放射光による構造解析
放射光を用いた構造解析は、結晶の平均構造から欠陥・界面・ナノ構造、さらに短距離秩序までを、同じ「散乱ベクトル」の言葉で連結して記述する方法群である。ここでは、何を測ると何が分かるかを、式と概念を軸に体系化する。
参考ドキュメント
- SPring-8 サマースクール実習資料:粉末結晶構造解析(BL02B2)
https://www.spring8.or.jp/ext/ja/sp8summer_school/sp8ss2004/sp8ss2004doc/jisshu2b2.pdf - KEK PF:XAFS実験ステーション利用の手引き(XAFSハンドブック)
https://pfxafs.kek.jp/wp-content/uploads/bldata/xafs_handbook.pdf - S. J. L. Billinge, “The rise of the X-ray atomic pair distribution function method” (2019)
https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rsta.2018.0413
0. 構造解析が扱う「構造」の階層
構造とは、原子の配置とその統計的ゆらぎ、ならびに空間的な不均一性の総称である。放射光による構造解析では、主として次の階層が対象となる。
- 平均構造:結晶格子・空間群・原子座標・占有率・熱振動
- 局所構造:特定原子周りの配位数、結合距離、歪み、化学状態と結合性
- メソ構造:粒径、ドメイン、欠陥密度、界面粗さ、相分離、配向、階層構造
- 時間発展:相転移、反応、成長、拡散、緩和、外場応答
これらは独立ではなく、平均構造の背後に局所ゆらぎがあり、局所ゆらぎがメソ構造や物性応答に接続する、という関係にある。
1. 散乱ベクトル
1.1 波数ベクトルと散乱ベクトル
入射波を波数ベクトル
で定義される。弾性散乱では
となる。
この
1.2 散乱長密度とフーリエ変換
運動学的近似の下では、散乱振幅は散乱長密度
X線の場合、
2. 回折:平均構造
2.1 ブラッグ条件と逆格子
結晶面間隔
である。回折ピークは逆格子ベクトル
を満たすとき強度が現れる。したがって回折は、格子定数、対称性、原子配列の周期性を直接に反映する。
2.2 構造因子と電子密度
反射
と書ける。電子密度
ここで
2.3 粉末回折:1次元データから3次元構造へ
粉末では結晶子が無配向であるため、回折条件はリングとして現れ、
- 相同定:ピーク位置と強度比から相を決める
- 格子定数:ピーク位置の精密化から決める
- 結晶子サイズ・歪み:ピーク幅の解析(サイズ起因と歪み起因の分離を含む)
- リートベルト解析:構造モデルに基づく全パターン同時フィット
放射光の高エネルギーX線は透過配置を取りやすく、吸収の強い材料や試料環境セルを用いた測定に適合しやすい。
2.4 単結晶回折と散漫散乱
単結晶回折では
2.5 薄膜・界面:斜入射と逆空間マッピング
薄膜では基板が強い回折を与え、膜厚が薄いほど散乱体積が小さい。斜入射(GIXRD, GIWAXS)配置では入射角を臨界角近傍に設定し、表面近傍の散乱感度を高める。GIWAXS は配向(テクスチャ)やパッキング、面内・面外格子の情報を同時に与える。逆空間マッピングは、歪み、モザイク、格子緩和を可視化する手段である。
3. ナノ・メソ構造
3.1 小角散乱の基本式とコントラスト
小角散乱は、密度(電子密度)コントラストの空間ゆらぎに敏感である。しばしば
と分解される。
3.2 Guinier則とPorod則
低
高
指数の変化は、界面粗さ、フラクタル性、粒子形状の影響を反映する。
3.3 WAXSとSAXSの同時測定
WAXS は原子配列の短距離秩序と結晶相を、SAXS は数nm〜数百nmの不均一性を与える。同時測定により、例えば「相転移温度で結晶化が始まり、同時にドメインサイズが成長する」といった階層的描像を一本化できる。
3.4 斜入射小角散乱
斜入射小角散乱(GISAXS)は表面・界面のメソ構造(ナノ粒子配列、孔構造、粗さ相関)を扱う。反射・屈折を伴うため、単純なBorn近似では記述しきれず、Distorted Wave Born Approximation(DWBA)での表現が用いられることが多い。
4. 全散乱とPDF:平均構造と局所構造
4.1 全散乱の考え方
全散乱では、ブラッグ回折(長距離秩序)と散漫散乱(短距離秩序)を同時に測定し、構造因子
高い
4.2 原子対分布関数
PDF は
で与えられる。
原子対分布関数(PDF)は、結晶・ナノ結晶・アモルファス・液体・混相系に対して同じ枠組みで適用できる点が大きい。粉末回折が平均構造に強い一方、PDF は局所歪みや短距離秩序の変化に強い。
4.3 モデリング
PDFの解釈は「単純なピーク読解」だけでは完結しないことが多く、モデル化が中核となる。
- 小箱モデル:既知構造を局所歪みや占有率で拡張してフィットする
- RMC(Reverse Monte Carlo):実空間の原子配置を更新して
や を再現する - 平均構造との整合:ブラッグ相とPDFの同時精密化で矛盾を抑える
5. 局所構造
5.1 吸収係数と遷移
XAFSは吸収係数
と定義し、振動成分
5.2 EXAFSの基本形
EXAFSは、吸収原子から出た光電子が近接原子で散乱され、戻ってくる干渉として理解される。単一散乱近似では
と表されることが多い。
5.3 XANESが担う役割
XANESは非占有状態と局所対称性に敏感であり、価数、配位多面体、共有結合性、スピン状態の変化などに強く関係する。局所構造のわずかな変形や、混相・欠陥由来の電子状態変化をとらえる際に重要である。
5.4 回折・PDFとの補完関係
- 回折:長距離秩序と平均構造の精密化に強い
- PDF:短距離秩序と局所歪みの統計を与える
- XAFS:特定元素を選択して局所環境を抽出できる
