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モリブデン(Mo)

モリブデン(Mo)は、非常に高い融点と優れた高温強度を持つ「耐火金属(refractory metal)」であり、鋼材の高性能化(耐熱・耐食・強度)を支える代表的な合金元素である。一方で、供給の多くが銅鉱山の副産物として成立するため、銅の需給・鉱石品位・鉱山寿命といった資源側の要因が、Moの価格・供給安定性へ波及しやすいという特徴を持つ。

参考ドキュメント

1. 基本情報

項目内容
元素名モリブデン
元素記号 / 原子番号Mo / 42
標準原子量95.95
族 / 周期 / ブロック第6族 / 第5周期 / dブロック(遷移金属)
電子配置[Kr]4d55s1
常温常圧での状態固体(金属)
常温の結晶構造(代表)bcc(体心立方;空間群 Im3¯m
代表的な酸化数0,+2,+3,+4,+5,+6(実用上は +6(モリブデン酸塩)と +4(硫化物)などが重要)
主要同位体(研究上重要)安定同位体が複数(例:92,94,95,96,97,98,100Mo など)。医療・核分野では放射性同位体 99Mo が重要な文脈を持つ。
代表的工業形態Mo金属(粉末・棒・板)、フェロモリブデン(Fe–Mo)、酸化モリブデン MoO3、二硫化モリブデン MoS2、モリブデン酸塩(モリブデン酸ナトリウム等)
  • 補足(モリブデンを元素として扱う際の要点)
    • Moは「鋼の合金元素」としての顔が最も大きいが、同時に触媒・潤滑・顔料など化学用途でも重要である。用途の広がりが大きいほど、需給ショックが複数の産業に同時に波及しうるため、材料設計と資源・制度をセットで捉える視点が有効である。
    • 供給面では、Moが単独鉱山(一次モリブデン鉱床)だけでなく、銅の斑岩鉱床からの副産回収に大きく依存する点が本質である。この構造は「Mo需要が強くても、銅が減産すればMoが不足する」など、単一金属では直感しにくい制約を生む。

2. 歴史

  • 発見と元素同定

    • Moは近代化学の成立期に「鉱物(とくに硫化物)から元素へ」を切り分けて理解された遷移金属の一つである。鉱物名(molybdenite など)と元素名が結びつく背景には、当時の鉱物学・分析化学の発展がある。
    • その後、金属Moとしての利用が拡大したのは、高温での安定性と、合金元素として鋼の性能を押し上げる効果が工業的に評価されたことが大きい。
  • 近代製鋼と合金元素としての確立

    • 20世紀に入ると、耐熱鋼・工具鋼・ステンレス鋼の高度化に伴い、Moは「少量添加で性質を大きく変える元素」として地位を確立した。とくに高温クリープ強度や耐孔食性など、エネルギー・化学プラントで効く指標に寄与しやすい。
    • 同時に、石油精製の高度化(脱硫など)ではCo–MoやNi–Mo系触媒が広く普及し、Moは冶金用途だけでなく化学プロセス側の要素技術としても重要になった。

3. モリブデンを理解する

  • 電子構造(d電子と多様な化学状態)

    • Moはdブロック遷移金属であり、d電子が結合・磁性・化学反応性の多様性を生む。金属状態だけでなく、酸化物(+6)や硫化物(+4)など、価数と配位環境で物性が大きく変わる点が重要である。
    • 材料設計では、Moを「元素」としてではなく、「鋼中の固溶元素」「炭化物としてのMo」「触媒表面のMoSx相」のように、存在形態(相・化学状態)で議論単位を切ると、因果関係が整理しやすい。
  • 耐火金属としての高融点・高温強度

    • Moは融点が非常に高く、高温での強度保持に優れるため、耐熱部材や高温環境の構造要素に向く。一方で、脆性や酸化雰囲気での酸化挙動など、環境依存の制約も同時に持つ。
    • 実装上は「Mo単体」よりも、鋼・超合金・表面処理・複合化の中で、Moの機能を必要十分に引き出す設計が選ばれることが多い。
  • 化学用途(触媒・潤滑・顔料)

    • Moは触媒・潤滑・顔料など多様な化学用途を持ち、エネルギー変換・資源精製のプロセス側に深く入り込む。材料開発と同様に、反応場(温度、硫黄、還元雰囲気)で安定なMo相が何か、という相平衡・表面化学の視点が支配的になる。
    • とくに硫化物(MoS2系)や酸化物(MoO3系)は、冶金とは別の設計言語(活性点、担体、欠陥、層状構造)で扱われるため、同一元素でも分野横断の理解が必要になる。

