物理定数と単位系
物理定数は、自然法則を数量として表現するための共通言語であり、理論・実験・計算の整合性を支える基盤である。現代のSI(国際単位系)では、いくつかの定数は単位定義そのものとして固定され、その他の定数は国際的な最良推定(CODATA推奨値)として不確かさ付きで与えられる。
参考ドキュメント
NIST, CODATA Recommended Values of the Fundamental Physical Constants: 2022(NIST SP 961 / Wall chart, May 2024)
https://physics.nist.gov/cuu/pdf/wall_2022.pdfBIPM, The International System of Units (SI Brochure), 9th edition(更新版を含む)
https://www.bipm.org/en/publications/si-brochure産総研 計量標準総合センター(NMIJ), 新しい定義に基づく国際単位系(SI)日本語要約(第9版)
https://unit.aist.go.jp/nmij/info/si/si_brochure/si_9th_3_2019.pdf
1. 物理定数の二つの顔:定義定数と推奨値
物理定数の値には大きく二種類がある。
- 定義定数(defining constants) SIの単位を定義するために数値が固定されている定数である。定義定数は、SI単位で表したときに数値が厳密に固定される(不確かさが付かない)という意味を持つ。
- 推奨値(recommended values) 実験・理論・統計的整合を総合して得られる「現時点で最も整合的な値」である。推奨値には通常、標準不確かさが付与される。
CODATA推奨値は、国際的データを用いた最小二乗調整により更新される。したがって、論文や技術文書では「どの版の推奨値(例:CODATA 2022)」を用いたかを明記すると議論が明瞭になる。
2. 表記法(不確かさの読み方)
CODATAやNISTの表でよく使われる表記の要点を示す。
- 例:
- 括弧内の数字
は、直前の桁に対する標準不確かさ(1σ)である。 - 上の例では、
に対して、最後の2桁に相当する不確かさが であることを意味する。
- 括弧内の数字
- 「(exact)」と書かれる場合は、定義により厳密である。
- 値の末尾に「…」が付く場合は、定義定数から導かれるため不確かさが不要(もしくは紙面の都合で無限小数表示を省略)であることが多い。
3. SIの7つの定義定数(固定値)
2019年に実施されたSI改定以降、SIは7つの定義定数の固定値に基づく体系である。
| 名称 | 記号 | 固定数値 | 単位 | 意味 |
|---|---|---|---|---|
| セシウム133超微細遷移周波数 | Hz | 秒(時間)の定義の基礎である | ||
| 真空中の光速度 | m | メートル(長さ)の定義の基礎である | ||
| プランク定数 | J s | kg(質量)の定義に関与し、量子化の基礎である | ||
| 電気素量 | C | アンペア(電流)の定義に関与し、電荷量子である | ||
| ボルツマン定数 | J | ケルビン(温度)の定義に関与し、熱のエネルギー尺度である | ||
| アボガドロ定数 | モル(物質量)の定義の基礎である | |||
| 光度の定義定数(540 THzでの発光効率) | lm | カンデラ(光度)の定義の基礎である |
補足として、
4. 電磁気の基礎定数: と無次元結合定数
真空の透磁率と誘電率は
で結び付く。2019年以降のSIでは、
微細構造定数は
で定義される無次元定数であり、電磁相互作用の強さを表す。上式と
が得られる。したがって、
5. CODATA 2022(NIST SP 961/959)に基づく主要物理定数
この節では、固体物理・材料計算・計測で頻出する定数を中心に、CODATA 2022推奨値を抜粋して示す。括弧は標準不確かさ(1σ)である。
5.1 量子・統計・相対論の基礎
| 名称 | 記号 | 値 | 単位 | 意味・現れ方 |
|---|---|---|---|---|
| 縮約プランク定数 | J s | |||
| 電気素量 | C | 電荷の基本量であり、 | ||
| ボルツマン定数 | 熱エネルギー尺度であり、分布 | |||
| アボガドロ定数 | モルの定義であり、物質量と粒子数を結ぶ | |||
