Skip to content

ダイソン方程式と多体電子状態の記述

ダイソン方程式は、相互作用を含む量子多体系のグリーン関数を、自由系の伝播と自己エネルギーへ分解して記述する枠組みである。電子構造・分光・輸送・応答の多くは、一次(1粒子)グリーン関数と、その拡張としての2粒子グリーン関数から統一的に議論できる。

参考ドキュメント

1. グリーン関数とは

グリーン関数は「ある自由度が、時空間的にどのように伝わるか」を定量化する道具である。固体中の電子を例にすると、結晶周期性や複数軌道、スピン、さらに電子相関・無秩序・界面・欠陥などにより、単純な一電子像からのずれが生じる。このずれを、エネルギー依存の複素量として集約したものが自己エネルギーであり、ダイソン方程式はその集約を数式として確立する。

グリーン関数の利点は、(i) スペクトル(準粒子と寿命)を与える、(ii) 応答関数(線形応答)を与える、(iii) 摂動論・近似理論を体系化する、の3点に要約できる。これらは、角度分解光電子分光、光学応答、電気伝導・熱伝導、スピン・電荷の揺らぎ、電子相関系の相転移などの議論に直結する。

2. 1粒子グリーン関数の基本定義

2.1 場の演算子と時間順序

電子の場の演算子を ψ^(r,t)、その随伴を ψ^(r,t) とする。ハイゼンベルク描像でのフェルミオン(1粒子)時間順序グリーン関数は

G(1,2)=iTψ^(1)ψ^(2)

で定義される。ここで 1(r1,t1)2(r2,t2)T は時間順序演算子であり、期待値は(一般には)熱平衡密度行列に対する平均である。

実時間形式では、因果性を明示する遅延(retarded)グリーン関数

GR(1,2)=iθ(t1t2){ψ^(1),ψ^(2)}

が重要である。分光や散乱率と直接結びつくのは基本的に GR である。

2.2 松原(虚時間)グリーン関数

有限温度では虚時間 τ[0,β)β=1/kBT)を用い、

G(r1,r2;τ)=Tτψ^(r1,τ)ψ^(r2,0)

を定義する。フェルミオンの周波数は松原周波数

ωn=(2n+1)π/β

で離散化される。多体摂動論や数値計算(特に有限温度)では、まず松原形式で計算し、その後に解析接続で実周波数へ移す流れが多い。

2.3 よく用いるグリーン関数の比較

種類記号定義の中心周波数変数主な用途
時間順序GiTψψ実周波数(時間)摂動展開・ダイアグラム
遅延GRiθ(t){,}ω+i0+スペクトル・寿命・分光
先進GA+iθ(t){,}ωi0+数学的整合・応答
松原G(iωn)Tτ離散 iωn有限温度・数値計算
lesser/greaterG</>非平衡の占有を含む実周波数非平衡輸送・緩和

3. 自由系グリーン関数 G0

3.1 自由ハミルトニアンと基底

自由(非相互作用)系を

H^0=αβc^αhαβc^β

と書く(α,β は運動量・軌道・スピン等をまとめた添字である)。このとき、自由グリーン関数 G0 は演算子の運動方程式(EOM)から求まる。

3.2 周波数表示の形

並進対称な単一バンド(化学ポテンシャル μ を含める)では

G0(k,ω)=1ω+μεk+i0+sgn(ωμ)

の形を持つ(厳密には G0RG0A を区別する)。松原形式では

G0(k,iωn)=1iωn+μεk

と簡潔である。

この段階ではスペクトルは ω=εkμ の鋭いデルタ構造であり、寿命は無限大である。実材料の広がりやサテライト、擬ギャップ、強い質量増大などは、以後に導入する自己エネルギーが担う。

4. 相互作用の導入と摂動展開

4.1 相互作用描像と展開

全ハミルトニアンを

H^=H^0+V^

と分ける。相互作用描像では、時間発展は

S^=Texp(idtV^I(t))

で与えられ、期待値は S^ を用いて整理される。ウィックの定理を用いると、相互作用の摂動展開は自由系の収縮(すなわち G0)の組み合わせに還元され、各次数がダイアグラムとして体系化される。

4.2 等比級数の再和と「既約」概念

1粒子グリーン関数の摂動展開をダイアグラムで眺めると、同じ部分構造が繰り返し現れる。繰り返しを最小単位(1粒子既約:1粒子線を1本切って分離できない)にまとめたものが自己エネルギー Σ である。

