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ヘリウム原子量子・電子状態を読み解く

ヘリウム原子は「電子が2個」あるため、シュレーディンガー方程式を厳密に分離して解析解を得ることができず、近似法・変分法・多体計算法によって量子状態(エネルギー準位)と電子軌道(1電子軌道の近似概念)を導く系である。以下では、まず非相対論的ハミルトニアンを明示し、そこからどのような近似の段階を踏めば量子状態と軌道像に到達できるかを、数式と記号の意味を添えて整理するのである。

0. 記号と座標の定義

r1,r2

電子1、電子2の位置ベクトルである(原点は原子核位置とする)。

r1=|r1|,r2=|r2|

各電子と原子核の距離である。

r12=|r1r2|

2電子間距離である(電子相関の中心的変数である)。

12, 22

それぞれ r1,r2 に関するラプラシアンであり、運動エネルギー項に現れる。

Ψ(r1,r2,s1,s2)

2電子系の全波動関数である。s1,s2 は電子スピン自由度を表す。

1. 出発点:He 原子のシュレーディンガー方程式(非相対論・核固定)

(核の質量が電子より十分大きいとして核を固定する近似を採用する。)

H^Ψ=EΨ

時間に依存しないシュレーディンガー方程式である。H^ はハミルトニアン、E はエネルギー固有値である。

原子単位系(atomic units)を用いると、He(核電荷 +2)のハミルトニアンは

H^=12121222Zr1Zr2+1r12(Z=2)

である。第1・第2項は電子の運動エネルギー、第3・第4項は核−電子のクーロン引力、第5項は電子−電子のクーロン斥力である。

重要点は、1r12 が入ることで

Ψ(r1,r2)=ψ1(r1)ψ2(r2)

のような単純分離(独立粒子の厳密解)が成立しなくなる点である。これが He を「近似法の教科書」にする理由である。

2. 量子状態と電子軌道:He での位置づけ(H との違い)

水素原子(1電子)では、固有状態は

ψnm(r)=Rn(r)Ym(θ,ϕ)

と1電子波動関数そのものが量子状態であり、同時に「軌道(s,p,d,f)」の議論と直結する。

一方、He の厳密な固有状態は

Ψ(r1,r2,s1,s2)

という2電子波動関数であり、「電子軌道(1s,2s,2p…)」は、主に Hartree–Fock(平均場)やその拡張における 1電子関数(スピン軌道)として導入される近似概念である。したがって He では、

  • 量子状態:H^ の固有値問題としての EΨ(多体波動関数)
  • 電子軌道:多体波動関数を近似するための 1電子基底(ϕ(r))あるいはその線形結合

という役割分担になるのである。

3. 基本方針:解けない項をどう扱うか

He の本質は

1r12

の扱いにある。代表的な方針は次の4系列である。

  1. 電子間反発を無視または平均化して「0次近似」を作る
  2. その0次近似を改良する(摂動論・変分法)
  3. 自己無撞着場(Hartree–Fock)として 1電子軌道を定義する
  4. 電子相関を明示的に入れて精度を上げる(CI、Hylleraas、Coupled Cluster、数値解法など)

以下、それぞれを数式として具体化するのである。

4. 0次近似:電子間反発を捨てた「水素様(Z=2)モデル」

H^0=1212Zr11222Zr2

H^ から 1r12 を除いたハミルトニアンである。これは「独立な水素様原子が2つ」という模型である。

このとき固有関数は 1電子の水素様軌道 ψnm(Z)(r) を用いて

Ψ(0)(r1,r2)=ψa(Z)(r1)ψb(Z)(r2)

と書ける。a,b(n,,m) の組を表すラベルである。

ただし、この Ψ(0) は「電子は区別できない」ため、最終的には交換対称性(反対称性)を満たすようにスピンと組み合わせて再構成する必要がある(次節)。

5. フェルミ粒子としての条件:交換反対称性と一重項・三重項

電子はフェルミ粒子であるから、粒子交換 12 に対して

Ψ(r1,r2,s1,s2)=Ψ(r2,r1,s2,s1)

