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ヘリウム(He)

ヘリウム(He)は、化学的に極めて不活性な希ガスである一方、沸点が非常に低く、極低温(クライオ)技術・超伝導機器・半導体製造・分析計測などの基盤を支える産業ガスである。地球上では岩石中の放射性元素(U, Th など)のα崩壊で生成され、地下の天然ガス鉱床などに“偶然”濃集したものを回収するため、資源としては再生不能(人間時間スケール)かつ供給が偏在しやすいという特徴を持つ。

参考ドキュメント

1. 基本情報

項目内容
元素名ヘリウム
元素記号 / 原子番号He / 2
標準原子量4.002602…
族 / 周期 / ブロック第18族(希ガス) / 第1周期 / sブロック(電子配置は1sのみ)
電子配置1s2
常温常圧での状態気体(単原子分子)
代表的な酸化数0(通常の化学結合をほとんど作らない)
主要同位体(研究上重要)4He(最も豊富な安定同位体)、3He(安定同位体、低温物理・中性子検出等で重要)
工業的形態高純度ヘリウムガス(ボンベ/バルク)、液体ヘリウム(LHe)、混合ガス(例:He-N2、He-O2 など用途別)
CAS番号7440-59-7
  • 補足(ヘリウムを元素として扱う際の要点)
    • Heは「化学的に安定(反応しない)」という意味で取り扱いやすい一方、「物理的に逃げやすい(漏れやすい)」という意味で取り扱いが難しい。材料・配管・シール設計、回収・再液化の運用設計が、供給制約とコストに直結する。
    • Heは不燃性だが、窒息性(酸素欠乏)という観点では危険物になり得る。特に液体ヘリウムの蒸発は急速に大量のガスを生み、室内酸素濃度を短時間で低下させうるため、「化学反応しない=安全」ではない。

2. 歴史

  • 太陽スペクトルからの発見と地球上での同定

    • ヘリウムは、太陽光スペクトル(黄色のスペクトル線)から“太陽に存在する未知元素”として先に示唆され、その後に地球上の鉱物・ガス中から同定されたという、元素史として特徴的な経緯を持つ。
    • この「宇宙→地球」の順序は、Heが地球大気中では希薄で(すぐ宇宙へ散逸しやすい)地球表層での濃集が起こりにくい、という資源的性格とも整合する。
  • 極低温技術・超伝導との結びつき

    • Heの液化と極低温技術の発展は、超伝導・量子流体(超流動)などの基礎物理を押し上げ、加速器・核融合・量子計測へと波及した。今日のHe需給が「研究装置の運用」と「産業プロセスの基盤」を同時に背負うのは、この歴史的経路の帰結である。
    • 近年は、MRIや半導体などの産業需要が大きく、研究用途は社会インフラ(医療・情報)と同一の供給網に依存する構図が強まっている。

3. ヘリウムを理解する

  • 電子構造と「反応しない」性質

    • Heは1s2で閉殻を持ち、通常条件で他元素と共有結合・イオン結合を作りにくい。このため腐食性・反応性の問題が小さく、保護雰囲気やキャリアガスとして広く使われる。
    • 一方で「反応しない」ことは“用途が限定的”という意味ではなく、むしろ化学反応を邪魔しないこと自体が機能になる(溶接、半導体、分析、リーク検査など)。
  • 低沸点・量子性(極低温での特異性)

    • Heは原子間相互作用が弱く、沸点が非常に低い。これが「極低温冷媒として唯一に近い立場」を与え、超伝導磁石の冷却など不可欠用途を生む。
    • また低温では量子効果が顕著となり、超流動などの現象が現れる。Heは“化学”より“物理”で重要性が立つ元素でもある。
  • 「資源としてのHe」が特殊な理由(生成・濃集・散逸)

