軟磁性体の高周波特性評価
軟磁性体の高周波特性評価とは、複素透磁率と損失を周波数・励振条件・温度・バイアス磁界の関数として測定し、支配因子を同定して材料・形状・プロセスの設計に戻す営みである。低周波のB-H測定だけでは見えない共鳴・緩和・渦電流・寄生成分が顕在化するため、測定法と解析モデルを周波数帯に応じて切り替える必要がある。
参考ドキュメント
- 日本規格協会 Webdesk:IEC 62044-3 Ed. 2.0:2023 軟質磁性材製コア-測定方法
https://webdesk.jsa.or.jp/books/W11M0090/index/?bunsyo_id=IEC+62044-3+Ed.+2.0%3A2023 - Keysight ナレッジ:透磁率の測定結果が不安定なのはなぜですか?(16454A関連)
https://docs.keysight.com/kkbopen/16454a-589300184.html - 武田ほか:VNAを用いた広帯域FMR/複素透磁率評価に関する論文(J-STAGE, PDF)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/msjmag/33/3/33_0903RF8034/_pdf
1. 高周波特性で何を評価するのか
1.1 複素透磁率と位相遅れ
線形近似が成立する範囲では、磁束密度Bと磁界Hの関係は周波数依存の複素量で表せる。
複素透磁率
損失角正接(透磁率の文脈)
1.2 損失(コア損失)と評価量
電力機器・高周波磁気デバイスでは、損失密度や温度上昇が主要な制約となる。正弦波励振を仮定すると、B-Hループの面積が1周期当たりのエネルギー損失である。
体積当たり損失(B-Hループから)
ここで
はW/m 、 は周波数である。 線形応答近似での散逸
したがって
の評価は損失評価と直結する。
1.3 共鳴・緩和が支配する領域
軟磁性体の高周波応答は、概略として以下の機構が帯域ごとに現れやすい。
- 低周波:磁壁運動による準静的ヒステリシスが支配的になりやすい
- 中周波:導電体では渦電流・表皮効果・過剰損失が増えやすい
- 高周波:磁壁共鳴、自然共鳴、強磁性共鳴(FMR)、スピン緩和が支配的になり、
が低下し がピークを持つことが多い
周波数帯の境界は材料(導電率、異方性、組織、形状)と測定条件で大きく動くため、帯域を固定的に決めつけない態度が重要である。
2. 代表的な指標と、何に効くか
2.1 透磁率系(小信号)
- 初透磁率:
(小信号・低周波の傾き) - 実効透磁率:形状・反磁場・空隙・複合化を含んだ見かけの透磁率
- 周波数特性:
、 、 - 品質係数の考え方(コイルとして)
と は測定モデル(直列・並列)に依存するため、表記と条件を揃える必要がある。
2.2 損失系(大信号)
- 損失密度のマップ:
- 交流磁化曲線:
の動的応答、マイナーループ - 振幅透磁率(amplitude permeability)
高励振のインダクタ・トランスで実効的に効く値である。
2.3 高周波の大域制約(トレードオフ)
一般に、低周波で大きい
3. 方式別の評価手法マップ(周波数・試料・出力)
| 手法の系統 | 典型周波数帯 | 試料形状 | 主な出力 | 特徴 |
|---|---|---|---|---|
| リング試料B-H法(巻線・誘導電圧) | 20 Hz〜100 kHz程度 | リング/トロイダル、圧粉リング | 交流特性の基本。標準化が進む。波形制御が重要である。 | |
| エプスタイン・フレーム等 | 50/60 Hz〜数百Hz程度 | 電磁鋼板ストリップ | 板材の標準測定系である。 | |
| インピーダンス法(LCR/インピーダンスアナライザ) | kHz〜数百MHz〜GHz(治具次第) | トロイダル、小型コア | 小信号の | |
| 伝送線路・導波管法(VNA Sパラメータ) | 数十MHz〜数十GHz | 同軸/導波管挿入試料、薄膜(線路上) | マイクロ波域の標準的発想である。解析手順(逆問題)が核である。 | |
| 反射法・カロリメトリ法(高励振) | DC〜10 MHz超(方式依存) | 閉磁路コア | 大信号領域の損失評価に適する。発熱や電力計測の不確かさを扱う。 | |
