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Bader電荷解析

Bader電荷解析は、第一原理計算で得られる電子密度を「原子ごとの領域(Bader basin)」に分割し、各原子に帰属する電子数や体積を定量化する手法である。結合性・電荷移動・欠陥や界面の局所状態を、空間分解した量として整理できる点が利点である。

参考ドキュメント

1. Bader電荷とは何か

電子密度を ρ(r) とする。Bader(QTAIM: Quantum Theory of Atoms in Molecules)では、各原子Aの領域 ΩA を「電子密度勾配の流れ(gradient flow)」で定義し、領域境界 SA はゼロフラックス条件を満たすものとする。

ゼロフラックス条件:

ρ(r)n(r)=0(rSA)

このとき、原子Aに帰属する電子数 NA

NA=ΩAρ(r)d3r

で与えられる。原子電荷を

qA=ZANA

と定義することが多いが、ここでの ZA を「全電子」か「価電子」かは、入力密度(擬ポテンシャル/PAW、コア密度の扱い)に依存するため、絶対値よりも比較の一貫性が重要である。

2. 適用事例

  • 吸着・界面:吸着種への電荷移動、界面双極子の指標化
  • 置換・ドーピング:元素置換に伴う周辺原子の電荷再分配
  • 欠陥:空孔・間隙原子の近傍での局在化/脱局在化の定量
  • 磁性系:スピン密度(磁化密度)を同様に領域分割して局所モーメントの補助量として用いる

注意として、Bader電荷は「形式酸化数」を直接返すものではなく、電子密度の連続量に基づく分割結果である。酸化数と対応付ける場合は、系列比較(同一計算設定での差分)として扱うのが安全である。

3. グリッド分割

実務では、DFTが出力する実空間グリッド上の ρ(r) を用いて、各グリッド点がどの極大(attractor)へ流れ込むかを追跡してBader領域を構成する。計算結果はグリッド分解能に依存するため、FFTグリッドやカットオフを上げた収束チェックが不可欠である。

4. 入力データ:密度

Bader解析は「電子密度」に対して実行するが、どの密度を採用するかで解釈が変わる。

  • 擬(valence-only)密度:価電子密度のみ(手軽だが“全電子”ではない)
  • 全電子(all-electron相当)密度:コア密度+再構成価電子密度(PAW再構成を含む密度を足し合わせる流儀)

同じ物理問いに対して、異なる密度を混ぜると比較が崩れるため、研究室内で標準を決めておくとよい。

5. ワークフロー

構造最適化(relax)とは別に、最終構造で静的計算(single-point)を行い、解析用の密度ファイルを生成するのが基本である。

5.1 価電子密度ベース

  • CHGCAR(またはCHG)をBader解析に入力する
  • 系列比較の“相対変化”を見る用途で使われることが多い

5.2 コアを含めたい場合:PAWの再構成

VASPでは、コア密度と再構成価電子密度を別ファイルとして出力し、それらを加算して参照密度を作る運用が一般的である。

典型例(ファイル名は慣習):

  • AECCAR0:コア電子密度
  • AECCAR2:再構成された価電子密度
  • CHGCAR:(通常)価電子密度を含む出力

よく用いられる実行例(概念):

chgsum.pl AECCAR0 AECCAR2 # 参照密度(合計密度)の生成
bader CHGCAR -ref CHGCAR_sum # CHGCARをBader領域で積分

この「参照密度で領域(basin)を決め、擬(CHGCAR)密度を積分する」流儀は、PAWにおける実用上の折衷として広く用いられる。

6. 磁性体での取り扱い

スピン分極計算では、電荷密度 ρ(r) に加えて磁化密度 m(r)=ρ(r)ρ(r) を解析したい場面がある。

  • CHGCARに電荷密度とスピン密度が併記される場合がある
  • その場合、電荷とスピンを別ファイルに分離して可視化・解析する補助ツールが実務上有用である

Bader領域を用いて m(r) を積分すれば、原子ごとの“領域積分された磁化”が得られる(局在の強い系では直感と対応しやすいが、金属では解釈に注意が必要である)。

7. チェックリスト

  • グリッド収束:FFTグリッドやENCUT(または等価な設定)を上げて NA が十分収束するか確認する
  • 近接原子・短結合:密度の急峻さが増すため、粗いグリッドで誤差が増えやすい
  • 真空を含む系(表面・2D):真空側に“未割当領域”が出ることがあるため、合計電荷(全領域和)と残差の確認を行う
  • 比較の一貫性:POTCAR(擬ポテンシャル)や密度再構成の有無を揃える

収束の目安は系に依るが、系列比較では「差分がグリッド変更で符号反転しない」「変化が 0.01 e 程度以下で安定」などを最低条件にする運用が多い。

8. 他の電荷分割法との比較

手法入力特徴注意点
Bader(QTAIM)実空間のρ(r)“ゼロフラックス面”で原子領域を定義グリッド依存、密度の選び方で解釈が変わる
Mulliken/Löwdin軌道基底分子軌道計算で古典的基底依存が大きい
Hirshfeld参照原子密度“stockholder”分割で安定しやすい参照密度の選択が効く
DDEC系参照密度+制約固体系の電荷移動・電荷モデルに強い実装・前提が手法ごとに異なる
Voronoi幾何速い(密度不要の場合も)波動関数由来の情報が入らない

研究の目的が「電荷移動モデル(力場や部分電荷)」なのか、「電子状態の空間分解(密度に基づく議論)」なのかで、Baderを含む選択が変わる。

まとめ

  • Bader電荷解析は、電子密度 ρ(r) をゼロフラックス面で分割し、原子ごとの電子数・体積を得る手法である。
  • 実用上は、密度の種類(価電子のみか、コアを含むか)とグリッド収束が結果の信頼性を支配する。
  • 絶対値の議論よりも、同一条件での系列比較として用いると解釈が安定し、欠陥・界面・置換の局所変化を定量化しやすい。