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LLG方程式にもとづくマイクロ磁化シミュレーション

マイクロ磁化シミュレーションは、磁化ベクトル場の時間発展をLLG方程式で追跡し、磁区・磁壁・渦構造・スピンダイナミクスを定量化する手法である。材料定数と形状・欠陥・界面効果を入力として、ヒステリシス、共鳴、デピニングなどの現象を同一の方程式系で扱える点が核となる。

参考ドキュメント

1. マイクロ磁気学(micromagnetics)の前提

1.1 連続体近似

原子スピンを直接扱うのではなく、空間座標 r と時刻 t に依存する磁化 $ \mathbf{M}(\mathbf{r},t)$ を連続場として扱う近似である。通常、飽和磁化 Ms を用いて m=M/Ms と正規化し、|m|=1 を拘束条件として課す。

この近似が成立するためには、セルサイズ(空間離散化の最小単位)が交換相互作用で決まる代表長さ(交換長)より十分小さいことが望ましい。

1.2 何を予測する計算か

  • 磁区・磁壁・渦(vortex)・スキルミオンなどの準静的構造(平衡解)
  • 外部磁場・電流・温度ゆらぎ下での動的応答(歳差運動、緩和、反転、共鳴)
  • 形状(反磁界)や界面(DMI、界面異方性)による有効磁気異方性の出現
  • 多結晶・欠陥・粒界を含むモデルにおける局所的な反転核生成やデピニング

2. LLG方程式:歳差運動と減衰

2.1 Gilbert形

代表的な形は次である。

dmdt=γμ0m×Heff+αm×dmdt
  • γ:ジャイロ磁気比(符号規約に注意が必要である)
  • μ0:真空透磁率
  • α:Gilbert減衰定数(無次元)
  • Heff:実効磁界(有効磁界)

数値積分では、右辺に dm/dt が含まれるため、陽的に解いた形(Landau–Lifshitz形に等価変形した形)を使うことが多い。

2.2 Landau–Lifshitz形(陽的に書く例)

Gilbert形を代数的に整理すると、(規約に依存するが)概念的には

dmdt=γμ01+α2[m×Heff+αm×(m×Heff)]

となり、第一項が歳差運動、第二項がエネルギーを減らす向きの緩和(減衰)を表す。

2.3 磁化の制約:|m|=1

LLGの連続方程式は本質的に磁化の大きさを保存するが、数値積分では誤差により |m| がずれる。多くの実装は

  • |m| の正規化(renormalization)
  • 球面上の幾何学的積分(制約付き積分) により制約の破れを抑制する。

3. 実効磁界:エネルギー汎関数からの導出

マイクロ磁気学では、実効磁界は全エネルギー汎関数 E[m] の汎関数微分として与えられる。

Heff(r)=1μ0MsδEδm(r)

よって、どの物理を入れるかは E の項の選択に対応する。

4. エネルギー項の典型と式

以下では代表的な項を列挙する。離散化と境界条件によって表式や係数の扱いが変わるため、実装ごとの定義確認が必要である。

4.1 交換エネルギー(exchange)

Eex=ΩA|m|2dV
  • A:交換剛性 局所的に磁化が急激に変化するとエネルギーが増えるため、磁壁幅や渦芯サイズを決める主因である。

4.2 結晶磁気異方性(magnetocrystalline anisotropy)

一軸異方性の例:

Eani=ΩKu(1(meu)2)dV
  • Ku:一軸異方性定数
  • eu:易磁化軸方向

立方異方性、面内異方性、界面異方性などへ拡張される。

4.3 ゼーマンエネルギー(外部磁場)

EZ=μ0MsΩHextmdV

4.4 静磁エネルギー(反磁界・磁化自己相互作用)

Ed=μ0Ms2ΩHdmdV

反磁界 Hd は磁化分布全体に依存する長距離相互作用であり、計算コストと境界処理を支配する。有限差分では畳み込みをFFTで高速化する実装が多い。

4.5 DMI(Dzyaloshinskii–Moriya interaction)

界面DMIの一例(表式は規約が複数ある):

EDMI=ΩD[mz(m)(m)mz]dV
  • D:DMI定数 Néel型スキルミオンやキラル磁壁の安定化に関与する。

4.6 磁歪・磁気弾性(magnetoelastic)

応力場やひずみ場と結合する形で

Eme=Ωf(m,εij)dV

と書かれ、弾性場(力学)とLLGを連成させると、磁区形成と応力の相互作用を扱える。連成の仕方は解析目的に強く依存する。

5. 代表長さとメッシュ設計:交換長・磁壁幅

5.1 交換長

典型的には磁化の空間変化と静磁相互作用の競合から交換長(exchange length) lex を定義する。

lex=2Aμ0Ms2

この長さスケール程度で磁化は滑らかに変化するため、セルサイズ ΔΔlex(より保守的には lex/2 程度) を目安として設定されることが多い。

5.2 離散化手法の選択

方式代表例長所注意点
有限差分(直交格子)OOMMF, MuMax3FFTによる反磁界高速化、実装が比較的単純曲面・複雑形状の表現が格子に制限される
有限要素(非構造格子)各種FEMコード複雑形状・曲面・多結晶形状に強い反磁界計算・メッシュ生成・計算コストが重くなりやすい

6. 時間積分(ODEとしてのLLG)と数値安定性

6.1 LLGは剛性を持ちうる

交換項は空間高周波成分(短波長)に強く働くため、細かいメッシュほど時間積分が剛性化しやすい。剛性が強い場合、陽的スキームでの安定条件が厳しくなる。

6.2 代表的な積分戦略

  • 陽的Runge–Kutta系(実装容易、安定条件が支配的)
  • 半陰/陰的手法(剛性への耐性、各ステップで反復解法が必要なことがある)
  • 適応刻み(局所誤差制御により、歳差運動が激しい領域で刻みを自動縮小する)

