5D-STEMの基礎
5D-STEMは、走査透過電子顕微鏡(STEM)において「各走査点ごとに2次元回折像を記録する4D-STEM」を基礎に、さらに時間や分光、傾斜角などの追加次元を組み合わせ、格子・欠陥・電磁場・ダイナミクスを同一のデータ表現として扱う手法群である。ナノ材料の局所構造と物理量の空間分布を、強いモデル仮定を置かずに引き出せる点が特徴である。
参考ドキュメント
- C. Ophus, Four-Dimensional Scanning Transmission Electron Microscopy (4D-STEM): A Primer, Microscopy and Microanalysis 25, 563–582 (2019) https://academic.oup.com/mam/article/25/3/563/6887544
- J. Yuan et al., Probing the nanoscale phonon excitations in metallic glass by time-resolved electron microscopy, Chemical Science 13, 2369–2378 (2022) https://pubs.rsc.org/en/content/articlelanding/2022/sc/d1sc05604c
- 電子タイコグラフィ入門(4D-STEMデータから位相を復元する考え方), 顕微鏡 60(2), 68–(J-STAGE) https://www.jstage.jst.go.jp/article/kenbikyo/60/2/60_68/_article/-char/en
1. 次元とは何か:4D-STEMから5D-STEMへ
1.1 4D-STEMの定義
STEMでは、試料面内の走査座標を
で与えられ、これが4D-STEM(2次元走査+2次元回折で合計4次元)である。
4D-STEMの本質は、従来のADF/BFのように「検出器上の一部領域を積分して画像を作る」のではなく、回折面の情報を丸ごと保持し、後段で任意の物理量へ写像できる点にある。たとえば「仮想検出器」を定めれば、任意角度範囲の積分強度から仮想ADF像や暗視野像を再合成できる。
1.2 5D-STEMの位置づけ
5D-STEMという呼称は研究分野によってやや揺らぎがある。共通する考え方は、4D-STEMデータに対して追加の独立変数
として扱う点にある。代表例を挙げる。
- 時間
を追加:
ポンプ・プローブ(超高速電子顕微鏡UTEM)、あるいはその場加熱・電場印加などで時間発展を追う。 - 傾斜角
を追加:
4D-STEMの傾斜シリーズから三次元再構成へ接続する(4D-STEMトモグラフィの概念)。 - エネルギー損失
を追加:
回折と分光(EELS/EDS)の同時取得を多次元データとして統合する。
したがって5D-STEMは単一の装置名称というより、ピクセル化検出器により成立した「回折面の全情報」を基盤に、時間・分光・傾斜などを重ねていく拡張概念である。
2. 5D-STEMの物理
2.1 収束電子線回折(CBED)と情報の由来
収束した電子プローブ
の形に帰着する。ここで
この式は重要である。なぜなら、回折像は単なる「結晶のスポット」ではなく、プローブと試料の相互作用(位相、局所電場、磁場、厚み、傾き、欠陥、短距離秩序)を、強度分布として符号化しているからである。4D/5D-STEMはこの符号化を失わずに記録するため、再構成(逆問題)により位相や場へ到達できる。
2.2 弱位相近似と位相の意味
薄い試料で弱散乱が成り立つ場合、透過関数を
とみなしうる。電子の位相
ここで
磁場の寄与は、ベクトルポテンシャル
として投影磁束に対応する。したがって位相を復元できれば、電荷分布や内部電場、磁束密度の投影情報に接続しうる。
3. 4D/5D-STEMから物理量を取り出す
3.1 仮想検出器像(virtual imaging)
回折像内の領域
が得られる。
3.2 DPC(Differential Phase Contrast)と電磁場の投影
回折面での一次モーメント(center-of-mass)を
と定義する。弱位相条件や適切な検出条件の下で、この量は試料による横方向の運動量移行、すなわち位相勾配に対応する:
