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放射光科学の初歩

放射光科学とは、加速器中の相対論的電子が磁場で曲げられることで放射される電磁波(放射光)を利用し、物質の構造・電子状態・ダイナミクスを高精度に調べる学術領域である。光源(加速器)と光学(ビーム輸送)と測定(散乱・分光・イメージング)が一体となって性能が決まり、どこで情報が生成され、どこで制限されるかを理解することが出発点である。

参考ドキュメント

  1. SPring-8:放射光の原理
    https://www.spring8.or.jp/ja/about_us/whats_sp8/whats_sr/generation_sr/
  2. NanoTerasu:施設概要(公開仕様)
    https://nanoterasu.jp/施設概要/
  3. ESRF Summer School:Principles of synchrotron radiation(講義資料)
    https://www.esrf.fr/files/live/sites/www/files/events/conferences/2021/Summer School 2021/Lectures/Nicola Carmignani_SynchrotronRadiation_Carmignani_2021.pdf

1. 放射光とは何か:相対論的電子が放つ電磁波

放射光(シンクロトロン放射)は、荷電粒子が加速度を受けると電磁波を放射するという電磁気学の基本に根差している。特に電子が光速に近い速度で運動しているとき、磁場で軌道が曲げられる(速度ベクトルが変化する)ことで、進行方向に強く指向した強い放射が生じる。

放射光の特徴は、次の性質として要約できる。

  • 高輝度(単位面積・単位立体角あたりの光子密度が大きい)
  • 強い指向性(前方に狭い角度に集中する)
  • 広い波長域(赤外〜硬X線まで、光源設計と挿入光源で調整可能である)
  • 高い偏光制御性(直線・円偏光など)
  • パルス状の時間構造(バンチ構造に由来する)

これらが、微小領域・微小信号・短時間現象の測定を可能にする基盤である。

2. 光源の全体構成:加速して蓄え、曲げて取り出す

放射光施設の中核は、電子を加速し、蓄積リングで安定に周回させ、取り出した光を各ビームラインへ導くシステムである。基本要素は次の通りである。

  • 線形加速器(linac):電子を高エネルギーへ加速する
  • ブースター:蓄積リングへ入射するエネルギーまで加速する
  • 蓄積リング:電子を長時間周回させ、安定な光源として働かせる
  • 磁石系:偏向電磁石、四極磁石、六極磁石などで軌道と集束を制御する
  • 高周波(RF)空洞:放射損失を補い、バンチを形成する
  • 挿入光源(insertion device):アンジュレータ、ウィグラーなどで光の性質を強化する

ここで重要なのは、測定で「光源」と呼ぶものが、電子ビーム(サイズと発散)と磁場配置の組で決まる、という見方である。光の性質は、電子ビームの品質(エミッタンス、エネルギー広がり、電流)に強く依存する。

3. 偏向電磁石放射:臨界エネルギーとスペクトルの見方

蓄積リングの曲線部にある偏向電磁石(dipole magnet)で電子が曲げられると、連続スペクトルの放射光が接線方向に放出される。偏向放射のエネルギー分布は「臨界エネルギー」Ec を境に性格が変わると理解すると見通しがよい。

相対論的ローレンツ因子を γ、軌道の曲率半径を ρ とすると、臨界角周波数(臨界周波数)ωc

ωc=32cγ3ρ

臨界光子エネルギーは

Ec=ωc=32cγ3ρ

で与えられる。Ec が大きいほど高エネルギー側まで光子が得やすい。一般に、電子エネルギーが高いほど γ が大きくなり、より硬いX線領域へ届きやすくなる。

偏向放射は広帯域で安定であり、多くの分光・散乱・イメージングで基盤として利用される。

4. 挿入光源:アンジュレータとウィグラー

直線部に周期磁場を置き、電子に周期的な蛇行運動をさせる装置が挿入光源である。代表がアンジュレータ(undulator)とウィグラー(wiggler)である。

4.1 アンジュレータの基本式

アンジュレータの周期長を λu、磁場強度に対応する無次元パラメータを K とする。観測角を θ とすると、放射の基本波(第1高調波)の波長は

λ1=λu2γ2(1+K22+γ2θ2)

