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電子後方散乱回折法(EBSD)の基礎

電子後方散乱回折法(Electron Backscatter Diffraction; EBSD)は、走査型電子顕微鏡(SEM)あるいは透過型電子顕微鏡(TEM)内で観察試料に電子線を照射し、後方散乱電子によって形成される菊池パターンを解析することで、結晶方位や結晶相、粒界特性などを評価する技術である。材料の微細組織と機械的・電気的特性との関係を明らかにする上で、EBSDは基本的な結晶方位解析法として広く利用されている。

参考文献

  1. 電子線後方散乱回折法(EBSD)解説(Wikipedia日本語)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/電子線後方散乱回折法
  2. 電子線後方散乱回折法(EBSD) - 日鉄テクノロジー 技術紹介
    https://www.nstec.nipponsteel.com/technology/physical-analysis/structural/structural_06_ebsd.html
  3. セラミックス・金属材料の結晶方位解析(SEM-EBSD)について(愛知県産業技術研究所 技術報告)
    https://www.aichi-inst.jp/other/up_docs/no131_03.pdf

1. EBSDの位置づけと概要

EBSDは、主にSEMに搭載される検出器と解析ソフトウェアを用いて、結晶性試料の結晶方位と結晶相を二次元的にマッピングする手法である。試料表面近傍(おおよそ 10–200 nm 程度)の領域からの後方散乱電子の回折パターン(菊池パターン)を取得し、既知の結晶構造データと照合することで、各測定点の結晶方位を決定する。

従来のX線回折(XRD)が主としてバルクの平均構造情報を与えるのに対し、EBSDは個々の結晶粒スケールでの方位分布、粒界特性、テクスチャ、局所的な塑性変形の指標(ミスオリエンテーションなど)を可視化できる点で特徴的である。また、EDX(エネルギー分散型X線分析)と同一視野で併用することで、組成と結晶方位の相関を評価することができる。

2. EBSDの原理:菊池パターンと回折

2.1 電子線と結晶格子の相互作用

SEMでは加速電圧 10–30 kV 程度の電子線が試料表面に照射される。電子線の一部は後方散乱電子として試料表面近傍から脱出し、その過程で結晶格子面による回折を受ける。結晶面間隔を dhkl、入射電子の有効波長を λ、ブラッグ角を θ とすると、回折条件はブラッグの式で表される。

nλ=2dhklsinθ

ここで n は回折次数である。後方散乱電子では、試料内部での多重散乱を経由した電子が結晶面に対し広い角度分布で入射するため、各結晶面に対応する「菊池バンド」と呼ばれる明暗帯が蛍光スクリーン上に形成される。

2.2 菊池パターンの幾何学

菊池バンドは、特定の結晶面族 {hkl} に対応する大円(あるいはその投影)として検出される。複数の菊池バンドが交差することで、結晶方位に固有の幾何学的パターンが形成される。このパターンから結晶方位を求める過程は「指数付け(indexing)」と呼ばれる。

近似的には、結晶方位を表す回転行列 R が、結晶座標系で表された面法線ベクトル nhkl と実空間の観測方向 r をつなぐ。

rRnhkl

複数の {hkl} に対する対応関係を最小二乗的に満たす R を求めることで、測定点の結晶方位が決定される。

3. EBSD装置構成と測定ジオメトリ

3.1 SEMと試料ジオメトリ

EBSD測定では、試料はSEMステージ上で電子線に対しておおよそ 70° 程度に大きく傾斜される。この傾斜により、試料表面から後方散乱された電子のうち、結晶回折条件を満たす電子が有効に検出器へ到達する。

  • 加速電圧:一般に 10–30 kV
  • 試料傾斜角:70° 前後
  • ワーキングディスタンス:検出器と試料の最適配置を考慮して数 mm〜十数 mm

3.2 検出器と光学系

EBSD検出器は、試料からの後方散乱電子を受ける蛍光スクリーンと、その像を撮像するカメラから構成される。蛍光スクリーン上に形成された菊池パターンは、レンズ系を介してCCD/CMOSカメラにより撮像され、コンピュータに取り込まれる。

