Skip to content

磁気光学カー効果顕微鏡による磁区構造・磁化ダイナミクス観察入門

磁気光学カー効果顕微鏡(magneto-optical Kerr effect microscope, MOKE)は、磁性体表面での反射光の偏光変化を利用して磁区構造や磁化反転過程を可視化する光学顕微鏡である。可視〜近赤外光を用いるため装置構成が比較的簡潔でありながら、薄膜磁性体や微細パターンの磁区観察・磁化ダイナミクス解析に高い有用性を持つ。

参考ドキュメント

  1. 竹澤昌晃「磁気光学顕微鏡とその応用」電気学会マグネティックス研究会資料 129 巻 9 号, 2009.
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejfms/129/9/129_9_565/_pdf
  2. 佐藤勝昭「磁気光学効果の測定法」日本光学会第 39 回冬期講習会資料, 2011.
    https://home.sato-gallery.com/research/magnetooptics_measurement.pdf
  3. 立崎優「磁気光学カー顕微鏡による磁気渦の計測」SCAT 技術レポート, 2017.
    https://www.scat.or.jp/cms/wp-content/uploads/2018/11/tachizaki.pdf

1. 磁気光学カー効果の基礎

1.1 誘電率テンソルと磁気光学応答

磁気光学カー効果(magneto-optical Kerr effect, MOKE)は、磁性体表面で直線偏光が反射される際に、その偏光面が回転し(カー回転)、同時に楕円偏光成分が生じる(楕円率)現象である。これは、磁化により誘電率テンソルが非対角成分を持つことに起因する。

等方的な強磁性体を想定し、磁化ベクトルを M=(Mx,My,Mz) とすると、誘電率テンソルは一次近似として

ε^=(εiQMziQMyiQMzεiQMxiQMyiQMxε)

と表すことができる。ここで、ε は等方的な誘電率成分、Q は材料固有の磁気光学定数であり、一般に複素数である。

入射偏光を p 偏光、反射光の p 成分・s 成分のフレネル係数をそれぞれ rpp, rps とすると、縦カー配置では複素カー角 ΦK

ΦK=θK+iϵKrpsrpp

と近似される。θK はカー回転角、ϵK は楕円率角であり、いずれも磁化成分に比例する微小量(典型的には数 mrad 以下)である。

1.2 カー回転角・楕円率と磁化

磁化の特定成分 Mi に対し、線形応答範囲では

θK(ω)Re[Q(ω)]Mi,ϵK(ω)Im[Q(ω)]Mi

と近似できる。したがって、波長(光子エネルギー)を掃引しながら θK(ω), ϵK(ω) を測定すると、バンド間遷移やスピン分極状態に対応したエネルギー分散を読み取ることができる。

カー効果は、透過光に対するファラデー効果と対をなす現象であり、どちらも誘電率テンソルの非対角成分に由来するが、カー効果は反射、ファラデー効果は透過を利用する点で異なる。

2. 測定幾何:極カー・縦カー・横カー

磁気光学カー効果は、試料表面法線、入射面、磁化ベクトルの相対配置により三つの基本幾何に分類される。

幾何磁化の向き感度の高い磁化成分主な用途
極カー(polar)試料面法線方向面外成分 Mz垂直磁気異方性薄膜、スキルミオン、磁気渦コア
縦カー(longitudinal)試料面内・入射面内面内成分 M面内磁区、磁壁運動、磁気記録媒体観察
横カー(transverse)試料面内・入射面に直交面内成分 M反射強度変化による磁化符号判別、磁気センサ評価
  • 極カー:試料表面にほぼ垂直入射し、面外磁化成分に対するカー回転を観測する。
  • 縦カー:試料に斜入射し、入射面内の磁化に比例したカー回転を利用する。
  • 横カー:偏光面の回転ではなく反射強度の変化が主信号となる。

極カー配置では垂直磁化を持つ磁区(+MzMz)の対比が明瞭であり、縦カー配置では面内磁区構造や磁壁の伝播を可視化しやすい。横カー配置は磁気抵抗的な応答の光学版とみなすことができ、磁気センサ素子などの評価に適する。