| FMR/VNA-FMR(分光) | 数百MHz〜数十GHz | 薄膜、微細構造、場合により単結晶 | 共鳴周波数、線幅、緩和、 | 動的磁化の緩和機構を直接評価できる。 |
以降では、測定量が何であり、そこからどの物理量をどう復元するかを中心に整理する。
4. 低周波〜100 kHz:リング試料によるB-H測定と損失算出
4.1 基本構成とB, Hの復元
閉磁路のリング試料に励磁巻線(一次)と検出巻線(二次)を設ける。二次コイルの誘導電圧
磁束とB
は断面積である。 H(平均磁路長
近似)
このとき、動的B-Hループから損失密度が得られる。
4.2 波形制御と測定条件の明示
高周波ほど、励磁電流波形が材料の非線形性と測定回路により歪みやすい。評価の互換性を確保するには、次の条件の明示が重要である。
- 制御対象が
正弦か、電圧正弦か、電流正弦か (または )、バイアス磁界 の有無 - 温度、応力、試料の熱履歴(消磁を含む)
- 試料寸法(
)と巻線条件( )
4.3 渦電流・表皮効果の見積もり
導電体では渦電流が損失と見かけの透磁率低下を引き起こす。表皮深さ
で与えられる。厚さや粒径が
5. kHz〜GHz:インピーダンス法による複素透磁率
5.1 測定量Z(ω)からμ*(ω)を得る考え方
トロイダル試料を理想的なインダクタと見なすと、インダクタンスは
となる。実際には損失を含むため、インピーダンスを直列等価で
と表すと、近似的に
が得られる。ここで直列等価(
5.2 寄生成分と補正の要点
高周波では、試料の磁気応答と同等以上に以下が効く。
- 配線・治具の寄生インダクタンス、寄生容量
- 巻線の分布容量、自己共振
- 接触抵抗、導体損失、近接効果
- 範囲端(低Z、高Z)での測定分解能、ノイズ
このため、治具の空測定、ショート、オープン、ロードを用いた補正や、同一ジオメトリでの参照測定が事実上必須になる。測定値の安定性が悪い場合、材料固有の問題ではなく測定系の有効レンジ外であることも多い。
5.3 小信号と大信号の分離
インピーダンス法は基本的に小信号であり、得られる
6. MHz〜GHz:VNA伝送線路・導波管法によるμ*(ω)抽出
6.1 Sパラメータから材料定数を復元する
同軸線路や導波管に試料を挿入し、反射係数
概念的には以下の手順である。
から試料区間の反射係数 と伝搬因子 を推定する と特性インピーダンスの関係から へ変換する
ここで、位相の枝選択、試料端面の不完全密着、空隙、治具のデエンベッドが誤差源になりやすい。高周波ほど、誤差要因が解析(逆問題)の不安定性として顕在化するため、測定系の妥当性を周波数帯ごとに検証する必要がある。
6.2 薄膜・微細構造:マイクロストリップ/CPW上の測定
薄膜では、マイクロストリップ線路やCPW上に試料を配置し、VNAで
7. 高励振レベルでの損失と透磁率:コアとしての評価
7.1 デバイス条件に近い評価量
電力用途では、コアに加わる磁束密度は大きく、さらにDCバイアスが重畳することが多い。よって、次のようなデータ表現が重要となる。
を と の関数で提示する(等高線、ファミリカーブ) ごとの 、あるいは微分透磁率 を提示する - 温度依存(材料損失と抵抗率の温度係数の両方が効く)
7.2 損失分離モデル(経験式)とパラメータ同定
損失の周波数依存を整理するため、経験式が用いられることがある。代表例として、総損失をヒステリシス、渦電流、過剰損失に分ける形がある。
その一例として
のような表式が現場のフィッティングに用いられる。ここで
8. 共鳴と緩和の解析:μ*(ω)のモデル化
8.1 ローレンツ型(共鳴)での表現
共鳴を含む応答はローレンツ型で表現できることがある。
8.2 FMRとKittel式(薄膜の典型)
薄膜の強磁性共鳴は、外部磁界と有効磁化の組で共鳴周波数が決まる。典型的な形として
のようなKittel型関係が現れる。幾何と磁化方向(面内・面外)で式は変わり、評価したいパラメータ(
9. 形状効果・反磁場・異方性の取り扱い
9.1 反磁場補正の基本
閉磁路(トロイダル)では反磁場の影響が小さく、材料固有の