その結果、完全グリーン関数 G

G=G0+G0ΣG0+G0ΣG0ΣG0+

という構造を持つ。これは G0Σ を公比とする等比級数であり、形式的に再和するとダイソン方程式へ至る。

5. ダイソン方程式の導出

5.1 積分方程式(時空間表示)

等比級数の再和を積分表示で書くと

G(1,2)=G0(1,2)+d3d4G0(1,3)Σ(3,4)G(4,2)

となる。ここで d3 は空間・時間(あるいは虚時間)積分を表す。Σ(3,4) は一般に非局在かつ時間非局所(周波数依存)であり、材料の多体効果が詰まった核である。

5.2 逆演算子形式

畳み込み積分を演算子積とみなすと

G=G0+G0ΣG

であり、両辺に G01 を作用させて

G1=G01Σ

を得る。これはダイソン方程式の最もコンパクトな形である。多軌道・スピンを含む場合、GΣ は行列であり、逆行列として理解する。

5.3 運動量・周波数表示

並進対称系では

G(k,ω)=1ω+μεkΣ(k,ω)

となる(GR なら ωω+i0+ を含む)。この式は、バンド分散が相互作用でずれる、寿命が有限になる、強相関で複数極が現れる、といった現象を一つの分母へ集約している。

6. 自己エネルギーの物理的意味

6.1 エネルギーシフトと散乱率

遅延自己エネルギーを

ΣR(k,ω)=ReΣR(k,ω)+iImΣR(k,ω)

と分けると、実部は準粒子エネルギーのずれ(分散の再正規化)を与え、虚部は寿命(散乱率)を与える。因果性からフェルミオンでは通常

ImΣR(k,ω)0

が要請される。

6.2 準粒子とスペクトルの幅

準粒子方程式を

ω+μεkReΣR(k,ω)=0

で定義すると、その解 ω=εk の近傍で

GR(k,ω)Zkωεk+iΓk

の形が得られる(十分鋭い準粒子が成立する範囲)。ここで

Zk=[1ReΣR(k,ω)ω|ω=εk]1,Γk=ZkImΣR(k,εk)

である。Zk はコヒーレント成分の重みであり、強相関で小さくなり得る。

6.3 クラマース・クローニッヒ関係

GRΣR は解析関数としての制約を受け、実部と虚部はクラマース・クローニッヒ関係で結びつく。したがって「寿命が短い」ことは、同時に「分散の形が変形する」ことを必然的に伴う。分光データの解釈やモデル化では、この整合性が重要である。

7. スペクトル関数と観測量への接続

7.1 スペクトル関数

遅延グリーン関数からスペクトル関数

A(k,ω)=1πImGR(k,ω)

を定義する。A は状態のエネルギー分布を表し、準粒子が鋭ければローレンツ型のピークになる。一般にはサテライトや連続成分を含み、強相関・プラズモン・電子-フォノン結合などの情報が現れる。

和則として

dωA(k,ω)=1

が成立する(単純化した1粒子の規格化に相当する)。

7.2 DOS と局所量

状態密度は

N(ω)=kA(k,ω)

で与えられる。複数軌道系では軌道射影DOSやサイト射影DOSは、グリーン関数の対角成分や射影演算子で表現できる。

7.3 観測量との対応の表

観測量主要な理論量関係の基本形
角度分解光電子分光A(k,ω)強度 A(k,ω)f(ω)(行列要素を除く)
逆光電子・電子付加A(k,ω)占有の補完として 1f(ω) が現れる
光学応答・伝導電流相関(2粒子)久保公式で JJ を評価
磁化率・電荷感受率動的感受率 χ2粒子グリーン関数(頂点補正が重要)
不純物・欠陥の局所状態局所 G(r,r;ω)N(r,ω)=π1ImGR(r,r;ω)

8. 2粒子グリーン関数とベーテ・サルペーター型方程式

1粒子のダイソン方程式に対応して、2粒子(応答)ではベーテ・サルペーター方程式(BSE)が現れる。たとえば動的感受率 χ は、裸のバブル χ0 と既約頂点 Γirr を用いて

χ=χ0+χ0Γirrχ

の形を持つ。RPAは頂点を単純化して和を取る近似であり、集団励起(プラズモン、スピン波など)の基本像を与える。一方で強相関や局所相互作用が強い場合、頂点補正が定量性を支配する。