3. 磁気光学カー効果顕微鏡の構成

3.1 光学系の基本構成

MOKE 顕微鏡は、反射型光学顕微鏡に偏光光学系と磁場印加系を組み合わせた構成をとる。代表的な構成要素は以下の通りである。

  • 光源
    • ハロゲンランプ、白色 LED、レーザーダイオードなど
    • 波長安定性と出力の安定性が重要である。
  • 入射偏光子(ポラライザ)
    • 直線偏光を生成し、偏光方向を制御する。
  • 対物レンズ
    • 試料表面への集光と反射光の収集を担う。
    • 数値開口 NA により空間分解能が決まる。
  • ビームスプリッタ・鏡
    • 透過・反射を用いて光路を折り返し、顕微鏡鏡体とカメラに光を導く。
  • 検光子(アナライザ)
    • 入射偏光とほぼ直交に設定し、微小なカー回転を強度変化に変換する。
  • 像検出器
    • CCD / CMOS カメラなど、高ダイナミックレンジ・低ノイズのセンサが用いられる。
  • 磁場発生系
    • 電磁石、ヨーク一体型磁石、ヘルムホルツコイル等を用いて試料に磁場を印加する。

光源からの光は偏光子で直線偏光化され、対物レンズで試料表面に集光される。試料で反射した光は再び対物レンズを通って戻り、アナライザを通過して像面に結像する。アナライザを完全消光から少しずらした角度に設定すると、カー回転角に比例した強度差が生じ、磁区ごとの明暗コントラストとして観察できる。

3.2 磁場印加系と試料ステージ

磁場印加系は、観測対象とする磁化成分に応じて設計される。

  • 面内磁化観察(縦・横カー)
    • ギャップ電磁石を用い、試料面内に一様な磁場を印加する構成が一般的である。
    • 最大数百 mT 程度まで掃引可能な系が多く、市販装置では角度可変の磁場印加機構を備えたものもある。
  • 面外磁化観察(極カー)
    • ソレノイドコイルやヘルムホルツコイルにより試料法線方向の磁場を与える構成が用いられる。
    • 垂直磁気異方性薄膜の磁区反転解析などに適する。

試料ステージには、x–y–z 方向の位置決め機構や回転機構を組み合わせ、視野位置・試料方位・入射方位を制御できるようにする。また、クライオスタットを組み合わせた低温観察や、加熱ステージによる温度依存測定が行われる場合もある。

3.3 信号検出と高感度化

カー角は通常数 mrad 以下と小さいため、高感度検出が重要となる。代表的な手法は以下の通りである。

  • アナライザ角度最適化
    • 入射偏光と直交からわずかにずらし、強度変化がカー回転角に対して線形かつ感度が高い領域に設定する。
  • 差動検出
    • 二つの検出器を用いて二つの偏光成分を同時に計測し、その差をとることで光源強度ゆらぎを抑制する。
  • 磁場変調・ロックイン検出
    • 磁場を小振幅で変調し、反射強度の変調成分をロックインアンプで検出することで S/N を向上させる。
  • 偏光変調
    • 光弾性変調器などを用いて偏光を高速変調し、カー回転と楕円率を同時計測する分光法も用いられる。

4. 磁区観察と空間分解能

4.1 磁区コントラストの発生機構

MOKE 顕微鏡では、磁区ごとに磁化ベクトルの向きが異なることにより、カー回転角・楕円率・反射強度が局所的に変化し、それが明暗コントラストとして観察される。

  • 極カー配置では、+MzMz の磁区でカー回転角の符号が反転するため、アナライザ通過後の強度が高い/低い領域として交互に現れる。
  • 縦カー配置では、入射面内の面内磁化成分に比例したカー回転が生じ、磁壁の位置や磁区方向の違いが微分的なコントラストとなる。
  • 横カー配置では主として反射強度変化が支配的となり、磁化方向に応じて反射率が増減する領域として磁区構造が現れる。

磁区壁付近では磁化が連続的に回転するため、カーコントラストも連続的に変化し、壁の幅や構造を推定する手掛かりとなる。

4.2 空間分解能と観察対象

MOKE 顕微鏡の空間分解能は、使用波長 λ と対物レンズの数値開口 NA により決まる。回折限界の分解能は

δr0.61λNA

で見積もられ、可視光(λ500 nm)、NA ≈ 0.5 ではおおよそ 0.6 μm 程度となる。

代表的な構成の分解能目安を整理すると次のようになる。

構成光源波長の例数値開口 NA分解能の目安
可視光・一般的対物レンズ500–650 nm0.3–0.5約 0.5–1 μm
紫外光対応レンズ350–400 nm0.5–0.6約 0.3–0.5 μm
低倍率・広視野観察500–650 nm0.1–0.2数 μm 程度

