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中性子ビームの基本

中性子ビームは、原子核および磁気モーメントと相互作用する量子波として物質を透過し、結晶構造・ナノ組織・磁性・格子ダイナミクスを一つの散乱理論で記述できる計測手段である。特に同位体と軽元素、ならびに磁気秩序への感度は、X線や電子線と相補的な情報を与える。

参考ドキュメント

1. 中性子の量子波としての性質

中性子は電荷を持たないスピン1/2粒子であり、外部電場により大きく曲げられにくく、物質中では主に原子核との相互作用(核散乱)と、磁気モーメントによる相互作用(磁気散乱)で情報を得る。電荷を持たないことは、厚い試料・容器越しでも内部情報を取り出せる可能性に直結する。

1.1 ド・ブロイ波長とエネルギー

中性子を非相対論的粒子として扱うと、運動量 p と波長 λ

λ=hp=hmnv

で結ばれる。ここで h はプランク定数、mn は中性子質量、v は速度である。運動エネルギー E

E=p22mn=h22mnλ2

となる。材料研究で中心となる熱中性子・冷中性子は、Å〜nmの波長領域と meV 程度のエネルギー領域を占め、原子配列(Å)からナノ構造(nm)、さらにフォノンやマグノンの励起(meV〜100 meV程度)へ自然に整合する。

1.2 スピンと磁気モーメント

中性子はスピン角運動量 S を持ち、磁気モーメント μn を持つ。磁気散乱は、電子スピン密度および軌道磁気モーメントが作る磁場成分に結合し、磁気秩序の空間変調やスピン励起の分散関係の測定へつながる。これは核散乱だけでは得られない情報チャネルである。

2. 中性子ビームの生成:研究炉とスパレーション

材料研究に供される中性子は、研究炉(連続)または加速器スパレーション(パルス)で生成される。両者は時間構造と装置設計が異なり、測定法の実現形態にも差が生じる。

2.1 研究炉(連続ビーム)

研究炉では核分裂反応で中性子が連続的に生成され、減速材・冷中性子源・中性子導管(ガイド)により、実験ホールへ取り出される。日本では JRR-3 が代表的であり、ビーム実験装置群が運用されている。連続ビームは、回折や三軸分光など、単色化(モノクロメータ)と角度走査の組を基礎に発展した装置構成と相性がよい。

2.2 スパレーション(パルス中性子源)

スパレーションでは、高エネルギー陽子を重金属標的(例:Hg)に入射し、多数の高速中性子を発生させる。高速中性子はモデレータで熱・冷領域に減速され、ガイドにより各ビームラインへ輸送される。パルス構造により、飛行時間(TOF)から波長・エネルギーを割り当てられる点が要である。

日本では J-PARC MLF がパルススパレーション中性子源を備え、複数の中性子ビームラインと装置群が整備されている。例えば BL20 iMATERIA は粉末回折の高効率測定を志向した装置として設計されている。

2.3 減速(モデレータ)とビーム輸送

生成時の中性子は高速であるため、減速材で散乱を繰り返して熱化させる。冷中性子を得るためには低温モデレータが必要となり、波長分布・パルス幅・強度はモデレータ設計に強く依存する。ビーム輸送では、ガイド管(全反射を利用した輸送)、コリメータ、チョッパ(時間窓の整形)、モノクロメータ(単色化)、偏極子(スピン選別)などの要素が組み合わさる。

3. 中性子散乱の基礎:散乱長と断面積

中性子散乱で中心となる概念は、原子核に対する散乱長 b と、そこから定義される散乱断面積である。単一散乱体からの等方散乱を最も単純に書けば

dσdΩ=|b|2

であり、全散乱断面積は

σ=4π|b|2

となる。

3.1 干渉性散乱と非干渉性散乱

実試料では、同位体混在や核スピン状態により b が揺らぐ。平均化すると、散乱は干渉性成分と非干渉性成分に分解される。

σcoh=4πb2,σinc=4π(b2b2)

干渉性成分は回折ピークや構造因子に結びつき、非干渉性成分は背景や局所運動(拡散や回転)に強く現れる。

3.2 同位体・軽元素への感度とコントラスト

核散乱長は原子番号 Z に単調ではなく、同位体でも大きく変わる場合がある。この性質により、軽元素(H, Li, B など)や同位体置換(典型例として H/D 置換)で散乱コントラストを設計できる。これは、高分子・溶液・水素吸蔵材料・電池材料などの構造解析で強い武器となる。

3.3 吸収と透過:減衰係数の考え方

中性子は透過能が高い一方、核種によっては吸収が大きい。透過はビール・ランベルト型に

I=I0exp(Σtx)

