アモルファスの距離秩序と物理
アモルファスは「無秩序」ではあるが、原子間相互作用が作る秩序は距離スケールごとに残る。短距離秩序と中距離秩序を切り分けて扱うことで、散乱・局所構造・物性の対応が明瞭になる。
参考ドキュメント
- S. R. Elliott, Medium-range structural order in covalent amorphous solids, Nature 354, 445–452 (1991). https://www.nature.com/articles/354445a0
- S. J. L. Billinge, The rise of the X-ray atomic pair distribution function method, Phil. Trans. R. Soc. A 377:20180413 (2019). https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rsta.2018.0413
- JSTプレスリリース:トポロジーで紐解くアモルファスの硬さが決まるメカニズム(2025年9月25日) https://www.jst.go.jp/pr/announce/20250925/index.html
1. 距離秩序とは何か
距離秩序とは、原子配置の相関がどの距離まで持続しているか、という見方である。結晶は並進対称性により長距離まで鋭い相関が残る。一方アモルファスは長距離の周期性は失うが、近接原子の幾何と化学結合がつくる相関は残る。
1.1 三つの距離スケール
- 短距離秩序(short-range order; SRO) 最近接殻(おおむね 1〜3 Å)における結合長、配位数、結合角の秩序である。
- 中距離秩序(medium-range order; MRO) 数殻ぶん(典型的に 5〜20 Å 程度)にわたる多面体の連結、リング、クラスター相関などである。
- 長距離秩序(long-range order; LRO) 数十Å以上にわたる周期性(結晶のブラッグピークに対応)である。
1.2 何が見えるか
| 距離スケール | 構造の言葉 | 実験シグナルの典型 | 計算での典型量 |
|---|---|---|---|
| SRO | 配位多面体、結合長・角 | RDF, 配位数, 角度分布 | |
| MRO | 多面体連結、リング、クラスター、空隙相関 | リング統計, Voronoi, BOO, トポロジー指標 | |
| LRO | 周期格子 | ブラッグピーク | 格子定数, 対称性 |
2. アモルファスの秩序
アモルファスの秩序は大きく二種類に分けると整理しやすい。
- 幾何学的秩序 配位多面体(四面体・八面体など)の形や、その連結様式(角共有・稜共有など)で表される秩序である。
- 化学的短距離秩序(chemical SRO) 異種原子の選好(A–B結合の好み)や、元素ごとの部分RDFで現れる局所化学配列である。金属ガラスや多元系で特に重要である。
この二つは独立ではなく、結合の方向性(共有結合性)やサイズ不整合が幾何と化学の両方を拘束する。
3. 観測量の基礎
距離秩序は「実空間」と「逆空間」を往復することで評価される。散乱実験は逆空間の統計量
3.1 動径分布関数
等方系では、
で定義でき、r_c は第一極小などで取る。
3.2 構造因子 と中距離秩序の指標(FSDP)
の実空間スケールが推定できる(厳密にはモデル依存である)。
3.3 PDF(Pair Distribution Function)
全散乱で得た
代表的な定義の一例は
であり、
4. 中距離秩序
MROは「次の一手」を決める秩序であり、同じSROでもMROの違いが物性差として現れやすい。
4.1 ネットワークガラス
- SiO2 などでは、SiO4 四面体というSROがまず定まり、MROは四面体の連結とリング統計(n員環の分布)として現れる。
- FSDPはネットワークの空隙スケールやリング・連結の相関と結びつけて議論されることが多い。
4.2 金属ガラス
- 近接充填に基づく局所多面体(しばしば二十面体的配置)がSROとして現れ、MROはそれらのクラスター連結・パーコレーションとして現れる。
- 化学SRO(異種原子の配置)と幾何学的SROが絡むため、部分PDFや部分構造因子の解釈が重要になる。
5. MROを「測る」
MROは単一のスカラーで尽きないため、複数の視点で重ね合わせて判断する。
- リング統計 ネットワークのn員環分布、リングの歪み、連結の階層性を評価する。
- Voronoi解析 局所多面体の種類と頻度、近接充填の偏りを評価する。
- Bond-orientational order(BOO) 局所配向秩序(結合方向の相関)を球面調和関数で定量する。
- トポロジカルデータ解析(persistent homology) 原子配置から「環(ループ)」の誕生・消滅を多スケールで抽出し、MROを階層構造として表現する。非アフィン変形(局所的な不均一変形)とMROの相関を議論する枠組みとして近年の展開がある。
6. AIMDやモデル構造との接点
散乱だけでは逆問題が本質であり、モデル構造との往復が効く。
6.1 AIMDでの手順
- 溶融→急冷→アニール→0 K緩和を行い、スナップショット集合を得る
- 各スナップショットから g(r), S(q), PDF を計算し、実験と照合する
- さらにリング統計・Voronoi・BOO・トポロジー指標でMROを補足する
6.2 逆問題の扱い
- RMC(Reverse Monte Carlo)やEPSRなど、実験PDF/S(q)を再現する構造集合を探索する方法がある
- ただし1次元データから3次元構造を一意に決めることはできないため、化学結合制約、角度制約、第一原理エネルギーなどの補助情報が不可欠である
7. 注意点
- SROとMROの混同 g(r)の第一ピークが合うだけではMROは保証されない。FSDPやPDFの中距離振動、リング統計などで追加確認が必要である。
- Qmax不足 PDFの分解能低下や終端効果が増え、MROの特徴が曖昧になる。
- セルサイズ不足 5〜20 Åの相関を議論したいのに、セル長が同程度だと周期像の影響が強くなる。
- カットオフの恣意性 配位数、リング統計、Voronoi分類は閾値に敏感であり、感度解析が必要である。
まとめ
アモルファスは長距離秩序を欠くが、短距離秩序と中距離秩序は残り、それが物性の差を生む。