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材料科学の未解決問題-2025

材料科学の未解決問題は、原子スケールの電子状態から巨視的な機械・電気・化学機能までが連鎖する「階層性」と、加工・使用環境により絶えず状態が変わる「非平衡性」に起因して難しいのである。したがって、単一の理論や単一の計測で閉じるのではなく、界面・欠陥・微細組織・反応場を含む多自由度系を、定量的に結び付ける枠組みの確立が中心課題である。

参考ドキュメント

1. 未解決問題が生まれる構造:状態の履歴

材料の性質は、組成だけでなく、微細組織(相分率、結晶粒径、析出物、転位密度、残留応力、粒界状態など)と、さらにそれを生む加工条件(熱処理、塑性加工、溶接、凝固条件、薄膜成長、積層造形条件など)に強く依存する。ここで重要なのは、微細組織が「熱力学平衡だけ」で決まらず、拡散・核生成・界面移動・応力場・電場・化学反応などの速度過程により決まる点である。ゆえに「同じ組成でも別物」となることが珍しくなく、予測科学としての材料科学を難しくしているのである。

材料科学の基礎的な記述は、自由エネルギーと速度論の結合としてまとめられることが多い。たとえば、相分離や析出の駆動力はギブズ自由エネルギーで与えられ、

G=HTS

で定義される。平衡相は、有限温度での G の最小化により決定される。しかし実材料では、平衡相に到達する前に加工が完了し、あるいは使用環境が変化するため、非平衡の準安定状態が物性を支配する場合が多い。

2. 主要な未解決問題

材料科学の未解決問題は、個別材料系(鉄鋼、セラミックス、電池、触媒、半導体など)に固有の課題を含む一方で、次のような共通構造をもつ。

  • A. 物性の「因果鎖」を同定できない問題(電子状態→欠陥→組織→機能)
  • B. 界面・粒界が支配する問題(粒界偏析、界面反応、接合、複合材料界面)
  • C. 非平衡・長時間劣化の問題(腐食、疲労、照射損傷、電池劣化、水素脆化)
  • D. 無秩序系の記述子が不足する問題(ガラス転移、アモルファス、乱れた固溶体)
  • E. 多目的最適化の問題(高強度と延性、伝導と安定性、活性と耐久性など)
  • F. データ・計測・計算を統合した「予測」の確度が不足する問題(不確かさの定量)

以下では、これらを具体的な研究テーマとして掘り下げる。

3. 物質探索を「速く、確からしく」

高性能材料の探索は、探索空間の爆発(多元系組成、欠陥、温度圧力、加工条件、界面条件)により困難である。計算とデータ基盤により探索を加速する構想は広く進展しているが、次の点は未解決のままである。

  1. 探索空間の表現(記述子)
    材料の候補を「何次元の座標」で表すかは本質的である。結晶であれば原子配置や対称性を用いることができるが、実材料は転位・粒界・析出物・空孔・酸化皮膜などが複雑に絡む。これらを同一の記述子の上で扱う「表現の統一」は未だ確立していない。

  2. データの異質性と比較可能性
    第一原理計算、実験、シミュレーション、文献抽出データは、条件(温度、欠陥濃度、計測系、解析法)がそろわない。したがって、単純な回帰や分類では一般化が難しく、条件の差を含めたモデル化や不確かさの扱いが要点となる。

  3. 未知領域での外挿と妥当性
    材料開発で重要なのは「未知領域の予測」である。学習済みモデルの外側に出たとき、どの程度信用できるかを定量化する枠組み(不確かさ推定、ベイズ推論、物理拘束)が不足している。

4. 微細組織の予測:非平衡組織の定量設計

材料の強度・延性・磁性・伝導・拡散抵抗などは、微細組織の幾何と統計に依存する。微細組織形成は、核生成・成長・粗大化・相変態・再結晶などが絡む多過程であり、以下が未解決である。

4.1 核生成の定量:界面自由エネルギーと欠陥場の支配

基本モデルである古典核生成理論(CNT)では、球状核の形成自由エネルギーは

ΔG(r)=4πr2γ+43πr3Δgv

で記述され、臨界半径 r と障壁 ΔG が導かれる。しかし実材料では、核生成は転位や粒界などの欠陥上で起きやすく、さらに弾性ひずみや化学偏析を伴う。界面自由エネルギー γ の方向依存性や、欠陥場を含めた核生成障壁の定量は依然として難しい。