4. 小話

  • 「Moは銅の景気に引きずられる」ことがある

    • Moは銅鉱山の副産回収が大きいため、銅が減産するとMo供給も絞られやすい。これは、Mo需要が強い局面でも供給が追随しない可能性があることを意味する。
    • したがって需給分析では、Moそのものの投資・操業だけでなく、銅鉱山の品位低下や鉱山寿命など、上流の構造変化を同時に見る必要がある。
  • リサイクルは「合金スクラップの中に埋め込まれている」

    • Moは触媒スクラップや鉄鋼スクラップ、超合金スクラップとして回収されることが多く、単独金属の回収というより「合金循環の一部」としてリサイクルされる。
    • 循環材は化学形態が複雑であるほど回収・精製の設計が難しくなるため、資源循環を増やすほど、分別・トレーサビリティ・成分管理が技術要件として前に出やすい。

5. 地球化学・産状

5.1 主な鉱石・鉱物形態

  • モリブデン鉱(molybdenite)MoS2

    • Mo資源として最も重要な鉱物であり、層状硫化物として産する。鉱石処理(粉砕・浮選)では硫化物としての性質が利用されることが多い。
    • 層状物質であることは、資源鉱物としてだけでなく、潤滑材料や2D材料の母相としての研究関心にもつながっている。
  • モリブデン酸塩鉱物(例:ウルフェナイト PbMoO4 など)

    • Moは硫化物以外にモリブデン酸塩(モリブデン酸根 MoO42)としても鉱物化しうる。酸化環境・酸化帯での生成や、他元素(Pb, Ca など)との結びつきが産状を規定する。
    • 資源としての支配度は硫化物に及ばない場合が多いが、地球化学の観点では酸化還元環境を映す指標として扱われることもある。

5.2 鉱床と生成環境

  • 斑岩(ポーフィリー)鉱床と副産回収
    • Moは大規模な低品位斑岩Mo鉱床の主金属としても、斑岩Cu鉱床の随伴金属としても産する。後者(Cu鉱床の副産)が大きいことが、供給構造を特徴づける。
    • 斑岩Cu鉱山の鉱石品位低下や操業計画は、Mo供給の中期トレンドに影響しやすく、資源評価では「Moの鉱量」だけでなく「Cu鉱山の稼働前提」を同時に確認するのが実務的である。

5.3 地球表層化学との関係

  • 酸化環境でのモリブデン酸塩化
    • Moは酸化的な条件でモリブデン酸塩として振る舞う傾向があり、溶液化学・吸着・沈殿を通じて移動・濃集する。水圏・地球化学では、モリブデンが酸化還元状態のトレーサーとして議論されることがある。
    • 一方で工業的には、モリブデン酸塩は防錆顔料・水処理などの化学用途にも接続し、地球化学の概念が実用材料に転写される例ともいえる。

6. 採掘・製造・精錬・リサイクル

6.1 採掘と選鉱(硫化物の回収)

  • 浮選による濃縮
    • MoS2を含む鉱石は、粉砕後に浮選で硫化物精鉱として濃縮されることが一般的である。副産回収の場合は、Cu精鉱の処理フローの中でMo回収が組み込まれる。
    • この段階の回収効率は、鉱石の鉱物学的性質(粒度、共存硫化物、酸化度)と薬剤条件に依存し、上流の鉱床条件がプロセスコストへ直結する。

6.2 焙焼と酸化物(MoO3)化

  • 代表的な反応イメージ
    • MoS2精鉱は焙焼により酸化され、酸化モリブデン(モリブデン酸化物)として取り扱われる流れが多い。概念反応は次で表される。
2MoS2+7O22MoO3+4SO2
  • 実操業では、硫黄分の挙動、揮発性酸化物の取り扱い、ガス処理(SOx)など、環境・設備要件がコストに影響する。

6.3 金属Mo・フェロモリブデンの製造

  • 還元と合金化
    • MoO3は水素還元などでMo粉末へ変換され、粉末冶金・加工を経て棒材・板材として供給される。高融点金属は加工難易度が高く、粉末品質や焼結条件が最終特性に効きやすい。
    • 製鋼用途ではフェロモリブデン(Fe–Mo)が使われることが多く、溶鋼への添加・溶解性・歩留まりの観点で実務的に扱いやすい形に最適化されている。

6.4 二次資源(リサイクル)と循環の位置づけ

  • 合金スクラップと触媒スクラップ
    • Moは触媒、鉄鋼スクラップ、超合金スクラップの成分として回収される。リサイクルは一次資源を代替しうるが、回収対象が複合材であるほど回収・精製プロセスが複雑化しやすい。
    • 循環を増やすには、回収側のプロセスだけでなく、使用側での成分設計(混入許容量)と分別システム(スクラップのグレード化)が同時に必要になる。