で与えられる。K は概ね

K=eB0λu2πmc

で定義され、磁場 B0 を強くする、または周期長 λu を長くするほど K が大きくなる。K1 の領域では干渉が強く働き、狭帯域で鋭いピーク(準単色性)が得られる。これが高輝度X線の源である。

4.2 ウィグラーの見方

K1 の領域では、放射はより偏向放射の重ね合わせに近くなり、広帯域で強いフラックスが得られる。ウィグラーは高エネルギー側のフラックス増強などに用いられる。

4.3 偏向放射・ウィグラー・アンジュレータの比較

光源要素スペクトル指向性光子密度の特徴よく重視される点
偏向電磁石広帯域連続中程度安定で扱いやすい多用途、広い波長域
ウィグラー広帯域(より強い)高いフラックス増強高エネルギー側の強度
アンジュレータ狭帯域ピーク(高調波)非常に高い高輝度・高干渉性高分解能、微小スポット、コヒーレンス

この表は、「どの光源が万能か」ではなく、「どの情報を取りに行くかで最適が変わる」ということを示している。

5. 光源性能を表す量

放射光の「強さ」は一つの数で語れない。少なくとも次の概念を区別する必要がある。

5.1 フラックス(光子数)

フラックスは、単位時間あたりの光子数(しばしば単位帯域幅あたり)である。とにかく光子数が欲しい測定(吸収分光、散乱の弱い信号など)で重要になる。

5.2 輝度

輝度(ブリリアンス、brightness/brilliance)は、光子がどれだけ「小さな面積」と「小さな発散角」に詰まっているかを表す量である。よく用いられる単位の形は

  • photons/s/mm2/mrad2/(0.1% bandwidth)

のように表現される。高輝度は、微小スポット集光、コヒーレント散乱、微小領域分光などに直結する。

5.3 エミッタンスと光源サイズ

電子ビームの横方向の広がりと発散を組にした量がエミッタンスである。概念的には

εσxσx

σx はビームサイズ、σx は発散)であり、ε が小さいほど「小さく、平行に近い」電子ビームになり、結果として光の輝度やコヒーレンスが高くなる方向に働く。

5.4 コヒーレンス(干渉性)の入口

時間コヒーレンスは単色性(帯域幅)に、空間コヒーレンスは光源サイズと発散に強く関係する。コヒーレント回折イメージングやタイコグラフィでは、空間コヒーレンスが測定の成立条件になる。

6. 偏光と時間構造:磁性・動的現象への入り口

放射光は偏光と時間構造が制御できる点で、実験自由度が高い。

  • 偏光:直線偏光、円偏光、楕円偏光など
    磁性の研究では円偏光が重要であり、XMCD(X-ray magnetic circular dichroism)に直結する。

  • 時間構造:電子バンチの周回と配置に由来するパルス列
    時分割測定(ポンプ・プローブ)では、パルス間隔と同期が鍵となる。

時間分解は、光子の短パルス性だけでなく、検出器応答・同期精度・試料の励起方法と一体で決まる。

7. ビームを試料へ届ける光学

光源から出た放射光は、そのままでは測定に適さないことが多い。必要なエネルギー、帯域幅、スポットサイズ、入射角、偏光状態へ整えるのが光学系の役割である。

7.1 ミラー

X線は屈折率が 1 よりわずかに小さいため、全反射は浅い入射角(斜入射)で起きる。ミラーは

  • 高調波除去(不要な高エネルギー成分を落とす)
  • 集光(楕円ミラーなど)
  • ビーム整形

に使われる。

7.2 単色化(モノクロメータ)

