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カオス理論と非線形ダイナミクス

カオス理論は、決定論的な時間発展則を持ちながら、長期予測が事実上不可能になる振る舞いを扱う枠組みである。準周期・準カオス(弱カオス)を併せて捉えることで、秩序と無秩序の間にある「遅い混合」「局在した不安定性」「突発的なバースト」を定量化できる。

9. 参考ドキュメント

  1. IEICE 知識ベース「カオスとその応用」(日本語、リアプノフ指数などの基礎がまとまっている)
    https://www.ieice-hbkb.org/files/01/01gun_11hen_02.pdf
  2. A. Yilmaz, “The Portevin–Le Chatelier effect: a review of experimental findings, modelling and recent advances”(塑性不安定の包括的レビュー)
    https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5090665/
  3. F. Colaiori, “The Barkhausen effect in soft ferromagnets: a review”(磁気ノイズと欠陥・アバランシェのレビュー)
    https://arxiv.org/pdf/0902.3173

1. 力学系としての現象整理

多くの現象は、状態変数ベクトル x の時間発展として記述される。

連続時間(常微分方程式)

dxdt=f(x,t;μ)

離散時間(写像)

xn+1=F(xn;μ)

ここで μ は外場、温度、歪速度、欠陥密度などの制御パラメータである。カオスの本質は「揺らぎの起源が確率ではなく、非線形性と不安定性にある」という点にある。

2. カオス・準カオス・準周期の区別

2.1 直観的な分類

  • 周期運動:時間波形が厳密に繰り返す
  • 準周期運動:複数の独立周波数が重なり、トーラス上を運動する(スペクトルは離散的ピークが中心)
  • カオス:非周期で、初期値に鋭敏で、長期予測が破綻する(スペクトルは広がりを持つ)
  • 準カオス(弱カオス):系の多くは規則的であるが、位相空間の一部に薄いカオス層が現れ、拡散や熱化が非常に遅い

準カオスは「カオスか否か」の二値ではなく、混合の速さ・位相空間拡散の速さという連続的な概念として捉えるのが有効である。

2.2 初期値鋭敏性とリアプノフ指数

2つの軌道の距離 δx(t)

δx(t)δx(0)eλt

と指数的に増大する場合、最大リアプノフ指数 λ>0 がカオス性の代表指標となる。

一次元写像 xn+1=f(xn) のリアプノフ指数は

λ=limN1Nn=1Nlog|f(xn)|

で与えられる。

準カオスでは、有限時間リアプノフ指数(finite-time Lyapunov exponent)が小さい正値になったり、時間とともに大きく揺らいだりし得る。したがって「有限時間」での評価と統計が重要である。

2.3 追加指標

  • ポアンカレ断面:連続時間系を離散化して幾何学的構造を読む
  • アトラクタ次元:相関次元、箱詰め次元など(フラクタル性の定量)
  • KSエントロピー:情報生成率(厳密評価は難しいが、近似や下限評価が使われる)
  • 0-1 テスト、再帰プロット、サロゲート検定:実験時系列でのカオス判定補助

3. 代表的な方程式・モデル

3.1 ローレンツ方程式(散逸系カオスの典型)

x˙=σ(yx),y˙=x(ρz)y,z˙=xyβz

少数自由度でもストレンジアトラクタが現れることを示す。

3.2 Duffing 振動子(双安定とホモクリニックカオス)

x¨+δx˙x+x3=γcos(ωt)

双井戸ポテンシャルと外力により、周期・準周期・カオスが切り替わる。磁化ダイナミクスの等価モデルとしても使われる。

3.3 ロジスティック写像(分岐と周期倍化)

xn+1=rxn(1xn)

周期倍化系列と普遍性(Feigenbaum 的スケーリング)の導入に有用である。

3.4 標準写像(Chirikov写像)と共鳴重なり

pn+1=pn+Ksinxn,xn+1=xn+pn+1  (mod 2π)

ハミルトン系における「局所的な共鳴島」と「それらの重なりによる広域カオス化」を理解する道具である。

3.5 LLG方程式(磁化の非線形ダイナミクス)

単位磁化ベクトル m の運動は

dmdt=γm×Heff+αm×dmdt

で与えられる。外部励起(交流磁場、スピントルク、スピン軌道トルク)により分岐やカオスが現れ得る。

3.6 非線形格子(FPU型)と遅い熱化

例えばFPU-β鎖のハミルトニアン

H=ipi22+i[12(qi+1qi)2+β4(qi+1qi)4]

は、弱い非線形性の領域で「長寿命な局在」や「極端に遅い熱化」を示す。これは準カオス(KAM・Nekhoroshev的な長時間安定領域)と関連づけて理解できる。

4. 準カオス理論(弱カオス)を支える枠組み

4.1 近可積分ハミルトン系とKAM的描像

可積分系(作用角変数 (I,θ) で解ける)に小摂動を入れると、

  • ある条件下で多くの不変トーラスが残存する(準周期運動が生き残る)
  • 一方で共鳴条件 mω(I)0 の近傍は壊れやすく、カオス層が生まれる

この「規則的な海に薄いカオス層が編み込まれた」状態が準カオスの典型像である。

4.2 共鳴重なり基準(Chirikov的描像)

共鳴島の幅が増大して隣接共鳴と重なり始めると、位相空間の広い領域が連結したカオス海となる。これが広域カオス化の直観であり、弱非線形格子の熱化時間の急変(弱い乱流への遷移)とも結びつく。