9. 電子構造法・多体近似における位置づけ

9.1 GW近似(自己エネルギーの近似として)

ダイソン方程式は恒等式であり、近似は自己エネルギー Σ の評価に現れる。Hedin により、Σ、遮蔽相互作用 W、分極 P、頂点 Γ を結ぶ自己無撞着方程式群(Hedin方程式)が導出され、GW近似はその第一段として

ΣiGW

と置くものである。バンドギャップや準粒子エネルギーの改善に広く用いられる。

9.2 DMFT(局所自己エネルギー)

強相関系では、運動量依存を捨てて周波数依存を保持する局所自己エネルギー

Σ(k,ω)Σloc(ω)

が有効な場合がある。DMFTは格子模型を単一サイト(量子不純物)問題へ写像し、自己無撞着条件で浴(ハイブリダイゼーション)を決める。これによりモット転移や巨大質量増大など、バンド理論だけでは表しにくい現象を扱う。

9.3 KKRグリーン関数法と埋め込み(Dysonの幾何学的応用)

グリーン関数法の電子構造(多重散乱)では、参照系のグリーン関数 Gref に対し、ポテンシャル差 ΔV を用いて

G=Gref+GrefΔVG

の形で「局所改変(欠陥、界面、クラスター)」を取り込む。これは自己エネルギーという多体起源とは別の意味での「Dyson型方程式」であり、同じ代数構造が埋め込み・散乱理論に現れる例である。無秩序・合金・欠陥の局所状態や散乱の扱いで重要である。

9.4 近似の比較

近似・枠組み自己エネルギー(または核)得意な物理注意すべき点
摂動論(低次)特定次数の Σ弱結合の補正高次の寄与の取り込みが不足し得る
GWΣiGW準粒子エネルギー、遮蔽頂点補正の扱いによって差が出る
DFT+DMFT局所 Σloc(ω)強相関、モット、温度依存二重計数や局在空間の定義が効く
T行列・CPA 等散乱の再和不純物・無秩序多体相関の扱いは別途必要
BSE(2粒子)頂点 Γirr励起子、光学応答基底の取り方・近似の選択が重要

10. 計算・解析で意識すべき整合性

10.1 因果性と分光の整合

GRΣR は因果性を満たす必要がある。数値的に得た G(iωn) を実周波数へ移す際、解析接続の不安定性がスペクトルの偽ピークを生み得る。これは「データが有限である」ことに由来するため、和則(A=1)や ImΣR0 の確認が整合性の指標となる。

10.2 実周波数と虚周波数の使い分け

虚周波数は収束性が良い一方、実周波数の微細構造(サテライト、狭いギャップ近傍など)を直接見ない。実周波数で直接解く方法と、虚周波数から移す方法はそれぞれ利点があり、対象(温度、散乱の強さ、必要な分解能)に応じて選ぶことになる。

10.3 行列構造(多軌道・スピン・超伝導)

現実の材料では G は行列となる。多軌道系では

G1(k,ω)=G01(k,ω)Σ(k,ω)

であり、固有値問題ではなく「逆行列のゼロ点」を探す形になる。スピン軌道相互作用や非共線磁性では、スピン空間の混合が入り、対角化と解釈の順序が重要になる。超伝導ではナンブ空間(粒子・穴)へ拡張し、異常グリーン関数を含む行列ダイソン方程式として扱う。

11. ダイソン方程式から物性へ至る基本の流れ(概念)

  1. 有効一電子ハミルトニアン(または参照系)から G0 を定める。結晶では k 表示、欠陥・界面では実空間表示が自然である。
  2. 相互作用や散乱に基づき Σ(あるいは埋め込み核)を近似して与える。
  3. ダイソン方程式 G1=G01Σ を解いて G を得る。
  4. A(k,ω)、DOS、局所DOS、準粒子分散、寿命などを G から計算する。
  5. 応答は2粒子量(χ や電流相関)へ進み、必要なら頂点補正を含む方程式を解く。

この見取り図により、電子相関・無秩序・界面・励起の多様な題材が、同じ数式構造の上に整理される。

まとめ

ダイソン方程式は、完全グリーン関数を自由グリーン関数と自己エネルギーに分解し、相互作用の効果を一つの核へ集約する恒等式である。自己エネルギーの実部と虚部はスペクトルの位置と幅を支配し、スペクトル関数やDOS、さらに応答関数の議論へ直結する。GWやDMFT、グリーン関数法の電子構造、BSEなどの多様な理論は、どの核をどの近似で与えるかという差として整理でき、材料の電子状態・分光・輸送・揺らぎを統一的に扱う基盤となる。

関連研究