6.3 平衡状態の計算

LLGの高減衰(大きな α)で緩和させる方法は、エネルギー最小化の近似として使われることがある。一方で、より直接に

  • エネルギー勾配に基づく最適化
  • 非線形共役勾配法 などで平衡解を求める流れもある(目的が準静的磁化過程である場合に相性がよい)。

7. 熱ゆらぎ(stochastic LLG)

有限温度では、熱揺らぎをランダム磁界 Hth として実効磁界に加える。

HeffHeff+Hth(t)

連続時間では白色雑音として相関

Hth,i(t)Hth,j(t)δijδ(tt)

を持つよう設定され、離散時間ではセル体積 V と時間刻み Δt に依存した分散で乱数を生成する。温度を入れる計算では、時間刻み依存性や統計量の収束(アンサンブル平均)が重要になる。

8. 電流・スピントルク項

磁性体への電流注入やスピン流により、追加トルク項を含む拡張LLGが用いられる。

8.1 Zhang–Li型(移流形)

dmdt|STT=(u)m+βm×(u)m
  • u:スピンドリフト速度(電流密度や分極率に依存)
  • β:非断熱パラメータ

8.2 Slonczewski型(固定分極方向 p を仮定)

dmdt|SOT/STT=aJm×(m×p)+bJm×p

界面スピン軌道トルク(SOT)では、有効分極方向の取り方や電流分布モデルが鍵になる。

9. 反磁界計算と境界条件

9.1 反磁界(長距離相互作用)の計算

反磁界はポアソン型問題や畳み込みとして表現され、有限差分ではFFT畳み込みで高速化されることが多い。周期境界条件(PBC)を入れる場合、反磁界の取り扱いが変わるため、実装が想定する“周期性”の次元(1D/2D/3D周期)を確認する必要がある。

9.2 境界条件の例

  • 交換境界:自由境界(法線方向勾配ゼロ)や固定境界(表面スピン固定)
  • DMI境界:界面DMIでは自然境界条件が磁壁の巻き方に影響する
  • 磁性/非磁性界面:MsA の不連続をどう扱うか(格子・要素の物性割当て)が重要である

10. 出力と解析

10.1 典型出力

  • m(r,t) のスナップショット、動画
  • 全磁化 M(t) とヒステリシス M(H)
  • エネルギー各項 Eex,Eani,Ed,EZ,... の時間変化
  • トポロジカル量(スキルミオン数など、定義は離散化に依存)

10.2 周波数解析(共鳴・スピン波)

パルス磁場を与えて mx(t) を取得し、FFTでスペクトルを得ると、FMRやモード分解が可能である。空間FFTと組み合わせると分散関係の推定もできる。

11. 標準問題

マイクロ磁化コードは、反磁界・交換・境界条件・時間積分など複数要素が絡むため、既知の標準問題での検証が重要である。

  • μMAG標準問題:同一の幾何・材料定数・磁場条件に対し、複数コードで時系列や最終状態を比較する枠組みである
  • 標準問題#4:薄膜長方形の反転ダイナミクスを比較する動的問題であり、時間発展の差が出やすい

数値条件(セルサイズ、時間刻み、収束判定)により結果が変わりうるため、再現性のための条件記録が必須である。

12. 代表的ソフトウェア

ソフトウェア離散化特徴向きやすい題材
OOMMF有限差分公開ドキュメントが充実、古典的ベンチマークが多い基本検証、標準問題、2D/薄膜系
MuMax3有限差分(GPU)GPU+FFTで大規模・高速、動的問題に強い大面積薄膜、スキルミオン、SOT/STT、時間発展
FEM系コード有限要素曲面・複雑形状・多結晶形状への適合永久磁石粒界、複雑形状デバイス

国内文献でも、差分法としてOOMMFやMuMax系、有限要素法として各種CAEが言及されており、目的に応じた選択が推奨される。

13. 典型ワークフロー

  1. 目的の明確化(準静的か動的か、熱ゆらぎや電流を入れるか)
  2. 形状とスケール設定(厚さ、エッジ、粒界、欠陥、周期性)
  3. 材料パラメータ設定(Ms,A,K,α、必要ならDMI・界面異方性・交換結合など)
  4. メッシュ設計(交換長に基づくセルサイズ、形状表現の妥当性)
  5. 初期状態の生成(飽和状態、ランダム、既知磁区からの緩和)
  6. 緩和計算(平衡状態の取得)と、その後の外場掃引・パルス印加・電流印加
  7. 可視化と診断(エネルギー収支、磁化保存、反転経路、統計量)
  8. 標準問題や他コードとの比較による検証

14. 注意点

  • セルサイズが大きすぎて磁壁が解像できない(見かけ上のピン止めが発生する)
  • 単位系の混在(A/m、T、J/m3、erg/cm3など)
  • 反磁界の境界条件(PBCの次元、自由空間の扱い)を誤る
  • 時間刻みが粗く、歳差運動が数値的に過減衰・過振動になる
  • 減衰定数を目的(準静的/動的)に合わない値で固定し、解釈が揺れる
  • 温度項を入れたのにアンサンブル平均を取らず、単一軌道で議論する

まとめ

LLG方程式にもとづくマイクロ磁化シミュレーションは、エネルギー汎関数から実効磁界を導き、磁化ベクトル場の拘束つき時間発展として解く枠組みである。計算の成否は、エネルギー項の選択、交換長にもとづくメッシュ設計、反磁界計算、時間積分の安定性、標準問題による検証という一連の整合性に依存する。