Skip to content

物理数学の初歩

物理数学とは、物理法則を数式として表し、その構造(線形性、対称性、保存則、境界条件)を手がかりに解くための数学体系である。微分方程式・線形代数・複素解析・フーリエ解析・特殊関数が相互に結びつき、同じ現象が別の表現で見通せるようになる点に特徴があるのである。

参考ドキュメント

  1. 東京大学(松尾):物理数学I 講義ノート(複素関数論・常微分方程式)
    https://www-hep.phys.s.u-tokyo.ac.jp/~matsuo/file/PhysicalMathematics1-2019.pdf
  2. 東京大学(松尾):物理数学II 講義ノート(フーリエ変換・特殊関数)
    https://www-hep.phys.s.u-tokyo.ac.jp/~matsuo/file/Bussu2-2024.pdf
  3. NIST Digital Library of Mathematical Functions(特殊関数の標準リファレンス)
    https://dlmf.nist.gov/

1. 物理数学の中心テーマ:線形化と固有値問題

多くの物理現象は非線形であるが、平衡点の近傍、小さな揺らぎ、弱い外場などでは線形化が有効になることが多い。線形化ができると、現象は「線形作用素の固有値問題」として整理される。

線形作用素 L と未知関数 u に対して

Lu=f

を解くことが、広い意味での基本形である。特に同次方程式

Lu=0

の解空間の構造、さらに固有値問題

Lu=λu

が、振動数、緩和率、エネルギー準位、散乱位相などの物理量に直結するのである。

この見方を支える概念は次である。

  • 線形性:重ね合わせ u=u1+u2 が意味を持つ
  • 境界条件:現象の設定が解の一意性を決める
  • 直交性:モード分解(基底展開)を可能にする
  • スペクトル:固有値分布が長時間挙動や応答を支配する

2. ベクトル解析:場を扱うための最初の言語

電磁気学、流体、弾性体では、スカラー場 ϕ(r) とベクトル場 A(r) を扱う。ここで中心となる微分演算子は grad, div, curl である。

2.1 基本演算子

直交座標 (x,y,z) では

  • 勾配(grad)
ϕ=(ϕx,ϕy,ϕz)
  • 発散(div)
A=Axx+Ayy+Azz
  • 回転(curl)
×A=(AzyAyz,AxzAzx,AyxAxy)
  • ラプラシアン
2ϕ=2ϕx2+2ϕy2+2ϕz2

が基本である。2 は拡散や静電ポテンシャルで繰り返し現れる中心的作用素である。

2.2 積分定理:局所法則と大域量を結ぶ

  • ガウスの発散定理
V(A)dV=VAdS
  • ストークスの定理
S(×A)dS=SAdl

は、微分形の法則(局所)と保存則(大域)を結ぶ。マクスウェル方程式の微分形と積分形が同値であることの根拠でもある。

2.3 座標変換とヤコビアン

物理では対称性に合う座標系(円筒・球など)を選ぶと解が著しく簡単になる。座標変換 (x,y,z)(u1,u2,u3) の体積要素はヤコビアン J により

dV=|J|du1du2du3

で与えられる。直交曲線座標ではスケール因子 hi を用いて

dV=h1h2h3du1du2du3

となり、2hi を含む形に一般化される。

座標系の選択は単なる計算の工夫ではなく、境界条件と対称性を数式へ反映する操作である。

座標系変数体積要素 dVよく現れる問題
直交座標(x,y,z)dxdydz一様媒体、局所近似
円筒座標(r,φ,z)rdrdφdz円柱対称、導波路
球座標(r,θ,φ)r2sinθdrdθdφ中心力、放射問題

3. 線形代数:物理の「空間」と「作用素」を同じ形で扱う

物理数学では、ベクトル空間と線形作用素の理解が不可欠である。量子力学の状態空間、古典力学の正準変換、小振動解析の正規モードなどは、線形代数の言葉で統一される。

3.1 内積・直交・射影

内積 x,y が入ると、長さ x と角度、直交性が定義される。直交基底 {ei} を用いると

x=ixiei,xi=ei,x

という展開が成立し、モード分解の基礎になる。

3.2 固有値問題と対角化

行列 A に対し

Av=λv

を満たす λ,v が固有値・固有ベクトルである。物理では、λ が固有振動数の二乗、緩和率、エネルギーなどとして現れる。

実対称行列 A=AT(複素ならエルミート A=A)は直交(ユニタリ)変換で対角化でき、固有ベクトルが直交に取れる。これにより、複雑な結合系が独立モードの重ね合わせへ分解されるのである。

4. 常微分方程式:運動方程式を解の構造として理解する

4.1 線形常微分方程式

2階線形 ODE の基本形

y+p(x)y+q(x)y=r(x)

