X線吸収微細構造(XAFS)の原理
XAFS(X-ray Absorption Fine Structure)は、特定元素の吸収端近傍に現れる吸収係数の微細構造から、局所構造と電子状態を同時に読み解く分光である。回折が与える平均構造と補完関係にあり、非晶質・ナノ材料・溶液・薄膜・界面などにも適用できることが大きな特徴である。
参考ドキュメント
- XAFS実験の基礎(KEK PFの講習資料、日本語PDF) https://pfxafs.kek.jp/wp-content/uploads/document/exp.pdf
- 汎用XAFS、自動XAFS(SPring-8 Users Information、日本語PDF) https://user.spring8.or.jp/ui/wp-content/uploads/Methods_all_4.pdf
- J. J. Rehr and R. C. Albers, Theoretical approaches to x-ray absorption fine structure, Rev. Mod. Phys. 72, 621 (2000) https://link.aps.org/doi/10.1103/RevModPhys.72.621
1. XAFSとは何か:吸収端と微細構造
X線のエネルギー
XAFSは領域として以下に分けて議論されることが多い。
- XANES(X-ray Absorption Near Edge Structure):吸収端近傍(概ね
の周辺) - EXAFS(Extended X-ray Absorption Fine Structure):吸収端より十分高エネルギー側
ただし境界は連続的であり、解析法と感度の違いとして捉えるのが適切である。
2. 吸収係数の量子論:フェルミの黄金律からの出発
X線吸収は、初期状態
で与えられる。ここで選択則(例:
また、X線吸収は局所量であるため、吸収原子近傍の散乱ポテンシャルと多重散乱が主要な役割を担う。XAFS理論では、実空間グリーン関数(多重散乱)に基づく統一的な記述が標準となっている。
3. 背景と振動成分
測定された
と表すことが多い。解析の要点は、(i) 背景を適切に除去して
吸収端エネルギー
で定義され、以後のEXAFS式は
4. EXAFSの物理:単一散乱式と各因子の意味
EXAFSの最も基本の形は、散乱原子殻
と書かれる。
ここで各記号は以下の物理量である。
:吸収原子から距離 にある散乱原子数(配位数) :平均原子間距離 :有効散乱振幅(原子種・エネルギー・散乱角に依存) :位相シフト(散乱と中心ポテンシャルに由来) :振幅縮退因子(多電子効果・シェイクアップ等を平均化した量として扱う) :光電子平均自由行程(非弾性散乱による減衰) :平均二乗相対変位(MSRD; 熱振動・静的無秩序を含む)
この式は、XAFSが「振動の位相から距離」「振動の振幅から配位と無秩序」「
多重散乱の寄与は、より一般には「散乱経路
5. フーリエ変換 と実空間像
EXAFSでは、
ここで
距離分解能は概ね
で見積もられ、広い
6. XANESの物理:近接多重散乱と電子状態感度
XANESは、フォトエレクトロンの波長が原子間距離と同程度となり、近接多重散乱が強く効く領域である。したがって、単純な殻モデルよりも、局所対称性、価数、配位多面体の歪み、共有結合性、局在・非局在の程度、コアホール効果などがスペクトル形状を支配する。
XANESで頻出する特徴は以下である。
- ホワイトライン:空状態密度(特に
空状態)と遷移行列要素により強度が決まる - プレエッジ:禁制に近い遷移が混成や歪みで許容され、局所対称性や価数に敏感となる
- 化学シフト:
の移動として現れ、酸化状態・配位環境の変化を反映する
XANESの定量は、実空間多重散乱やDFT系の理論計算(例:実空間グリーン関数、コアホールを含む計算)と組み合わせて行うことが多い。スペクトルの「形」を支配する要因が多く、単一パラメータでの説明は避けるべきであるという態度が重要である。
7. 偏光・方位依存:異方性と二色性
入射X線の偏光は遷移演算子
線偏光を用いると、X線線二色性(XLD)として
を議論でき、配位多面体の歪みや軌道分極に敏感となる。磁性体では磁気円二色性(XMCD)が加わるが、ここではXAFSとして吸収の構造・電子状態部分に焦点を当てる。
8. 測定モード
XAFSの測定は、吸収そのものを直接測るのではなく、吸収に比例する信号(透過強度、蛍光、電子収量など)を測って
8.1 透過法
入射強度
から
を得る。信号の線形性が高く、定量性に優れるが、適切な厚さ・濃度が必要である。
8.2 蛍光法
希薄元素や厚い基板上の薄膜では蛍光法が有効である。吸収による内殻空孔の緩和で放出される蛍光X線を測り、吸収端元素の選択性を利用する。ただし蛍光は再吸収(自己吸収)により歪む場合があり、幾何配置や濃度条件の影響が大きい。
8.3 電子収量法(TEY)
吸収に伴い放出される二次電子やオージェ電子の収量を測る。電子の脱出深さが短いため表面感度が高く、薄膜・表面反応に適する。一方で導電性、表面状態の影響を受けやすい。
8.4 測定モード比較表
| 観測量 | 得られる | 感度領域 | 適する試料 | 注意すべき物理 |
|---|---|---|---|---|
| 透過( | バルク | 粉末ペレット、薄板、濃度中〜高 | 厚さ最適化、調和波の寄与 | |
| 蛍光 | 蛍光強度 | バルク寄り(元素選択) | 希薄元素、薄膜、多元素系 | 自己吸収、飽和、高計数率 |
| 電子収量(TEY等) | 収量 | 表面〜浅い界面 | 表面反応、極薄膜 | 脱出深さ、帯電、表面汚染 |
9. エネルギー分解・強度・安定性
