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コヒーレント回折イメージング(CDI)の原理

コヒーレント回折イメージング(Coherent Diffraction Imaging, CDI)は、コヒーレントなX線で得た回折強度から、計算により位相を復元して実空間像を再構成するレンズレス顕微法である。回折限界に迫る空間分解能と、電子密度・歪み・化学状態コントラストなどへの拡張性により、ナノスケールの構造と機能の結びつきを直接扱える枠組みとなる。

参考ドキュメント

  1. J. Miao, T. Ishikawa, I. K. Robinson, M. Murnane, Diffractive imaging using coherent X-ray light sources, Science (2015) https://www.ucl.ac.uk/~ucapikr/Miao_Science_review_final.pdf
  2. P. Thibault, A. Menzel, Coherent imaging at the diffraction limit, Journal of Synchrotron Radiation (2014) https://journals.iucr.org/s/issues/2014/05/00/vv5079/vv5079.pdf
  3. 高橋 幸生, コヒーレント X 線回折イメージング(解説), J-STAGE(2013) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshpreview/23/3/23_237/_pdf

1. CDIの基本発想:レンズの役割を計算で置換する

通常の顕微鏡はレンズで散乱波を集光し、像面で干渉させて像を作る。一方、X線では高NA・低収差のレンズ作製が難しく、レンズ性能が分解能の上限になりやすい。CDIはこの制約の回避として、試料を透過・散乱した波(出口波)の回折強度を検出面で測定し、その強度情報だけから波の位相を推定して像を作る。

ここで本質は、検出器が測るのは電場の複素振幅ではなく強度 I である点である。すなわち

  • 測定できるのは |Ψ(q)|2(フーリエ空間の振幅の二乗)
  • 欲しいのは Ψ(q) の位相 argΨ(q) であり、この欠落した位相を制約条件を用いて復元するのが位相回復(phase retrieval)である。

2. 前方問題の数式:出口波と回折像

CDIの基本では、試料を通過した直後の波(出口波)を

ψexit(r)=P(r)O(r)

と表す。ここで P(r) は照明の複素振幅(プローブ)、O(r) は試料の複素透過関数(オブジェクト)である。

遠方(Fraunhofer)近似が成り立つとき、検出面での散乱振幅はフーリエ変換で与えられ

Ψ(q)F[ψexit(r)]

検出器が測定する回折強度は

I(q)=|Ψ(q)|2

である。したがって、CDIは

  • 既知:I(q)
  • 未知:O(r)(あるいは ψexit(r)) を満たす逆問題として定式化される。

なお、Fresnel領域(近接場)では回折は単純なフーリエ変換ではなく伝搬積分(フレネル回折)で記述されるが、同様に「強度から複素波面を再構成する」という構造は不変である。

3. 位相問題とオーバーサンプリング

結晶学ではブラッグ点の強度が離散的に得られるため、位相が不足する「位相問題」が根源的制約となる。CDIでは、非周期(有限支持)な試料の連続回折像を検出器で細かくサンプリングすることで、未知数に対して測定点数が十分多い状況を作る。

この重要条件がオーバーサンプリングである。離散格子上での直観的表現として、試料像が有限領域(サポート)に局在すると仮定し、そのサポート幅より細かい格子で回折パターンをサンプリングすると位相回復が可能になる。オーバーサンプリング比 σ は概念的に

σ=測定した回折強度点数未知の実空間画素数

のように表され、$ \sigma > 2 $ 程度が経験的指標として用いられることが多い(厳密条件は測定幾何・制約・ノイズで変化する)。

オーバーサンプリングが与えるのは「情報量の余剰」であり、これに

  • サポート制約(試料が存在する領域は有限)
  • 非負制約(例:吸収がない極限で電子密度は非負)
  • 実在性、滑らかさ、既知の対称性 などの実空間制約を組み合わせて位相を絞り込む構造となる。

4. コヒーレンスは何を決めるか:スペックル

CDIの回折像は、単なる輪郭ではなく干渉縞(スペックル)を含む。スペックルの細かな構造が位相回復の情報源であるため、空間・時間コヒーレンスが十分でないと干渉が平均化され、回折像がぼやけて逆問題が劣決定化する。

