遍歴電子系のStoner 条件
Stoner 条件は、金属電子系が自発的にスピン分極するための「相互作用の強さ」と「フェルミ準位 DOS」の競合を、最小限の数式で表す判定式である。Hubbard 模型の Hartree–Fock(HF)近似から導くと、磁化・帯磁率・比熱・分光などの計測量へ直接つながる形になる。
参考ドキュメント
- 勝本信吾, 磁性 (Magnetism) 講義ノート(Hubbard model の平均場、Stoner criterion などを含む)
https://note-collection.issp.u-tokyo.ac.jp/katsumoto/magnetism2022/magnetism_01-14.pdf - Eva Pavarini, Magnetism: Models and Mechanisms(Hubbard 模型の HF 近似から Stoner 表式・帯磁率を導出)
https://www.cond-mat.de/events/correl13/manuscripts/pavarini.pdf - Luigi Paolasini, Lectures on Magnetism, Lecture 6 “Magnetism in metals”(Stoner criterion と帯磁率増強の整理)
https://www.esrf.fr/files/live/sites/www/files/events/Paolasini_magnetism lecture6.pdf
1. 目的と位置づけ
遍歴電子磁性では、電子は結晶中を動き回る一方で、クーロン反発により同一サイトでの二重占有が抑制され、結果としてスピン分極(強磁性)に向かう場合がある。Hubbard 模型は「運動(バンド)+局所反発」を最短距離で書ける模型であり、HF 近似で扱うと Stoner モデルとほぼ同型の式が現れる。
本稿の狙いは次の二つである。
- Hubbard 模型の HF 近似から Stoner 条件
を導く(記号の定義と単位系の注意も含める)。 - 条件式に現れる
や相互作用パラメータ(Stoner 因子)を、帯磁率・比熱・分光・散乱などの計測量と接続する。
2. Hubbard 模型とスピン分極
2.1 Hubbard 模型(単一軌道の基本形)
格子点
- 第1項:ホッピング
による運動エネルギー(バンドを作る) - 第2項:同一サイトでの二重占有に対する反発
ここで「強磁性」は、スピン分極
が自発的に
3. HF(平均場)近似:二体相互作用を一体問題へ
3.1 HF の密度型デカップリング
HF の基本操作は、相関項を平均値で一次化することである。もっとも基本的な密度型デカップリングは
並進対称(サイト独立)を仮定し
ここで
とすると、スピン依存の有効ポテンシャル(バンドのスピン分裂)が現れる。
3.2 有効一体ハミルトニアンとバンド分裂
HF では各スピンの単一粒子エネルギーが
(
この「自分が分極すると分裂が生まれ、分裂がさらに分極を促す」という自己無撞着の増幅機構が Stoner 型の磁性である。
4. Stoner 条件の導出:
4.1 弱分極極限での自己無撞着条件
フェルミ準位近傍で DOS がほぼ一定であると近似すると、
- 片スピン DOS(1サイト当たり、単位エネルギー当たり)を
とおく。 - すると、スピン分裂
による占有数差は一次で
ただし
左辺は定義より
どちらの形も同じ内容であり、片スピン DOS を使うか全 DOS を使うかの流儀の違いにすぎない。以後、基本形として
(
4.2 帯磁率の Stoner 増強
外場
ここで
- 自発磁化が出る境界:
- 自発磁化が出ない側でも、
は強く増強される
という予言が得られる。
増強因子(Stoner factor, enhancement)を
と置くと、
5. Stoner パラメータ と多軌道・実材料への読み替え
実材料では
と書くことが多い。
従って、実材料への適用は
がどの軌道・どの原子に由来するか - 相互作用がどの程度有効に残るか(遮蔽、混成、スピン揺らぎ)
を合わせて考える必要がある。
6. 計測量との接続: と をどう得るか
Stoner 条件は「相互作用」と「DOS」の積で決まるため、計測では次の二系統が重要になる。
(または準粒子 DOS )を見積もる の増強から を見積もる(さらに を逆算)
6.1 比熱(電子比熱係数)から
低温比熱の電子成分は
ここで
補足:実験の
6.2 一様帯磁率から (Stoner 増強)を推定
相互作用が弱い金属のスピン帯磁率は Pauli 型で
(単位系により
- 比熱から
を得る( ) - 帯磁率から
を得る
と、比
