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小角X線散乱(SAXS)の原理

小角X線散乱(SAXS)は、数nm〜数百nm程度の密度ゆらぎや界面構造を、散乱ベクトル空間で定量化する手法である。結晶性の有無に依らず、析出・空孔・相分離・多孔体・高分子相構造などを同一の枠組みで扱える点が特徴である。

参考ドキュメント

  1. 竹中幹人, SAXSで何がわかるか?(SPring-8 小角散乱ワークショップ資料, 日本語)
    https://www.spring8.or.jp/pdf/ja/meeting/2009/sp8_ws_saxs/takenaka.pdf
  2. P. V. Konarev et al., ATSAS 2.1, a program package for small-angle scattering data analysis (J. Appl. Cryst., 2006)
    https://www.embl-hamburg.de/biosaxs/reprints/atsas_jac_2006.pdf
  3. NIST SRM 3600, Absolute Intensity Calibration Standard for Small-Angle X-Ray Scattering(証明書PDF)
    https://tsapps.nist.gov/srmext/certificates/3600.pdf

1. SAXS:密度ゆらぎの2点相関

SAXSで観測される強度は、試料内部の電子密度(より一般には散乱長密度)の空間ゆらぎの統計を反映する。散乱長密度を ρ(r)、平均からのゆらぎを Δρ(r)=ρ(r)ρ とすると、等方的な系の散乱強度は概念的に

I(q)Δρ(r)Δρ(0)eiqrdr

で表される。すなわち、実空間の相関関数のフーリエ変換を測っていることになる。

ここで重要なのは、SAXSは

  • 原子の並びそのもの(結晶格子の周期)ではなく
  • 電子密度コントラストをもつドメインや界面の統計 を主に見る点である。したがって、結晶であっても、微細析出物や空孔、粒界近傍の密度差などが信号源となり得る。

2. 散乱ベクトル q と見える長さスケール

入射波数ベクトル ki と散乱波数ベクトル kf から散乱ベクトルは

q=kfki

で定義される。弾性散乱では |ki|=|kf|=2π/λ であり、散乱角 2θ に対して

q=|q|=4πλsinθ

となる。SAXSでは 2θ が小さい領域を扱うため、q は小さく、対応する実空間スケール は概ね

2πq

で大きくなる。従って、低 q ほど大きな構造(凝集体サイズ、ドメイン間隔、相関長)に対応する。

2.1 q 範囲と長さスケールの目安

q(nm12π/q(nm)主に触れる情報
0.02314サブミクロンに近い粗視的ドメイン、粗大孔、凝集スケール
0.162.8粒子・空孔の代表径、相分離ドメイン
1.06.28ナノ析出、ミセル・クラスター、界面粗さ相関の一部
5.01.26SAXS上限側(短距離側の相関に近づく)

実際の qmin,qmax は、波長、試料-検出器距離、ビームストップ、検出器サイズ・画素サイズ、ビーム発散といった幾何で決まる。SAXSは「小角」という名称の通り角度で定義されるが、議論は q で統一するのが見通しがよい。

3. 強度:形状因子 P(q) と構造因子 S(q)

多くの系で、散乱強度は

I(q)=scaleP(q)S(q)+background

と表現される。

  • P(q):単一散乱体(粒子、空孔、ドメイン)の形状・内部密度分布を反映する
  • S(q):散乱体同士の相互配置(秩序、相互作用、並び)を反映する

希薄分散では S(q)1 と近い場合が多いが、高濃度分散・相分離・相関の強い多孔体では S(q) が本質的となる。

3.1 コントラストと I(0)

散乱の強さは、電子密度コントラスト Δρ に敏感である。希薄な同一粒子(体積 V、数密度 n)であれば、低 q 極限の強度は

I(0)n(ΔρV)2

と表せる(比例係数は規格化や単位系に依存する)。この関係は、体積や体積分率に関する定量の出発点となる。

4. 低 q:Guinier解析(サイズ指標 RgI(0)

q の領域(Guinier領域)では、散乱体の回転半径 Rg

I(q)I(0)exp(q2Rg23)