4.1 横方向(空間)コヒーレンス

横方向コヒーレンス長 ξ は、概略として源サイズ s、光源から試料までの距離 L、波長 λ に対して

ξλLs

のようにスケールする(厳密にはビームライン光学・開口で変わる)。CDIでは試料サイズや照明径に対して ξ が十分大きいほど、スペックルコントラストが高くなる。

4.2 縦方向(時間)コヒーレンス

縦方向コヒーレンス長 ξ は、中心波長 λ とスペクトル幅 Δλ を用いて

ξλ2Δλ

と見積もられる。単色性が悪いと干渉縞が平均化され、位相回復に必要な高周波情報が失われやすい。

5. 位相回復アルゴリズム:フーリエ空間と実空間の往復

CDIの再構成は、フーリエ空間(検出器面)と実空間(試料面)を往復しながら、両空間での制約を交互に満たす反復法として実装されることが多い。

最小構成の考え方は次の通りである。

  1. 初期位相を仮定して Ψ0(q) を作る
  2. 逆フーリエ変換で実空間へ戻し ψ0(r) を得る
  3. 実空間制約(サポート、非負など)を適用して ψ~0(r) を作る
  4. フーリエ変換で Ψ~0(q) を得る
  5. 測定強度を満たすように振幅を置換し
Ψ1(q)=I(q)exp[iargΨ~0(q)]
  1. 収束まで反復する

この枠組みの代表が Gerchberg–Saxton 型、Fienup の Error-reduction(ER)や Hybrid input-output(HIO)、difference map などである。厳密な一意性は一般に保証されないが、十分なオーバーサンプリングと適切な制約があると、物理解に近い解に収束しやすい。

6. 分解能:最大散乱ベクトル

CDIの空間分解能は、測定できた最大散乱角(最大空間周波数)で概ね決まる。散乱ベクトルの大きさ q=|q|

q=4πλsinθ

とすると、最大 qmax に対して実空間分解能 Δr

Δrπqmaxλ4sinθmax

のように見積もられる(係数は定義や再構成条件で変わる)。

この関係は「検出器の外縁までどれだけ高角散乱を測れるか」が分解能を支配することを意味する。したがって、波長(光子エネルギー)、試料–検出器距離、検出器サイズ、ビームストップの大きさなどが、最終像の情報帯域を規定する。

7. CDIの実装:何を再構成するかで分かれる

CDIは一つの実装ではなく、前方モデルと制約の組により多様な派生がある。ここでは材料・固体系で頻出の分岐を整理する。

7.1 透過型CDI(小角散乱型、平面波照明)

薄膜・ナノ粒子・微細加工試料などで、透過(前方散乱)領域の回折像を測る方式である。再構成される O(r) は複素量になり得て、位相は屈折率分布や投影電子密度と関係する。

試料の複素屈折率 n=1δ+iβ を用い、厚さ方向 z に沿った位相・吸収の投影として

O(x,y)exp[kβ(x,y,z)dz]exp[ikδ(x,y,z)dz]

のように理解できる(k=2π/λ)。

7.2 Fresnel CDI(近接場・曲率のある照明)

照明に曲率を持たせたり近接場で測ったりすると、回折像がフレネル領域の伝搬を含む。これは「より大きな視野」や「試料位置の自由度」を得る設計につながる一方、前方モデルが変わるため再構成も伝搬演算子を取り込む形になる。

7.3 走査型CDI(X線タイコグラフィ、ptychography)

照明プローブを局所化し、試料上を重なりを持って走査して多数の回折像を測る方式である。走査点間の重なりが強い冗長性となり、位相回復が安定しやすい。さらに、試料 O(r) だけでなくプローブ P(r) も同時に推定できるため、光学系の微小変動を含めた自己整合的再構成が可能になる。

7.4 ブラッグCDI(BCDI):結晶ナノ粒子の変位場・歪み場

結晶のブラッグ反射近傍のコヒーレント回折を測り、三次元の複素像を再構成する方式がBCDIである。回折空間はブラッグ条件に対応するエワルド球上の局所領域であり、試料をロッキング(角度走査)して三次元回折強度 I(q) を得る。