同じ材料でも、平均構造が変わらないのに局所構造が変化する場合があり、その際にXAFSやPDFが決定的になる。
6. コヒーレンスを用いる構造解析
6.1 位相回復と実空間像
コヒーレント回折イメージング(CDI)では、試料の複素透過関数
から位相を反復法で回復し、実空間像を得る。レンズを用いずに回折パターンから像を再構成するため、光学素子の収差に支配されにくい。
6.2 走査型
照明プローブ
7. 時間分解・その場環境と構造解析
放射光の高輝度は、短時間露光での統計を確保し、時間軸の構造変化を追跡することを可能にする。加熱・冷却、電場・磁場印加、応力負荷、ガス雰囲気、電池動作などの条件下で、次が観測対象となる。
- 相転移の核生成と成長:ピーク出現、幅変化、散乱パターンの再配列
- 反応中間体:XAFS/XANESによる化学状態の追跡
- ナノ構造の形成:SAXSでのサイズ分布と形状因子の変化
- 局所歪みの緩和:PDFピーク幅・位置の温度依存
時間分解は「平均構造が先に変わるのか」「局所構造が先に変わるのか」という因果関係の議論に直結する。
8. どの測定方法を選択するか
8.1 方法の比較表
| 方法 | 主に扱う | 得られる主情報 | 強い対象 | 見えにくい要素 |
|---|---|---|---|---|
| 単結晶回折 | 中〜高 | 原子座標、占有率、異方性熱振動、対称性 | 高品質結晶、秩序相 | 粉末平均化した情報、強い不均一性の統計 |
| 粉末回折 | 中〜高 | 相同定、格子定数、平均構造、サイズ・歪み | 多結晶、混相 | 位相問題の深い部分、局所歪みの直接像 |
| GIWAXS/GIXRD | 中〜高 | 薄膜配向、面内面外格子、歪み | 薄膜、界面 | 絶対強度の解釈、屈折を含む幾何効果 |
| SAXS/GISAXS | 低 | 粒径・形状、粗さ相関、相分離、階層構造 | ナノ〜メソ構造 | 原子配列の直接情報、元素選択性 |
| 全散乱PDF | 広 | 結合距離分布、局所歪み、短距離秩序 | アモルファス、ナノ結晶、混相 | 元素選択性、群対称の強い縮退 |
| XAFS | エネルギー空間 | 局所配位、結合距離、価数、対称性 | 元素選択の局所構造 | 長距離秩序・空間相関の直接像 |
| CDI/ptychography | 広 | 実空間像、位相像、歪み場 | ナノ構造・欠陥場 | 位相回復のモデル依存性、測定配置の制約 |
8.2 回折と散乱の統合
回折は「周期成分」を強調し、SAXS/PDF/XAFSは「ゆらぎや局所性」を強調する。材料の機能が界面・欠陥・短距離秩序に支配される場合、回折だけでは情報が欠落し、逆に局所情報だけでは平均対称性が確定しない。複数法の併用は、単なる情報量増加ではなく、逆問題の不定性を減らす操作である。
9. 順問題と逆問題
構造解析は、観測データ
を考える営みである。
- 回折:空間群、格子、原子種の制約が強い
- PDF:実空間相関の制約が強いが、組成・元素配列の自由度が残りやすい
- XAFS:特定元素周りの局所幾何に強い制約を与える
したがって、同一試料に対して回折・PDF・XAFSを整合させることは、モデルの任意性を減じる方向に働く。
まとめ
放射光による構造解析は、散乱ベクトル
関連研究
N. Carmignani, Principles of synchrotron radiation(ESRF Summer School lecture notes, 2021)
https://www.esrf.fr/files/live/sites/www/files/events/conferences/2021/Summer School 2021/Lectures/Nicola Carmignani_SynchrotronRadiation_Carmignani_2021.pdfInternational Tables for Crystallography(電子密度と構造因子の関係、粉末回折の概説)
https://onlinelibrary.wiley.com/iucr/itc/Fa/ch2o1v0001/sec2o1o8.pdf
https://onlinelibrary.wiley.com/iucr/itc/Ha/ch1o1v0001/sec1o1o1.pdfS. C. Wallwork, Introduction to the Calculation of Structure Factors(IUCr教育資料)
https://www.iucr.org/__data/assets/pdf_file/0015/13083/3.pdfJA Steele et al., How to GIWAXS: Grazing Incidence Wide Angle X-Ray Scattering(2023, review)
https://advanced.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/aenm.202300760Debye散乱方程式と粉末散乱計算(Debyer documentation)
https://debyer.readthedocs.io/_/downloads/en/latest/pdf/太田俊明, XAFS 発展の歴史と将来展望(2016, 日本語レビュー)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jvsj2/59/12/59_16-RV-056/_pdfSPring-8:高分解能・大強度粉末X線回折装置(BL15XU 解説ページ)
https://www.spring8.or.jp/wkg/BL15XU/solution/lang/SOL-0000001373SPring-8:分析手法紹介シリーズ(動画・解説への入口)
https://www.youtube.com/playlist?list=PLYZ3d3BTk_zALhBWxkk9ugIPYQMgMnEQe