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遍歴電子系の磁性

遍歴電子系の磁性は、結晶中を動き回る電子(ブロッホ電子)の集団が、フェルミ面近傍の状態密度や交換相互作用を通じて自発磁化やスピン密度波を生む現象である。局在スピン模型だけでは捉えにくい、弱い強磁性・強いスピンゆらぎ・量子臨界などが中心概念となる。

参考ドキュメント

  1. 守谷享, 遍歴電子磁性におけるスピンゆらぎの理論(日本学士院, 日本語PDF) https://www.japan-acad.go.jp/pdf/youshi/079/moriya.pdf
  2. 勝本信吾(東大物性研 講義ノート), 磁性を考える上での基本事項(日本語PDF) https://note-collection.issp.u-tokyo.ac.jp/katsumoto/magnetism2022/note01-14_jp.pdf
  3. T. Moriya, Spin Fluctuations in Itinerant Electron Magnetism(Springer, 書誌情報) https://books.google.com/books/about/Spin_Fluctuations_in_Itinerant_Electron.html?id=gZn-CAAAQBAJ

1. 遍歴電子磁性とは何か

1.1 局在モーメント系との対比

磁性を議論する際、スピン自由度の担い手を大きく二つに分けて考えることが多い。

  • 局在モーメントの見方:各格子点に大きさほぼ一定の磁気モーメントが存在し、それらが交換相互作用で整列する。
  • 遍歴電子の見方:電子はバンドとして広がっており、スピン分極は電子分布(占有)そのものの自己無撞着な再編として現れる。

現実の物質は多くの場合この二つの間に位置し、「低温ではバンド描像が有効だが、高温では局所的なモーメント様成分が見える」などの二面性を示すことがある。この二面性を記述するために、平均場(ストーナー)とスピンゆらぎ(守谷のSCRなど)を組み合わせた絵が重要になる。

1.2 代表的な現れ方

遍歴電子磁性は、次のような形で現れることが多い。

  • 弱い強磁性:自発磁化が小さく、磁化曲線や比熱・帯磁率にスピンゆらぎの寄与が強く出る。
  • 遍歴反強磁性/スピン密度波(SDW):ネスティングなどにより、波数 Q を持つ磁気秩序が生じる。
  • 近強磁性(nearly ferromagnetic)金属:常磁性だが帯磁率が大きく、外場や圧力で強磁性に近づく(メタ磁性を含む)。

2. ストーナー理論:バンド強磁性の模型

2.1 エネルギーの競合:運動エネルギーと交換エネルギー

遍歴電子がスピン分極するには、スピンアップ・ダウンのバンドが交換相互作用で分裂する必要がある。一方で、分裂するとフェルミ準位近傍の占有の組み替えが起こり、運動エネルギー(バンドエネルギー)が増える。この「増える項」と「下がる項」の競合がストーナー理論の骨格である。

フェルミ準位近傍の状態密度を N(EF) とし、スピン分裂により生じる磁化(スピン分極)を

m=nn

とする。簡単化として N(E)EF 近傍で一定とみなすと、スピン分裂による運動エネルギーの増加は

ΔEkinm24N(EF)

の形になる。一方、オンサイト交換を表すストーナーパラメータ I により、交換エネルギーの低下を

ΔEexI4m2

と近似できる。よって全エネルギー変化は

ΔE(m)m24(1N(EF)I)

であり、m0 が有利になる条件は

IN(EF)>1

である。これがストーナー判定条件である。

この式は、(i) フェルミ準位近傍に鋭いピークを持つ大きな N(EF)、(ii) 有効な交換(相関)強度 I が十分大きい、のどちらか(または両方)が強磁性を促進することを示す。

2.2 帯磁率の増大(ストーナー増強)

常磁性金属のパウリ帯磁率 χ0 は概ね状態密度に比例する。ストーナー相互作用を入れると、容易に

χ=χ01IN(EF)

