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高分解能X線発光分光(XES)の原理

X線発光分光(XES)は、X線で内殻正孔を作った後の放射遷移(蛍光)を高いエネルギー分解能で測り、占有電子状態と局所相互作用を元素選択的に抽出する分光である。XASが主に「空状態(非占有)」へ遷移する吸収を測るのに対し、XESは「占有状態」側の情報へ直接アクセスできる点が大きな特徴である。

参考ドキュメント

  1. X線発光分光(SPring-8 Users Information, 日本語PDF) https://user.spring8.or.jp/ui/wp-content/uploads/x-ray_emission_spectroscopy.pdf
  2. P. Glatzel and U. Bergmann, High resolution 1s core hole X-ray spectroscopy in 3d transition metal complexes: electronic and structural information, Coord. Chem. Rev. 249, 65–95 (2005)
    https://www.westbrookuniversity.net/wp-content/uploads/2016/04/high-resolution-1s-core-hole-x-ray-spectroscopy-in-3d-transition-metal-complexes-electronic-and-structural-information.pdf
  3. A. Gallo et al., Valence to core x-ray emission spectroscopy: a probe of the nature of chemical bonds, Adv. Mater. 26, 7730–7746 (2014)
    https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/adma.201305486

1. XESとは何か

X線照射により内殻電子が励起・放出されると、内殻に正孔(core hole)が生成される。系は不安定であり、より浅い準位の電子が落ち込んで正孔を埋める。この緩和は

  • 放射過程(X線蛍光:光子を放出)
  • 非放射過程(オージェ電子放出など) の競合として理解される。

XESは、このうち放射過程の放出光子エネルギー Eout を高分解能で測り、単に元素同定(XRF)に留まらず、線形状・サテライト構造・微細分裂から、価数、配位環境、スピン状態、配位子の結合性などを議論する分光である。

XESの測定形態は2つに大別できる。

  • 非共鳴XES(non-resonant XES, NR-XES):入射エネルギー Ein を吸収端より十分高くし、生成した内殻正孔からの発光のみを測る。
  • 共鳴X線発光分光(resonant XES, RXES)/RIXS:Ein を吸収端近傍で掃引し、共鳴過程を利用して選択的な励起・終状態を生成する。

2. 量子論的定式化

2.1 非共鳴XES:フェルミの黄金律

内殻正孔を含む初期状態を |i、発光後の終状態を |f とし、双極子相互作用 D^=ϵ^r により放射遷移が起こるとする。すると、発光スペクトル強度は概念的に

I(ωout)f|f|D^|i|2δ(EiEfωout)

と表される。|i は「内殻正孔を含む多電子状態」であり、|f は「より浅い準位(例:2p3p、あるいは価電子帯)に正孔を残した状態」となる。多体相互作用(交換相互作用、多重項、コアホールの遮蔽など)が線形状を決めるため、XESは一電子DOSの投影としてだけでなく、相関を含む指紋として扱う必要がある。

2.2 共鳴過程:Kramers–Heisenberg式

RXES(広義のRIXS)では、吸収で中間状態 |n(コア励起状態)を経由し、発光で終状態 |f に至る二次過程として

I(ωin,ωout)f|nf|D^|nn|D^|gωin(EnEg)+iΓn/2|2δ(Eg+ωinEfωout)

で記述される。|g は基底状態、Γn は中間状態寿命幅である。分母の共鳴条件により、特定の中間状態が選択され、発光線形状やエネルギー損失 Ω=(ωinωout) に、価電子励起(dd励起、電荷移動励起、フォノン、マグノン等)が現れる。

3. 発光線の分類

発光線は「どの軌道から内殻へ落ちるか」で分類される。硬X線の代表はK線である。

区分遷移の概略放出光子感度の中心主な情報
2p1sKα線2pのスピン軌道分裂が主要元素同定、線幅、化学環境の影響は比較的小さい
Kβ(主線)3p1s1,3など3p3d交換が顕著(3d遷移金属)3dスピン状態、局所磁気モーメント、スピン遷移
価電子→K(VtC)valence 1s2,5, Kβ結合性・配位子軌道(p混成)配位子種、配位数、結合角、共有結合性、酸化状態の補助
L線(軟X線領域)3d/4s2pLα, Lβ 等価電子帯の詳細、相関効果バンド・多体効果、軌道の占有と混成