パターン解析においては、

  • パターン中心(pattern center)
  • 有効視野角(camera tilt, 視野の角度)
  • ピクセルスケール

などの幾何学パラメータが重要であり、これらは装置校正により決定される。

4. 測定プロセスと指数付け

4.1 測定手順の基本構成

EBSD測定は、SEMステージ上で試料表面を格子状に走査しながら各測定点で菊池パターンを取得し、その都度指数付けと方位決定を行うことで、二次元の方位マップを構成する手順である。

  1. 試料表面の機械研磨・電解研磨・イオンミリング等による仕上げ
  2. SEM内への導入と所望の傾斜・位置合わせ
  3. EBSD検出器を挿入し、菊池パターンの位置・明るさを調整
  4. 測定エリアとステップサイズの設定
  5. 自動測定によるパターン取得と指数付け
  6. 方位マップ・粒界マップなどの可視化と解析

4.2 パターン解析と指数付けアルゴリズム

指数付けは、取得された菊池パターンから菊池バンドの位置と方位を抽出し、既知の結晶構造データベースと照合して行う。代表的な手法として、ハフ変換に基づくバンド検出がある。

  1. パターン画像のコントラスト向上(フィルタ処理)
  2. ハフ変換により直線(菊池バンド中心線)を検出
  3. 検出された直線の角度・位置情報を、結晶面族 {hkl} に対応付け
  4. 冗長な組み合わせを探索し、最も整合する結晶方位を決定

指数付け結果の信頼性評価には、平均角度偏差(MAD: mean angular deviation)や、信頼度指標(confidence index, CI)などが用いられる。MADは実測バンドと仮想的なバンド位置の角度差の平均として定義され、値が小さいほど指数付けの整合性が高いと解釈される。

5. EBSDで得られる主な情報

EBSD解析では、各測定点の結晶方位や結晶相に基づき、多様なマップを生成することができる。

5.1 結晶方位マップ(IPFマップ)

結晶方位は、例えば3つのオイラー角 (φ1,Φ,φ2) や回転行列 R、クォータニオンなどで表される。EBSDでは、特定の結晶方向(例:試料法線方向 ND)と結晶方位の関係を色に対応付けた inverse pole figure(IPF)マップが広く用いられる。

各測定点の方位行列 Ri について、試料方向ベクトル nsample を結晶座標に変換した

ncrystal=Ri1nsample

を極点図空間に投影し、その位置をRGBカラーへマッピングすることで、方位の違いを視覚的に示すことができる。

5.2 結晶相マップ

指数付けの際に、各測定点をどの結晶相(例:フェライト、オーステナイト、炭化物相など)として解釈したかに基づき、相ごとに色分けしたマップを作成できる。これにより多相材料中の相分布や、相変態の進行などを可視化できる。

5.3 粒界・ミスオリエンテーション解析

隣接する測定点 ij の結晶方位行列 Ri,Rj から、ミスオリエンテーション角 Δθ

cosΔθ=12(Tr(RiRj1)1)

で求められる。これを用いることで、粒界の角度分布や小傾角粒界・大傾角粒界の分類を行うことができる。さらに、対称操作群を考慮した上で、対応粒界(CSL境界)の識別や、特定方位関係を持つ双晶境界の検出が可能である。

局所的なミスオリエンテーションを可視化する指標として、Kernel Average Misorientation(KAM)が用いられる。KAMは、ある測定点とその近傍数点のミスオリエンテーション角の平均であり、局所的なひずみや転位密度の指標として利用される。

6. 空間分解能と制約

6.1 作用深さと空間分解能

EBSDにおける有効情報深さは、加速電圧や試料の原子番号に依存するが、一般に数十 nm 程度と考えられている。空間分解能は、電子線プローブ径だけでなく、試料内部での散乱ボリュームにも依存し、金属材料では数十 nm〜数百 nm 程度が目安である。

空間分解能を高めるには、

  • 加速電圧を低めに設定する(散乱ボリュームの縮小)
  • 試料を薄くする(透過EBSD/TKDの利用)
  • 試料表面を高品質に仕上げる(塑性変形層の低減)