6.5 国内視点(日本の需給把握)

  • 輸入依存と用途構造
    • 日本ではMo資源の自給が限定的であり、原料・中間品・合金として海外供給網に依存する。したがって、鋼材・化学触媒・電子材料など用途側の需要変動が、調達戦略(在庫、複数調達、代替材)に反映されやすい。
    • 国内の需要・用途の概観は、JOGMECのマテリアルフローのような整理資料が有用であり、研究開発でも「どの用途のどの形態(Mo金属/Fe–Mo/Mo化合物)が支配的か」を先に押さえると議論がぶれにくい。

7. 物理化学的性質・特徴

7.1 熱・力学・輸送

値は純度、加工履歴、結晶粒、欠陥、温度で変化する。材料として扱う際は、金属Mo(加工材)か粉末冶金材か、合金中のMoかを明示することが再現性の前提である。

項目値(代表値)備考
融点約 2623 ℃高温構造材・耐熱用途の根拠
沸点約 4639 ℃高温プロセス・蒸発挙動の議論に関係
密度約 10.2 g cm3高融点金属としては中程度の密度
結晶構造bcc常温から高温まで同一構造で議論されることが多い
  • 補足
    • 高融点であることは利点である一方、加工・接合・酸化雰囲気での安定性が制約になることがある。単体材料としての優位性は、使用環境(真空、還元、酸化)との相性で決まる。
    • 鋼中のMoは、固溶や炭化物形成を通じて強度・耐熱・耐食に効くが、その効果は炭素量、Cr/Niなど共存元素、熱処理条件に強く依存する。

7.2 磁性

項目内容(要点)備考
室温の磁性強磁性ではない(金属としては弱い常磁性側の挙動が主)磁気デバイス材料としては主役ではない
工学的含意磁性よりも、合金元素・高温材料・化学用途で価値が立つ導体として渦電流評価が必要になる場面はありうる
  • 補足
    • Moは磁性の主材料ではないが、合金の電気抵抗・熱伝導・高温安定性に影響し、結果として電磁環境下の損失や熱設計に間接的に効く場合がある。
    • 「磁性が弱い=電磁影響が小さい」ではないため、用途が高周波・高電流に近い場合は別途評価が必要である。

7.3 酸化・腐食と環境依存性

  • 酸化物形成と雰囲気依存
    • Moは酸化雰囲気で酸化物を形成しやすく、高温酸化は寿命制約になりうる。したがって、耐酸化が必要な用途では保護膜・被覆・合金化が重要になる。
    • 一方で、水溶液環境ではMo含有ステンレスが耐孔食性を高めるなど、Moが「耐食性向上元素」として機能する文脈が強い。純金属の腐食と合金中の効果は区別して整理するのが有効である。

7.4 モリブデン酸塩(モリブデート)の溶液化学

  • +6状態とモリブデン酸根
    • 酸化状態+6では、モリブデン酸根 MoO42 を基本単位として振る舞うことが多い。pHや共存イオンで多核種(ポリモリブデート)を形成するなど、溶液化学は単純ではない。
    • 防錆・顔料・水処理などの応用では、この溶液化学(沈殿、吸着、錯形成)が性能と環境影響の両方に直結する。

7.5 MoS2(層状硫化物)の材料性

  • 層状構造と機能
    • MoS2は層状構造を持ち、固体潤滑や触媒、2D材料として重要な研究対象である。層間すべりのしやすさや欠陥・端面の反応性など、構造の異方性が機能へ直結する。
    • 金属Moや酸化物MoO3とは設計言語が異なるため、Mo系材料を議論する際は、化学状態(Mo, MoO3, MoS2)を明示することが有効である。

8. 研究としての面白味

  • 鋼・超合金の微量合金設計(少量で効く機構の解像度)

    • Moは少量添加で相安定性、析出挙動、拡散、炭化物形成を通じて物性を大きく変えるため、「微量元素が支配する機構」を追う題材として面白い。熱処理と組織の相関を、マルチスケール(原子〜析出〜結晶粒)でつなぐ研究が成立しやすい。
    • 実装価値が高い一方で、共存元素やプロセス履歴で結果が変わりやすく、統計的設計やデータ駆動最適化の題材にもなりやすい。
  • 触媒(硫化物・酸化物表面の相変化)