の形が得られる。分母が小さくなるほど χ が大きくなり、IN(EF)1 で発散する。近強磁性金属が大きな帯磁率を示す理由の最小モデルである。

3. 弱い強磁性とランドー展開:どこが「弱い」のか

弱い強磁性では、自発磁化は小さい一方で、磁化の揺らぎが強い。ストーナーの平均場をランドー型に書くと、自由エネルギー(あるいはエネルギー)を磁化 M で展開して

F(M)=F0+a2M2+b4M4+HM

と表せる。ここで a は温度や電子構造により変化し、a<0 で自発磁化が現れる。

遍歴電子系では、係数 a,b の背後にフェルミ面近傍の微視的情報(N(EF)、バンド分散、相互作用)が入っている点が重要である。特に a が小さい(臨界に近い)と、同じ H でも磁化が大きく応答しやすく、また熱・量子ゆらぎの影響が顕在化しやすい。

4. スピンゆらぎ理論:平均場を越える主役

4.1 なぜスピンゆらぎが必要か

ストーナー平均場は「一電子近似(自己無撞着場)」の枠内で磁性を与えるが、遍歴電子系ではスピン密度の時間・空間ゆらぎが大きく、熱力学量や輸送係数を強く変える。弱い強磁性・近強磁性金属では、平均場だけで実験の温度依存を統一的に説明しにくい局面が多い。

そこで、スピン感受率が波数 q と周波数 ω に依存することを前提に、ゆらぎの寄与を自己無撞着に繰り込む枠組みが導入される。

4.2 動的スピン感受率の形

ランダウ減衰を伴う近強磁性の基本形として、低エネルギーでは

χ1(q,ω)χ1(0,0)+cq2iωΓq

のような形が現れる(定数 c や緩和率 Γq は物質に依存する)。χ(0,0) が大きいほど(臨界に近いほど)、低エネルギーのスピンゆらぎが強い。

4.3 守谷のSCR(自己無撞着繰り込み)という考え方

SCRは、「スピンゆらぎが作る有効な磁気応答が、仮定した磁気応答と整合する」という自己無撞着条件を課して、帯磁率や比熱、相転移温度などを定量的に与える理論体系である。弱い強磁性や弱い反強磁性金属の相転移温度や温度依存が、スピンゆらぎを含めることで現実的な値へ近づくことが重要な帰結である。

4.4 量子臨界(QCP)と遍歴電子磁性

圧力・組成・磁場などで相転移温度 Tc を連続的に 0 へ近づけると、熱ゆらぎに加えて零点ゆらぎ(量子スピンゆらぎ)が支配的になる。遍歴電子系では、スピンゆらぎが電子の散乱源になり、比熱係数 γ や抵抗率の温度依存が通常のフェルミ液体から外れる(非フェルミ液体的)振る舞いが議論される。守谷の枠組みが量子臨界の記述と深く結びつく点が特徴である。

5. 遍歴反強磁性とスピン密度波(SDW)

5.1 フェルミ面とネスティング

遍歴反強磁性では、スピン感受率 χ(q) が特定の波数 Q で強く増大し、その Q が秩序波数となる。これはフェルミ面のネスティング(εkεk+Q が広い領域で成り立つ)と関係することが多い。

5.2 スピン密度波(SDW)の秩序変数

スピン密度波(SDW)は空間的に変調したスピン密度

S(r)=S0cos(Qr+ϕ)

のように表される。ここで S0 は振幅、ϕ は位相である。強磁性(Q=0)と同様に「秩序変数はあるが、担い手は遍歴電子」という点で共通する。

6. 遍歴性を見分ける指標

6.1 Rhodes–Wohlfarth比

遍歴強磁性では、キュリーワイス則の有効モーメント peff が、飽和磁化から換算したモーメント ps より大きくなることが多い。そこで

peffps

を指標として用い、値が 1 に近いほど局在的、1 より十分大きいほど遍歴的という解釈が広く使われる(物質・温度範囲・解析法に依存するため、複数の情報と合わせて読むのが自然である)。

6.2 物性量に現れる遍歴性の特徴

  • 比熱:電子比熱係数 γ の増大(有効質量の増大)と、磁気ゆらぎの寄与
  • 帯磁率:大きなパウリ増強、温度依存の非単純性
  • 中性子散乱:局在スピン波だけでなく、連続体的なスピン励起(パラマグノン様)
  • NMR:ナイトシフトと緩和率 1/T1 にスピンゆらぎが反映される
  • 磁化曲線:弱い強磁性では、低磁場での大きな応答と非線形性が目立つことがある

