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応答理論入門

応答理論は、外場や摂動に対して系がどのように物理量を変化させるかを、因果律・対称性・ゆらぎの言葉で定式化する枠組みである。線形応答は久保公式やゆらぎ散逸定理へ、非線形応答は高次感受率や周波数混合・強励起ダイナミクスへ自然に接続する。

参考ドキュメント

  1. R. Kubo, The fluctuation-dissipation theorem(線形応答とFDTの基礎) https://www-f1.ijs.si/~ramsak/km1/kubo.pdf
  2. 東京大学 生産技術研究所(講義資料)第1章 非線形感受率(非線形感受率、対称性、テンソル成分の整理) https://qopt.iis.u-tokyo.ac.jp/lecture/pdf/Chap01.pdf
  3. 矢島達夫, 非線形光学の基礎II: 2次と3次の現象, レーザー研究 27(2) (1999)(2次・3次現象の体系的整理、日本語) https://www.jstage.jst.go.jp/article/lsj1973/27/2/27_2_130/_pdf

1. 応答とは何か:外場と観測量の関係

外場(電場、磁場、応力、温度勾配など)を与えたとき、観測量(分極、磁化、電流、歪、密度など)が変化する。外場が十分弱いとき、変化は外場に比例すると期待され、これが線形応答である。外場が強くなる、あるいは平衡から大きく外れると、比例関係が破れ、高次の項が効いてくる。これが非線形応答である。

最も基本的な設定として、摂動を

H^(t)=H^0F^(t)B^

とし、観測量を A^ とする。ここで F^(t) は外場の時間プロファイル、B^ は外場と結合する演算子である。

2. 線形応答理論:応答関数と感受率

2.1 線形応答の一般形(畳み込み)

平衡状態からのずれが小さいとき、期待値の変化は一次の畳み込みで表される:

δA(t)=dtχAB(tt)F(t)

因果律より、外場をかける前に応答してはならないので、

χAB(t<0)=0

が課される。したがって積分の上限は実質的に t になる。

2.2 久保公式(量子統計力学の線形応答)

量子系では、遅延(retarded)応答関数は交換子で書ける:

χAB(t)=iθ(t)[A^(t),B^(0)]0

ここで θ(t) はステップ関数、0H^0 に対する平衡平均である。これが久保公式の核であり、輸送係数・磁化率・誘電応答など多くの物性を統一的に与える。

2.3 周波数領域:複素感受率と散逸

フーリエ変換

χ(ω)=dtχ(t)eiωt

を取ると、χ(ω)=χ(ω)+iχ(ω) は一般に複素となる。

  • 実部 χ(ω) は分散(位相遅れのない成分)に対応する
  • 虚部 χ(ω) は散逸(吸収)に対応する

例えば、光学では誘電関数の虚部が吸収と結びつく。電気伝導でも、交流導電率の実部がジュール損失と結びつく。

2.4 因果律からの帰結:クラマース・クローニッヒ関係

χ(t<0)=0 という因果律は、周波数領域で実部と虚部が独立でないことを意味する。代表形は

χ(ω)=1πPdωχ(ω)ωω,χ(ω)=1πPdωχ(ω)ωω

である(P は主値積分)。測定で得た吸収(虚部)から分散(実部)を復元できるという意味で、分光データの整合性チェックにも使われる。

3. ゆらぎ散逸定理(FDT):応答と平衡ゆらぎの同一視点

線形応答の特に重要な帰結として、散逸(応答の虚部)が平衡ゆらぎ(相関関数)で表現できることが知られている。量子系の典型表現は、観測量 x^ に対して

  • 応答:χxx(t)=iθ(t)[x^(t),x^(0)]
  • ゆらぎ:x^(t)x^(0)

が結びつき、周波数領域で

Sxx(ω)  coth(ω2kBT)χxx(ω)

の形(規約により係数は変わる)で与えられる。古典極限 ωkBT では coth(ω/2kBT)2kBT/(ω) となり、古典FDTが回復する。

この関係は、輸送係数を「平衡相関の時間積分」として計算する発想(グリーン・久保関係)にも直結する。

4. 線形応答の具体例:輸送係数と弾性・磁性

4.1 電気伝導(久保型)

電流演算子 J^ に対して、導電率は(表現や極限操作に注意しつつ)

σ(ω)1iωχJJ(ω)

で書ける。結晶ではテンソル σij(ω) として現れ、対称性により独立成分が減る。

4.2 熱伝導・粘性など(グリーン・久保)

古典MDの文脈では、熱流 JQ の自己相関の積分で熱伝導率が得られる:

κ=1kBT2V0dtJQ(0)JQ(t)

同様に粘性率、拡散係数なども相関関数の積分で表される。これは「平衡ゆらぎから線形応答を得る」というFDTの精神そのものである。

4.3 磁化率・誘電率・弾性率(感受率テンソル)