よって、DPCは投影電場・投影磁場の情報を含み、界面電荷、分極、磁区・磁束、欠陥近傍の局所場などの可視化へ接続する。
3.3 ナノスケールひずみ(strain)と回折ディスクの変位
結晶の回折ディスク(Braggディスク)の中心位置から、局所的な逆格子ベクトル
が成り立つ。複数の
現実には厚みによる動力学回折、試料傾き、プローブ収束角、検出器幾何の誤差が混入するため、参照領域の設定、幾何補正、ディスク位置推定法(相関法、位相相関、モデルフィットなど)の選択が結果に強く影響する。
3.4 電子タイコグラフィ(ptychography)と位相再構成
タイコグラフィは、互いに重なり合う走査点から得た回折像群を用い、
を満たす
4. 5D-STEMが有効となるダイナミクスの範囲
4.1 時間分解の二つの流儀
時間
- 超高速(フェムト秒〜ナノ秒):UTEMのポンプ・プローブ
レーザー励起などに同期したパルス電子で、同一状態の繰り返しを前提にストロボ的に像を積算する。 - 準静的〜中速(ミリ秒〜分):その場環境での連続取得
加熱・冷却・電場印加・機械応力などで進行する構造変化を連続的に追跡し、を得る。
前者は「不可逆過程を直接一回で撮る」ことよりも「再現性のある過程を高い時間分解で測る」ことに強い。後者は再現性を必須としない代わりに、ドリフト補正や線量蓄積が支配的になりやすい。
4.2 5D-STEMで狙える物理量
5D-STEMが特に力を発揮する対象は、格子情報と場情報が同時に重要な系である。
- 相転移・相分離の萌芽:局所ひずみと短距離秩序の時間変化
- 強誘電・マルチフェロイク:分極に起因する内部場とドメイン壁の運動
- トポロジカル磁性・スキルミオン系:投影磁束密度と欠陥・歪み場の相関
- 薄膜・界面:ミスフィットひずみ、電荷移動、界面電場の共存
- ガラス・アモルファス:中距離秩序の空間揺らぎと緩和ダイナミクス
時間分解を付与すると、これらが「静的な地図」から「時系列の地図」へ拡張され、駆動場に対する応答の遅れ、ヒステリシス、非線形性などが観測対象になる。
5. 計測系:ピクセル化検出器と同期
5.1 ピクセル化検出器の要請
4D/5D-STEMが成立するには、回折像を高速に、かつ飽和せずに記録できる検出器が必要である。重要な指標は以下である。
- フレームレート:走査の滞留時間に見合う時間分解
- ダイナミックレンジ:直進ビーム近傍の強度と高角散乱を同時に扱う能力
- 量子効率とノイズ:低線量観測でのS/N
- 幾何安定性:中心位置・歪みの再現性(DPCやひずみ推定に直結)
装置側では、走査信号とカメラトリガの同期が本質的である。走査の折り返し期間の扱い、ライン間の待ち時間、部分読み出しなどの設計がデータ整合性を左右する。
5.2 データ量の見積もり
データ点数は
でスケールする。例として、
である。16 bit(2 byte)で保存すると約 8.6 GB となる。ここに時間
6. 物理量抽出の方法
| 目的 | 入力として使う量 | 代表的な計算量 | 出力の例 |
|---|---|---|---|
| 仮想BF/ADF/DF | コントラスト像、方位選択像 | ||
| DPC(位相勾配) | 投影電場・投影磁場の指標 | ||
| ひずみマップ | Braggディスク中心 | ||
| 方位マップ | 回折パターン全体 | パターンマッチング/相関 | 結晶方位、粒界分布 |
| 位相再構成 | 走査点の重なり+回折 | 反復再構成 | 位相像、軽元素像、内部ポテンシャルの情報 |
| 中距離秩序 | 散乱強度分布 | 角度平均・相関関数 | アモルファスの秩序指標 |
7. 測定と解析での留意点
7.1 幾何学校正の重要性
DPCやひずみは、回折像の「位置情報」に直接依存する。したがって以下が支配的である。
- ビーム中心の推定(直進ディスク中心)
- カメラ長とピクセルスケールの校正
- 検出器歪み(非線形)とその補正
- 試料傾きと厚みの影響の分離
わずかな幾何誤差が、
7.2 動力学回折と多重散乱
薄い試料では運動学的な解釈が有効になりやすいが、電子は強く散乱しやすく、多重散乱が無視できない領域が広い。特に結晶性材料の強い回折条件では、Braggディスクの変形や強度再配分が起こり、単純な「中心位置=逆格子ベクトル」という対応が乱れる。厚み依存を把握し、必要ならシミュレーション(マルチスライス等)と照合する姿勢が有効である。