XAFSでは、単色化されたX線のエネルギーを掃引して吸収端を横切るため、単色器(例:Si(111)二結晶分光器)の角度制御とエネルギー安定性がスペクトル品質を決める。高次光(調和波)の混入はスペクトルの歪み要因となるため、ミラーや detuning により抑制されることが多い。
検出器としては、透過ではイオンチェンバー(ガス封入型)が広く用いられ、蛍光では半導体検出器(SDD等)の多素子化が高計数率化と希薄試料への対応に効く。時間分解では、モノクロメータを連続掃引するQXAFS(Quick XAFS)や、分散型(DXAFS)など、掃引様式の設計が時間分解能を支配する。
SPring-8ではXAFS専用ビームラインが整備され、広いエネルギー領域、希薄・薄膜試料、時分割測定、自動測定などの方向へ発展している。
10. データ処理:
測定信号から
10.1 エネルギー較正と整列
吸収端位置の比較や差スペクトルでは、エネルギー軸のずれが致命的になる。標準箔の同時測定などにより、
10.2 正規化と背景除去
プレエッジ領域でのベースライン補正、ポストエッジでの正規化により、試料厚さや濃度の影響を除いた形に整える。その後、滑らかな
10.3 変換と 重み付け
11. 構造パラメータ推定:理論計算とフィッティング
EXAFSの定量は、(i) 構造モデル(候補構造、局所対称性)を置き、(ii) 散乱振幅・位相・平均自由行程などを理論計算で得て、(iii) 実験
散乱因子の理論計算には、実空間多重散乱コード(代表例:FEFF)が広く用いられる。XANESを含む計算では、コアホールと自己エネルギー補正、偏光依存、局所場効果などの取り扱いがスペクトル再現性に影響する。
推定パラメータには強い相関が生じることがある。例えば
12. 時分割・その場測定
触媒、電池、相変態、材料合成過程などでは、平均構造が変化する前に局所環境が変化することが多い。XAFSは元素選択的に局所環境を追えるため、反応中の化学状態変化と配位変化を同時に追跡できる。
時間分解を支える代表手法は以下である。
- QXAFS:モノクロメータを連続掃引し、スペクトル取得を高速化する
- DXAFS:エネルギー分散光学でスペクトルを同時取得する
- ポンプ–プローブ:励起と計測を同期し、非平衡状態を時間軸で観測する
時間分解能は、光学・検出・制御により決まり、対象現象の時間スケール(秒〜ミリ秒、さらに下)に合わせて設計される。
13. 類似手法との比較
XAFSが得意とする問いは、局所構造と電子状態の「元素選択的」把握である。
| 問い | XAFSで見える量 | 補完しやすい手法 |
|---|---|---|
| 価数・配位の変化は起きたか | HAXPES、XPS、EELS | |
| 最近接距離と配位数はどう変わるか | 回折、PDF、TEM | |
| 乱れは熱か静的か | 中性子散乱、比熱 | |
| 異方性や配向はあるか | 偏光依存 | 回折テクスチャ、XRD-RSM |
回折は長距離秩序の平均構造に強い一方、XAFSは局所秩序に強い。両者を同一試料・同一条件で組み合わせると、平均構造と局所構造の差(局所歪み、局所欠陥、短距離秩序)を分離して議論しやすくなる。
14. XANESとEXAFSの比較表:感度とモデル化の違い
| 項目 | XANES | EXAFS |
|---|---|---|
| 主な感度 | 電子状態(空状態密度)、局所対称性、価数、コアホール効果 | 原子間距離 |
| 支配する物理 | 近接多重散乱、バンド性、局所場、遷移行列要素 | 散乱干渉、減衰( |
| 定量の手段 | 多重散乱/DFT系計算との比較、線形結合、ピーク解析 | FEFF等に基づくフィット、 |
| 強み | 化学状態変化に鋭敏、局所幾何と電子構造の結び付け | 距離・配位の量的推定、温度依存による振動情報 |
まとめ
XAFSは、内殻励起で生成したフォトエレクトロン波の散乱干渉を利用し、特定元素の局所構造と電子状態を同時に読む分光である。EXAFSでは干渉の位相と振幅を通じて
関連研究
- The FEFF Project(FEFF9 documentation) https://feff.phys.washington.edu/feff/wiki/static/f/e/f/FEFF_Documentation_b0ae.html
- Demeter: XAS Data Processing and Analysis(Athena/Artemisを含む) https://bruceravel.github.io/demeter/
- M. Newville, IFEFFIT: interactive XAFS analysis and FEFF fitting, J. Synchrotron Rad. 8, 322 (2001) https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1107/S0909049500016964
- B. Ravel, A Practical Introduction to Multiple Scattering Theory(講義資料PDF) https://docs.xrayabsorption.org/Workshops/NSLS2004/Ravel.pdf
- クイックXAFS(QXAFS)(SPring-8 BL01B1, 日本語) https://www.spring8.or.jp/wkg/BL01B1/solution/lang/SOL-0000001257
- Materials Project: X-ray Absorption Spectra (XAS) methodology(FEFF利用の説明) https://docs.materialsproject.org/methodology/materials-methodology/x-ray-absorption-spectra