が必要である。これがパウリの原理の波動関数表現である。

スピン部分(2電子スピン関数)を

χspin

空間部分を

Φ(r1,r2)

とし、

Ψ=Φ χspin

と書けば、全体が反対称になるためには

  • スピンが反対称(singlet, S=0)なら空間は対称
  • スピンが対称(triplet, S=1)なら空間は反対称

である必要がある。

一重項(S=0)のスピン関数は

χ00=12(α(1)β(2)β(1)α(2))

である。ここで α,β はスピン z 成分がそれぞれ +1/2,1/2 の1電子スピン関数である。

三重項(S=1)は

χ11=α(1)α(2),χ10=12(α(1)β(2)+β(1)α(2)),χ1,1=β(1)β(2)

である。これらは交換に対して対称である。

6. 変分法:He の基底状態エネルギー

He の基底状態は電子配置として

1s2

であり、スピンは一重項(1S)である。最も簡単な試行波動関数として、2電子が同じ 1s 型軌道に入った積を用いる。

試行関数(空間部分)を

Φζ(r1,r2)=(ζ3π)eζr1eζr2=(ζ3π)eζ(r1+r2)

とする。ここで ζ は軌道の縮み具合(有効核電荷に相当する変分パラメータ)である。実際の核電荷は Z=2 だが、電子間反発により遮蔽が起き、ζ<2 になることが期待される。

全波動関数は

Ψζ=Φζ χ00

とする。χ00 によりスピンが反対称なので、空間部分 Φζ は対称でよい。

変分原理は

E0E(ζ)=Ψζ|H^|ΨζΨζ|Ψζ

を与える。E0 は真の基底状態エネルギーである。

このとき(原子単位系で)期待値は次の形にまとめられる。

E(ζ)=ζ22Zζ+58ζ(Z=2)

各項の意味は以下である。

  • ζ2:2電子の運動エネルギー期待値(1電子あたり ζ2/2 の和)
  • 2Zζ:核−電子引力(1電子あたり Zζ の和)
  • (5/8)ζ:電子−電子反発 1/r12 の解析積分結果

最小化条件

dEdζ=0

から

2ζ2Z+58=0ζ=Z516

を得る。Z=2 なら

ζ=2716=1.6875

となり、「遮蔽により有効核電荷が 2 より小さい」ことが数式として出る。

この最適値を代入すると

Emin=(Z516)2

であり、Z=2 では

Emin=7292562.8477 Hartree

となる。真の値(約 2.9037 Hartree)との差は、試行関数が r12 を含まず電子相関を表現できないことに由来する。

7. 1電子軌道を自己無撞着に定義する

He に「電子軌道(1s,2s,2p)」を与える最も標準的な枠組みは Hartree–Fock(HF)である。まずスピン軌道を

χi(x)=ϕi(r)ωi(s)

と書く。ここで x=(r,s) は空間座標とスピンをまとめた変数である。ϕi が空間軌道、ωi がスピン関数である。

2電子の反対称波動関数はスレーター行列式で

ΨSD(x1,x2)=12|χ1(x1)χ2(x1)χ1(x2)χ2(x2)|

と書ける。これにより交換反対称性が自動的に満たされる。

HF では、エネルギー汎関数

E[{χi}]=ΨSD|H^|ΨSD

{χi} で変分し、拘束条件(直交規格化)のもとでオイラー–ラグランジュ方程式を得る。その結果、1電子方程式(Fock 方程式)

f^χi=εiχi

が得られる。f^ は Fock 演算子、εi は軌道エネルギーである。

He の閉殻一重項(restricted HF)では、同じ空間軌道 ϕ1s にスピン up/down が入る形になり、空間部分については概念的に

f^ϕ1s(r)=[h^(r)+J^[ϕ1s](r)]ϕ1s(r)=ε1sϕ1s(r)

