磁気ダンピングの内因的起源
磁気ダンピング定数(ギルバート定数)αは、磁化歳差運動のエネルギーと角運動量が不可逆に失われる速さを表す量である。SOC(スピン軌道相互作用)を介した電子励起(電子・正孔対など)に基づく内因性機構を主流の参照原理としつつも、それ以外の自由度(格子振動、マグノン間相互作用、空間非一様磁化が作る内部スピン流、温度ゆらぎ)からも内因性散逸は定式化できる。
参考ドキュメント
- 竹内健太, スピントロニクス理論ノート(LLG、ダンピングの基礎を含む), 日本語
https://www.sk.tsukuba.ac.jp/~takeuchi/?SpintronicsTheory - 東北大学 学位論文・資料(磁気緩和・緩和現象に関する理論的整理を含む), 日本語
http://hdl.handle.net/10097/38690 - Simon Streib, Hedyeh Keshtgar, Gerrit E. W. Bauer, Damping of magnetization dynamics by phonon pumping, arXiv:1804.07080, 英語
https://arxiv.org/abs/1804.07080
0. はじめに
本稿の目的は、内因性磁気ダンピングのうち「SOCを介した電子励起(いわゆるトルク相関型・Kamberský型の電子散乱描像)」とは異なる寄与を、理論式の形が見えるレベルで整理することである。ここで「内因性」は、界面スピンポンピング、渦電流、粗さ・欠陥に由来する不均一広がり(静的分布)などの試料依存の外因的寄与と区別し、十分理想化した結晶・連続体モデルでも残る散逸経路を指す。
ただし重要な注意として、固体中でスピン角運動量が最終的に格子へ移るためには、広い意味で相対論的結合(SOCを含む)や結晶場・スピン格子結合が背景にある場合が多い。ここでは「電子励起スペクトル(e–h対やバンド間遷移)を主役に置く機構を除き、マグノンやフォノンなど別の励起を主役に置く機構」を中心に論じる。
1. LLGとαの観測量
1.1 LLG方程式
単位磁化ベクトルを
である。
1.2 FMRの基本式:線幅との関係
小振幅の一様歳差(FMR)では、周波数掃引・磁場掃引のどちらでも線幅がαに比例する。代表例として、角周波数ωに対する磁場掃引のFWHM線幅
と表される場合が多い(
1.3 モード緩和率から見たα
スピン波モード(波数k、角周波数
と見なせることが多い。ここで重要なのは、αは必ずしも定数ではなく、温度T、周波数ω、波数k、磁化方向、試料形状により「有効的に」変化しうる点である。
2. 内因性1:SOC媒介の電子励起
SOCにより磁化ダイナミクスが電子系へトルクを与え、電子散乱(不純物散乱・フォノン散乱などにより有限寿命を持つ電子状態)が散逸を担う、という描像が金属磁性体の第一原理評価で広く用いられる。これは本稿の主題から外すが、比較対象として「電子励起主導」と「格子・マグノン主導」の違いを明確にするため、以降の節では“電子スペクトルを主役にしない”形での散逸を整理する。
3. 内因性2:フォノン相互作用
3.1 マグノン–フォノン結合によるスピン格子緩和(磁気弾性起源)
3.1.1 磁気弾性エネルギー(連続体)
磁化方向余弦を
と書ける。ここで
であり、格子振動(フォノン)は時間依存ひずみとして磁化に摂動を与える。
3.1.2 摂動論的な減衰率(フォノン浴としての見方)
磁化の小振幅運動(マグノン)をフォノン浴に結合した開放系として扱うと、マグノンモードkの減衰率はフェルミの黄金律の形で
と表される。
3.1.3 緩和時間近似からの (簡易対応)
一様モードを単一緩和時間
の形で見積もれる。より厳密には、磁気弾性結合で生じる散逸は「純粋な粘性型(周波数比例)」から外れる場合もあり、界面へのフォノン放射(phonon pumping)など幾何学依存の効果も含めて理論化されている。
3.1.4 温度依存と代表的な物理像
マグノン–フォノン散逸は、(i) フォノン人口(
3.2 マグノン–マグノン相互作用による位相緩和・散逸(非線形起源)
3.2.1 相互作用の由来
連続体の磁気自由エネルギーには、交換・双極子相互作用・結晶異方性などが含まれる。これらは小振幅線形化では独立モードを与えるが、有限振幅ではマグノン間の散乱(3マグノン、4マグノン過程)を生み、エネルギーが別のモード群へ流れることで観測上の線幅増大(有効ダンピング)を生む。