    • 地殻内で生成されたHe(主に4He)は、地下深部から上昇・移動し、天然ガス鉱床などに捕獲されると濃集する。したがってHe生産は、He鉱山というより「天然ガス処理の副産物」として成立することが多い。
    • 大気中に放出されたHeは軽く、地球重力圏から散逸しやすい。リサイクル(回収・再液化)や漏洩低減が重要なのは、地球上での“在庫”が自然に補充されにくいからである。

4. 小話

  • 風船のHeと「もったいない」議論

    • Heは浮揚ガスとして安全(不燃)だが、供給が逼迫すると医療・研究・産業の基盤用途との優先順位が議論になる。特に液体Heや高純度Heが不足したとき、社会的に“なぜ風船に使うのか”が話題になりやすい。
    • ただし用途の切り分けは単純ではなく、風船用は純度や供給形態が異なることもある。重要なのは「用途ごとに必要純度・流通形態・代替可能性が違う」点を整理して議論することである。
  • 声が変わるが安全ではない

    • Heを吸うと声が高く聞こえる現象は有名だが、酸素欠乏の危険がある。短時間でも失神・窒息に至り得るため、実験室・イベント等では安全教育の題材として扱うべきである。
    • “無毒・不燃”は“安全”と同義ではなく、酸素濃度・換気・作業手順が安全を決める。

5. 地球化学・産状

5.1 主な起源(放射壊変と同位体)

  • 4Heの起源

    • 4Heは主にU・Th系列のα崩壊で生成される。これは地質時間で継続的に生成されるが、地球表層では散逸が支配的で、濃集は地下の“トラップ条件”に依存する。
    • したがってHeは「生成量」より「捕獲・保持」の地質条件が資源性を決めやすい。
  • 3Heの起源

    • 3Heは地球内部起源(マントル由来)や宇宙線起源など、4Heとは異なる寄与を受ける。3He/4He比は地球科学で重要なトレーサーとなり、火山・熱水系・地下流体の起源推定に使われる。
    • 工業的には3Heは希少で、低温物理や中性子検出など特定用途で戦略物資化しやすい。

5.2 鉱床と生成環境(天然ガスとの共伴)

  • 天然ガス処理の副産物としてのHe
    • 商業的Heは多くの場合、天然ガス中に含まれるHeを分離して得る。He含有率が高いガス田は限られ、地域偏在が生じやすい。
    • “ガス田の操業停止・設備トラブル・地政学”がHe供給に直結するのは、この共伴構造による。

5.3 大気中Heと散逸

  • 大気は貯蔵庫になりにくい
    • Heは大気中に存在するが、濃度は低く、分離回収は一般に経済合理性を持ちにくい。結果として、He供給は「地下資源→精製→流通」という経路に固定されやすい。
    • 回収・再利用を設計しない限り、使用後Heは“失われる”方向に偏る。

6. 採掘・製造・精錬・リサイクル

6.1 回収(天然ガスからの分離)

  • 分離の基本像
    • 天然ガス処理では、CO2やH2Sなどの除去、脱水、炭化水素分離などの工程に加えて、Heを含む場合は低温分離(深冷分離)やPSA(圧力スイング吸着)、膜分離などを組み合わせて濃縮する。
    • 工学的には「Heは反応ではなく分離で作る資源」であり、エネルギーは主に冷却・圧縮・精留に投入される。

6.2 精製(高純度化)

  • 不純物管理の意味
    • 半導体や分析用途ではppb〜ppmレベルの不純物(O2, H2O, N2, H2, 炭化水素など)が問題になり得るため、精製・純度保証(グレード管理)が重要になる。
    • 一方、用途によっては超高純度が不要で、過剰仕様はコスト・供給負荷を増やす。用途別に必要仕様を言語化することが、供給制約下での現実的な材料・装置設計につながる。

6.3 液化(クライオインフラ)

  • 液体Heの製造と制約
    • Heの液化は極低温が必要で、液化装置(液化機)・圧縮機・回収ライン・貯槽などのインフラがボトルネックになりやすい。需要増よりも先に“液化能力”が供給制約として現れる場合がある。
    • 液体Heは輸送・保管中のボイルオフ(自然蒸発)も避けがたく、ロス低減の運用設計が重要になる。