    • Co–Mo/Ni–Mo系触媒では、運転条件で活性相が変化しうるため、in-situ/operando計測と理論計算の接続が研究価値の中心になる。材料開発の指針が「活性点の構造」として言語化されやすい。
    • 同じMoでも冶金用途とは異なる評価指標(活性、選択性、耐久)で最適化され、異分野の知見が交差しやすい。
  • 2D材料(MoS2など)とデバイス応用

    • 層状硫化物は、薄膜・界面・欠陥工学の観点で研究が進む領域である。材料科学(成長、欠陥)とデバイス物理(輸送、界面)が直結しやすい。
    • 一方で、量産性や再現性、接触抵抗など実装課題も大きく、基礎から応用まで連続した研究設計ができる。

9. 応用例

9.1 材料設計の軸

  • 合金元素としてのMo(強度・耐熱・耐食)

    • 鋼・鋳鉄においてMoは主要用途を持ち、代替が容易ではないとされる。要求性能(高温強度、焼戻し軟化抵抗、耐食)に対し、Moをどの相(固溶/析出)で効かせるかが設計の要点である。
    • ステンレスでは耐孔食性向上の文脈で語られやすく、Cr・Ni・Nとの相乗効果を含めて合金設計されることが多い。
  • 化学用途(触媒・潤滑・顔料)

    • 石油精製などでは脱硫触媒としてMo系触媒が使われ、環境規制(硫黄分低減)と材料が直接結びつく。触媒寿命や再生、金属回収(リサイクル)まで含めた循環設計が重要になる。
    • MoS2系は固体潤滑としても知られ、真空・高温など条件で優位性が出る場合がある。用途条件で優位性が変わるため、環境依存性を明示するのが実務的である。

9.2 具体例

  • エネルギー・インフラ(発電、配管、圧力容器)
    • 高温・高圧・腐食環境に置かれる部材では、Mo含有鋼が選択肢になる。寿命・保全コストが支配的な領域では、材料単価より信頼性が意思決定を支配しやすい。
  • 石油・化学プロセス(脱硫触媒)
    • 燃料の低硫黄化は規制と直結し、触媒技術はその実装の中心要素である。触媒としてのMoは、プロセス条件での相安定性が性能に直結する。
  • 高温部材・電気炉(耐火金属・発熱体周辺)
    • Moは高融点を活かして高温部材に用いられるが、酸化雰囲気では制約があるため、真空・不活性・還元雰囲気など使用条件が設計前提になる。
  • 先端薄膜・2D材料(MoS2
    • 薄膜成長・欠陥工学・界面制御が中心となり、電子デバイス・光デバイス・センサーなどへ展開が議論される。実装では接触抵抗・均一性・大面積化が課題になりやすい。

10. 地政学・政策・規制

  • 供給構造(主要国と副産依存)

    • 世界生産は特定国に偏り、上位国が大半を占めるという集中性を持つ。さらに、主要生産国の多くが「銅鉱山の副産」としてMoを生産するため、銅鉱山の品位・寿命・投資がMoの供給に影響する。
    • 鉱石品位の低下や、将来の鉱山寿命(mid-2030sに到達する可能性など)が供給見通しに関与するという指摘は、資源リスクを考える上で重要である。
  • 価格変動と産業波及

    • Moは鋼材・触媒・化学用途にまたがるため、価格変動が複数産業へ同時に波及しやすい。とくにインフラ投資やエネルギー転換(発電・送配電・設備更新)が需要側の構造要因になりうる。
    • 研究開発では、材料置換(設計自由度)と、回収・リサイクル(供給側の柔軟性)を同時に改善する方向が、供給不確実性への耐性を高めやすい。
  • 貿易管理・輸出管理の影響(更新されうる論点)

    • Moは輸出管理や通商政策の影響を受けうるため、最新の制度変更は継続的な確認が必要である。供給集中が強い材料ほど、規制変更の影響が顕在化しやすい。
    • 技術側では、トレーサビリティ、調達先分散、リサイクル比率の引き上げが、制度リスクの緩和策として位置づけられることが多い。

まとめと展望

モリブデンは、高融点遷移金属としての基礎物性と、鋼の性能を押し上げる合金元素としての実用価値が強く結びついた元素である。今後は、クリーンエネルギー・インフラ更新に伴う需要の変化と、銅鉱山副産という供給構造の制約が同時に効くことで、材料設計・資源循環・政策がより強く接続していくと見込まれる。研究開発では、(i) 合金設計による性能向上、(ii) 触媒・化学用途の高機能化、(iii) スクラップ循環と成分管理の高度化を同時に進めることが、供給不確実性に強い材料実装へつながる。

参考文献