3.2.2 4マグノン散乱の基本式
4マグノン過程を支配する相互作用ハミルトニアンを
と書ける。
3.3 空間非一様磁化が作る内部スピン流による非局所ダンピング( 依存の内因性)
3.3.1 位置づけ
磁化が空間的に変化すると、交換によりスピンの角運動量流束(内部スピン流)が生じる。内部スピン流は散乱や緩和により不可逆に消散し、結果として「局所
3.3.2 代表的な形: 項
長波長スピン波の範囲では、有効ギルバート定数を波数で展開し、
と表すことが多い。
3.3.3 トルク相関型との関係
非局所ダンピングのミクロ導出には電子自由度が顔を出す場合も多いが、主題は「一様FMRの
3.4 温度ゆらぎと縦磁化緩和(LLB的描像)
3.4.1 横緩和と縦緩和
LLGは|
3.4.2 有効 への投影
LLBでは温度依存の緩和パラメータ(例:
4. 内因性寄与の比較表
表1:SOC媒介の電子励起以外を主役に置く内因性ダンピングの整理
| 区分 | 主役の自由度 | 代表的な数式の形 | 依存性の目安 | どの観測量に出やすいか |
|---|---|---|---|---|
| マグノン–フォノン | フォノン | 磁気弾性定数、弾性、音速、フォノン寿命、 | FMR線幅のT依存、薄膜で異方的 | |
| マグノン–マグノン(非線形) | マグノン | 励起強度、 | 高出力FMR、スピン波分光での増幅・不安定 | |
| 非局所ダンピング(内部スピン流) | 非一様磁化(テクスチャ) | 交換長、スピン拡散、短波長モード | スピン波のk依存線幅、DW/Skの運動の粘性 | |
| 縦磁化緩和(LLB) | 温度ゆらぎ | 横・縦緩和係数が別に入る | 温度依存FMR、超高速磁化ダイナミクス |
5. 磁歪・磁気弾性とダンピングの関係
磁歪定数(例:
という連鎖が成立しうる。ただし、実際の大小関係はフォノン寿命・欠陥散乱・薄膜の境界条件などにも強く依存し、磁歪が大きいのに
6. 「内因性」と「外因性」の境界にあるもの
二マグノン散乱や試料不均一に起因する線幅増大は、観測上は
まとめと展望
SOCを介した電子励起を主役に置く内因性ダンピング描像を外しても、(i) 磁気弾性を通じたマグノン–フォノン散逸、(ii) マグノン–マグノン相互作用に由来する非線形緩和、(iii) 空間非一様磁化が作る内部スピン流に起因する非局所ダンピング、(iv) 温度ゆらぎと縦磁化緩和を含む統計的枠組み、という複数の内因性経路が理論的に整理できる。これらは周波数依存・波数依存・温度依存・励起強度依存として異なる特徴を持ち、単一の定数αとしてまとめた値は“有効量”であることが多い。
今後の展望としては、第一に、磁気弾性定数(
参考文献
- William K. Peria et al., Magnetoelastic Gilbert damping in magnetostrictive thin films, Phys. Rev. B 103, L220403 (2021)
https://doi.org/10.1103/PhysRevB.103.L220403 - Martin A. W. Schoen et al., Ultra-low magnetic damping of a metallic ferromagnet, arXiv:1512.03610(超低ダンピングの実験・理論整理)
https://arxiv.org/abs/1512.03610 - H. Suhl, Theory of the magnetic damping constant(非線形過程・スピン波不安定性に関する古典的整理)
https://boulderschool.yale.edu/sites/default/files/files/suhl_ieee.pdf - I. Kurniawan, Theoretical Study on Finite Temperature Effect in Spin ...(ギルバートダンピングや温度効果の整理を含む学位論文), 英語
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/record/2008300/files/DA010764.pdf - Justin M. Shaw, Ultra-low magnetic damping in metallic(レビュー資料), 英語
https://www.nims.go.jp/mmu/att/F6.pdf