LLG方程式にもとづくマイクロ磁化シミュレーション
マイクロ磁化シミュレーションは、磁化ベクトル場の時間発展をLLG方程式で追跡し、磁区・磁壁・渦構造・スピンダイナミクスを定量化する手法である。材料定数と形状・欠陥・界面効果を入力として、ヒステリシス、共鳴、デピニングなどの現象を同一の方程式系で扱える点が核となる。
参考ドキュメント
- Vansteenkiste et al., The design and verification of MuMax3, AIP Advances 4, 107133 (2014) https://pubs.aip.org/aip/adv/article/4/10/107133/584191/The-design-and-verification-of-MuMax3
- NIST, OOMMF User’s Guide(公開ドキュメント) https://math.nist.gov/oommf/doc/userguide21a0/userguidexml/userguide.html
- 田中智大, 大規模マイクロマグネティックシミュレーションを用いた永久磁石…, まてりあ/関連誌(J-STAGE, 2023) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jinstmet/87/5/87_JA202203/_html/-char/ja
1. マイクロ磁気学(micromagnetics)の前提
1.1 連続体近似
原子スピンを直接扱うのではなく、空間座標
この近似が成立するためには、セルサイズ(空間離散化の最小単位)が交換相互作用で決まる代表長さ(交換長)より十分小さいことが望ましい。
1.2 何を予測する計算か
- 磁区・磁壁・渦(vortex)・スキルミオンなどの準静的構造(平衡解)
- 外部磁場・電流・温度ゆらぎ下での動的応答(歳差運動、緩和、反転、共鳴)
- 形状(反磁界)や界面(DMI、界面異方性)による有効磁気異方性の出現
- 多結晶・欠陥・粒界を含むモデルにおける局所的な反転核生成やデピニング
2. LLG方程式:歳差運動と減衰
2.1 Gilbert形
代表的な形は次である。
:ジャイロ磁気比(符号規約に注意が必要である) :真空透磁率 :Gilbert減衰定数(無次元) :実効磁界(有効磁界)
数値積分では、右辺に
2.2 Landau–Lifshitz形(陽的に書く例)
Gilbert形を代数的に整理すると、(規約に依存するが)概念的には
となり、第一項が歳差運動、第二項がエネルギーを減らす向きの緩和(減衰)を表す。
2.3 磁化の制約:
LLGの連続方程式は本質的に磁化の大きさを保存するが、数値積分では誤差により
の正規化(renormalization) - 球面上の幾何学的積分(制約付き積分) により制約の破れを抑制する。
3. 実効磁界:エネルギー汎関数からの導出
マイクロ磁気学では、実効磁界は全エネルギー汎関数
よって、どの物理を入れるかは
4. エネルギー項の典型と式
以下では代表的な項を列挙する。離散化と境界条件によって表式や係数の扱いが変わるため、実装ごとの定義確認が必要である。
4.1 交換エネルギー(exchange)
:交換剛性 局所的に磁化が急激に変化するとエネルギーが増えるため、磁壁幅や渦芯サイズを決める主因である。
4.2 結晶磁気異方性(magnetocrystalline anisotropy)
一軸異方性の例:
:一軸異方性定数 :易磁化軸方向
立方異方性、面内異方性、界面異方性などへ拡張される。
4.3 ゼーマンエネルギー(外部磁場)
4.4 静磁エネルギー(反磁界・磁化自己相互作用)
反磁界
4.5 DMI(Dzyaloshinskii–Moriya interaction)
界面DMIの一例(表式は規約が複数ある):
:DMI定数 Néel型スキルミオンやキラル磁壁の安定化に関与する。
4.6 磁歪・磁気弾性(magnetoelastic)
応力場やひずみ場と結合する形で
と書かれ、弾性場(力学)とLLGを連成させると、磁区形成と応力の相互作用を扱える。連成の仕方は解析目的に強く依存する。
5. 代表長さとメッシュ設計:交換長・磁壁幅
5.1 交換長
典型的には磁化の空間変化と静磁相互作用の競合から交換長(exchange length)
この長さスケール程度で磁化は滑らかに変化するため、セルサイズ
5.2 離散化手法の選択
| 方式 | 代表例 | 長所 | 注意点 |
|---|---|---|---|
| 有限差分(直交格子) | OOMMF, MuMax3 | FFTによる反磁界高速化、実装が比較的単純 | 曲面・複雑形状の表現が格子に制限される |
| 有限要素(非構造格子) | 各種FEMコード | 複雑形状・曲面・多結晶形状に強い | 反磁界計算・メッシュ生成・計算コストが重くなりやすい |
6. 時間積分(ODEとしてのLLG)と数値安定性