6.4 リサイクル(回収・再液化・再利用)

  • 研究機関・医療機関での回収
    • He回収は、蒸発ガスを回収袋・配管で集め、圧縮・浄化して再液化または再利用する設計が基本となる。とくに大型装置(加速器、強磁場、低温実験)では回収率が運用コストと直結する。
    • MRIでは近年、ヘリウム使用量を大幅に抑えた設計(低充填量、ゼロボイルオフ、あるいは乾式冷凍機ベース)が普及しつつあり、需給リスクへの技術的応答として重要である。

6.5 安全(酸素欠乏・高圧・極低温)

  • 酸素欠乏の物理
    • Heは窒息性ガスで、漏洩すると空気中のO2分率xO2を下げる。酸素分圧は pO2=xO2P で与えられるため、換気が不十分な空間では短時間で危険域に入る。
    • 液体Heは蒸発で体積が大きく増えるため、クエンチや配管破断など“瞬間的放出”が事故シナリオになりやすい。排気経路(クエンチダクト)や立入管理が安全の中核となる。

7. 物理化学的性質・特徴

7.1 熱・輸送・相

値は圧力・温度・純度で変化する。ここでは概念把握を優先し、仕様設計では必ず規格値・実測値で確認する。

項目代表的特徴工学的含意
沸点極低温(4 K級)超伝導磁石の冷却など、代替が困難な用途がある
融点常圧では固化しない(加圧で固体化)“凍る”前提のプロセスが成立しにくい
密度(気体)非常に小さい漏洩しやすく、局所滞留より拡散しやすいが、換気が不十分だと酸素欠乏を起こす
熱伝導気体として高い部類冷却・熱交換・プロセス温調で利点になる
粘性・拡散分子量が小さく拡散が速いシール設計・リーク管理が重要
  • 補足
    • Heは「冷やす能力(低沸点)」と「運用の難しさ(漏れ・ボイルオフ・液化設備)」が表裏一体である。材料選定や装置設計では、熱性能だけでなく回収・保守・供給契約まで含めて最適化する必要がある。
    • Heの“漏れやすさ”は、配管・バルブ・継手の微小リークが性能と費用に効くことを意味する。リーク検査(後述)がHe用途として成立するのも、この物理特性に由来する。

7.2 磁性・電気的性質

  • 磁性
    • Heは閉殻で、強磁性のような磁区を作らない。磁性材料としての機能は持たないが、磁場環境での“背景ガス”としては扱いやすい。
    • ただし低温装置では、磁場そのものよりも断熱・冷却・安全(酸素欠乏)の方が支配的な設計制約になることが多い。

7.3 低温安全(クエンチと室内リスク)

  • MRI等でのクエンチ
    • 超伝導磁石がクエンチすると、冷媒Heが急速に蒸発し、室内の酸素濃度低下や過圧、霜・凝縮などが問題になり得る。クエンチダクト、換気、立入制御、手順教育が重要である。
    • 安全は「事故をゼロにする」だけでなく「事故が起きても被害を局所化する」設計(排気経路・監視・避難)で成立する。

8. 研究としての面白味

  • 量子流体・超流動・量子渦

    • Heは低温で巨視的量子現象を示し、超流動、量子乱流、界面現象などの研究プラットフォームとなる。基礎物理の対象でありつつ、冷却・振動・熱輸送の理解が装置工学に還元される点が面白い。
    • 実験は“物理”だけで完結せず、断熱、振動、リーク、計測ノイズなど工学要因と不可分であり、研究設計が装置設計へ直結する。
  • 材料科学(核融合・原子力材料におけるHe)

    • Heは材料中で不溶・拡散・バブル形成しやすく、照射損傷や脆化、スウェリングに関与する。核融合・原子炉材料では、He生成が微細組織と力学特性を変えるため、欠陥物理と材料設計の交点になる。
    • Heは“元素として反応しない”が、“材料中では欠陥として強く効く”という逆説が研究の核心になりやすい。
  • 計測・分析(キャリアガス、リーク検査)