MOKE 顕微鏡は表面からの反射光を利用するため、主として表面から数十 nm 程度までの磁化状態に敏感である。そのため、薄膜・多層膜・ナノパターン、磁性リボン表面、磁性微粒子層などの観察に適している。

5. 磁化の定量評価:ヒステリシス測定とベクトル観察

5.1 局所ヒステリシス曲線の取得

MOKE 顕微鏡では、特定の視野内領域に対して反射強度の磁場依存性を測定することで、局所的な M–H 曲線(光学的ヒステリシスループ)を取得できる。アナライザ角度を固定し、磁場を掃引しながら画素ごとの強度を記録し、その強度をカー角に換算することで

I(H)I0(1+2θK(H)tanα)

α はアナライザのオフセット角)といった関係を用いて磁化の符号と大きさを評価することができる。

この方法により、同じ視野内の異なる位置(例えば磁性素子アレイの個々のセル)ごとにヒステリシス曲線を抽出し、局所的な磁気異方性やピン止め特性の分布を比較することが可能である。

5.2 ベクトル磁区観察

光学系の設定(入射方向・偏光方向・検光子角)を変えながら同一視野を観察すると、異なる磁化成分に対する感度を持つ複数の像を取得できる。例えば、

  • 縦カー配置で x 方向面内磁化に感度を持つ像
  • 試料を 90° 回転させて y 方向面内磁化に感度を持つ像
  • 極カー配置で面外磁化に感度を持つ像

を組み合わせることで、三次元磁化ベクトル分布を再構成する試みが行われている。最近では、数値解析と組み合わせた「ベクトルカー顕微鏡」により、磁区ごとの磁化方向を定量的に再構成する手法も報告されている。

6. 時間分解 MOKE 顕微鏡と磁化ダイナミクス

6.1 準静的ダイナミクス観察

電磁石で磁場を準静的に掃引しながら、各磁場値における磁区像を連続取得すると、磁区核生成・磁壁移動・回転反転などの過程を動画として観測できる。フレームレートが数十〜数百 fps 程度であれば、準静的な磁化反転や低周波励磁に対する応答を十分に追跡できる。

このような観察から、例えば次のような情報が得られる。

  • 磁壁速度と磁場強度の関係
  • ピン止めサイトでの磁壁停滞・ジャンプ挙動
  • ヒステリシスループの折れ曲がりと局所ダイナミクスの対応

6.2 ポンプ・プローブ型時間分解 MOKE(TR-MOKE)

フェムト秒レーザーパルスを用いたポンプ・プローブ測定と MOKE を組み合わせると、サブピコ秒〜ナノ秒スケールの超高速磁化ダイナミクスを観測できる。典型的な構成では、

  • ポンプパルス:試料に入射して磁化状態を非平衡にする(光励起、熱励起、スピントルクなど)
  • プローブパルス:遅延時間 Δt を付けて入射し、その時刻でのカー回転・楕円率を測定する

ことで、θK(Δt) の時間波形から磁化緩和・歳差運動・スピン波励起などを解析する。

時間分解 MOKE では、マクロな磁化ベクトルの時間発展を直接測定できるため、Landau–Lifshitz–Gilbert 方程式に基づく緩和定数、スピン軌道トルク効率、スピン流注入効果などの物理パラメータの抽出に利用されている。また、MOKE 顕微鏡と組み合わせることで、ナノ構造中の局所的なダイナミクス分布を可視化する研究も行われている。

7. 他手法との比較と位置づけ

7.1 磁区観察手法との比較

磁区観察手法はいくつか存在し、それぞれ得意とする空間分解能・深さ感度・試料条件が異なる。MOKE 顕微鏡の位置づけを整理すると次のようになる。

手法観測モード空間分解能深さ感度特徴
MOKE 顕微鏡反射光(偏光)約 0.3–1 μm表面〜数十 nm非接触・表面敏感・動画取得が容易
磁気力顕微鏡(MFM)力勾配数十 nm不定(表面・近傍)高分解能だが走査速度は遅い
ローレンツ TEM透過電子数 nmバルク透過(薄膜)超高分解能だが試料準備が難しい
X 線磁気円二色性顕微鏡(XMCD-PEEM 等)光電子・蛍光数十 nm元素選択・表面敏感放射光施設が必要
中性子回折・SANS散乱結晶周期〜100 nmバルクバルク磁構造に敏感だが像ではなく散乱強度を測定