4.3 Nekhoroshev的長時間安定と「遅い拡散」

共鳴が重ならない程度の摂動では、エネルギーや作用変数が非常に長い時間ほぼ保存され、拡散が極端に遅い。このとき

  • 形式的にはカオス(λ>0)でも
  • 観測可能時間では準周期のように見える という「準カオス」が生じる。

4.4 弱カオスと強カオスの見分け

  • 弱カオス:混合が遅い、有限時間リアプノフ指数が小さい、モードエネルギー分配が遅い
  • 強カオス:混合が速い、指数発散が明瞭、熱化が速い、統計的定常に速く到達

材料・固体系の多自由度モデルでは、この区別が物性(熱伝導、緩和、ノイズ統計)に直結しやすい。

5. カオスへの遷移

5.1 周期倍化ルート

周期1→周期2→周期4→…と分岐が連鎖し、やがてカオスに至る。非線形共鳴や磁化歳差運動の強励起領域でも類似の階層が現れることがある。

5.2 間欠性(Intermittency, Pomeau–Manneville)

「層流的(規則的)な区間」と「突発的なバースト」が交互に現れ、遷移点近傍で層流長が発散的に伸びる。この描像は、塑性不安定や磁気ノイズのバースト性とも相性が良い。

5.3 準周期ルート(トーラス崩壊)

準周期運動(トーラス)が壊れてカオスが出現する。多周波励起、結合振動子、スピントルク振動子群などで重要である。

6. 固体・材料現象におけるカオス/準カオスの例

6.1 動的ひずみ時効と鋸歯状流動(Portevin–Le Chatelier効果)

希薄合金で見られる応力–ひずみ曲線の鋸歯状変動は、転位と溶質原子の相互作用(ピン止めと解放)を背景に持つ。時系列解析により、条件によっては低次元カオスとして特徴づけられることが報告されている。

この系では、一定ひずみ速度下で

  • ほぼ規則的な鋸歯(準周期的)
  • 不規則な鋸歯(カオス的)
  • バンドの時空間パターン変化 が同一枠組みで議論される。

6.2 磁性体のノイズ(Barkhausenノイズ)とバースト統計

Barkhausenノイズは磁壁運動の不連続ジャンプに由来する「クラックリングノイズ」の代表例であり、欠陥・粒界・残留応力が統計を決める。運動は本質的に非線形で、観測条件によってはカオス的特徴(相空間再構成での不安定性、リアプノフ解析)を議論する研究もある。

ここで重要なのは、単に「ノイズがある」ではなく、

  • 駆動(磁場掃引)に対して応答がジャーキーである
  • バーストサイズ分布、相関、アバランシェの普遍性 という統計構造が、微視的なピン止め風景と結びつく点である。

6.3 磁化ダイナミクス(LLG)に現れる分岐・カオス

LLGは強い非線形性を持つため、外部励起(交流磁場、マイクロ波、電流トルク)により、周期運動→準周期→カオスの遷移が起こり得る。スピントルク振動子では同期とカオスがパラメータ空間上で共存し、リアプノフ指数評価でカオス領域を同定する研究がある。

6.4 非調和格子振動と熱化(弱カオスの物性への反映)

弱非線形格子では、KAM・Nekhoroshev的な「ほぼ保存される構造」により熱化が遅れ、熱輸送や緩和が通常の拡散像から外れることがある。エネルギー密度の増大に伴い「準カオス的領域」から「弱乱流的領域」へ遷移する描像が議論されている。

7. 解析の基本手順

7.1 ワークフロー

  1. 定常性の確認(ドリフトやトレンドの除去)
  2. 埋め込み次元 m と遅れ時間 τ の選択(相空間再構成)y(t)=[s(t),s(t+τ),,s(t+(m1)τ)]
  3. ポアンカレ断面、再帰プロット、相関次元の推定
  4. 有限時間リアプノフ指数、0-1テスト等で不安定性の検出
  5. サロゲートデータによる「非線形性そのもの」の検定(ノイズと区別)

7.2 準カオスを扱う際の注意

  • 観測窓が短いと準周期に見える(長時間でのみ拡散が見える)
  • 多自由度では「低次元に見える投影」が生じるため、観測量の選び方が支配的である
  • 数値誤差(積分誤差、丸め誤差)が長時間で増幅されるので、積分法や誤差制御が重要である

8. どの問いにカオス理論を当てるか

現象の問い力学系的に見る対象典型指標準カオスが効く場面
応力の鋸歯が条件で不規則化する理由転位密度・応力の結合ダイナミクス分岐図、LE、間欠性ほぼ規則とバーストが混在する温度・歪速度域
磁気ノイズの統計が欠陥で変わる理由磁壁のピン止め景観上の運動アバランシェ統計、再構成相空間低駆動での遅い遷移・履歴依存
熱化が異常に遅い/モード局在が長寿命格子振動モード間の非線形結合参加比、有限時間LE近可積分・共鳴非重なり領域(KAM/Nekhoroshev)
振動子の同期が崩れて不規則になる自励振動子の位相ダイナミクス位相ロッキング、LE同期境界近傍の間欠性、カオス窓

まとめ

カオス理論は、非線形性がもたらす不安定性を、幾何学(アトラクタ)と数値指標(リアプノフ指数など)で定量化する体系である。準カオス(弱カオス)を含めて理解すると、秩序と無秩序の境界で起こる「遅い熱化」「間欠的バースト」「局在した不安定性」を同じ言葉で扱えるようになり、塑性不安定、磁気ノイズ、非調和格子の有限温度応答といった多様な現象の見通しが良くなるのである。