結晶モノクロメータはブラッグ反射を利用する。ブラッグ条件は

2dsinθ=nλ

である(d は格子面間隔、θ はブラッグ角)。dθ を制御することで、特定波長(エネルギー)のX線を選び出す。

帯域幅(エネルギー分解能)の代表的な指標は

ΔEE

であり、分光(XAS、RIXS など)では特に重要になる。

8. 物質とX線の相互作用

放射光科学で得る情報は、X線と物質の相互作用が作る「強度・位相・エネルギー・角度・時間」の変化として現れる。入口として次を押さえる。

8.1 吸収(Beer–Lambert の式)

透過強度 I と入射強度 I0 は、厚さ t、線吸収係数 μ(E) により

I(E)=I0(E)exp(μ(E)t)

と表される。μ(E) のエネルギー依存性が、元素選択的な電子状態情報(XAS)を与える。

8.2 散乱と逆空間

散乱ベクトル q は、入射波数ベクトル ki と散乱波数ベクトル kf を用いて

q=kfki

と定義される。結晶回折では q が逆格子ベクトルに一致すると強い回折が起きる。小角散乱では小さな |q| 領域を測り、ナノ〜メゾスケール構造を捉える。

8.3 蛍光・光電子

吸収で作られた内殻空孔が緩和すると蛍光X線が出る(XRF)。また光電子が放出される(XPS、HAXPES)ことで、表面・界面の電子状態にアクセスできる。

9. 主な測定群:何がわかるかを軸に整理する

放射光を使った手法は膨大であるため、「得たい情報」を軸に基本を整理する。

9.1 構造(原子配列・格子・欠陥)

  • XRD(X-ray diffraction):結晶構造、格子定数、相同定
  • 粉末回折・薄膜回折:配向、歪、結晶子サイズ(線幅解析)
  • 全散乱・PDF:短距離秩序、アモルファス・ナノ結晶構造

9.2 形態(ナノ〜メゾ構造)

  • SAXS/WAXS:粒子サイズ、形状、相分離、階層構造
  • GISAXS:薄膜・表面近傍のナノ構造

9.3 電子状態(元素選択性)

  • XAS(XANES/EXAFS):局所構造、価数、配位、結合性
  • XES/RIXS:励起・緩和を含む電子状態、励起スペクトル
  • ARPES:バンド分散、フェルミ面(主に真空紫外〜軟X線)

9.4 磁性(元素選択・軌道情報)

  • XMCD:元素別のスピン・軌道情報(円偏光の二色性)
  • XMLD:反強磁性・異方性の情報(直線偏光の二色性)

9.5 イメージング(実空間で見る)

  • X線CT:三次元形状・内部欠陥
  • 位相コントラスト:軽元素や微小密度差の可視化
  • コヒーレント回折イメージング、タイコグラフィ:位相回復による高分解能像

次の表は、情報の種類と代表手法の対応をまとめたものである。

目的情報代表手法主に使う観測量特徴
結晶構造XRD角度依存強度相・格子・歪がわかる
局所構造EXAFS吸収端近傍の振動配位数・結合距離を与える
価数・電子状態XANES, RIXSエネルギー依存化学状態に敏感である
表面電子状態XPS/HAXPES電子運動エネルギー表面・界面に強い
磁性(元素別)XMCD偏光依存差分スピン・軌道の情報
3D内部構造CT透過像非破壊で三次元化

10. XAS(XANES/EXAFS)の基本式:局所構造へ至る道

XAS は、吸収係数 μ(E) を吸収端周辺で測る。吸収端より高エネルギー側では、光電子波が周囲原子で散乱され干渉することで EXAFS 振動が現れる。

EXAFS を波数 k で表し、規格化した振動成分を

χ(k)=μ(k)μ0(k)Δμ0(k)

のように定義する。基本形は(単一散乱の見通しとして)

χ(k)jNjS02kRj2fj(k)exp(2k2σj2)exp(2Rj/λ(k))sin(2kRj+δj(k))