で与えられる。両辺の対数をとると

lnI(q)lnI(0)Rg23q2

となり、lnI vs. q2 の直線領域の傾きから Rg を求める形式となる。

  • Rg は「代表サイズ」であるが、形状情報そのものではない
  • 形状が異なる系でも同じ Rg をとり得る
  • ただし、成長・凝集・溶解などの追跡においては、Rg の時間変化が非常に有効な要約量となる

Guinier近似が成立する範囲は一般に qRg1 程度が目安である。

5. 中間 q:Kratky表現と鎖・凝集の情報

高分子、凝集体、内部自由度をもつ粒子では、I(q) の減衰形が構造次元(線状、面状、密な塊状)に関連する。Kratky表現

q2I(q) vs. q

は、コンパクトな粒子か、鎖状に広がった構造かを見分ける視覚的指標として用いられることが多い。ここでの解釈は、濃度、相互作用、分布の広さ、背景の扱いに敏感であるため、単独の図だけで断定せず、GuinierやPorod、必要ならモデルフィットと併せて整合させるのがよい。

6. 高 q:Porod則、界面、比表面積

界面が鋭い二相系(相分離、析出物/母相、多孔体/骨格など)では、高 q 側で

I(q)q4

が現れる(Porod則)。さらに、絶対強度に正規化された散乱であれば、高 q 極限の係数から界面の比表面積 S/V を評価できる。

代表的には

I(q)2π(Δρ)2SVq4

のように表される(定義する I(q) の単位系により係数の書き方は変わり得る)。指数が 4 からずれる場合、界面の粗さ、密度勾配、フラクタル性、あるいは多分散や分解能効果などを疑うことになる。

7. Porod不変量:二相系の体積分率を束縛する

SAXSの強力な点は、形状モデルに依らず成り立つ積分量があることである。二相系(体積分率 ϕ1ϕ)で、散乱長密度差が一定であれば、Porod不変量

QP=0q2I(q)dq

QP=2π2(Δρ)2ϕ(1ϕ)

に等しい。実測では有限の q 範囲しかないため、低 q と高 q の外挿・補外が入るが、QP を用いると

  • 体積分率の整合
  • 背景や正規化の整合
  • 二相モデル自体の妥当性 を検証する方向に働く。

8. 相関長モデル:ランダム二相・密度ゆらぎ

相分離途中やランダムな二相ゆらぎでは、Debye-Bueche型(Debye-Anderson-Brumbergerに近い形)で

I(q)=I(0)(1+q2ξ2)2

のように近似されることがある。ここで ξ は相関長であり、ドメインサイズの粗い要約を与える。微細構造の詳細を与えるというより、時間変化や条件依存を一つの量で追跡する用途に向く。

9. モデルフィット:形状・分布・相互作用

SAXSの逆問題は一意でないため、何を仮定するかが解の性質を決める。モデルフィットでは、形状因子 P(q) と分布(多分散)、さらに相互作用(S(q))を組み込む。

9.1 よく使われる形状モデル(例)

モデル主なパラメータ反映される構造像
球(spherical)半径 R、分布幅析出粒子、多孔体の孔、ミセル等
楕円体主軸、分布異方粒子、歪んだドメイン
円柱(rod)半径・長さ、配向分布ナノロッド、繊維状集合体
コア-シェルコア半径、殻厚、各密度酸化膜、被覆粒子、界面層
ラメラ(1次元周期)周期 d、層厚、乱れ層状相、スメクチック、積層欠陥の揺らぎ

SAXSは「小角」であっても、秩序をもつ系ではピークが現れ、周期 d

d=2πq

で与えられる(q はピーク位置)。この情報は回折ピーク(原子周期)とは別の、メソスケールの周期である点が重要である。

10. 実空間表現:距離分布関数 p(r)