MOKE 顕微鏡は、分解能ではナノスケールの手法に劣るものの、装置規模と測定自由度のバランスが良く、実験室レベルで磁区と磁化ダイナミクスを可視化できる点が大きな利点である。また、光学顕微鏡としての拡張性(電流印加、温度制御、同時反射観察など)も高い。

8. 応用例と最近の展開

8.1 磁気記録媒体・薄膜磁性体の評価

MOKE 顕微鏡は、垂直磁気記録媒体、スピントルク磁気メモリ素子、コイル鉄心薄帯などの磁区構造評価に広く用いられている。ヒステリシス測定と磁区観察を組み合わせることで、

  • 保磁力や残留磁化と磁区構造の相関
  • 異方性軸方向の分布
  • 加工・熱処理による磁区構造変化

などを系統的に調べることができる。

8.2 スキルミオン・磁気渦などトポロジカル磁気構造

極カー顕微鏡は、垂直磁気異方性薄膜中のスキルミオンや磁気バブル、磁気渦コアなどのトポロジカル磁気構造の可視化にも用いられている。外場磁場・電流パルス・温度変化に対する安定性や運動挙動を観察することで、スキルミオンレーストラックメモリやトポロジカル磁気素子の設計指針を得る試みが行われている。

8.3 磁歪・磁気弾性応答の可視化

磁歪材料薄膜や磁気弾性複合体に対して、応力・ひずみを印加しながら MOKE 顕微鏡で磁区構造を観察すると、磁気弾性エネルギーによる磁区再配向や磁壁移動が直接可視化される。これにより、

  • 応力駆動磁化反転の閾値
  • 動的負荷に対する磁区応答
  • ナノコンポジット中の磁気異方性分布

などを実空間で解析できる。

8.4 時間分解 MOKE とスピンダイナミクス

時間分解 MOKE(TR-MOKE)では、フェムト秒レーザーと組み合わせることで、超高速消磁、歳差運動、マグノン励起などのスピンダイナミクスが解析されている。最近では、

  • Weyl 半金属やトポロジカル磁性体の超高速スピンダイナミクス
  • スピン流注入によるスピン軌道トルクの時間応答
  • 多層膜・ナノ構造中の局所スピン波モード

などの研究に活用されている。

9. MOKE 顕微鏡の設計・運用上の考え方

MOKE 顕微鏡の設計・運用では、以下の点を系統的に整理しておくと理解しやすい。

  1. 観測したい磁化成分
    • 面内か面外か、あるいはベクトル観察かを明確にし、極・縦・横カーのいずれを用いるか決める。
  2. 必要な空間分解能・視野サイズ
    • 対物レンズの倍率・NA、光源波長、カメラ画素サイズを整合させる。
  3. 磁場条件
    • 最大磁場、掃引速度、磁場方向の自由度を整理する。
  4. 時間分解能
    • 準静的観察か、高フレームレート動画か、ポンプ・プローブ測定かを選択する。
  5. 試料環境
    • 温度、真空・雰囲気、電流印加、応力印加などの外場をどこまで付加するかを設計段階で決める。

これらを磁気光学応答の式や光学設計と対応づけながら検討すると、装置構成と測定可能な物理量の対応関係が明確になる。

まとめと展望

磁気光学カー効果顕微鏡は、磁性体表面の磁区構造と磁化ダイナミクスを実時間で可視化できる計測手法であり、反射光の偏光変化という明快な物理原理に基づきつつ、光学顕微鏡技術と磁場印加技術を組み合わせることで高い柔軟性を有する。極・縦・横カー幾何の理解、誘電率テンソルに基づくカー角の定式化、光学系・磁場系・検出系の設計を統合して捉えることで、磁化ベクトルの実空間分布と時間発展を一貫した枠組みで解析できるようになる。

今後は、時間分解 MOKE とナノフォトニクスの組み合わせによる超解像・超高速観察、データ駆動解析や機械学習との統合による磁区構造の自動分類・逆設計、他の磁気計測(磁気抵抗測定、マイクロ波測定、X 線磁気円二色性など)とのマルチモーダル連携が進むと考えられる。そのような流れの中で、MOKE 顕微鏡は、基礎磁性研究からスピントロニクスデバイス開発までをつなぐ中核的な可視化手段として、今後も重要な役割を担い続けると期待される。

参考ソース