では、同次解 yh と特解 yp を用いて

y=yh+yp

と書ける。係数一定なら特性方程式が有効であり、係数が変化する場合は級数解や特殊関数へつながる。

4.2 グリーン関数(1次元の入口)

線形作用素 L に対し

Ly=r(x)

を解くため、グリーン関数 G(x,ξ)

LG(x,ξ)=δ(xξ)

で定義すると

y(x)=G(x,ξ)r(ξ)dξ

の形で解が書ける。境界条件は G の条件として組み込まれ、解の構造が明確になるのである。

4.3 ストルム・リウヴィル問題と直交展開

基本形

ddx(p(x)dudx)+q(x)u=λw(x)u

を境界条件付きで考えると、固有関数 {un} は重み w(x) の内積で直交し、関数展開

f(x)=ncnun(x)

が成立する条件が整う。PDE の分離定数が固有値になる仕組みはここにある。

5. 複素関数論:積分を計算し、物理量の解析構造を読む

複素解析は、積分計算だけでなく、応答関数や散乱振幅の解析接続、極(pole)と緩和・共鳴の関係など、物理的意味と密接に結びつく。

5.1 正則関数とコーシーの積分公式

正則関数 f(z) に対し、閉曲線 C が領域内にあり z0 を囲むとき

f(z0)=12πiCf(z)zz0dz

が成り立つ。微分も積分表示で与えられるため、正則性は非常に強い制約である。

5.2 留数定理

孤立特異点 zk を囲む閉曲線に対して

Cf(z)dz=2πikRes(f,zk)

が成り立つ。実積分の評価は、被積分関数を複素平面へ拡張し、適切な経路を選ぶことで系統的に扱える。

留数計算は「極が何を意味するか」を読む手段にもなる。例えば、応答関数の極は緩和時間や共鳴周波数を与えることが多いのである。

概念複素平面での対象物理的な読み替えの例
極(pole)分母が 0共鳴、緩和モード
分岐点(branch point)多価性連続スペクトル、しきい値
解析接続領域の拡張位相シフト、因果性の議論

6. フーリエ解析とラプラス変換:時間・周波数・空間を往復する

6.1 フーリエ級数と直交性

周期関数 f(x)[π,π] 上で展開すると

f(x)=a02+n=1(ancosnx+bnsinnx)

である。直交性により係数が一意に定まる。この枠組みは、境界条件付き PDE の固有関数展開に直結する。

6.2 フーリエ変換と畳み込み

フーリエ変換は

f^(k)=f(x)eikxdx

で定義され、微分が代数的操作へ変わる

F[dfdx]=ikf^(k)

という性質が重要である。

畳み込み

(fg)(x)=f(xξ)g(ξ)dξ

はフーリエ空間で積になる

fg^(k)=f^(k)g^(k)

ため、線形応答や拡散方程式の基本解の扱いに自然に現れる。

6.3 ラプラス変換(初期値問題)

ラプラス変換

L[f](s)=0f(t)estdt

は、初期値条件を含む微分方程式を代数方程式へ移すのに適する。指数減衰や因果性(t<0 で 0)との相性が良い。

変換主な対象強みよく現れる場面
フーリエ変換全時間・全空間周波数分解、微分が乗算スペクトル、波動、回折
ラプラス変換t0初期値を自然に扱う回路、緩和、応答
フーリエ級数周期直交展開境界値問題、共鳴モード

7. 偏微分方程式:分類と代表方程式

物理の PDE は、線形・2階・定数係数でまず直観を作るのがよい。2変数 (x,t) の2階 PDE を

Auxx+2Buxt+Cutt+=0

と書くとき、判別式 B2AC の符号により分類される。

分類条件基本例物理的意味
楕円型B2AC<0ラプラス方程式 2u=0静的平衡、境界値問題
放物型B2AC=0熱方程式 ut=Duxx拡散・緩和、初期値問題
双曲型B2AC>0波動方程式 utt=c2uxx伝播、因果的影響

7.1 分離定数法と固有関数展開

例えば領域 0<x<L、境界条件 u(0,t)=u(L,t)=0 の熱方程式

ut=Duxx

u(x,t)=X(x)T(t) を仮定すると

1DTT=XX=λ

となり、空間側は固有値問題

X+λX=0,X(0)=X(L)=0

へ帰着する。固有関数 sin(nπx/L) が直交基底を与え、解はモードの重ね合わせになる。

この構造は境界条件によって固有値 λ が離散化されることを意味し、物理では共鳴周波数やエネルギー準位の離散化へ対応するのである。

7.2 グリーン関数

線形 PDE

Lu(r)=f(r)