4.2 相分離・組織粗大化の多場連成

相分離は濃度場 c(r,t) の時間発展として Cahn–Hilliard 方程式で表されることが多い。

ct=(Mμ),μ=δFδc

ここで F[c] は自由エネルギー汎関数、M は移動度である。実材料では、濃度場に加え、応力場・電場・温度場・欠陥密度場などが強く結合するため、単独の濃度方程式では再現性が不足しやすい。多場連成を、計算可能な複雑度で保ちつつ、実測と整合させることが未解決である。

5. 界面・粒界:材料性能の境界条件

界面や粒界は、拡散・破壊・腐食・電気化学反応・磁気異方性・熱抵抗などに決定的影響を及ぼす。しかし粒界は三次元的で不均一であり、同じ粒界の指数(ミラー指数や対応格子)でも偏析・局所構造が変わる。

5.1 粒界の状態相の理解と制御

粒界は単なる幾何学的境界ではなく、温度・組成・偏析によって複数の準安定状態(粒界の状態相)を取り得ると整理されている。このような粒界状態の転移は、粒成長挙動や脆化・液体金属脆化などに直結するが、粒界の自由エネルギー・エントロピー、偏析の統計力学、局所構造の同定といった困難が残る。

5.2 接合・複合材料界面:反応層と残留応力

金属–セラミックス、電極–電解質、薄膜–基板などの界面では、反応層の形成と機械的不整合(熱膨張差、弾性率差)が同時に現れる。反応層を抑えると接合が弱くなり、強固にすると抵抗や脆化が生じるなど、多目的制約が強い。界面反応の速度論と、界面近傍の応力集中・破壊の連成が未解決である。

6. 劣化と破壊:長時間現象

材料は使用中に変質し、破壊する。とくに、腐食・水素脆化・疲労・照射損傷・電池劣化は、長時間・多場・確率性の三重苦を持つ。

6.1 水素脆化:機構の統一と局所水素の定量

水素脆化は、鋼や高強度合金で顕在化し、破壊靱性や遅れ破壊に直結する。水素の侵入、拡散、トラップ、転位運動、粒界・介在物、相変態が絡み、機構として HELP(Hydrogen-Enhanced Localized Plasticity)や HEDE(Hydrogen-Enhanced Decohesion)など複数の描像が提案されてきた。局所水素濃度と応力場・欠陥場の同時測定、原子スケールのトラップ状態の同定、破壊の確率論的記述などがなお困難である。

6.2 腐食:環境の複雑性と局部腐食

腐食は電気化学反応であり、温度、湿度、塩、酸素、流体、微生物、応力などの影響を同時に受ける。全面腐食だけでなく孔食・すきま腐食・応力腐食割れなどの局部現象が支配的であり、局所電位や皮膜破壊の確率性が大きい。機構モデルとデータ駆動モデルを整合させ、条件依存性を統一的に扱うことは未解決である。

6.3 疲労:亀裂萌芽の統計と微視組織の依存性

疲労寿命の分散は大きく、初期欠陥の分布、介在物、表面状態、結晶方位分布、転位構造の変化に敏感である。結晶塑性モデルや破壊力学に基づく寿命評価は進んでいるが、亀裂萌芽の確率論と、微細組織の実測に基づく個体差の取り込みが課題である。

7. 無秩序系:構造記述子の不足

ガラス転移は、粘性液体が構造緩和を失い固体様になる現象であり、統計物理と材料科学の接点にある未解決問題である。ガラス転移温度 Tg の起源、緩和時間の急増、動的不均一性の普遍性などは、単一の秩序変数で記述しにくい。

緩和時間 τ の温度依存は、アレニウス型

τ(T)=τ0exp(EakBT)

から大きく外れ、脆いガラス形成液体では Vogel–Fulcher–Tammann(VFT)型

τ(T)=τ0exp(DT0TT0)

が用いられることが多い。だが、T0 の物理的意味や、実材料のガラス形成能・安定性・塑性変形の普遍則は確立途上である。金属ガラス、酸化物ガラス、高分子ガラス、MOFガラスなど材料群を跨いだ統一的記述子は未だ不足している。

8. エネルギー材料:界面反応と耐久性

エネルギー材料では「高性能」と「長期安定」が同時に要求されるが、両立が難しい。

8.1 全固体電池:固体電解質界面とデンドライト

全固体電池は安全性と高エネルギー密度が期待されるが、固体電解質と電極界面での反応、接触不良、リチウムデンドライト(枝状析出)などが障壁となる。界面抵抗と機械破壊の連成、電気化学ポテンシャル勾配下での欠陥形成などが未解決である。界面の動的変化を operando で追跡し、反応・力学・輸送を同時にモデル化する必要がある。