等方散乱で、単一粒子に対応する実空間の距離分布関数 p(r) を導入すると

I(q)=4π0Dmaxp(r)sin(qr)qrdr

と書ける。逆に、実測 I(q) から p(r) を推定する方法が間接フーリエ変換(IFT)である。p(r) からは

  • 最大寸法 Dmax
  • 回転半径Rg2=r2p(r)dr2p(r)dr
  • 形状に関する手掛かり(球状、棒状、扁平など)

が得られる。p(r) はモデル自由度を抑えつつ実空間像へ移る手段であるが、有限 q 範囲のため、滑らかさや非負制約などの正則化が不可避である。

11. 2次元SAXS

放射光SAXSは2次元検出器で散乱像を得ることが多い。等方系ではリング状であるが、配向をもつ系では楕円化やスポット化が起こる。このとき、

  • 方位角 χ 方向の強度分布 I(q,χ)
  • セクター平均(特定方位の1次元化)
  • 配向パラメータ(例:Herman配向因子など)

が有用となる。2次元性は、延伸高分子、結晶化過程、磁場配向ナノ粒子、圧延組織に付随するメソ配向など、物性に直結する「方向性」を捉える点で重要である。

12. 強度の定量化

材料の微細構造を「量」として議論するには、測定強度のスケールを揃えることが本質になる。一般に考慮される補正・正規化には次がある。

  • 入射フラックスの変動補正
  • 透過率と試料厚みの補正
  • 空セル・溶媒・窓材の散乱の除去
  • 検出器感度むら、暗電流、幾何学補正(固体角、偏光など)
  • 多重散乱や寄生散乱の評価(装置・試料に依存)

さらに絶対強度校正では、既知標準(例:ガラス状カーボン標準)を用いて I(q)dΣ/dΩ のような物理単位へ換算する。これにより I(0)S/V、体積分率などの定量が安定する方向に働く。

13. SAXSの得意領域

13.1 金属・無機材料

  • 析出強化材の析出粒子:サイズ分布、体積分率、界面積の評価
  • 空孔・ボイド・照射欠陥クラスター:欠陥生成と回復の時間変化
  • 多孔体・焼結体:孔径分布、比表面積、粗さ相関
  • ナノ結晶集合:粒子凝集とドメイン相関の把握(散漫散乱に近い情報も含む)

13.2 高分子・ソフトマター

  • 相分離ドメイン:ブロック共重合体のドメイン間隔と秩序度
  • ミセル・ゲル:凝集体サイズ、内部密度分布、架橋に伴う相関長
  • 結晶化過程:ラメラ周期やメソ配向の追跡(小角側の情報として)

13.3 その場観測との連携

放射光の高輝度は短時間露光を可能にし、温度・応力・電場・雰囲気を変えながら I(q,t) を追うことを容易にする。SAXSで得るサイズ指標、界面積、相関長の時間変化は、核生成・成長・粗大化・相分離進行の定量的描像へ直結する。

14. 解釈上の注意:逆問題としてのSAXS

SAXSの情報は本質的に「平均化された二点相関」であるため、異なる実空間構造が同じ I(q) を与える場合がある。したがって、

  • モデル仮定(形状、分布、相互作用)の物理的根拠
  • q 範囲の不足に伴う低 q・高 q の補外の影響
  • 背景(窓材、空気、蛍光など)の寄与
  • 吸収と多重散乱の影響

を丁寧に扱う必要がある。SAXS単独で完結するというより、TEM/SEM、トモグラフィ、回折、XAFS、熱分析などと整合させることで、構造像が収束することが多い。

まとめ

SAXSは、電子密度コントラストの空間相関を q 空間で測定し、サイズ、相関長、界面積、周期などのナノ〜メソ構造量へ落とし込む手法である。Guinier、Porod、不変量、IFT、モデルフィットを相補的に用いることで、析出・多孔・相分離・凝集といった材料の微細構造変化を定量的に記述できるのである。

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