    • HeはGCや各種分析でキャリアガスとして使われるが、需給逼迫は装置運用に波及し得る。代替ガス(H2やN2)とのトレードオフは、分離性能だけでなく安全・規制・装置適合まで含めた最適化問題となる。
    • Heリーク検査は半導体・真空・宇宙機器などで重要で、微小リークを定量評価できる点が強みである。

9. 応用例

9.1 材料設計の軸

  • 供給制約を織り込んだ設計

    • Heが不可欠な用途(極低温・超伝導)では、回収率向上、ボイルオフ低減、装置の低充填化が“材料・装置の性能”の一部になる。従来の性能指標(磁場強度・分解能)に加え、He消費が設計指標として顕在化している。
    • 代替可能用途では、N2やH2などへの切替が検討されるが、性能・安全・規制・コストの多目的最適化になる。
  • 純度・規格の適正化

    • 半導体・計測用途では高純度が必要になりやすいが、全用途が同一純度を必要とするわけではない。必要十分な純度・供給形態を見極めることが、供給逼迫下の実装力になる。
    • 工学的には「不純物が何に効くか(酸化、放電、汚染、計測バックグラウンド)」を用途別に整理し、仕様を言語化することが重要である。

9.2 具体例

  • 医療(MRI)
    • 超伝導MRIはHe冷却に依存してきたが、低充填化や乾式冷凍機併用など、He使用量の低減が進んでいる。供給リスクと運用コストが装置選定に影響しうる。
  • 半導体・光ファイバ
    • プロセスガス、パージ、冷却、リーク検査などでHeが使われる。高純度供給と安定供給が求められ、供給網の変動が製造リスクになり得る。
  • 研究(低温・加速器・強磁場)
    • 低温物理、NMR/ESR、粒子加速器、強磁場装置などで不可欠。回収・再液化設備を含む“低温インフラ”が研究力の基盤になる。

10. 地政学・政策・規制

  • 供給網の偏在と“副産物”構造

    • Heは天然ガス処理に強く結びつくため、産ガス国の設備投資・操業状況・輸送制約の影響を受けやすい。単に埋蔵量があるだけでは供給にならず、分離・液化・輸送という設備能力が支配的になる。
    • 供給途絶や価格高騰は、医療・半導体・研究に同時波及しやすく、社会インフラと産業競争力の両面でリスクとなる。
  • 制裁・規制・制度の影響

    • Heは戦略物資として扱われやすく、輸出入規制や制裁の影響を受け得る。地政学イベントが“ガスの物理”より強く価格・供給に効く局面がある。
    • 国内では高圧ガスとしての安全規制、酸素欠乏防止、クエンチ対策など、運用側の制度設計が安全とコストを同時に決める。
  • 国内視点(日本の運用課題)

    • 日本はHe資源を国内で産出しにくく、輸入依存と需要集中(医療・研究・産業)から供給変動に弱い。したがって、回収・再液化の導入、装置更新(低He化)、用途別の代替設計が現実的な対策となる。
    • 需給逼迫は装置停止や保守延期として現れるため、“設備の冗長性”と“調達契約の設計”が研究・医療のレジリエンスに直結する。

まとめと展望

ヘリウムは、化学的には極めて不活性である一方、物理的には極低温・高拡散・漏洩性という特性により、医療・研究・半導体などの基盤用途を成立させる不可欠資源である。今後の重要点は、(1) 供給網の偏在と地政学リスクを前提に、回収・再液化・低充填化で“消費”を減らすこと、(2) 代替可能用途ではガス置換を含む多目的最適化を進めること、(3) 安全(酸素欠乏・クエンチ)を運用設計として体系化することである。Heは「資源・装置・制度」が同時に絡む題材であり、材料・計測・プロセスの研究開発が直接、社会インフラの強靭化につながる。

参考文献