で与えられる。
9.2 異方性とテンソル透磁率
結晶・磁気異方性や応力誘起異方性がある場合、透磁率はスカラーではなくテンソルとして扱う必要がある。
このとき、測定系がどの成分を混合しているか(例えば線路の磁界分布が一様でない)が結果を左右する。
10. 組織・材料パラメータと高周波特性の接続
10.1 導電率と損失
- 高導電率:渦電流損失が増えやすく、
低下と 増加が早期に出やすい - 高抵抗化(合金設計、微細化、絶縁粒界、複合化):高周波側へ有効帯域を拡張しやすい
10.2 磁気異方性と共鳴周波数
異方性が大きいと共鳴や緩和のスケールが変わり、
10.3 アモルファス・ナノ結晶・圧粉コアの観点
- アモルファス/ナノ結晶:低損失化と高抵抗化の両立が狙いやすい一方、応力や磁歪に敏感である
- 圧粉コア:粒界絶縁で渦電流を抑えやすいが、粒間結合や有効磁路が
と損失に影響する - 薄膜:FMR帯域を避けるか、逆に利用するかの設計が分かれやすい
11. 測定から解析までの流れ
目的帯域と励振条件を固定する
例:帯、 、 、温度範囲、許容損失密度。 試料形状と測定法を選ぶ
トロイダルならリング法・インピーダンス法、薄膜ならVNA線路法やFMR、板材なら標準試験法を検討する。校正と参照測定を設計する
治具の空測定、短絡、既知標準試料、温度ドリフト評価を組み込み、測定系の帯域限界と不確かさを把握する。一次量の取得と整形
, , , を取得し、必要ならデエンベッドや等価回路化を行う。 物性量への変換
、 、 などへ変換し、単位とモデルを明示する。 モデル同定と支配因子の切り分け
透磁率スペクトル(共鳴/緩和モデル)と損失(分離モデルや表皮効果見積もり)を併用して、律速機構を推定する。形状・プロセス・組成へのフィードバック
抵抗率、厚さ、粒径、異方性、応力、複合化の方向性を整理し、次試料の設計へ戻す。
まとめ
軟磁性体の高周波特性評価は、複素透磁率と損失を、周波数帯と励振レベルに応じた測定法で取得し、共鳴・緩和・渦電流・形状効果を分離して理解する作業である。リング法・インピーダンス法・VNA法・高励振損失測定は相補的であり、目的帯域とデバイス条件から逆算して評価系を組むことで、材料設計に直結するパラメータ同定が可能となる。
関連研究
- IEC 60404-6(リング試料での20 Hz〜100 kHz測定の標準)
https://webdesk.jsa.or.jp/books/W11M0090/index/?bunsyo_id=IEC+60404-6+Ed.+3.1%3A2021 - IEC Webstore:IEC 60404-6 / IEC 62044-3
https://webstore.iec.ch/en/publication/27825
https://webstore.iec.ch/en/publication/72955 - Keysight 16454A Operation and Service Manual(透磁率計算の考え方と治具原理)
https://helpfiles.keysight.com/csg/N1500A/9018-01409.pdf - マイクロ波・ミリ波での材料定数計測(自由空間法・共振器法・線路法の整理, J-STAGE, PDF)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl/53/3/53_221/_pdf - Nicolson–Ross–Weir(NRW)法の解析(Sパラメータから材料定数抽出, PDF)
https://www.jpier.org/ac_api/download.php?id=16071706 - Kittel:強磁性共鳴吸収の古典的基礎論文(APS)
https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRev.73.155 - 10 MHz〜100 MHz帯の磁性材料評価(RFパワー用途, PDF)
https://per.mit.edu/wp-content/uploads/2014/05/Han-Evaluation-of-Magnetic-TPEL.pdf