8.2 ペロブスカイト太陽電池:高効率と長期安定性の両立

ペロブスカイト太陽電池は高効率であるが、水分・酸素・光・熱による劣化、イオン移動、界面反応が長期安定性を損なう。劣化経路が材料組成・界面設計・封止条件で変わるため、劣化機構の整理と寿命予測が難しい。材料内部の欠陥準位だけでなく、粒界・界面でのトラップや反応が支配的になり得る点が重要である。

8.3 触媒:活性と選択性と耐久性の制約

触媒では、表面吸着エネルギーと反応障壁の関係(スケーリング則)により、活性と選択性の独立制御が難しい場合がある。また、作動中に表面が再構成し、活性相が動的に変わる(operando 状態が平衡表面と異なる)ことが多い。作動環境下の原子配列と反応中間体を同定し、設計変数として扱うことが未解決である。

9. 多元系合金:相安定性と拡散の予測

多元合金は設計自由度が高い一方で、相図が膨大となり、相安定性や析出挙動、粒界偏析の予測が難しい。計算熱力学(CALPHAD)は強力であるが、評価済み熱力学データが不足する領域、短距離秩序、欠陥寄与、非平衡凝固などが絡むと難度が上がる。

CALPHAD の基本は、相 p のギブズ自由エネルギー G(p)(T,{xi}) をモデル化し、全自由エネルギーの最小化により平衡を求める点にある。

Gtotal=pf(p)G(p)(T,{xi(p)}),pf(p)=1

しかし、多元・欠陥・非平衡を含む「実際の加工プロセス」をどこまで同一枠組みで扱えるかは未解決である。

10. 先端製造:プロセス起因の欠陥と組織

金属積層造形では、急速溶融・急速凝固・繰り返し熱履歴が同時に起こり、気孔、未溶融、割れ、残留応力、組織異方性が生じる。温度場の推定、溶融池の流動、凝固組織、欠陥生成を一貫して結び付けることは難しく、さらに材料ごとに支配要因が変わる。不確かさを含めた予測と、計測(溶融池観察、X線その場計測など)との整合が課題である。

11. 未解決問題の比較表

領域中核となる問い難しさの源関連する基礎式・概念代表的なアプローチ群
微細組織形成加工条件→組織統計→物性を定量で結ぶには何が必要か非平衡・欠陥・多場連成G=HTS、拡散、核生成、相場方程式相場法、kMC、MD、in situ 計測
粒界・界面粒界状態(偏析・complexion)が物性をどう決めるか3D不均一、局所化学、統計性界面自由エネルギー、偏析熱力学APT/TEM、第一原理、統計力学モデル
水素脆化機構を統一し、局所水素と破壊を結び付けられるか水素検出の難しさ、マルチ機構拡散・トラップ、転位、粒界破壊operando 計測、マルチスケール計算
腐食局部腐食の発生確率と成長を予測できるか環境変動、局所電位、皮膜破壊電気化学反応、輸送、確率過程反応輸送モデル、データ駆動、融合モデル
ガラス・アモルファス構造記述子と緩和の普遍則は何か無秩序、動的不均一、長時間VFT、緩和、エネルギー地形散乱・分光、MD、機械学習記述子
全固体電池界面抵抗とデンドライトを同時に抑えられるか反応と力学の結合、界面動力学化学ポテンシャル、力学、輸送operando、界面設計、連成モデル
ペロブスカイトPV劣化経路を設計変数として扱えるかイオン移動、界面反応、環境因子欠陥準位、反応、輸送安定化化学、界面工学、寿命モデル
多元合金相安定性・拡散・偏析を高精度に扱えるか組成空間の爆発、データ不足CALPHAD、短距離秩序熱力学DB整備、第一原理、ML

12. 研究の文脈:界面・計測・統合の重視

日本では、構造材料を中心に「界面が支配する未解決課題」や、計測・計算・データ統合による材料設計が強く意識されてきた。界面の機能と破壊、溶接・接合の信頼性、時間依存特性、熱力学基盤の整備などを束ね、材料統合(マテリアルズ・インテグレーション)として組織・特性・プロセスの連関に焦点が当てられている。

まとめと展望

材料科学の未解決問題は、(i) 界面と欠陥が支配する局所現象、(ii) 非平衡過程が生む履歴依存性、(iii) 多自由度ゆえの予測不確かさ、の三点に集約されるのである。今後は、作動環境下(operando)での状態同定と、熱力学・速度論・力学・電気化学を結ぶ連成モデル、さらに不確かさを含めたデータ統合が進むことで、「材料の性質を説明する科学」から「材料の性質を狙って実現する科学」へと段階的に移行していく展望がある。

参考文献