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光電子ホログラフィー(PEH)の原理

光電子ホログラフィー(Photoelectron Holography, PEH)は、内殻から放出された光電子の直接波と周辺原子で散乱された波の干渉を「角度分布」として記録し、放出原子の近傍にある原子配列を3次元で再構成する測定概念である。回折(XPD/PED)とホログラフィーの統合により、ドーパント・欠陥・界面のような局所構造を元素選択的に像として扱える点が特徴である。

参考ドキュメント

  1. 大門 寛, 光電子ホログラフィー, 表面科学 15巻8号, 519–523 (1994). https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsssj/15/8/15_519/_pdf
  2. J. J. Barton, Photoelectron Holography, Physical Review Letters 61, 1356–1359 (1988). https://link.aps.org/pdf/10.1103/PhysRevLett.61.1356
  3. F. Matsui, Holographic Reconstruction of Photoelectron Diffraction Patterns for Atomic Structure Analysis, Journal of the Physical Society of Japan 87, 061004 (2018). https://journals.jps.jp/doi/pdf/10.7566/JPSJ.87.061004

1. 位置づけ:回折とホログラフィー

PEHは、光電子回折(Photoelectron Diffraction; PED / X-ray Photoelectron Diffraction; XPD)で観測される角度分布パターンを、ホログラフィーの言葉で読み替える枠組みである。通常の光学ホログラフィーでは外部基準波が必要であるが、PEHでは放出原子自身が基準波の起点となるため、外部参照光学系を要しない点が本質である。

  • 回折:周辺原子による散乱で角度分布に異方性が生じる
  • ホログラフィー:基準波(直接波)と物体波(散乱波)の干渉縞に3次元情報が符号化される
  • PEH:内殻光電子の角度分布そのものがホログラムとして解釈される

この視点に立つと、回折像は「散乱中心の空間分布(原子配置)を逆変換するための符号」と見なせる。したがってPEHは、局所構造決定(原子配列)のための逆問題として定式化される。

2. 測定が成立する物理:内殻光電子と散乱の干渉

2.1 光電子放出モデル

X線照射によって内殻準位 |i から連続状態 |f へ遷移し、運動エネルギー Ek をもつ光電子が放出される。光子エネルギーを ω、結合エネルギーを EB、仕事関数を Φ とすると

Ek=ωEBΦ

である。光電子の波数 k

k=2mEk

で与えられる。

PEHでは、ある元素の特定内殻準位(例:Si 2p、P 2p、3d遷移金属の2pなど)を選び、角度分解(あるいは大角度同時計測)で放出強度 I(k^) を得る。ここで k^ は放出方向の単位ベクトルである。

2.2 直接波と散乱波:干渉がホログラムを作る

放出原子を原点に置き、観測点が十分遠方(遠方場)にあるとする。光電子波動関数は、直接波 ψ0 と、周辺原子 j による散乱波 ψj の重ね合わせとして

Ψ(k^)=ψ0(k^)+jψj(k^)

と書ける。強度は

I(k^)=|Ψ(k^)|2

である。ここで

  • ψ0 は放出原子からの基準波(参考波)
  • ψj は近傍原子で散乱された物体波

である。散乱波には散乱振幅 fj(θ) と位相が含まれ、概念的には

ψj(k^)fj(θj)Rjexp[ikRj]exp[ikk^Rj]

の形をとる(Rj は放出原子から散乱原子 j への位置ベクトル、Rj=|Rj|)。干渉項 2Re(ψ0jψj) が角度分布に縞構造を作り、その縞が3次元配置情報を含む。

2.3 ホログラム関数(回折像から干渉成分を抽出)

角度依存のなだらかな背景(原子軌道の角分布、検出器感度、非弾性背景など)を I0(k^) とし、ホログラム(干渉成分)を

χ(k^)=I(k^)I0(k^)I0(k^)

で定義することが多い。弱散乱の極限では

χ(k^)2Re[jψj(k^)ψ0(k^)]

となり、χ は散乱原子の位置 Rj をフーリエ位相として符号化する量になる。

3. 再構成(逆変換)の考え方:角度空間から実空間へ

3.1 フーリエ型再構成

k が一定の単色測定で、χ(k^) が球面(|k|=k)上で得られるとする。最も単純な再構成は、球面上の情報を用いる逆変換であり、概念的に

U(r)=χ(k^)exp(ikk^r)dΩ

のような形をとる(dΩ は立体角要素)。U(r) の極大が散乱原子位置 Rj の近傍に現れ、3次元像として解釈される。

ただし単一エネルギーの再構成は、複素共役に由来する“双像”(真像と反転像の共存)が現れやすい。これを抑制するために、k を走査して情報を増やす方法が重要となる。

3.2 多波数(多エネルギー)再構成と空間分解能

Ek を変えると k が変化し、干渉縞の位相が変わる。複数の k で得た χ(k^,k) を統合すると、双像抑制と距離方向(r 方向)の分解能が改善される。

距離分解能の一つの目安は k の有効レンジ Δk を用いて

ΔrπΔk

で与えられる。したがって広い Ek 走査は3次元像のシャープさに直結する。一方で、低 Ek 側では多重散乱や非弾性の影響が強くなりやすく、再構成の前提が崩れやすい。

3.3 多重散乱と前方散乱(forward focusing)

光電子は原子散乱ポテンシャルで散乱されるが、運動エネルギーが高まると散乱は前方に強く偏る。XPDでよく知られる前方収束(forward focusing)は、角度分布に強い指向性パターンを与え、PEH再構成にも影響を及ぼす。

