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5D-STEMの基礎

5D-STEMは、走査透過電子顕微鏡(STEM)において「各走査点ごとに2次元回折像を記録する4D-STEM」を基礎に、さらに時間や分光、傾斜角などの追加次元を組み合わせ、格子・欠陥・電磁場・ダイナミクスを同一のデータ表現として扱う手法群である。ナノ材料の局所構造と物理量の空間分布を、強いモデル仮定を置かずに引き出せる点が特徴である。

参考ドキュメント

1. 次元とは何か:4D-STEMから5D-STEMへ

1.1 4D-STEMの定義

STEMでは、試料面内の走査座標を r=(x,y) とする。各走査点で、収束電子線回折(CBED)やナノビーム回折パターンを、検出器面の座標 q=(qx,qy)(散乱ベクトル、あるいは運動量空間)として記録する。すると観測データは

I(r,q)=I(x,y,qx,qy)

で与えられ、これが4D-STEM(2次元走査+2次元回折で合計4次元)である。

4D-STEMの本質は、従来のADF/BFのように「検出器上の一部領域を積分して画像を作る」のではなく、回折面の情報を丸ごと保持し、後段で任意の物理量へ写像できる点にある。たとえば「仮想検出器」を定めれば、任意角度範囲の積分強度から仮想ADF像や暗視野像を再合成できる。

1.2 5D-STEMの位置づけ

5D-STEMという呼称は研究分野によってやや揺らぎがある。共通する考え方は、4D-STEMデータに対して追加の独立変数 λ を導入し、

I(r,q,λ)

として扱う点にある。代表例を挙げる。

  • 時間 t を追加:I(r,q,t)
    ポンプ・プローブ(超高速電子顕微鏡UTEM)、あるいはその場加熱・電場印加などで時間発展を追う。
  • 傾斜角 θ を追加:I(r,q,θ)
    4D-STEMの傾斜シリーズから三次元再構成へ接続する(4D-STEMトモグラフィの概念)。
  • エネルギー損失 ΔE を追加:I(r,q,ΔE)
    回折と分光(EELS/EDS)の同時取得を多次元データとして統合する。

したがって5D-STEMは単一の装置名称というより、ピクセル化検出器により成立した「回折面の全情報」を基盤に、時間・分光・傾斜などを重ねていく拡張概念である。

2. 5D-STEMの物理

2.1 収束電子線回折(CBED)と情報の由来

収束した電子プローブ P(r) を試料に入射し、試料を複素透過関数 O(r)(吸収と位相を含む)で表すと、走査位置 R における検出器面(フーリエ空間)での強度は、基本的に

I(R,q)=|F[P(rR)O(r)]|2

の形に帰着する。ここで F はフーリエ変換である。

この式は重要である。なぜなら、回折像は単なる「結晶のスポット」ではなく、プローブと試料の相互作用(位相、局所電場、磁場、厚み、傾き、欠陥、短距離秩序)を、強度分布として符号化しているからである。4D/5D-STEMはこの符号化を失わずに記録するため、再構成(逆問題)により位相や場へ到達できる。

2.2 弱位相近似と位相の意味

薄い試料で弱散乱が成り立つ場合、透過関数を

O(r)exp[iϕ(r)]

とみなしうる。電子の位相 ϕ(r) は、静電ポテンシャル V の投影に比例する成分をもつ:

ϕel(x,y)=σV(x,y,z)dz

ここで σ は加速電圧(電子エネルギー)に依存する相互作用定数である。

磁場の寄与は、ベクトルポテンシャル A と関係し、アハラノフ=ボーム効果の形で位相に現れる。概念的には

ϕmagAdl

として投影磁束に対応する。したがって位相を復元できれば、電荷分布や内部電場、磁束密度の投影情報に接続しうる。

3. 4D/5D-STEMから物理量を取り出す

3.1 仮想検出器像(virtual imaging)

回折像内の領域 Ω を選び、強度を積分すると

SΩ(r)=ΩI(r,q)d2q

が得られる。Ω の選び方で、仮想BF、仮想ADF、任意方位の暗視野、特定散乱角のコントラストなどを構成できる。従来の検出器では実験時に固定されていた選択を、データ取得後に可変にできることが本質である。

3.2 DPC(Differential Phase Contrast)と電磁場の投影

回折面での一次モーメント(center-of-mass)を

q(r)=qI(r,q)d2qI(r,q)d2q

と定義する。弱位相条件や適切な検出条件の下で、この量は試料による横方向の運動量移行、すなわち位相勾配に対応する:

q(r)ϕ(r)

