プリアンプの物理と基礎
プリアンプは、センサ/試料が生む微小信号を、後段(ADC、ロックイン、スペアナ、VNA、デジタル処理)が扱える形へ変換する第一段の増幅器である。第一段の雑音・入力特性・安定性が、系全体の感度・再現性・周波数応答をほぼ決める。
参考ドキュメント
Analog Devices, AN-940: 最適ノイズ性能を得るための低ノイズ・アンプ選択の手引き(日本語) https://www.analog.com/jp/resources/app-notes/an-940.html
Texas Instruments, 高速オペアンプのノイズ解析(日本語PDF, JAJA117) https://www.ti.com/jp/lit/pdf/jaja117
Texas Instruments, トランス・インピーダンス・アンプ設計の基礎(日本語PDF, JAJA098) https://www.ti.com/jp/lit/an/jaja098/jaja098.pdf
1. プリアンプが担う役割
プリアンプの本質は、信号の大きさを上げることよりも、信号源と計測器の間にある物理的な不整合を解消することである。代表的な役割は次の通りである。
感度の確立 微小信号に対し、後段の量子化雑音や内部雑音が支配的にならないように、必要な利得を最初に付与する。
インピーダンス変換と負荷影響の抑制 信号源インピーダンスが高い場合に、入力バイアス電流・漏れ・入力容量などによる信号の歪みや減衰を抑える。
変換(電流→電圧、電荷→電圧、差動→単端、単端→差動) フォトダイオード電流、圧電センサ電荷、ブリッジ出力など、信号の自然な表現を計測系が扱える形に写像する。
帯域整形と安定化 必要帯域に限定し、不要帯域を落とすことで雑音を下げる。高周波では安定度(位相余裕)を保ち、発振・リンギングを避ける。
外乱結合の低減 差動化、シールド、ガード、参照点(リターン経路)の設計により、外来電磁界や共通モードの混入を抑える。
2. 雑音の物理:スペクトル密度
プリアンプの性能議論は、電圧雑音密度と電流雑音密度を核に組み立てると見通しがよい。
2.1 抵抗の熱雑音
抵抗 R の熱雑音(白色雑音)の電圧雑音密度は
である。帯域
となる。高抵抗の信号源ほど電圧雑音が増える方向に働く。
2.2 電流の散弾雑音(shot noise)
電流 I には、離散キャリアに由来する雑音が伴い、電流雑音密度は
である。電圧として観測される大きさは、周波数依存のインピーダンス
2.3 アンプの入力換算雑音(電圧雑音 と電流雑音 )
多くのプリアンプ(オペアンプ、計装アンプ、LNA)は、入力換算で 電圧雑音源
信号源抵抗を
となる。低
2.4 帯域を狭めれば雑音は下がる(ENBW)
白色雑音が支配的なら、等価雑音帯域幅
と見積もれる。したがって、必要帯域を定義し、前段で帯域を整形することが最も確実な低雑音化である。
3. 雑音のカスケード(Friisの式)
受信機・高周波プリアンプでは、雑音指数(Noise Figure)で議論することが多い。第1段の利得
雑音因子
である。ここで
4. プリアンプの形式と適用領域
4.1 電圧プリアンプ(低雑音電圧増幅)
目的は、微小電圧を歪ませずに増幅し、後段の雑音や量子化を支配しないレベルへ持ち上げることである。 重要指標は、入力換算電圧雑音
4.2 計装アンプ(差動微小信号の獲得)
ブリッジセンサやリード線が長い系では、共通モード混入が支配的になりやすい。計装アンプは差動利得と高CMRRにより、共通モードを落として有効信号を取り出す思想である。
CMRRは
で定義されるが、実効CMRRは入力配線の不平衡や入力容量差で劣化しやすく、回路図だけでは決まらない量である。
4.3 トランスインピーダンスアンプ(TIA:電流→電圧)
フォトダイオードなどの電流出力に対して、帰還抵抗
である。TIAは、入力容量(センサ容量+配線+アンプ入力)と帰還容量
4.4 電荷アンプ(圧電など:電荷→電圧)
圧電センサは力や加速度を電荷として出力し、ケーブル容量や漏れの影響を強く受ける。電荷アンプでは、帰還容量
のように電荷を電圧へ変換する。高インピーダンス入力の漏れを抑えるため、ガードリングや絶縁材の選択が設計の中心になる。
4.5 高周波LNA(RFプリアンプ)
GHz帯などでは、回路は集中定数よりも分布定数として振る舞い、インピーダンス整合とSパラメータで扱うのが自然である。ここでは雑音指数(NF)、利得、直線性、安定条件(発振しないこと)が柱となる。
5. 周波数帯で変わる支配因子
| 周波数帯の目安 | 支配的課題 | 有効な考え方 |
|---|---|---|
| DC〜数十Hz | オフセット、ドリフト、熱起電力、1/f雑音 | 変調(反転・同期)、チョッパ/オートゼロ、等温化、低熱起電力配線 |
| 数十Hz〜数百kHz | 白色雑音と帯域、CMRR、入力容量 | ENBW設計、差動化、配線幾何(ループ最小)、適切な利得配分 |