この問題への対処は大きく二系統である。

  • 理論モデルで散乱過程(単一散乱から多重散乱まで)を含め、χ がどう記録されるかを前向きに計算して逆推定する
  • “差分”の概念で前方散乱などの成分を弱め、よりホログラフィー的な干渉成分を強調する(エネルギー差分、偏光差分、磁気差分などの拡張が知られる)

PEHは単純なフーリエ逆変換だけで完結する手法というよりも、再構成アルゴリズムと散乱理論が測定原理の一部に組み込まれた手法である。

4. 実験で観測する量

4.1 角度分布(全方位・大角度)計測

PEHの情報は I(k^) の立体角上の分布に載る。したがって、測定できる立体角範囲が広いほど再構成像の等方性が良くなる。一般に上半球(半空間)の広い角度を同時に取得できる光電子分析器は、PEHの測定効率と像品質に直結する。

4.2 内殻準位選択と化学状態選択

内殻準位は元素固有であり、エネルギー分解でそのピークを選べるため、特定元素の周囲構造を選択的に像として得られる。さらに、同一元素でも化学状態(価数や結合環境)によりコアレベルが化学シフトを持つ。したがって、スペクトル上で成分を分けてホログラムを作ると、状態別の局所構造像が得られる可能性がある。

4.3 非弾性平均自由行程と感度深さ

光電子は固体中で非弾性散乱を受けるため、感度深さは有限である。一般に数百 eV から1 keV程度ではナノメートル程度の深さが支配的になることが多く、表面・界面寄りの情報が強く現れる。これにより、極薄膜下の界面欠陥や、表面終端に敏感な局所構造の可視化が可能になる一方、深部バルク平均像としては制約も生じる。

5. 得られる構造情報:解釈と統計性

PEHの再構成像は「放出原子の周囲の散乱原子位置の確率分布(あるいは散乱寄与の分布)」として理解される。単一原子の直接観測というより、照射スポット内に存在する多数の等価放出原子から得られるホログラムの総和であり、結果は統計平均として現れる。

そのため、例えばドーパントが複数の配置(安定・準安定)を共存させる場合、像にはそれらの重ね合わせが反映される。逆に言えば、支配的な配置が像として浮かび上がり、欠陥複合体や置換位置の同定に有効である。

6. 類似手法との比較

手法主に使う信号典型的に得られる情報代表的長所代表的制約
PEH(光電子ホログラフィー)内殻光電子の角度分布(干渉)放出原子近傍の3次元原子配列像元素選択性、局所3次元像、薄膜下界面にも適用可能性散乱理論・再構成法への依存、感度深さが有限
XPD/PED(回折)光電子角度分布(回折)表面構造、結合長・角度のフィット実験と多重散乱計算の整合で高精度構造“像”ではなくモデルフィット中心になりやすい
EXAFS吸収端の振動近接距離、配位数、熱ゆらぎ粉末・非晶質にも強い、平均局所構造に強い方位情報が弱い、3次元配置は推定になる
X線蛍光ホログラフィー(XFH)蛍光X線の干渉放出原子周囲の3次元像(よりバルク寄り)比較的深い領域、元素選択性実験強度・分解能・幾何制約、再構成の工夫が必要
STEM(原子分解能)電子線透過像原子カラム像、界面・欠陥空間分解能が極めて高い視野・試料作製制約、厚み・損傷の影響

PEHは「回折の豊富な角度情報」を「像として再構成する」点が特徴であり、XPDとEXAFSの間にある局所構造決定のギャップを別の形で埋める手段となる。

7. 関連テーマ:ドーパント・欠陥・界面・磁性

PEHが特に活きる題材は、結晶の平均構造では見えにくい局所構造である。

  • 半導体ドーパント:置換位置、近傍の原子緩和、空孔との複合体
  • 表面・界面欠陥:極薄絶縁膜下の欠陥配列、終端の局所構造
  • 2次元材料・積層界面:層間の局所配列、吸着原子周りの配置
  • 磁性材料:元素選択できるため、特定元素周囲の構造歪みやサイト占有と磁気応答(XMCDなど)の組み合わせが設計指針になる

PEH単独で電子状態を決めるというより、XPS/HAXPES、XAS、XMCD、回折、計算(DFT/多重散乱)と並置することで、局所構造と物性の関係をより直接に結び付けられる。

8. 解析で支配的になる物理要素

8.1 背景・感度分布の扱い

ホログラム関数 χ を得るには I0 の推定が必要である。I0 には原子軌道の角分布、装置感度、非弾性背景が含まれるため、球面調和関数展開などで感度分布を表現し、干渉成分を抽出する工夫が重要になる。

8.2 熱振動・乱れと像のコントラスト

原子の熱振動や静的乱れは、干渉縞の位相を平均化しコントラストを減衰させる。温度条件や欠陥・歪みの分布幅は、PEHで現れる像の“にじみ”の主要因となる。

8.3 近接原子と遠方原子の寄与

散乱振幅は距離と角度に依存し、近接原子ほど寄与が強い傾向を持つ。一方で遠方原子は高周波成分として像に現れ得るため、再構成アルゴリズムやフィルタ設計で、どの距離スケールを強調するかが像解釈に結びつく。

9. まとめ

光電子ホログラフィーは、内殻光電子の直接波と散乱波の干渉を角度分布として記録し、放出原子の近傍にある原子配列を3次元像として再構成する枠組みである。回折理論と再構成アルゴリズムが測定原理の一部として結びつくため、元素選択的な局所構造像を得る強力な方法となり、ドーパント・欠陥・界面と物性の因果を扱う研究に適した解像度と解釈軸を与えるのである。

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