磁化率 χMH、誘電率 ε(ω)、弾性率 Cijkl などは、外場(磁場・電場・歪)に対する応答の線形係数として定義される。結晶対称性、時間反転対称性、反転対称性の有無によりテンソル構造は大きく制約される。

5. 非線形応答理論:高次の応答関数と感受率

5.1 高次展開の基本形

外場が弱いとは限らないが、なお摂動として扱える範囲では、観測量の変化を外場の冪として展開する:

δA(t)=n=1dt1dtnχ(n)(t;t1,,tn)F(t1)F(tn)

ここで χ(n)n 次応答関数である。

量子論(密度行列)では、相互作用表示での摂動展開から、n 次応答が多重交換子(入れ子の交換子)として表される。概念的には

χ(n)(i)nθ(tt1)θ(tn1tn)[[A^(t),B^(t1)],B^(t2)],B^(tn)]0

の形になる。時間順序(因果律)が θ 関数として明示的に入り、線形応答の自然な一般化となる。

5.2 非線形分極と非線形感受率(光物性の典型)

電場 E(t) に対する分極 P(t) は、しばしば

Pi=ε0jχij(1)Ej+ε0jkχijk(2)EjEk+ε0jklχijkl(3)EjEkEl+

と展開される。χ(2)χ(3) が非線形光学の中心量となる。

対称性はここで決定的である。反転対称性を持つ媒質では、電気双極子近似の範囲で偶数次(とくに2次)感受率が消えるため、

  • バルクでの二次非線形(SHGなど)が抑制される
  • 表面・界面(反転対称性が破れる)では二次非線形が出現しやすい という選別則が働く。

5.3 周波数混合と代表的現象

単色場 E(t)E(ω)eiωt を入れると、非線形分極は新たな周波数成分を生成する。

2次:

  • 第二高調波(SHG):ω2ωP(2)(2ω)χ(2)(2ω;ω,ω)E(ω)2
  • 和周波(SFG):ω1+ω2
  • 差周波(DFG):|ω1ω2|
  • 光整流(Optical rectification):ω1=ω2 の低周波成分(テラヘルツ生成とも関係する)

3次:

  • 第三高調波(THG):3ω
  • 光カー効果(Kerr):屈折率が光強度に依存(自己位相変調と関係)
  • 2光子吸収、ラマン利得、四光波混合など

さらに強励起領域では、摂動展開そのものが収束しにくくなり、高次高調波発生(HHG)のように非摂動的な様相を示すこともある。

6. 線形と非線形の境界:いつ線形で、いつ非線形か

線形か非線形かは、外場の「大きさ」だけでなく、観測量が持つ固有スケール(飽和、準位間隔、散乱時間、相関時間)にも依存する。

  • 線形応答が良い近似となる条件
    • 摂動が小さく、平衡からのずれが小さい
    • 応答が外場に比例し、履歴効果が応答関数で表せる
  • 非線形効果が顕在化する条件
    • 外場により占有が大きく変わる、バンド間遷移が飽和する
    • 強い電流で分布関数が変形する(非平衡分布)
    • 時間依存が速く、複数の時間スケールが競合する

7. 計算科学との接続:応答理論をどう計算に落とすか

7.1 線形応答の計算ルート

  • 相関関数から:グリーン・久保(MD)や電流相関(量子・古典)で輸送係数を得る
  • 摂動論として:微小変位・微小電場に対する線形化(例:フォノンや誘電応答)
  • 周波数領域で:誘電関数・導電率・磁化率を計算し、クラマース・クローニッヒで整合性確認する

7.2 非線形応答の計算ルート

  • 高次感受率を直接評価:χ(2)χ(3) のテンソル、対称性で零成分を整理する
  • 実時間法(時間発展)で抽出:パルス印加で P(t)J(t) を計算し、フーリエ成分から高調波・混合成分を評価する
  • 表面・界面の二次非線形:反転対称性の破れを明示するモデル化(スラブ、対称・非対称終端)が重要となる

8. 典型的な注意点(理論とデータの整合)

  • 因果律:χ(t<0)=0 を満たすか、数値フーリエで破れていないかを確認する
  • 減衰・散乱:理想系では尖った共鳴が出るため、緩和を表す微小ブロードニング(iη)等の導入で比較可能な形にすることが多い
  • 単位系:SIとcgsで ε(ω)σ(ω) の関係式や係数が変わるため、式の形を固定して使わない
  • 対称性:反転・時間反転・鏡映などで、テンソルの独立成分や禁制項が決まるため、先に対称性で整理する

まとめ

線形応答理論は、因果律に従う応答関数を基礎として、久保公式・ゆらぎ散逸定理・クラマース・クローニッヒ関係へ連結する統一的枠組みである。非線形応答理論はその高次拡張として高次感受率や周波数混合を定量化し、対称性が許す過程と禁制過程を明確にしながら、強励起・非平衡の電子ダイナミクス理解へ接続するものである。