と表せる。ここで Σt は巨視的全断面積、x は厚さである。吸収が大きい核種(例:B, Cd, Gd など)を含む場合には、試料厚みや波長選択が測定成立に強く影響する。

4. 散乱の運動学:Qω

観測量は運動量移行 $Q とエネルギー移行 ħω で整理される。入射波数 k=2π/λ、散乱角 2θ を用いると

Q=kk,|Q|=4πλsinθ

である。

4.1 弾性散乱と回折:Bragg 条件

弾性散乱では |k|=|k| であり、結晶の周期性があると逆格子点で強め合いが生じる。回折の基本式は

2dsinθ=nλ

であり、d は格子面間隔である。粉末試料では方位平均によりリングとして観測され、単結晶では逆空間マッピングとして観測される。

4.2 非弾性散乱:動的構造因子

非弾性散乱ではエネルギー交換が起き、二重微分断面積は

d2σdΩdEkkS(Q,ω)

と書かれる。S(Q,ω) は動的構造因子であり、フォノン、マグノン、結晶場励起、拡散などを統一的に記述する。磁気散乱の場合はスピン相関関数が対応する。

4.3 TOF(飛行時間)での波長割り当て

パルス中性子源では、飛行距離 L、到達時間 t から速度 v=L/t が得られ、

λ=hmnv=htmnL

となる。したがって検出器時系列は波長スペクトルとして読み替えられる。パルス幅、チョッパ窓、検出器時間分解能がエネルギー分解能に直結する。

5. 代表的測定法と得られる情報

中性子計測は、構造(弾性)と励起(非弾性)を軸に多数の派生法を持つ。以下では基本的分類で整理する。

手法主観測量主スケール得られる情報
粉末回折I(Q)(弾性)Å結晶構造、原子位置、占有率、熱振動、磁気回折
単結晶回折I(Q)(弾性)Å対称性、変調構造、磁気構造、散漫散乱
小角散乱(SANS)I(Q)(小Q)nm〜100 nmナノ析出、孔、クラスタ、相分離、相関長
反射率R(Qz)nm(深さ)薄膜・多層膜の深さプロファイル、界面粗さ
非弾性散乱S(Q,ω)Å〜nm, ps〜nsフォノン・マグノン分散、励起寿命、相互作用
スピンエコー中間散乱関数nm, ns〜μs緩慢ダイナミクス、粘弾性、磁気ゆらぎ
イメージング透過像・位相像μm〜mm内部欠陥、水素分布、流動、磁場の可視化(条件依存)

5.1 SANS の基本式:形状因子と相関

SANS では小さな Q における散乱強度を解析する。基本形は

I(Q)=Δρ2V2P(Q)S(Q)+background

である。ここで Δρ は散乱長密度のコントラスト、V は散乱体体積、P(Q) は形状因子、S(Q) は相互相関(構造因子)である。コントラスト設計(H/D置換、相分離相の選択)が解析自由度を大きくする。

5.2 反射率:深さ方向の散乱長密度

薄膜・多層膜では、入射角と鏡面反射強度から深さ方向の散乱長密度(SLD)プロファイルを推定する。臨界角は平均SLDに依存し、界面粗さは反射率の高Q_{z}側の減衰に現れる。磁性薄膜では偏極中性子反射率により、核SLDと磁気SLDを分離できる。

5.3 非弾性散乱:フォノンとマグノン

フォノンは原子核散乱を通じて、マグノンは磁気散乱を通じて観測される。測定される分散関係 ω(Q) は、弾性定数・交換相互作用・異方性・スピン格子相互作用などのモデルパラメータの同定を可能にする。偏極解析を併用すると核散乱と磁気散乱の分離が進む。

5.4 中性子イメージング:透過・位相・共鳴

透過像は Σt の空間分布を反映し、H を含む物質や水の分布に強い感度を持つ。さらに、エネルギー選択(共鳴吸収領域)と組み合わせると、核種選択的な情報が得られる場合がある。TOFイメージングでは、波長ごとの透過差を利用する設計も可能である。

6. 磁性と中性子:磁気散乱の要点

磁気散乱は中性子磁気モーメントと電子スピン密度の相互作用に由来し、磁気モーメントの空間配置とその相関を観測する。磁気回折は磁気秩序の周期性を、非弾性磁気散乱はスピン励起の分散と寿命を与える。

磁気散乱強度は一般に磁気形状因子 f(Q) により高Q側で減衰しやすい。したがって磁気信号の取り出しは、適切な Q 範囲選定と背景制御が重要になる。核散乱と磁気散乱は同一検出器で重畳するため、偏極解析や温度・磁場依存を用いた差分が有力になる。