| 数百kHz〜数十MHz | 位相余裕、寄生容量・寄生成分、レイアウト | 安定化補償、帰還の幾何、短いリターン、面内電流経路の設計 |
| 数十MHz以上 | 伝送線路、反射、整合、放射結合 | Sパラ・整合、同軸・GND面、シールド、寄生インダクタ最小 |
6. なぜプリアンプは発振しやすいのか
負帰還増幅器は、位相が
したがって、補償(例えば帰還に小容量を付与してノイズゲインを整形する等)により、ループの周波数特性を意図的に作る必要がある。ここは回路図よりも実装(配線長、帰還の取り回し、GND帰路)で結果が変わりやすい。
7. 雑音設計の実用式
各雑音源を入力換算へ揃え、二乗和で加えるのが基本である。例えば、電圧アンプで信号源が抵抗的(
となる。ここに、抵抗分割や帰還抵抗・抵抗ネットワークの熱雑音、さらにフィルタの伝達関数
TIAでは、入力容量と帰還要素が雑音の周波数依存を作るため、単純な
8. 実装が支配する領域
プリアンプは「回路」より「電磁界境界条件」に敏感である。微小信号では、次の要因が支配的になりうる。
参照点(リターン電流経路)の定義 信号線だけでなく戻り道のインピーダンスが、混入や振動(リンギング)を決める。
静電結合と磁界結合 ループ面積を縮め、信号線とリターンを近接させる(ツイスト、同軸など)ことで誘導起電力を抑える。シールドは電界結合に有効だが、どこへ落とすかで共通モードの流れ方が変わる。
ガードリング 高インピーダンス入力では、基板表面の漏れとケーブル絶縁が誤差電流を生む。入力周囲をガード電位で囲い、漏れ経路の電位差を小さくする設計が効く。
材料の誘電吸収・マイクロフォニック 高抵抗・高インピーダンスでは、絶縁材の誘電体損失や機械振動が電荷変動として観測されることがある。
9. 代表的なプリアンプ仕様
| 仕様 | 意味 | 重要になりやすい場面 |
|---|---|---|
| 入力換算電圧雑音 | 入力に換算した電圧雑音密度 | 低抵抗源の電圧測定、広帯域増幅 |
| 入力換算電流雑音 | 入力に換算した電流雑音密度 | 高抵抗源、TIA、電荷アンプ |
| 1/f雑音・コーナ周波数 | 低周波で雑音が増える指標 | DC〜低周波の微小信号 |
| 入力バイアス電流 | 入力へ流れ込む直流電流 | 高抵抗源、電荷アンプ(漏れ相当) |
| オフセット・ドリフト | 直流のゼロ点と温度依存 | DC測定、長時間測定 |
| GBW(利得帯域幅) | ループ設計の上限尺度 | 安定度、過渡応答、TIA補償 |
| CMRR・PSRR | 共通モード/電源変動の抑圧 | 長配線、ブリッジ、ノイズ環境 |
| スルーレート | 大信号の追従限界 | パルス、広帯域、大振幅 |
10. まとめ
プリアンプは、信号源のインピーダンス、雑音源の種類(
関連研究
Analog Devices, CN-0350: 圧電センサー用チャージ・アンプの設計ノート(日本語PDF) https://www.analog.com/media/jp/reference-design-documentation/reference-designs/cn0350_jp.pdf
TI Designs, 高速・リニアなトランスインピーダンス・アンプのリファレンス(日本語PDF) https://www.ti.com/jp/lit/ug/jaju443/jaju443.pdf
Analog Devices, System noise-figure analysis(Friis式によるカスケード議論) https://www.analog.com/jp/resources/technical-articles/system-noisefigure-analysis-for-modern-radio-receivers.html
STMicroelectronics, Op-amp stability/compensation methods for capacitive loading(英語PDF) https://www.st.com/resource/en/application_note/an2653-operational-amplifier-stability-compensation-methods-for-capacitive-loading-applied-to-ts507-stmicroelectronics.pdf
NF Corporation, 入力換算雑音の解説(日本語) https://www.nfcorp.co.jp/techinfo/dictionary/005/
日清紡マイクロデバイス, 入力換算雑音電圧
(日本語) https://www.nisshinbo-microdevices.co.jp/ja/design-support/online_traning/op-amps/n005.html Microchip, アナログセンサ用コンディショニング回路の概要(日本語PDF) https://ww1.microchip.com/downloads/jp/AppNotes/00990A_JP.pdf