低ノイズ・高感度な電圧測定技術
微小電圧の計測では、信号そのものよりもノイズ源と結合経路が支配的になりやすい。したがって、ノイズの物理(熱・散弾・1/f・結合)と、計測系の設計(帯域、差動、遮蔽、ガード、同期検波)を同一の枠組みで扱うことが要点である。
参考ドキュメント
- 高感度測定ハンドブック(日本語PDF、シールド・ガード・微小電圧/抵抗測定の体系) https://map-assets.tek.com/map-assets/japan/pdf/LMHandbookJv6_ 240p_KIJ1400_3.pdf
- AN-347:シールディングとガーディング(日本語PDF、シールド接続の考え方と漏れ電流対策) https://www.analog.com/media/jp/technical-documentation/application-notes/an-347_jp.pdf
- ロックイン検出の原理と最新技術(日本語PDF、同期検波の直観と設計観点) https://www.zhinst.com/sites/default/files/documents/2023-07/zi_whitepaper_principles_of_lock-in_detection_jpn_v2.pdf
1. 微小電圧計測の基本表式:スペクトル密度と帯域
微小信号
電圧雑音スペクトル密度を
ここで
2. 支配的ノイズ源の物理とスケーリング
2.1 熱雑音(Johnson-Nyquist noise)
抵抗
帯域
2.2 散弾雑音(shot noise)
電流
電圧雑音に換算するにはインピーダンス
2.3 1/f 雑音(フリッカ雑音)
低周波側で顕著になり、概形として
DC〜数十Hzの微小電圧測定を難しくする主因であり、チョッパ安定化、電流反転、同期検波などの変調で回避する設計が選ばれることが多い。
2.4 結合ノイズ
微小電圧では「装置内で発生する雑音」より「外から入る雑音」の方が支配的になりうる。結合形態は大別して
- 静電結合:浮遊容量を介した電界結合
- 磁界結合:ループ面積に比例する誘導起電力
- 伝導結合:共通インピーダンス(グラウンド経路共有)による混入
である。したがって配線幾何(ループ面積、ツイスト、同軸化)と参照点(リファレンス電位の定義)が本質になる。
3. 「低ノイズ化」の設計原理
3.1 帯域を減らす:平均化・ローパス・積分
白色雑音が支配的なら、雑音は
ただし、1/f雑音やドリフトが強い場合は平均化が効きにくく、変調・反転法へ移行する意義が大きい。
3.2 差動測定:共通モードを落とす
差動増幅器(計装アンプ)は、共通モード電圧
で定義される。高感度領域では、CMRRのカタログ値よりも、配線の不平衡(インピーダンス差)やアンプ入力の容量差が実効CMRRを決めることが多い。
3.3 ループ面積を最小化:ツイスト・同軸・ガード
磁界結合はループ面積に比例して増える。信号線とリターン線を近接させ(ツイストペア、同軸)、ループ面積を縮めることが基本となる。静電結合にはシールドが有効であるが、シールドをどこへ落とすか(信号リファレンスへ落とすか、シャーシへ落とすか)が結果を左右する。
3.4 ガード(guarding)
高抵抗ソースや高インピーダンス入力では、絶縁抵抗に流れる漏れ電流が誤差になる。ガードは、漏れ経路(表面・ケーブル絶縁)を信号と同電位に保つことで、漏れ電流を抑える技術である。概念的には、ガード導体を駆動して絶縁体両端の電位差を小さくする。
漏れ電流
であり、ガードにより
4. DC微小電圧の特有問題:熱起電力(Seebeck)とオフセット
異種金属接点と温度勾配があれば、熱起電力が「勝手に」発生する。微小電圧ではこれが最大の外乱になることが多い。
4.1 熱起電力の抑制:等温化と材質統一
- 接点を等温に近づける(空気流、手で触れる、局所ヒータなどを避ける)
- 異種金属(Cu-Ni, Cu-Feなど)の接点数を減らす
- 同材質でペア化する(端子、コネクタ、はんだ材の選択を含む)
4.2 反転法(デルタ・オフセット補償):DCをACへ写像して分離する
試料に電流を正負反転(矩形波)させ、電圧の差を取ると、熱起電力や計器オフセット(ゆっくり変化するDC成分)を除去できる。
観測電圧を
と書けば、差分で
となり
5. 同期検波(ロックイン):ノイズ帯域を絞る
5.1 原理:乗算(ミキシング)+ローパス
被測定信号
ローパスで高周波項を落とすと、特定周波数近傍の成分のみを抽出できる。2位相(I/Q)にすると振幅と位相を同時に得る。
5.2 ENBWと時定数の関係
ロックインの出力雑音を定量化する要はENBWである。例えば単純化した1次ローパスの時定数を
白色雑音の入力が
5.3 ダイナミックリザーブと過負荷