Kβ主線は、3d遷移金属で特に重要である。3p正孔をもつ終状態では 3p3d交換相互作用が強く、終状態多重項が線形状(Kβ1,3とKβなど)を分裂させる。結果として、同じ元素でもスピン状態(高スピン/低スピン)や局所モーメントの変化が、線形状の再配分として観測される。

一方、VtC(valence-to-core)領域は、価電子帯(主に配位子由来のp成分を含む)から 1s への遷移であり、化学結合の種類や配位子同定に強い。XASのプレエッジやホワイトラインとは異なる形で、占有側の結合情報を与える。

4. 遷移行列要素と選択則:なぜ「投影DOS」になるのか

電気双極子遷移では、おおむね

Δl=±1

が支配的である。例えばK線発光(最終が 1s 正孔消滅)では、初期側の電子軌道はp成分(l=1)を含む必要がある。したがって、VtCの強度は「価電子帯のp成分(配位子pと金属pの混成)」に強く重み付けされる。

この意味で、単純化すれば

  • Kα/Kβ主線:主に深い準位(2p,3p)の状態密度と多体終状態効果
  • VtC:価電子帯のp投影占有状態密度(ただし多体・終状態効果を含む) として理解できるが、実データは
  • コアホールの遮蔽
  • 多重項(exchange, multiplet)
  • 異方性(配向・結晶対称性)
  • 自己吸収(再吸収) などの物理が重畳するため、単純なDOS同定に留めない姿勢が必要である。

5. XESが得意とする物理情報

5.1 スピン状態と局所モーメント(Kβ主線)

3d遷移金属では、Kβ主線の形状は 3p3d交換相互作用の強さに依存する。3dスピンが大きいほど交換分裂が効き、低エネルギー側のサテライト(Kβ)が相対的に強くなる傾向が知られる。これにより、同一元素での

  • 温度・圧力・歪み・配位子場によるスピン転移
  • 反応中のスピン状態変化 を、元素選択的に追える。

5.2 配位子同定と結合性(VtC)

VtC領域は、配位子のp軌道が金属サイトでどのように混成し、どの程度局在・共有結合化しているかに敏感である。配位子種(O, N, S, C, ハロゲンなど)や結合角・配位数、局所構造の変化が、ピーク位置と相対強度の変化として現れる。

VtCで頻繁に議論される量の一つは、「終状態が価電子正孔を含む」ため、スペクトルの軸は単にバンド構造の投影ではなく、コア準位と価電子準位の差、さらには遮蔽や緩和エネルギーを含むという点である。従って、構造パラメータとの突き合わせでは、理論計算(DFTや多体模型)と同時に扱うことが有効である。

5.3 共鳴XES(RXES)で見える励起

RXESでは、Ein を吸収端近傍で動かすことで、中間状態選択性が生まれる。結果として、発光エネルギーだけでなく、エネルギー損失スペクトルに

  • dd励起(局所d準位の励起)
  • 電荷移動励起(配位子–金属間)
  • 集団励起(フォノン、マグノン) などが現れる。硬X線領域でも、電荷移動やスピン状態の解像に寄与し、軟X線領域では強相関系の励起分光として展開している。

6. 光学系(分光器)の基礎

XESの鍵は「発光をエネルギー分解して取り出す」ことであり、結晶分光器が中心となる。結晶面間隔 d、回折次数 n、ブラッグ角 θ に対して

nλ=2dsinθ,E=hcλ

より、角度分解がエネルギー分解へ変換される。高分解能化の基本は

  • 反射結晶の選択(Si, Ge, 石英、InSb等)
  • 曲げ結晶による集光(球面/円筒面)
  • ローランド円配置による収差低減
  • 受光系とスリットによる角度受け入れの制御 である。

代表的な配置には Johann 型と von Hamos 型がある。

分光器配置幾何長所論点
Johannローランド円上に試料・検出器、球面曲げ結晶高い分解能と大きな集光立体角の両立がしやすい条件により Johann 誤差(収差)が効く
von Hamos円筒曲げ結晶+位置敏感検出器エネルギー分散を同時に取得しやすい(高速化)分解能・受け入れ角の設計自由度が複雑になる

エネルギー分解能 ΔE は、概念的には角度分解能 Δθ

ΔEEcotθΔθ

の関係をもつ。したがって、θ をできるだけ 90 に近づけ(高角回折)、さらに光学収差と検出器分解能を小さくした設計が有利である。加えて、観測される線幅は装置分解能と内殻寿命幅、静的・動的広がりの畳み込みとして理解される。