BCDIで得られる再構成像は概ね

ρ(r)exp[iϕ(r)]

の形をとり、位相 ϕ(r) は格子変位 u(r) の散乱ベクトル方向成分に対応して

ϕ(r)=Qu(r)

と解釈される(Q は選んだブラッグ反射の散乱ベクトル)。したがって、位相勾配から歪み(変位勾配)を推定でき、欠陥・界面・成長歪みなどを三次元で可視化できる。

8. 手法の位置づけ

区分測る量再構成する量試料条件強み主要な制約
レンズ結像(X線顕微鏡)像面強度実空間像レンズが必要直感的、実時間性レンズ性能・収差が上限
透過型CDII(q)(前方散乱)2D/3Dの O(r)有限支持が望ましい回折限界に迫る分解能位相回復の不定性、欠損データ
Fresnel CDI近接場強度複素波面/像幾何が柔軟視野拡張や配置自由度前方モデルの精度が要る
タイコグラフィ走査点ごとの Ij(q)O(r)P(r)拡がった試料も可冗長性が高く安定走査点数が多い
BCDIブラッグ近傍の I(q)(3D)ρ(r)ϕ(r)良質結晶ナノ粒子など変位・歪みを3Dで取得反射選択、角度走査が必要

9. 逆問題の不定性と再構成像の解釈

CDIの位相回復には、一般に次の自由度や曖昧さがある。

  • 全体位相:O(r) に一定位相を掛けても I(q) は不変である
  • 並進:実空間像の平行移動はフーリエ空間の位相因子に対応し、強度は不変である
  • 双対像(twin image):対称条件によっては O(r)O(r) が同等に現れる場合がある
  • 欠損領域:ビームストップ等により低 q が欠けると、平均密度や長波長成分の不確かさが増える

BCDIではさらに、位相の 2π 周期性に伴う位相アンラップが必要になる場合がある。また、位相は Q 方向の変位成分であるため、完全なベクトル変位場を得るには複数のブラッグ反射を組み合わせる設計が必要になる。

10. 多次元化:3D再構成、時間分解、分光コントラスト

CDIは、測定軸を追加することで「多次元像」へ拡張できる枠組みである。

10.1 三次元化

透過型では試料回転による回折トモグラフィの考え方と結びつき、三次元密度像へ拡張される。BCDIはブラッグ近傍の三次元逆空間を測るため、単一粒子の三次元像を与える。

10.2 時間分解

ポンプ・プローブ配置により、相転移・相分離・欠陥移動などの過程を時間軸で追跡できる。CDIは干渉縞に情報があり、パルスごとの揺らぎを統計的に利用する設計とも相性が良い。

10.3 分光・共鳴拡張

吸収端近傍(共鳴条件)で測ると、元素選択性や化学状態コントラストが増し、磁性コントラスト(円偏光と組み合わせる共鳴磁気散乱)などへも拡張できる。これは「像の複素量」が物性量と結びつくことを意味し、単なる形状観察から状態観察へ重心を移す。

11. 施設・光源の進展とCDIの関係

CDIは、コヒーレンスと光子数の双方に敏感である。次世代放射光(低エミッタンス)では横方向コヒーレントフラックスが増え、短時間で高コントラストの回折像を得やすくなる。XFELではフェムト秒の極短パルスにより、非平衡過程を凍結した状態での回折像取得や、強励起下での新たな散乱応答の探索が可能になる。ただし、パルスごとのスペクトル・強度の揺らぎを取り込んだ解析設計が重要になる。

まとめ

CDIは、回折強度 I(q) のみから位相を復元し、レンズなしで実空間像を再構成することで、回折限界に迫る空間分解能を得る手法である。オーバーサンプリングと実空間制約が位相回復を可能にし、タイコグラフィでは冗長性により安定性が増し、BCDIでは位相が変位場 ϕ(r)=Qu(r) と結びついて歪みの三次元可視化へ到達するのである。

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