ロックインは「狭帯域で強い」一方、入力段が飽和すると同期検波以前に破綻する。不要成分(大きな広帯域ノイズや妨害線)が入力を圧迫しないよう、前段での帯域制限(BPF/LPF)とレベル設計が必要である。
6. 低雑音フロントエンド技術:アンプ選定はソース抵抗で変わる
増幅器の入力換算雑音には、電圧雑音密度
入力換算の合成(概念式)は
- 低
:電圧雑音の小さいアンプが有利になりやすい - 高
:電流雑音(バイアス電流由来を含む)と漏れが支配的になりやすい
このため、同じ「低雑音アンプ」でも用途(ナノボルト、電荷、フォト電流、圧電)により最適解が変わる。
6.1 チョッパ安定化・オートゼロ:1/fとオフセットを抑える
DC成分を低周波で変調し、内部でゼロ点補正しながら戻すことで、オフセットと1/f成分を低減する方式がある。低周波のナノボルト領域で特に効くが、変調周波数に由来するリップルやスプリアスが評価対象を汚染しないように、帯域とフィルタ設計が重要になる。
7. デジタル化(ADC)と信号処理:量子化雑音・エイリアシング・同期
7.1 量子化雑音と分解能
理想ADCの量子化ステップを
で見積もれる。微小電圧では前段の利得設計(フルスケールの使い方)が決定的である。
7.2 アンチエイリアスと同期サンプリング
サンプリング周波数
8. 代表的な測定アーキテクチャ
| 方式 | 強み | 主な制約 | 典型ターゲット |
|---|---|---|---|
| ナノボルトメータ(DC) | 低雑音、安定なDC測定 | 熱起電力・ドリフトが支配的 | 微小DC電圧、低抵抗の電圧降下 |
| 反転(デルタ)法 | 熱起電力・オフセット除去に強い | スイッチング周期設計が必要 | 低抵抗、Seebeck混入系 |
| ロックイン(AC変調) | 狭帯域でSNRを劇的に上げる | 入力飽和、参照の質が重要 | 微小応答(磁気・光・機械) |
| 差動+シールド | 外来結合に強い | 配線不平衡でCMRR低下 | 電磁環境が厳しい系 |
| ガード駆動 | 漏れ電流と容量結合を抑制 | ガードの接続設計が難しい | 高抵抗源、容量性試料 |
9. 測定系を「物理で点検」する
微小電圧が測れないとき、原因は大抵「どこかで雑音が発生している」より「どこかから雑音が入っている」または「オフセットが変動している」である。したがって、次の3観測で因果を切り分ける。
- 入力短絡時のノイズ(装置自身のフロア)
- ダミー抵抗(既知
)接続時の熱雑音スケーリング($ \propto \sqrt{R}$ の確認) - 周波数依存(白色領域と1/f領域の境界、変調・反転で改善するか)
これらを通して、帯域・結合・オフセットのどれが支配しているかを決め、差動化や変調へ進むのが合理的である。
まとめ
低ノイズ・高感度の電圧測定は、雑音源の物理をスペクトル密度で把握し、帯域を設計し、差動・遮蔽・ガードで結合を断ち、必要なら反転法やロックインでDCを周波数領域へ写像して分離することで成立する。測定チェーン全体を伝達関数として扱い、ENBWとオフセットの時間挙動を同時に管理することが、ナノボルト領域の再現性を決める。
関連研究
Low Level Measurements Handbook - 7th Edition(英語PDF、低レベル計測の網羅的整理) https://download.tek.com/document/LowLevelHandbook_7Ed.pdf
Keithley Nanovoltmeter Model 2182A(ナノボルトメータとデルタモードの概要) https://www.tek.com/en/products/keithley/low-level-sensitive-and-specialty-instruments/nanovoltmeter-model-2182a
抵抗計RM3543 測定ガイド(日本語PDF、熱起電力とオフセット補償の反転法) https://www.hioki.co.jp/file/cmw/userguides/3730/pdf/?action=browser&lang=jp&log=0
同期検波を活用し、微小信号を高精度に計測(日本語、同期検波の応用とENBWの感覚) https://www.analog.com/jp/resources/analog-dialogue/articles/synchronous-detectors-facilitate-precision.html
微小信号計測(日本語PDF、ロックインのENBWなどの講義ノート) https://www.g-munu.t.u-tokyo.ac.jp/mio/note/sig_mes/sig_mes.pdf
導体伝導とコモンモード(日本語、コモン/ノーマルモードの整理) https://www.murata.com/ja-jp/products/emc/emifil/library/knowhow/basic/chapter05-p1