LG(r,r)=δ(rr)

を満たす G を用いると

u(r)=G(r,r)f(r)dr

が得られる。境界条件が G に入るため、「場がどのように伝わるか」が可視化される形になる。

8. 特殊関数:対称性のある PDE を解く

分離定数法を行うと、角度や半径方向の ODE が現れ、その解が特殊関数になることが多い。特殊関数は恣意的に現れるのではなく、幾何(座標系)と作用素(ラプラシアンなど)の固有関数として現れるのである。性質の参照には体系的リファレンスが有用である。NIST DLMF はその代表である。

8.1 代表例と対応

幾何・問題現れる方程式(概念)現れる関数
円筒対称(導波路、回折)ベッセル型 ODEベッセル関数 Jν,Yν
球対称(中心力、放射)角:ルジャンドル型ルジャンドル多項式 P、球面調和関数 Ym
調和振動子エルミート型エルミート多項式 Hn
水素様原子ラゲール型付随ラゲール多項式 Lnα
より一般超幾何方程式超幾何関数 2F1

8.2 直交性と完全性

特殊関数が便利なのは、直交性と完全性があるためである。例えば球面調和関数は

S2Ym(Ω)Ym(Ω)dΩ=δδmm

を満たし、角度依存性をモード分解できる。この性質は、ラプラシアンの角度部分が自己共役であることに由来する。

8.3 漸化式と生成関数

特殊関数は微分方程式の解であるため、漸化式や微分関係式を持つ。これらは計算の高速化だけでなく、物理量の関係式(選択則、角運動量代数など)を導く源泉にもなるのである。

9. 分布(デルタ関数)とフーリエ:連続系を扱う

ディラックのデルタ関数 δ(x) は「関数」ではなく分布として理解するのが自然である。基本性質は

δ(xa)f(x)dx=f(a)

である。点状の源(点電荷、点力、点熱源)を表現する際に不可欠となる。

フーリエ変換との関係として

δ(x)=12πeikxdk

のような表現があり、グリーン関数の導出で自然に現れる。

10. 変分法:最小作用から方程式を導く

多くの物理法則は「ある汎関数が極値をとる」という形で表される。汎関数

J[y]=x1x2L(x,y,y)dx

が極値をとる条件は、オイラー=ラグランジュ方程式

Lyddx(Ly)=0

である。

これは解析力学のラグランジアンから運動方程式を導く標準的枠組みであり、さらに場の理論では y(x) が場 ϕ(r,t) に置き換わって同様の式が成立する。

拘束条件がある場合はラグランジュ未定乗数を導入して汎関数を拡張し、同時に極値条件を課すことで取り扱う。

11. 漸近解析の入口:厳密解が難しいときの構造把握

厳密解が得られない場合でも、小さなパラメータや大きなパラメータがあるとき、漸近展開が有効になる。

  • べき級数展開
  • 漸近級数
  • 鞍点法(定積分の大域評価の基礎)
  • WKB 近似(量子力学の半古典近似の入口)

漸近解析は「何が支配的か」を定量化する方法であり、物理的近似の正当化と結びつくのである。

12. 物理数学の概観

最後に、初歩段階で整理しておくと見通しが良い対応関係を表にまとめる。

現象・モデル数学的骨格主な道具
拡散・緩和放物型 PDEフーリエ、ラプラス、グリーン関数
波動・伝播双曲型 PDE特性、フーリエ、固有モード
静電・定常場楕円型 PDE境界値問題、調和関数、グリーン関数
中心力・角運動量分離と固有値球面調和関数、ルジャンドル
円筒対称問題分離と固有値ベッセル関数
小振動線形代数固有値分解、正規モード
応答・共鳴解析構造複素解析、極と留数、因果性

この対応が頭の中にできると、問題を見た瞬間に「どの数式構造が背後にあるか」が推測できるようになるのである。

まとめと展望

物理数学の初歩は、ベクトル解析で場の微分・積分関係を扱い、線形代数でモード分解と固有値問題を理解し、常微分方程式と偏微分方程式を分離・展開・グリーン関数で解く枠組みを身に付ける段階である。そこに複素解析とフーリエ解析が加わることで、積分評価、周波数領域での簡約、特殊関数による解析解の構成が一つの体系として結びつくのである。

展望としては、第一に、自己共役作用素とスペクトル理論を深めることで、量子力学や波動の一般論(連続スペクトルを含む)への理解が自然に拡張される。第二に、グリーン関数と分布の言語を強化することで、境界条件や源項を含む多様な場の問題が統一的に扱える。第三に、漸近解析や変分法を学ぶことで、厳密解が得られない系でも物理的本質を抽出する見通しが得られるのである。

参考文献