で増強因子の大きさが見積もれる。
ただし、測定される帯磁率にはスピン以外の寄与が混ざる。概念的には
のように分解されるため、少なくとも以下を意識する必要がある。
:内殻電子の反磁性(ほぼ温度独立) :バンドの軌道応答(Landau 反磁性、Van Vleck 常磁性など) :微量不純物・欠陥による Curie 的成分( )
温度依存の形と磁場依存を丁寧に見て、スピンの一様成分を抽出する。
6.3 角度分解光電子(ARPES)・硬X線光電子(HAXPES)
分光は
- ARPES:表面近傍の分散・フェルミ面、準粒子幅(散乱率)も得られる
- HAXPES:相対的にバルク感度が高い
Stoner 条件に効くのは
6.4 中性子散乱・スピン励起(パラマグノン)
Stoner/HF は静的な平均場であるが、実材料ではスピン励起が重要になる。中性子散乱は動的構造因子
近傍の強いスピン揺らぎ:一様帯磁率の増強と整合 - 強磁性に近い金属でのパラマグノン:平均場臨界からのずれの手掛かり
6.5 NMR / SR:低エネルギーのスピン揺らぎ
NMR の緩和率
で評価される(
6.6 XMCD:元素選択的なスピン・軌道磁気モーメント
遍歴磁性が関与する合金・多元素系では、どの元素の
7. 主要式と計測対応の一覧
| 目標量 | 理論式(HF/Stoner) | 対応する計測量 | コメント |
|---|---|---|---|
| Stoner 条件 | |||
| 増強因子 | 一様帯磁率 | ||
| Pauli 帯磁率 | 低温帯磁率(温度依存が弱い成分) | 軌道・内殻・不純物の寄与を差し引く | |
| 電子比熱 | 低温比熱の | 相互作用で増大した準粒子 DOS を含む | |
| スピン分裂 | スピン分解分光、磁気円二色性 | 励起の寿命効果も絡む | |
| 動的応答 | 中性子散乱、NMR、 | HF からのずれ(スピン揺らぎ)を捉える |
8. の逆算: と から を得る見取り図
手順を式でまとめる。
比熱から
(準粒子 DOS)を見積もる そこから Pauli 帯磁率の見積もり(単位系に応じて係数が付く)
実測の一様帯磁率(低温で温度依存が弱い成分)を
として、増強因子 Stoner 形式
より
ここで重要なのは、比熱が与えるのはしばしば
9. 注意すべき点
9.1 局在モーメント型の混入
観測される Curie–Weiss 的な
9.2 軌道寄与と反磁性の補正
金属の実測帯磁率には Landau 反磁性や Van Vleck 常磁性、内殻反磁性が含まれる。とくに重元素を含む系、強い SOC を持つ系では
9.3 スピン揺らぎによる平均場からのずれ
Stoner/HF は静的平均場であり、臨界近傍や弱遍歴強磁性体ではスピン揺らぎが強く、臨界指数や温度依存が平均場からずれることが知られている。中性子散乱や NMR により揺らぎスペクトルを併せて議論すると、
9.4 DOS のエネルギー依存(van Hove 特異性など)
10. まとめ
Hubbard 模型の HF(平均場)近似は、スピン分裂
関連研究
D. P. Arovas, The Hubbard Model (review note; HF と Stoner criterion の位置づけを含む)
https://arxiv.org/pdf/2103.12097A. I. Lichtenstein, Magnetism: From Stoner to Hubbard(Stoner から Hubbard・多体へ)
https://www.cond-mat.de/events/correl13/manuscripts/lichtenstein.pdfT. Moriya and A. Kawabata, Effect of Spin Fluctuations on Itinerant Electron Ferromagnetism(スピン揺らぎ理論の展開)
https://journals.jps.jp/doi/10.1143/JPSJ.34.639https://journals.jps.jp/doi/10.1143/JPSJ.35.669京都大学 OCW(または講義資料)に見られる SCR(自己無撞着繰り込み)理論の解説
https://ocw.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2021/04/2010_takahashi_03.pdfArrott プロット(
vs )の一般的整理(平均場臨界と磁化等温線解析)
https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevB.93.224429