| 真空中の光速度 | 相対論の基礎であり、電磁波伝播や | |||
| ニュートンの万有引力定数 | 重力相互作用の強さである(相対不確かさが比較的大きい) |
5.2 電磁気(真空定数と量子電気標準を含む)
| 名称 | 記号 | 値 | 単位 | 意味・現れ方 |
|---|---|---|---|---|
| 真空の透磁率 | ||||
| 真空の誘電率 | クーロン相互作用や誘電応答の基本量である | |||
| 微細構造定数 | 1 | 電磁相互作用の無次元強度である | ||
| ジョセフソン定数 | ジョセフソン効果により電圧標準に現れる(定義定数から導かれる) | |||
| フォン・クリッツィング定数 | 量子ホール効果により抵抗標準に現れる(定義定数から導かれる) | |||
| 磁束量子 | Wb | 超伝導での磁束の量子化単位である |
5.3 原子・電子スケール(固体物理で頻用)
| 名称 | 記号 | 値 | 単位 | 意味・現れ方 |
|---|---|---|---|---|
| 電子質量 | kg | バンド曲率・運動量・散乱の基準質量である(有効質量 | ||
| 陽子質量 | kg | 原子核スケールの基準である | ||
| 原子質量定数(統一原子質量単位) | kg | |||
| ボーア半径 | m | 原子の基本長さ尺度である | ||
| リュードベリ定数 | 水素様原子のスペクトル尺度である | |||
| ハートリーエネルギー | J | 原子単位系の基本エネルギーである | ||
| ハートリーエネルギー(eV換算) | eV | 第一原理計算で頻用される換算値である | ||
| ボーア磁子 | 電子の磁気モーメント尺度である | |||
| ボーア磁子(eV/T換算) | ゼーマンエネルギー |
6. 換算関係(固体物理で便利な形)
定義定数により、いくつかの換算は厳密となる。
6.1 電子ボルトとジュール
6.2 温度とエネルギー
したがって
であり、室温
6.3 光子エネルギー(周波数・波長)
を用いる。
7. 2019年SI改定が物性分野にもたらした含意
が固定されたことにより、質量・電流・温度・物質量の単位定義が「人工物(原器)」から解放された。 と は定義定数から導かれ、量子電気標準とSIの整合が一層明確になった。 は固定値ではなくなり、 を経由する推奨値として扱われる。電磁気の式自体が変わるのではなく、「数値が厳密固定か否か」という位置づけが変化したのである。
8. 国内で参照しやすい情報源
国際文書(BIPM, NIST)に加え、日本語での体系的な参照先として以下が有用である。
- 産業技術総合研究所 計量標準総合センター(NMIJ) SI改定の要点や定義定数の説明、日本語資料を提供している。
- 国立研究開発法人 情報通信研究機構(NICT) 時刻標準(秒の実現)に関わる情報や周波数標準の解説が充実している。
- 理科年表(国立天文台編) 学術・教育向けに物理定数表が整備され、参照しやすい。
まとめと展望
本稿では、SIの定義定数(固定値)とCODATA推奨値(不確かさ付き)を区別し、固体物理で頻用される主要物理定数の記号・値・単位・意味を整理した。今後もCODATA推奨値は新しいデータに基づいて更新されるため、参照する版(例:CODATA 2022)を明記しつつ、目的に応じた有効桁数で一貫して用いる姿勢が重要である。
参考文献
- NIST Physical Measurement Laboratory, Fundamental Physical Constants(データベース入口)
https://physics.nist.gov/constants - Mohr, P. J. et al., CODATA recommended values of the fundamental physical constants: 2022(レビュー論文)
https://link.aps.org/doi/10.1103/RevModPhys.97.025002 - 日本語での定数表の一例(理科年表・序文資料)
https://www.rikanenpyo.jp/support/oldfile/codata.pdf - (SI改定と電気標準の観点の日本語解説)計測・標準分野の解説論文(J-STAGE)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieiej/37/8/37_743/_article/-char/ja/