計測インフォマティクス(Measurement Informatics)
4つのインフォマティクスのうち、「計測インフォマティクス」について概説する。
参考にしたドキュメント
- 石井 真史「計測インフォマティクスと機械学習」応用物理 92(2), 108–111
https://www.jstage.jst.go.jp/article/oubutsu/92/2/92_108/_pdf/-char/ja - Takahashi Group: Measurement Informatics & Signal Processing
https://takahashigroup.github.io/research/
1. 計測インフォマティクスとは何か
- 計測インフォマティクス(Measurement Informatics, MEI)は、
- 実験・計測装置から得られる「信号・データ」を中心に据え、
- その取得・前処理・特徴抽出・解釈・フィードバックまでを データ科学・機械学習と統合的に扱う枠組みである。
- 材料インフォマティクスが
- 「材料の組成・構造 → 特性」のモデル化に主眼を置くのに対し、
- 計測インフォマティクスは
- 「測り方・データ品質・信号処理 → 有用な観測量」 に焦点を当てる。
- 目的は、
- 高価で貴重な実験データ(放射光・電子顕微鏡・MBN 等)の情報量を最大化し、
- 不確かさを定量化しつつ、効率的な実験設計・自律実験につなげることである。
2. 対象とスコープ
このページで扱うのは、「計測データとその処理」に関わる部分であり、典型的には:
データの種類
- スペクトル:XAFS, XPS, ARPES, Raman, EELS など
- 画像:XRD 2D パターン、顕微鏡画像(SEM, TEM, MOKE, Kerr, STEM 等)
- 時系列:磁気雑音(MBN)、振動測定、インピーダンス測定など
- マルチモーダル:スペクトル+画像+スカラー値が同時に得られる測定系
スコープ
- 計測条件・装置設定 → 生データ取得 → 前処理 → 特徴抽出 → モデル化 → フィードバック
- データ品質評価・不確かさ評価
- 自律実験・オンライン解析
ここでは、プロセス条件(熱処理レシピなど)の最適化は「プロセスインフォマティクス」、
物理モデル(DFT, MD, PDE など)との連成は「物理インフォマティクス」で扱う前提にし、
計測インフォマティクスは「計測データと信号処理」に役割を限定する。
3. 計測データ処理の流れ
計測インフォマティクスの標準的なフローは、次のように整理できる。
計測設計・メタデータ定義
- 何を測るか(ターゲット物理量)
- どの装置・どの設定で測るか(エネルギー・磁場・温度・幾何)
- 試料情報・プロセス履歴・測定条件をメタデータとして整理
データ取得(Acquisition)
- 実験装置から生データ(raw data)を取得
- ノイズ・ドリフト・装置固有の系統誤差を考慮したフォーマットで保存
前処理(Pre-processing)
- ノイズ除去(平滑化、フィルタリング、ベースライン補正)
- 正規化・スケーリング(積分値・ I0 で割る、背景除去など)
- 欠損値の補完・異常値検出
特徴抽出(Feature Extraction)
- スペクトルの場合:ピーク位置・強度・半値幅、PCA/NMF 成分、波数領域特徴など
- 画像の場合:テクスチャ特徴、ドメイン形状、トポロジカル指標(位相場・粒径分布)など
- 時系列の場合:自己相関、スペクトル密度、緩和時間定数など
モデル化・可視化
- 教師あり学習で物性・構造と結びつける
- 教師なし学習でパターンやクラスターを発見する
- 次元削減で直感的に可視化(PCA, t-SNE, UMAP など)
フィードバック
- 「どの条件でどんなデータが取れたか」を基に、
- 次の測定条件を提案(アクティブ・ベイズ最適化など)
- ここでプロセスインフォマティクス・材料インフォマティクスと連携する。
4. 典型的な解析タスクと手法
4.1 ノイズ除去・信号改善
目的:
- 放射光や電子顕微鏡など、取得コストの高い計測に対して、
- 低 S/N の生データから信頼できる物理量を取り出す。
手法の例:
- 線形手法:移動平均、Savitzky–Golay フィルタ、Wavelet デノイジング
- 統計・行列分解:PCA, NMF, Robust PCA による信号分離
- 機械学習:Denoising Autoencoder や U-Net による超解像・ノイズ除去
4.2 ピーク分離・スペクトル分解
複雑に重なったピークを分解し、
- 化学状態・価数・局所構造などを定量するタスク。
例:
- XAFS・XPS スペクトルのピークフィッティング
- Raman/EELS の複数モード分離
- 多元合金の XRD パターンから相ごとの寄与を推定
手法:
- 非線形フィッティング(Gaussian/Lorentzian/Voigt)
- NMF / ICA によるスペクトル分解
- スペクトル辞書(辞書学習)+スパース回帰
4.3 次元削減・クラスタリング
多数のスペクトル・画像・パターンをまとめて扱う場合、
- PCA, UMAP などで低次元に埋め込み、
- HDBSCAN などでクラスタリングすることで、
- 「類似した測定データ群」や「異常サンプル」を自動的に抽出できる。
応用例:
- 2D マップ測定(XAFS マッピング、MBN マッピングなど)から 「特性の違う領域」を自動で検出。
- 時系列計測から「典型的な応答パターン」を分類。
4.4 自律実験・オンライン解析
取得した計測データをその場で解析し、
- 次に測るエネルギー、位置、温度などをアルゴリズムが決める 「オンライン・アクティブ実験」の方向性。
フレームワークの要素:
- 計測インフォマティクス:データの即時解析・特徴抽出
- 材料インフォマティクス:特性予測モデル
- プロセスインフォマティクス:実験条件の制約・レシピ
- ベイズ最適化/バンディットアルゴリズム:次の測定点選択
5. データ品質・不確かさの扱い
計測インフォマティクスでは、「データそのものの信頼性」を定量的に扱うことが重要になる。
- 測定ノイズと系統誤差
- 装置固有のオフセット・ドリフト・ビーム強度変動などを メタデータとして記録し、モデルに反映させる。
- 不確かさ評価
- 確率的なモデル(ガウス過程・ベイズ回帰)や アンサンブル学習を用いて予測の不確かさを推定。
- 異常検知
- 計測中の装置トラブルや試料の破損を、データパターンから早期に検知。
これらは、ビームタイムや貴重な試料を無駄にしないための「安全装置」としても機能する。