやすく、位相が時間変化する。位相が「材料が持つ電位」なのか「照射により生じた電位」なのかを分けるためには、時間系列比較や条件変更による再現性確認が必要になる。

9.3 磁性試料での外部磁場影響

対物レンズ磁場や残留磁場が磁区を変える可能性がある。ローレンツ条件の採用や、磁化反転を意図する場合の磁場制御と整合を取ることが重要である。

9.4 位相アンラップと微分評価

位相は (π,π] で折り返されるため、アンラップ処理が要ることが多い。ただし、磁束密度のように位相勾配を用いる場合、再生複素波から直接微分を評価する式もあり、アンラップを前提としない扱いができる場合がある。

まとめと展望

電子線ホログラフィーは、参照波との干渉を用いて電子波の位相を復元し、投影電位と投影磁束という形で材料中の「場」を定量化する方法である。位相の電位項と磁気項は同一データに重畳して現れるため、試料反転や磁化反転などにより分離し、MIP・帯電・磁区由来の信号を整理して読むことが要点である。

電子線ホログラフィーは、電子源・検出器・安定化技術の進展により、より小さな位相変化を追える方向へ発展している。多重バイプリズムや位相シフト法により、低コントラスト領域でも位相精度を上げる試みがある。加えて、その場加熱・通電・磁場印加と組み合わせ、材料が動作している状態の電位・磁場分布を議論する方向も重要である。ナノ磁性体のスピンダイナミクスや、デバイス動作時の電位変化に対して、位相計測をどう接続するかが今後の中心課題となる。

参考資料