Allen–Cahn 方程式に基づく金属組織シミュレーション
Allen–Cahn 方程式は「界面をぼかした連続場」で金属組織の時間発展を追う基礎式であり、粒成長・相変態・規則化の駆動力を同じ枠組みで扱えるのが強みである。自由エネルギーの勾配流として書けるため、モデルの拡張(化学自由エネルギー、弾性、結晶方位、異方性など)に一貫性がある。
参考ドキュメント
- S. M. Allen and J. W. Cahn, A microscopic theory for antiphase boundary motion and its application to antiphase domain coarsening, Acta Metallurgica, 27 (1979) 1085–1095. https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/0001616079901962
- I. Steinbach, A phase field concept for multiphase systems, Physica D: Nonlinear Phenomena, 94 (1996) 135–147. https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/0167278995002987
- 小山敏幸, Phase-field法に関する最近の進展と今後の展望, まてりあ 42 (2003) 397. https://www.jstage.jst.go.jp/article/materia1994/42/5/42_5_397/_pdf
1. 何を Allen–Cahn で解くのか
Allen–Cahn は「非保存量」の秩序変数(order parameter)φの緩和を記述する。金属組織では、例えば次のような
- 相の状態(
、固相/液相、析出相/母相など): と を相に対応させる - 規則・不規則(
、 など):長距離秩序の強さを φ で表す - 多結晶粒(粒
の占有率): } を用い、各点でどの粒に属するかを連続的に表す - 変形・再結晶の進行度:蓄積ひずみエネルギーを駆動力として
を進める
保存量(溶質濃度
2. 自由エネルギーの勾配流としての Allen–Cahn
秩序変数
とする。ここで
Allen–Cahn 方程式は
で与えられ、汎関数微分より
なので
となる。
この形の重要点は、適切な境界条件(例:Neumann 境界で
が成り立ち、数値解が物理的に「自由エネルギーを下げる方向」に進む構造が明確であることである。
3. 金属組織に効く自由エネルギー設計
3.1 二相モデル(相変態・析出・規則化)
二つの安定相を持つために、ダブルウェル(例:
:エネルギー障壁(界面の鋭さや界面エネルギーに効く) - h
:相補間関数(例: など) :相間の自由エネルギー差(化学駆動力、応力場、磁場、蓄積ひずみエネルギーなどを含められる)
このとき、
の関係が使える。
3.2 多結晶の粒成長:多相・多秩序変数(multi-phase-field)
を課すモデルが多い。自由エネルギーの一例は
であり、時間発展は制約付きの Allen–Cahn 型になる(ラグランジュ未定乗数
と書ける。粒界エネルギー σ_ij、粒界モビリティ
蓄積ひずみエネルギー
のように追加し、
3.3 結晶方位を場で持つ:orientation-field(KWC 系など)
粒占有
- 粒界でのみ
の勾配エネルギーが効くように、 (または粒界指標場)と結合させる - 粒界エネルギーの方位差依存(Read–Shockley 型など)を自由エネルギーに反映する
この系では
4. Allen–Cahn と金属組織
4.1 粒成長(grain growth)
- 駆動力:粒界曲率による界面エネルギー低下
- 実装:多相
もしくは 方位場 - 出力:平均粒径、粒径分布、三重点角度、粒界エネルギー総量の減少
4.2 固相変態・析出( 、析出相の成長)
- 駆動力:化学自由エネルギー差 Δg、弾性ミスフィット、界面エネルギー
- 実装:相場
(Allen–Cahn)+ 濃度 (Cahn–Hilliard) - 出力:体積分率、形態(板状・球状)、成長速度、時効硬化などの指標
4.3 規則化・逆位相ドメイン(APB coarsening)
- 駆動力:規則度の回復(秩序パラメータ)、逆位相境界の界面エネルギー
- 実装:規則度
の Allen–Cahn(場合により複数秩序変数) - 出力:ドメインサイズ、APB 面積密度、粗大化則
5. 数値解法の安定性・収束・スケール
5.1 空間離散:FDM / FEM / スペクトル法
- FDM:実装が軽い。規則格子に強い。複雑形状や適応メッシュは苦手になりやすい
- FEM:複雑形状・境界・不均一メッシュ・適応化に強い。大規模計算でのソルバ選択が鍵になる
- スペクトル法:周期境界と整形領域で高精度。FFT と相性が良い
5.2 時間積分:エネルギー減少構造を壊さない
Allen–Cahn は反応拡散型であり、非線形項の扱いによって安定性条件が変わる。代表的な考え方は次の通りである。
- 陽解法:単純だが
が厳しく小さくなりやすい - 半陰解法:拡散項を陰的にして安定性を改善する
- 逐次線形化:非線形を Newton などで解く(反復回数とコストが増える)
- エネルギー安定化(convex splitting 等):自由エネルギーの凸・凹分解で、離散化後も
が単調減少するよう設計する
5.3 代表的な設定指針
- 界面幅 δ:少なくとも数格子点で解像(例:5–10 点)
- Δt:まずエネルギー
が非増加となる範囲を探索し、収束試験( と )を行う - 初期条件:ノイズの与え方で核生成挙動が変わるため、目的に応じて統一する
- 境界条件:周期境界は統計量評価に便利、Neumann 境界は孤立系近似に便利
6. 解析・可視化で見るべき量
- 自由エネルギー
とその内訳(局所項、勾配項、弾性項など) - 相分率・秩序度の時間発展(Avrami 型の整理ができる場合がある)
- 粒径分布、粒界長/面積密度、ミスオリエンテーション分布
- 速度場(必要なら):界面法線速度
を等値面追跡で評価する
7. 公開実装・計算基盤の選択肢
Allen–Cahn を含むフェーズフィールドは、自由エネルギーを書くと方程式が決まるという構造が明確なため、汎用フレームワークと相性が良い。
- MOOSE Phase Field:FEM ベースで Allen–Cahn / Cahn–Hilliard を体系化している
- PRISMS-PF:大規模並列を意識したフレームワークとして整備されている
- FiPy:教育・検証・試作に適した PDE 解析環境として例題が豊富である
- NIST の Phase-Field Recommended Practices:検証、数値実装、問題設定の勘所を整理している
自作コードで最初に固めるべきは、(i) エネルギー単調減少の検証、(ii) 収束試験、(iii) 物理量へのキャリブレーション方針(
8. よくある落とし穴
- 界面幅
を変えると結果が変わる:薄界面極限・定量モデル・パラメータ再調整が必要である - 粒数
が大きい モデルはメモリと計算量が増える:方位場モデルや粒のリマッピングなどが検討対象となる - 方位場(KWC 系)は特異項が数値的に効く:正則化と安定化が不可欠である
- 濃度場と結合すると時間スケールが硬くなる:陰解法や分割法、前処理付き反復法が重要である
まとめ
Allen–Cahn 型フェーズフィールドは、金属組織の「界面が動いて形が変わる」問題を自由エネルギーに基づいて統一的に記述できる枠組みである。粒成長・相変態・規則化を同じ方程式骨格で扱える一方、界面幅の解像、エネルギー減少構造を保つ離散化、物理量(界面エネルギー・モビリティ)への対応付けが結果を支配するため、検証とキャリブレーションを設計の中心に据えるべきである。