よって、DPCは投影電場・投影磁場の情報を含み、界面電荷、分極、磁区・磁束、欠陥近傍の局所場などの可視化へ接続する。

3.3 ナノスケールひずみ(strain)と回折ディスクの変位

結晶の回折ディスク(Braggディスク)の中心位置から、局所的な逆格子ベクトル gi(r) を推定できる。参照状態の gi,0 と比較し、小さなひずみ ε に対して

Δgi(r)=gi(r)gi,0εTgi,0

が成り立つ。複数の gi を用いれば、面内ひずみテンソル成分(例:εxx,εyy,εxy)を推定できる。

現実には厚みによる動力学回折、試料傾き、プローブ収束角、検出器幾何の誤差が混入するため、参照領域の設定、幾何補正、ディスク位置推定法(相関法、位相相関、モデルフィットなど)の選択が結果に強く影響する。

3.4 電子タイコグラフィ(ptychography)と位相再構成

タイコグラフィは、互いに重なり合う走査点から得た回折像群を用い、O(r)P(r) を同時に推定して位相像を復元する方法である。基本式

I(R,q)=|F[P(rR)O(r)]|2

を満たす O を反復的に探索する。得られる位相は、軽元素やビーム損傷の強い材料に対しても高感度であり、低線量・高分解能像へ道を開いた。

4. 5D-STEMが有効となるダイナミクスの範囲

4.1 時間分解の二つの流儀

時間 t を付加する場合、時間分解の獲得方法は大別して二つに分かれる。

  • 超高速(フェムト秒〜ナノ秒):UTEMのポンプ・プローブ
    レーザー励起などに同期したパルス電子で、同一状態の繰り返しを前提にストロボ的に像を積算する。
  • 準静的〜中速(ミリ秒〜分):その場環境での連続取得
    加熱・冷却・電場印加・機械応力などで進行する構造変化を連続的に追跡し、I(r,q,t) を得る。

前者は「不可逆過程を直接一回で撮る」ことよりも「再現性のある過程を高い時間分解で測る」ことに強い。後者は再現性を必須としない代わりに、ドリフト補正や線量蓄積が支配的になりやすい。

4.2 5D-STEMで狙える物理量

5D-STEMが特に力を発揮する対象は、格子情報と場情報が同時に重要な系である。

  • 相転移・相分離の萌芽:局所ひずみと短距離秩序の時間変化
  • 強誘電・マルチフェロイク:分極に起因する内部場とドメイン壁の運動
  • トポロジカル磁性・スキルミオン系:投影磁束密度と欠陥・歪み場の相関
  • 薄膜・界面:ミスフィットひずみ、電荷移動、界面電場の共存
  • ガラス・アモルファス:中距離秩序の空間揺らぎと緩和ダイナミクス

時間分解を付与すると、これらが「静的な地図」から「時系列の地図」へ拡張され、駆動場に対する応答の遅れ、ヒステリシス、非線形性などが観測対象になる。

5. 計測系:ピクセル化検出器と同期

5.1 ピクセル化検出器の要請

4D/5D-STEMが成立するには、回折像を高速に、かつ飽和せずに記録できる検出器が必要である。重要な指標は以下である。

  • フレームレート:走査の滞留時間に見合う時間分解
  • ダイナミックレンジ:直進ビーム近傍の強度と高角散乱を同時に扱う能力
  • 量子効率とノイズ:低線量観測でのS/N
  • 幾何安定性:中心位置・歪みの再現性(DPCやひずみ推定に直結)

装置側では、走査信号とカメラトリガの同期が本質的である。走査の折り返し期間の扱い、ライン間の待ち時間、部分読み出しなどの設計がデータ整合性を左右する。

5.2 データ量の見積もり

データ点数は

N=NxNyNqxNqyNλ

でスケールする。例として、Nx=Ny=256Nqx=Nqy=256Nλ=1 の場合、

N=25644.3×109

である。16 bit(2 byte)で保存すると約 8.6 GB となる。ここに時間 Nt=100 を加えると約 860 GB 規模となり、保存・転送・解析の全てに現実的な設計が必要になる。

6. 物理量抽出の方法

目的入力として使う量代表的な計算量出力の例
仮想BF/ADF/DFI(r,q)ΩId2qコントラスト像、方位選択像
DPC(位相勾配)I(r,q)q投影電場・投影磁場の指標
ひずみマップBraggディスク中心ΔgεTgεxx,εyy,εxy
方位マップ回折パターン全体パターンマッチング/相関結晶方位、粒界分布
位相再構成走査点の重なり+回折反復再構成位相像、軽元素像、内部ポテンシャルの情報
中距離秩序散乱強度分布角度平均・相関関数アモルファスの秩序指標