である。ここで Nj は配位数、Rj は結合距離、σj2 は熱・静的ゆらぎ(デバイワラー因子に相当)、fj は散乱振幅、δj は位相である。

この式は、局所構造情報(Rj,Nj,σj2)が、波数空間の振動として符号化されることを示している。

11. 散乱・回折データの基本:実空間と逆空間の往復

結晶回折では、回折条件が逆格子により表され、構造因子 F(Q) が強度を支配する。

I(Q)|F(Q)|2

構造因子は原子位置 rn と散乱因子 fn を用いて

F(Q)=nfn(Q)exp(iQrn)

と書ける。したがって、強度は「原子配置のフーリエ成分」であり、逆空間測定が実空間構造へ対応することが見えてくる。

薄膜や表面では、入射角を浅くすることで表面感度を高める(斜入射回折、反射率、GISAXS など)。このとき、光学的効果(屈折、全反射、吸収)と散乱が混ざるため、モデル化で理解する。

12. 検出器の基本:何を計数しているか

検出器は、光子の情報を電気信号へ変換する。基本的な分類は次である。

  • 0次元検出:イオンチェンバー、フォトダイオード(強度の時間変化など)
  • 1次元検出:位置敏感検出(線状)
  • 2次元検出:ピクセル検出器、イメージング検出器(回折像、散乱像、CT)

測定の分解能・ダイナミックレンジ・最大計数率は、検出器特性と読み出し方式で決まる。放射光が強力であるほど、検出器側が制限になる状況も生じるため、「光源が強い=常に良い」ではない点に注意が要る。

13. 施設の世代と設計思想:低エミッタンス化の流れ

近年の放射光施設は、電子ビームの低エミッタンス化(多重偏向=multi-bend achromat など)により、輝度とコヒーレンスを強く押し上げている。これは、光の性質が電子ビーム品質に結び付くためである。

国内でも 3 GeV クラス高輝度施設として NanoTerasu が整備され、施設概要(電子ビームエネルギー、電流、エミッタンスなど)が公開されている。海外では APS のアップグレードなど、蓄積リング格子を刷新してエミッタンスを大幅に下げる計画・実施が進んでいる。

この流れは、コヒーレント散乱や高分解能イメージングの拡大と表裏一体である。

14. 放射光科学と何を結び付けるか

放射光科学の理解は、次の対応関係を頭の中に作ることで進む。

  • 光源(電子ビーム + 磁場)
    → スペクトル、輝度、偏光、時間構造

  • 光学(ミラー、モノクロメータ、集光)
    → エネルギー分解能、スポット、バックグラウンド

  • 相互作用(吸収、散乱、光電子、蛍光)
    → 物質のどの自由度を読んでいるか(構造、価数、スピンなど)

  • 検出(計数方式と限界)
    → 実際に得られる信号の品質と制約

この四つを往復し、「欲しい情報がどこで符号化され、どこで失われうるか」を意識することが初歩の要である。

まとめと展望

放射光科学の初歩は、(i) 相対論的電子が磁場で曲げられて放射光を生むという生成原理、(ii) 偏向放射と挿入光源が作るスペクトルと輝度の違い、(iii) 光学系がエネルギー・空間・偏光・時間の条件を整える役割、(iv) 物質との相互作用が構造・電子状態・磁性の情報を生む仕組み、を一つの連続した流れとして理解する段階である。ここが繋がると、個別手法(XRD、XAS、XMCD、RIXS、イメージングなど)が「別々の道具」ではなく、同じ枠組みの中の異なる観測窓として整理できるのである。

展望としては、第一に、低エミッタンス化と高コヒーレンス化が進むことで、位相を含む測定(コヒーレント散乱・位相回復・タイコグラフィ)がより一般的になる方向にある。第二に、偏光・時間構造・試料環境の組合せが高度化し、スピン・軌道・格子の結合を動的に追う研究が広がる。第三に、光源・光学・検出の進歩に合わせて、データ同化的な解析(モデルと観測の整合)も重要性を増し、放射光科学は「装置科学」と「物質科学」を同時に深める領域として発展していくのである。

参考文献