のように書ける(閉殻では交換項の扱いは整理され、結果として平均場ポテンシャルが現れる)。

ここで

h^(r)=122Zr

は1電子(核場)演算子である。J^ はクーロン(平均反発)項であり、他電子の電荷分布が作る静電ポテンシャルを表す。

この段階で初めて「He の 1s 軌道」などが、シュレーディンガー方程式からの系統的近似として定義されるのである。

8. 配置間相互作用と Hylleraas

HF は反対称性(交換)は厳密に扱うが、電子相関(瞬間的な回避運動)を十分に表せない。その改良が post-HF 法である。

8.1 配置間相互作用(Configuration Interaction, CI)

スピン軌道(あるいは空間軌道)から多電子基底(スレーター行列式) {ΦI} を作り、

Ψ=IcIΦI

と展開する。cI は展開係数である。

シュレーディンガー方程式を基底に射影すると

JΦI|H^|ΦJcJ=EcI

となり、行列固有値問題

Hc=Ec

に帰着する。HIJ=ΦI|H^|ΦJ がハミルトニアン行列である。

He は小さい系なので、基底の選び方(Slater型、Gaussian型、数値軌道など)と展開の切り方により高精度が得られる。

8.2 Hylleraas 型:相関座標 (r_{12}) を直接入れる

He の「特別に強い」手法が Hylleraas 展開である。相関座標を

s=r1+r2,t=r1r2,u=r12

とおき、波動関数に u を明示的に含める。

基本形の一例は

Φ(s,t,u)=eαsi,j,kcijksitjuk

である。α は減衰パラメータ、cijk は展開係数である。u=r12 が入ることで、電子が近づくときの波動関数の「尖り(クーロン cusp)」や相関孔が自然に表現され、収束が大幅に改善する。

この系列(Hylleraas、明示相関、指数相関など)は He の基底状態エネルギーを非常に高精度で与えることが知られている。

9. 励起状態と項記号:He の量子状態のラベル付け

He の状態は、まず電子配置で

1s2, 1s2s, 1s2p, 1s3s,

のように表す。これは「どの 1電子軌道に電子が入っているか」を示す記法である。

さらに角運動量結合(LS結合)により項記号

2S+1LJ

で状態を分類する。記号の意味は以下である。

  • S:全スピン量子数(S=0 が一重項、S=1 が三重項)
  • L:全軌道角運動量量子数(L=0,1,2,3,S,P,D,F, と書く)
  • J:全角運動量(J=|LS|,,L+S

He の基底状態は

1s2 1S0

である。これは「電子が 1s に2個入り、全スピンが一重項、全軌道角運動量が 0、全角運動量が 0」を意味する。

励起状態では、同じ配置でも一重項と三重項が分かれる(例:1s2s 1S1s2s 3S)ため、スペクトルが豊かになるのである。

10. エネルギー準位表(cm^{-1})と式の対応

分光では準位差が波数 ν~(cm1)で与えられることが多い。

ΔE=hcν~

ここで h はプランク定数、c は光速である。ν~ は波長の逆数であり、エネルギー差を直接与える。

He の実データでは、例えば

1s2 1S0,1s2s 3S1,1s2p 3PJ,1s2p 1P1

などが準位表として整理され、理論計算(CI/Hylleraas/相対論補正/QED補正)と照合される。He は高精度分光が発達しており、一重項・三重項の分裂や微細構造が実験と理論の検証の場になっている。

まとめと展望

He のシュレーディンガー方程式は、電子間反発 1r12 のために厳密な分離解を持たず、量子状態(多体波動関数とエネルギー)を求めるには近似法が不可欠である。最も基本的には、(i) 電子間反発を平均化した0次模型、(ii) 有効核電荷を導入した変分法、(iii) 自己無撞着な1電子軌道を定義する Hartree–Fock、(iv) CI や Hylleraas のように相関を明示的に入れる方法、という順に精度と表現力を高められるのである。

展望として、He は「多体量子系の最小モデル」であると同時に、精密分光・相対論補正・QED補正と結びついて基礎物理の検証舞台でもある。したがって、ここで整理した方針(平均場→相関→精密化)は、Li 以上の多電子原子、分子、固体における電子状態計算(HF/CI/DFT/CC など)へ自然に拡張される出発点になるのである。