7. 測定と解析での留意点

7.1 幾何学校正の重要性

DPCやひずみは、回折像の「位置情報」に直接依存する。したがって以下が支配的である。

  • ビーム中心の推定(直進ディスク中心)
  • カメラ長とピクセルスケールの校正
  • 検出器歪み(非線形)とその補正
  • 試料傾きと厚みの影響の分離

わずかな幾何誤差が、q や Braggディスク位置の系統誤差として現れ、場やひずみに擬似的な構造を作ることがある。

7.2 動力学回折と多重散乱

薄い試料では運動学的な解釈が有効になりやすいが、電子は強く散乱しやすく、多重散乱が無視できない領域が広い。特に結晶性材料の強い回折条件では、Braggディスクの変形や強度再配分が起こり、単純な「中心位置=逆格子ベクトル」という対応が乱れる。厚み依存を把握し、必要ならシミュレーション(マルチスライス等)と照合する姿勢が有効である。

7.3 線量・損傷と時間次元の相互作用

時間を付与すると、同一領域を繰り返し照射することが増え、損傷や汚染、試料改質が観測対象のダイナミクスと混ざりやすい。低線量化は単に像を荒くするのではなく、位相再構成や統計処理と組み合わせることで「必要情報の抽出」に置き換える考え方が重要である。

8. 基本的な解析環境

4D/5D-STEMは多次元配列データであるため、解析環境は「多次元データを読む・扱う・可視化する」能力が中心になる。代表的な公開実装として以下が知られている。

  • 4D-STEMの多モード解析:py4DSTEM(校正、ひずみ、DPC、タイコグラフィなど)
  • 大規模データの分散処理・ストリーム処理:LiberTEM
  • 多次元データ解析の基盤:HyperSpy
  • 回折・方位解析寄り:pyxem(HyperSpy系)

データ形式としてはHDF5系が広く使われ、メタデータと多次元配列を一体で保持できる利点がある。装置・ソフトが異なると保存形式やメタデータ量が変わるため、再現性のある記録(加速電圧、カメラ長、収束角、走査条件、検出器設定)を残すことが学術的に重要である。

9. 何が「新しい観測」なのか

5D-STEMを用いた研究を読む際には、次の観点で整理すると理解しやすい。

  • 追加次元 λ が何であり、どの物理量の分離に効いているか
    • 例:t により、ひずみの緩和時間と場の応答時間の差を分ける
  • 4Dのどの写像で量を定義しているか
    • 例:DPCの一次モーメント、Braggディスク位置、位相再構成など
  • 校正と誤差源をどのように扱っているか
    • 例:基準領域、幾何補正、厚み・傾きの扱い
  • その場条件が観測対象に与える影響が評価されているか
    • 例:温度勾配、電極配置、ビーム誘起効果

この整理により、単なる「高次元データの提示」ではなく、材料中の相互作用(格子・電荷・スピン・欠陥)がどのような時空間スケールで結びつくか、という物理へ到達しやすくなる。

まとめ

5D-STEMは、4D-STEMで得られる I(r,q) を核に、時間・分光・傾斜などの追加次元を導入して I(r,q,λ) として扱うことで、格子、位相、電磁場、ダイナミクスを同一の枠組みで読み解く手法群である。ピクセル化検出器と多次元解析の整備により、ナノ材料の「構造と物理量の相関」を静的にも動的にも追跡可能となり、界面・欠陥・非平衡過程の理解を強く押し進める基盤になりつつある。

関連研究

  1. J. M. Rodenburg and R. H. T. Bates, The theory of super-resolution electron microscopy via Wigner-distribution deconvolution, Phil. Trans. R. Soc. Lond. A 339, 521–553 (1992)
  2. R. Yu et al., Introduction to electron ptychography for materials scientists, Microstructures (2024) https://www.oaepublish.com/articles/microstructures.2024.46
  3. 4D-STEMで界面電場などを扱う例(center-of-mass法の議論を含む) https://juser.fz-juelich.de/record/904924/files/Grieb2021_4DSTEM_Interfaces_GaN_last_submitted_file.pdf
  4. 4D-STEM傾斜シリーズによる再構成(4D-STEMトモグラフィの方向) https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevApplied.19.054062
  5. ビーム損傷の強い材料での4D-STEMタイコグラフィの例(MOFの低線量観測) https://www.nature.com/articles/s41467-025-56215-z
  6. py4DSTEM(4D-STEM解析の公開実装) https://github.com/py4dstem/py4DSTEM
  7. LiberTEM(大規模データ処理・ストリーム処理) https://libertem.github.io/
  8. Hitachi High-Tech(4D-STEMやタイコグラフィに触れる国内記事) https://www.hitachi-hightech.com/jp/ja/sinews/special/009/
  9. Gatan(国内向け4D-STEM解説ページ) https://www.gatan.com/jp/techniques/4d-stem