7. X線・電子線との相補性

中性子は「核」「磁性」「透過」の観点で独自性を持つ一方、空間分解能や測定時間、試料量の要請などで他手法と補完関係にある。

観点中性子X線電子線
相互作用原子核・磁気モーメント電子密度クーロン相互作用(強い)
軽元素・同位体強い利点がある弱い場合が多い条件により可能だが厚試料は難しい
透過能高いことが多い中程度低い(薄膜・薄片が基本)
磁性直接感度がある共鳴条件などが必要ローレンツ法などだが条件が異なる
時間構造連続/パルスいずれも可能連続/パルス(放射光)連続が中心
代表的強みバルク内部、磁気、H関連高輝度、局所構造、微小試料原子像、局所欠陥、ナノ領域

8. 試料環境と測定成立に関わる要素

中性子はバルク内部を観る長所を持つため、試料環境(温度、磁場、圧力、電場、雰囲気)と組み合わせやすい。低温(冷凍機・希釈冷凍機)、強磁場(超伝導磁石)、高圧(パリ・エジンバラプレス、DACの変種)、その場反応セル(電池、触媒、吸蔵)などが広く用いられる。

一方で、吸収の大きい元素の混入、H による非干渉性バックグラウンド、試料量の確保、容器散乱の分離などが測定成立の要件となる。粉末回折では数 g 程度の試料が要請される場合があり、単結晶では mm 級結晶が要請されることが多い。SANS では溶液や高分子材料でセル材質(石英、Al、TiZr合金など)選択が重要になる。

検出器は計数効率と位置分解能、時間分解能のバランスで設計される。3He比例計数管に加え、10B や 6Li を用いた代替検出器(Bコート検出器、Li含有シンチレータなど)も広く検討・実装されてきた経緯がある。

9. 国内外の主要施設

国内外で中性子源は大型共用基盤として整備され、材料物性、化学、工学、生体分野まで広く利用されている。

9.1 国内:J-PARC MLF(加速器スパレーション)

J-PARC MLF は中性子ビームライン群を持ち、粉末回折、非弾性散乱、小角散乱、イメージングなど多様な装置が配置されている。iMATERIA(BL20)は粉末中性子回折を核とし、電池材料など無機材料の構造解析にも用いられている。

MLFではビームライン配置図や装置一覧が公開されており、装置ごとに対象波長、分解能、試料環境、解析支援が異なる。

9.2 国内:JRR-3(研究炉)

JRR-3 は研究炉として中性子ビーム実験装置群を持ち、ガイドホールと炉室に装置が配置される。ユーザオフィスの情報から装置一覧へ到達でき、装置種別(回折、散乱、分光など)の構成が把握できる。

9.3 海外:SNS(ORNL)など

米国SNS(ORNL)は加速器スパレーション中性子源として、標的・モデレータ・ビームラインの概説資料が充実している。欧州ではESSやILLなども中性子科学の中核を担う(本ページでは詳細は割愛する)。

10. 解析の基本視点:モデルと観測量の対応

中性子散乱データの解釈は、(i) 観測量が Q 空間(および ω 空間)で与えられること、(ii) 観測量が相関関数と直接結び付くこと、の二点を軸に整理される。

10.1 構造解析(弾性)

結晶構造は構造因子 F(Q) の二乗に比例する強度で観測される。粉末回折では Rietveld 法により、格子定数、原子座標、占有率、温度因子、相分率、磁気構造パラメータが同時に最適化される場合がある。SANS では P(Q)S(Q) を分解し、サイズ分布や相関長を得る。

10.2 ダイナミクス(非弾性)

非弾性散乱では S(Q,ω) を介して励起スペクトルが得られ、フォノン分散から格子力学モデルや弾性定数、マグノン分散から交換相互作用や異方性が推定される。準弾性散乱は拡散・回転運動の緩和時間に敏感であり、イオン拡散や分子運動の情報源となる。

まとめ

中性子ビームは、電荷を持たないスピン1/2粒子の量子波として、核散乱と磁気散乱の二つの相互作用を基盤に、構造(I(Q))と励起(S(Q,ω))を一貫して測定できる計測基盤である。同位体・軽元素・磁性への感度と高い透過能により、バルク内部の構造と機能の結び付きを直接検証しやすく、回折・小角散乱・反射率・非弾性散乱・イメージングを目的に応じて組み合わせることで、材料の階層構造とダイナミクスを多面的に定量化できる。

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