7. 記述モデルの対応関係:ストーナー、ハバード、ハイゼンベルグ

7.1 比較表:何を「自由度」とみなすか

枠組み主自由度主要パラメータ得意な領域苦手な領域
ストーナー理論バンド上のスピン分極N(EF)I弱い強磁性、帯磁率増強強い相関、局所モーメント生成、揺らぎ
ハバード模型電子のホッピングとオンサイト相互作用tU遍歴と局在の連続的接続現実物質の多軌道・複雑バンドを直に入れるのは重い
ハイゼンベルグ模型固定長の局在スピンJij局在モーメント磁性、スピン波バンド由来の弱い強磁性、SDWの起源

ハバード模型の平均場はストーナー型の式と親和であり、逆に局在極限ではハイゼンベルグ型へ落ちる。遍歴電子磁性はこの“連続性”が主題になりやすい。

7.2 二面性(局所モーメント様と遍歴様)

同じ物質でも観測の時間・空間スケールにより「局所的にはモーメントが見えるが、長距離秩序は弱い」などの見え方が変わることがある。この現象論的理解には、スピンゆらぎや温度依存の自己エネルギー(多体効果)を取り込む視点が有効である。

8. 計算科学による扱い:電子構造から磁性へ

8.1 DFT(LSDA/GGA)と遍歴磁性

遷移金属の強磁性(Fe, Co, Ni など)では、密度汎関数法(DFT)のLSDA/GGAが交換分裂と磁化を比較的自然に再現することが多い。これは遍歴性をバンド占有の自己無撞着として扱うためである。

一方で、弱い強磁性や近強磁性では、スピンゆらぎが大きいために、平均場的なDFTが磁化を過大評価することがある。これは「理論が局所交換相関で磁性を安定化しすぎる」ことと、「現実はゆらぎが秩序を弱める」ことのずれとして理解できる。

8.2 固定スピンモーメント(FSM)とランドー係数

DFT計算で磁化 M を拘束して全エネルギー E(M) を評価し、ランドー展開

E(M)=E0+a2M2+b4M4+

へフィットする方法は、弱い強磁性の“曲率”やメタ磁性の傾向を読むのに有用である。a が小さいと外場応答が大きくなり、臨界に近い系であることを示唆する。

8.3 LDA+DMFTなど:遍歴と局在の中間領域

多軌道・中程度以上の相関を持つ系では、LDA+DMFTのように動的な多体効果を取り込み、局所モーメント様の成分と遍歴成分を同時に表現することが試みられる。遍歴電子磁性の「二面性」を計算で扱う方向として重要である。

9. 何が遍歴性を左右するか

9.1 フェルミ準位近傍の状態密度とバンド幅

ストーナー条件 IN(EF)>1 が示す通り、N(EF) を増加させる要因(狭いバンド、バンド端近傍、van Hove特異点など)と、相互作用の有効強度 I が要点である。圧力・歪・化学置換は、バンド幅や EF 位置を動かして磁性相を横断させやすい。

9.2 低次元化とスピンゆらぎ

低次元(準2次元など)ではゆらぎが強まりやすく、秩序が抑制される一方で、強いスピンゆらぎが残ることがある。遍歴磁性では、この「秩序の弱さ」と「ゆらぎの強さ」の同居が特徴になりやすい。

9.3 強磁性だけでなく、反強磁性・多極子秩序へ

遍歴反強磁性(SDW)や、空間反転対称性・時間反転対称性の破れを伴う反強磁性金属などでは、スピン軌道相互作用とバンドトポロジーが絡み、本質的に“バンドの性質”として磁性が現れる局面がある。遍歴電子系の磁性は、単に強磁性の話に留まらず、対称性と電子構造の総合問題へ自然に拡張される。

10. 要点まとめ(式と指標)

  • ストーナー判定条件:
IN(EF)>1
  • ストーナー増強帯磁率:
χ=χ01IN(EF)
  • SDWの基本形:
S(r)=S0cos(Qr+ϕ)
  • Rhodes–Wohlfarth指標(経験則):
peff/ps

関連研究

まとめ

遍歴電子系の磁性は、フェルミ面近傍の電子状態と交換相互作用が自己無撞着にスピン分極を形成する現象であり、ストーナー理論が最小の出発点となる。弱い強磁性や近強磁性、遍歴反強磁性ではスピンゆらぎが支配的となり、SCR理論や量子臨界の視点が不可欠である。したがって遍歴電子磁性は、バンド構造・相互作用・揺らぎの三者を同時に扱うことで、はじめて全体像が見通せる対象である。