などの工夫が有効である。

6.2 測定ステップサイズと測定時間

測定ステップサイズは、調べたい構造スケールの 1/3 以下程度とすることが多い。例えば、平均粒径が 3 µm 程度であれば、ステップサイズを 0.5–1.0 µm 程度とすることで、粒内と粒界の情報を十分にサンプリングできる。

一方で、ステップサイズを細かくすると総測定点数が増加し、測定時間も比例して長くなる。そのため、研究目的に応じたステップサイズ・観察領域・測定時間のバランス設計が重要である。

7. 他の結晶解析手法との比較

EBSDは、光学顕微鏡観察やXRD、TEMなど他の手法と組み合わせることで、より豊かな構造情報を得ることができる。表1に、いくつかの手法との基本的な比較を示す。

表1:結晶構造解析手法の比較

手法情報の主対象空間分解能情報深さ特徴
EBSD(SEM)結晶方位・相・粒界数十 nm〜µm数十 nm 程度二次元方位マップに優れる
光学顕微鏡結晶粒形態・フェーズ数百 nm〜µmバルク試料調整が容易
XRD平均構造・テクスチャmm オーダーバルク回折ピーク解析に優れる
TEM回折局所構造・欠陥nm オーダー薄膜(数十〜百 nm)高分解能だが視野が狭い
TKD(透過EBSD)ナノ結晶方位数 nm〜数十 nm薄膜(透過試料)ナノスケールの方位マッピング

8. 透過EBSD(TKD)と高分解能方位解析

透過EBSD(Transmission Kikuchi Diffraction; TKD)は、薄膜試料を用いて、SEM内で透過配置に近いジオメトリで菊池パターンを取得する手法である。従来のEBSDよりも電子の散乱ボリュームを小さくできるため、数 nm〜数十 nm 程度の高い空間分解能で結晶方位マッピングが可能である。

TKDでは、

  • 非常に微細な結晶粒を持つナノ結晶材料
  • 変形の強い材料(高転位密度)
  • 酸化物や超伝導材料などの薄膜

について、従来EBSDでは困難であった方位解析を行うことができる。SEMとTEMの中間的な位置づけの手法として、国内外で応用が拡大している。

9. 日本国内におけるEBSD研究・応用

日本国内では、鉄鋼・自動車・航空機・電子材料など、多様な産業分野でEBSDが利用されている。鉄鋼材料においては、再結晶挙動やテクスチャ形成、微細析出物の方位関係評価などに広く用いられている。また、電子セラミックスや磁性材料、半導体デバイスの界面解析などにも応用されている。

学協会としては、日本金属学会、日本材料学会、日本鉄鋼協会、日本セラミックス協会などがシンポジウムや講演特集でEBSD関連の話題を取り上げており、実験室レベルから大型企業研究所まで、EBSDを組み込んだ微細構造評価の取り組みが進んでいる。

装置・ソフトウェアの面では、Oxford Instruments、Bruker、Thermo Fisher Scientific などの海外メーカーや、国内の分析会社がEBSDシステムを提供しており、自動指数付けアルゴリズムの高度化や、位相識別・変形解析・機械学習との連携などが進展している。

10. まとめと展望

電子後方散乱回折法(EBSD)は、SEMを基盤とした結晶方位解析手法であり、菊池パターンの幾何学的解析を通じて結晶方位・結晶相・粒界特性を二次元的に可視化できる。ブラッグ回折と結晶対称性に基づく指数付けにより、材料の微細組織と機械的性質や機能特性との関係を、結晶粒スケールで定量的に議論できる点が大きな特長である。本稿では、EBSDの原理、装置構成、指数付けとミスオリエンテーション解析、空間分解能と測定条件、他手法との比較、および透過EBSDの発展について整理した。

今後は、時間依存の変形過程や熱処理過程を追跡するその場観察、TKDを含む高分解能EBSDと機械学習の組み合わせによる自動相識別・欠陥認識、XRD・TEM・XPSなど他の構造・表面分析手法との統合解析が一層重要になると考えられる。また、EBSDデータを用いた結晶塑性シミュレーションや、材料インフォマティクスへの展開により、微細組織設計とマクロ特性の橋渡しを行う研究が進展すると期待される。EBSDは今後も、材料微細構造と物性の関係を理解するための基本的手段として、重要性を増していくであろう。

参考文献