7. 測定モード

XESは単独でも価値があるが、吸収と組み合わせることで「同じ装置が別の情報抽出器として働く」場面がある。

7.1 PFY・HERFD-XAS

蛍光を検出してXASを測る方法として部分蛍光収量(PFY)がある。さらに、発光のうち特定線(例:KαやKβ)を高分解能分光器で選び、その強度を Ein の関数として測ると、高エネルギー分解蛍光検出XAS(HERFD-XAS)となる。これは中間状態寿命幅の影響を抑え、吸収端近傍の微細構造をより鋭く観測する手法として位置づけられる。

7.2 RXESマップ

EinEout の2次元データ

I(Ein,Eout)

は、共鳴条件と終状態の両方を分離して眺める座標系を与える。エネルギー損失表示 I(Ein,Ω) は、励起分光として直観的である。

7.3 時間分解XES

放射光やXFELの短パルス性を利用すると、ポンプ–プローブで非平衡状態の電子構造変化を追跡できる。XESは占有側に感度があるため、光励起などでの価電子再配分、スピン状態変化、配位子場の時間応答などと相性がよい。

8. 物質別の見え方

XESの線形状は、物質カテゴリによって支配的要因が異なる。

  • 金属・合金 フェルミ準位近傍の占有状態は連続的であり、VtCは弱いことが多いが、Kβ主線の交換相互作用や化学環境による微小なシフトが、スピン状態・局所環境の指標となる場合がある。

  • 遷移金属酸化物・強相関系 多重項・電荷移動の終状態効果が強く、Kβ主線とVtC、さらに共鳴過程で観測される励起が、相関の強さや局所対称性の議論へ直結する。

  • 触媒・電池など反応系 元素選択性と光子検出(容器越し・雰囲気下測定との整合)が効き、反応中の酸化状態、配位子種、スピン状態変化を同一元素で追える。

  • 磁性体 Kβ主線のスピン感度により、局所モーメントの変化やスピン再配列の指標を与える。吸収の二色性(XMCD)とは異なる角度から磁性を照らす位置づけとなる。

9. 解析の考え方

XESの解釈は、ピーク位置・幅・サテライト強度を、次の要因がどの程度支配しているかを見分ける問題である。

  • 遷移行列要素(対称性投影)
  • 終状態多体相互作用(多重項、交換、遮蔽)
  • 装置分解能と寿命幅
  • 試料内での再吸収(自己吸収)や幾何配置効果

自己吸収は、発光光子が試料内で再び吸収されることで、線形状や強度比が変形する現象である。バルク試料・高濃度元素・厚膜などで目立ちやすく、入射角・出射角・試料厚さを変えた比較や、モデル補正の導入が論点となる。

理論的には、Kβ主線は多重項計算(原子・クラスタ模型)と親和性が高く、VtCは第一原理計算に基づくスペクトル計算が有効なことが多い。どちらも、単一の説明図式へ急がず、複数仮説を並置して整合を取る態度が重要である。

10. 類似手法との比較

手法入出力主な感度強み位置づけ
XASphoton-in非占有状態、局所対称性元素選択、反応追跡空状態の情報が中心
XESphoton-in / photon-out占有状態、終状態相互作用スピン状態・結合性(VtC)占有側・相互作用の指紋
RIXS(RXES)photon-in / photon-out励起(dd, CT, フォノン等)励起分光として強力エネルギー損失で励起を分離
XPS/HAXPESphoton-in / electron-out価電子・内殻束縛エネルギー化学シフトとバンド表面感度(条件でバルク化)と荷電の論点

XESは、XASと相補的に「占有/非占有」を両輪としてそろえ、さらに共鳴過程を用いて励起へアクセスする拡張点に特色がある。

まとめ

X線発光分光(XES)は、内殻正孔の放射緩和を高分解能で測ることで、占有電子状態と多体相互作用(特に交換・多重項)を元素選択的に抽出する分光である。Kβ主線はスピン状態や局所モーメントに敏感であり、VtCは化学結合と配位子の性質に強い感度をもつため、XASやRXESと組み合わせることで、局所構造・電子状態・励起の三層を同一枠組みで接続しやすくなるのである。

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