6.1 LLGは剛性を持ちうる
交換項は空間高周波成分(短波長)に強く働くため、細かいメッシュほど時間積分が剛性化しやすい。剛性が強い場合、陽的スキームでの安定条件が厳しくなる。
6.2 代表的な積分戦略
- 陽的Runge–Kutta系(実装容易、安定条件が支配的)
- 半陰/陰的手法(剛性への耐性、各ステップで反復解法が必要なことがある)
- 適応刻み(局所誤差制御により、歳差運動が激しい領域で刻みを自動縮小する)
6.3 平衡状態の計算
LLGの高減衰(大きな
- エネルギー勾配に基づく最適化
- 非線形共役勾配法 などで平衡解を求める流れもある(目的が準静的磁化過程である場合に相性がよい)。
7. 熱ゆらぎ(stochastic LLG)
有限温度では、熱揺らぎをランダム磁界
連続時間では白色雑音として相関
を持つよう設定され、離散時間ではセル体積
8. 電流・スピントルク項
磁性体への電流注入やスピン流により、追加トルク項を含む拡張LLGが用いられる。
8.1 Zhang–Li型(移流形)
:スピンドリフト速度(電流密度や分極率に依存) :非断熱パラメータ
8.2 Slonczewski型(固定分極方向 p を仮定)
界面スピン軌道トルク(SOT)では、有効分極方向の取り方や電流分布モデルが鍵になる。
9. 反磁界計算と境界条件
9.1 反磁界(長距離相互作用)の計算
反磁界はポアソン型問題や畳み込みとして表現され、有限差分ではFFT畳み込みで高速化されることが多い。周期境界条件(PBC)を入れる場合、反磁界の取り扱いが変わるため、実装が想定する“周期性”の次元(1D/2D/3D周期)を確認する必要がある。
9.2 境界条件の例
- 交換境界:自由境界(法線方向勾配ゼロ)や固定境界(表面スピン固定)
- DMI境界:界面DMIでは自然境界条件が磁壁の巻き方に影響する
- 磁性/非磁性界面:
や の不連続をどう扱うか(格子・要素の物性割当て)が重要である
10. 出力と解析
10.1 典型出力
のスナップショット、動画 - 全磁化
とヒステリシス - エネルギー各項
の時間変化 - トポロジカル量(スキルミオン数など、定義は離散化に依存)
10.2 周波数解析(共鳴・スピン波)
パルス磁場を与えて
11. 標準問題
マイクロ磁化コードは、反磁界・交換・境界条件・時間積分など複数要素が絡むため、既知の標準問題での検証が重要である。
- μMAG標準問題:同一の幾何・材料定数・磁場条件に対し、複数コードで時系列や最終状態を比較する枠組みである
- 標準問題#4:薄膜長方形の反転ダイナミクスを比較する動的問題であり、時間発展の差が出やすい
数値条件(セルサイズ、時間刻み、収束判定)により結果が変わりうるため、再現性のための条件記録が必須である。
12. 代表的ソフトウェア
| ソフトウェア | 離散化 | 特徴 | 向きやすい題材 |
|---|---|---|---|
| OOMMF | 有限差分 | 公開ドキュメントが充実、古典的ベンチマークが多い | 基本検証、標準問題、2D/薄膜系 |
| MuMax3 | 有限差分(GPU) | GPU+FFTで大規模・高速、動的問題に強い | 大面積薄膜、スキルミオン、SOT/STT、時間発展 |
| FEM系コード | 有限要素 | 曲面・複雑形状・多結晶形状への適合 | 永久磁石粒界、複雑形状デバイス |
国内文献でも、差分法としてOOMMFやMuMax系、有限要素法として各種CAEが言及されており、目的に応じた選択が推奨される。
13. 典型ワークフロー
- 目的の明確化(準静的か動的か、熱ゆらぎや電流を入れるか)
- 形状とスケール設定(厚さ、エッジ、粒界、欠陥、周期性)
- 材料パラメータ設定(
、必要ならDMI・界面異方性・交換結合など) - メッシュ設計(交換長に基づくセルサイズ、形状表現の妥当性)
- 初期状態の生成(飽和状態、ランダム、既知磁区からの緩和)
- 緩和計算(平衡状態の取得)と、その後の外場掃引・パルス印加・電流印加
- 可視化と診断(エネルギー収支、磁化保存、反転経路、統計量)
- 標準問題や他コードとの比較による検証
14. 注意点
- セルサイズが大きすぎて磁壁が解像できない(見かけ上のピン止めが発生する)
- 単位系の混在(A/m、T、J/m3、erg/cm3など)
- 反磁界の境界条件(PBCの次元、自由空間の扱い)を誤る
- 時間刻みが粗く、歳差運動が数値的に過減衰・過振動になる
- 減衰定数を目的(準静的/動的)に合わない値で固定し、解釈が揺れる
- 温度項を入れたのにアンサンブル平均を取らず、単一軌道で議論する
まとめ
LLG方程式にもとづくマイクロ磁化シミュレーションは、エネルギー汎関数から実効磁界を導き、磁化ベクトル場の拘束つき時間発展として解く枠組みである。計算の成否は、エネルギー項の選択、交換長にもとづくメッシュ設計、反磁界計算、時間積分の安定性、標準問題による検証という一連の整合性に依存する。