7.3 線量・損傷と時間次元の相互作用
時間を付与すると、同一領域を繰り返し照射することが増え、損傷や汚染、試料改質が観測対象のダイナミクスと混ざりやすい。低線量化は単に像を荒くするのではなく、位相再構成や統計処理と組み合わせることで「必要情報の抽出」に置き換える考え方が重要である。
8. 基本的な解析環境
4D/5D-STEMは多次元配列データであるため、解析環境は「多次元データを読む・扱う・可視化する」能力が中心になる。代表的な公開実装として以下が知られている。
- 4D-STEMの多モード解析:py4DSTEM(校正、ひずみ、DPC、タイコグラフィなど)
- 大規模データの分散処理・ストリーム処理:LiberTEM
- 多次元データ解析の基盤:HyperSpy
- 回折・方位解析寄り:pyxem(HyperSpy系)
データ形式としてはHDF5系が広く使われ、メタデータと多次元配列を一体で保持できる利点がある。装置・ソフトが異なると保存形式やメタデータ量が変わるため、再現性のある記録(加速電圧、カメラ長、収束角、走査条件、検出器設定)を残すことが学術的に重要である。
9. 何が「新しい観測」なのか
5D-STEMを用いた研究を読む際には、次の観点で整理すると理解しやすい。
- 追加次元
が何であり、どの物理量の分離に効いているか - 例:
により、ひずみの緩和時間と場の応答時間の差を分ける
- 例:
- 4Dのどの写像で量を定義しているか
- 例:DPCの一次モーメント、Braggディスク位置、位相再構成など
- 校正と誤差源をどのように扱っているか
- 例:基準領域、幾何補正、厚み・傾きの扱い
- その場条件が観測対象に与える影響が評価されているか
- 例:温度勾配、電極配置、ビーム誘起効果
この整理により、単なる「高次元データの提示」ではなく、材料中の相互作用(格子・電荷・スピン・欠陥)がどのような時空間スケールで結びつくか、という物理へ到達しやすくなる。
まとめ
5D-STEMは、4D-STEMで得られる
関連研究
- J. M. Rodenburg and R. H. T. Bates, The theory of super-resolution electron microscopy via Wigner-distribution deconvolution, Phil. Trans. R. Soc. Lond. A 339, 521–553 (1992)
- R. Yu et al., Introduction to electron ptychography for materials scientists, Microstructures (2024) https://www.oaepublish.com/articles/microstructures.2024.46
- 4D-STEMで界面電場などを扱う例(center-of-mass法の議論を含む) https://juser.fz-juelich.de/record/904924/files/Grieb2021_4DSTEM_Interfaces_GaN_last_submitted_file.pdf
- 4D-STEM傾斜シリーズによる再構成(4D-STEMトモグラフィの方向) https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevApplied.19.054062
- ビーム損傷の強い材料での4D-STEMタイコグラフィの例(MOFの低線量観測) https://www.nature.com/articles/s41467-025-56215-z
- py4DSTEM(4D-STEM解析の公開実装) https://github.com/py4dstem/py4DSTEM
- LiberTEM(大規模データ処理・ストリーム処理) https://libertem.github.io/
- Hitachi High-Tech(4D-STEMやタイコグラフィに触れる国内記事) https://www.hitachi-hightech.com/jp/ja/sinews/special/009/
- Gatan(国内向け4D-STEM解説ページ) https://www.gatan.com/jp/techniques/4d-stem