磁気ダンピングの発生メカニズム
磁気ダンピングは、磁化歳差運動のエネルギーが格子・電子・スピン流などの自由度へ散逸することで生じる緩和である。観測される線幅や緩和定数は、材料固有の内因性寄与と、欠陥・界面・不均一性などに由来する外因性(見かけの)寄与の重なりとして理解されるべきである。
参考ドキュメント
講義ノート(日本語):スピン流・熱流相互変換とスピントロニクスの展望(LLG とギルバート緩和の説明を含む) https://mercury.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~bussei.kenkyu/wp/wp-content/uploads/6200-064223.pdf
レビュー(英語):Azzawi, Hindmarch, Atkinson, Magnetic damping phenomena in ferromagnetic thin-films and multilayers, J. Phys. D: Appl. Phys. 50, 473001 (2017)(オープンな PDF) https://durham-repository.worktribe.com/output/824152
基本文献(英語):Kamberský, On the Landau–Lifshitz relaxation in ferromagnetic metals, Czech. J. Phys. B 26, 1366–1383 (1976)(ジャーナル情報) https://doi.org/10.1007/BF01690134
1. 基本方程式:LLG とギルバート減衰
1.1 LLG 方程式
飽和磁化方向の単位ベクトルを
である。ここで
異方的な結晶では、より一般にダンピングはテンソルで表されることがある。
1.2 散逸の表式
LLG に基づけば、磁気自由エネルギー
となり、
2. 測定量との対応:FMR 線幅と
2.1 周波数依存線幅の基本形
強磁性共鳴(FMR)では、共鳴線幅(磁場掃引の半値幅など)
である。
文献・解析手法によって係数(2 の有無)は、線幅定義(吸収の半値幅、微分信号のピーク間、
2.2 表面・界面効果を含む有効ダンピング
薄膜強磁性体
と分解され、スピンポンピング由来の寄与は
と書かれる。
3. 内因性ダンピングのミクロ起源
内因性ダンピングは、理想的に均一な単結晶においても残る、材料の電子状態とスピン軌道相互作用(SOC)に根差した散逸である。多くの金属強磁性体では、磁化ダイナミクスが SOC を介して電子励起(電子・正孔対)へ結合し、緩和が生じる。
3.1 Kamberský 方式の概念
金属強磁性体の内因性ギルバート減衰は、Kamberský により散逸の線形応答として定式化され、後に torque-correlation model(トルク相関モデル)として広く用いられている。代表的な要点は次である。
- SOC がなければスピン角運動量は保存に近く、ダンピングは弱い
- SOC により磁化歳差運動は電子の軌道自由度と混成し、散乱により不可逆過程へ流れる
- ダンピングはバンド構造とフェルミ準位近傍状態密度、散乱幅(緩和時間)に強く依存する
3.2 トルク相関(線形応答)の一般式
ダンピングは、磁化方向に関するトルク演算子
と表される。
バンド表示(
であり、ここで
この式は、次のような性質を含む。
- バンド間(
)遷移は によって共鳴幅が決まり、温度や抵抗率に対してしばしば増加傾向を示す - バンド内(
)に対応する成分は近似の取り方によって のような振る舞いを与え得ると議論され、清浄極限での扱いは理論上の関心点である - 結晶異方性により
は磁化方向依存(テンソル化)しうる
3.3 温度・合金 disorder・抵抗率との関係
内因性ダンピングは、散乱幅
4. 外因性ダンピングの起源
外因性は、磁化が完全に一様ではないこと、内部磁場が空間的に一定ではないこと、電磁的結合が試料外部へ開くことなどにより生じる、線幅の増大や見かけの緩和である。FMR の線幅解析では、周波数比例成分に混入して
4.1 不均一広がり( )
局所的な異方性定数、飽和磁化、磁気的体積分率の空間ゆらぎにより、共鳴条件が位置ごとにずれて線幅が生じる。これは周波数に依らない成分として現れやすく、
の
4.2 二マグノン散乱(two-magnon scattering)
表面粗さ、界面周期欠陥、転位、グレイン境界などがあると、均一モード(
4.3 スピンポンピング(界面起源の追加ギルバート項)
前節 2.2 の
4.4 渦電流損・放射(radiative)損
導電性試料では、時間変化磁束により渦電流が誘起され、電磁エネルギーがジュール熱として散逸する。さらに、共鳴時に導波路・共振器へ電磁エネルギーが再放射される効果(放射損)も現れ得る。これらは試料形状、導電率、測定系の結合条件に依存し、薄膜・厚膜で顕著さが変わる。
5. 内因性・外因性の比較整理(表)
| 区分 | 主因 | 観測上の特徴 | 主な依存性 | 理論・計算での扱い |
|---|---|---|---|---|
| 内因性 | SOC を介した電子励起と散乱 | しばしば | バンド構造、 | トルク相関、線形応答、Kubo 形式、Green 関数 |
| 外因性(不均一) | 内部磁場の空間分布 | 膜質、組成揺らぎ、応力・異方性分布 | 実空間モデル、分布関数、統計的平均 | |
| 外因性(二マグノン) | 欠陥により | 方位依存、周波数依存が直線から外れることがある | 表面粗さ、欠陥スペクトル、膜厚 | スピン波分散と散乱理論 |
| 外因性(スピンポンピング) | 界面からの角運動量流出 | 界面、隣接層、スピン拡散長 | スピン混合コンダクタンス、散乱理論 | |
| 外因性(渦電流・放射) | 電磁誘導による散逸 | 厚み・導電率・測定系結合に強く依存 | マクスウェル方程式との連成 |
6. 切り分けの考え方:線幅解析の複数軸
6.1 周波数掃引と分解
最も基本的には、複数周波数で FMR を測定し、
- 切片:
- 傾き:
を得る。ただし、二マグノン散乱や測定系放射損がある場合、単純直線から外れるため、周波数範囲を変えて整合性を確認することが重要である。
6.2 膜厚依存
スピンポンピングが支配的なら
のような依存が現れやすい。
6.3 角度依存
二マグノン散乱は結晶方位や磁化角度に敏感であることが多い。角度依存線幅が特定の角度で増大する場合、均一なギルバート項だけでは説明できない可能性が高い。
7. 第一原理評価との接続
7.1 金属強磁性体における線形応答評価
内因性の第一原理評価は、SOC を含む電子構造に対する線形応答(Kubo 形式)として定式化されることが多い。Green 関数を用いる表式は、合金 disorder を CPA などで扱いやすく、KKR 法はこの流儀と相性がよい。
概念的には
- SOC を含むハミルトニアン
を構成する - トルク演算子(磁化方向変化に対する
)を定義する - トルク相関(応答関数)から
を得る
という流れである。
7.2 散乱幅 と有限温度
実用計算では、散乱幅
8. まとめと展望
磁気ダンピングは、LLG の現象論的定数
今後の展望としては、(i) トルク相関の第一原理評価に disorder と有限温度(電子・フォノン・マグノン散乱)をより自洽に取り込むこと、(ii) 薄膜界面におけるスピンメモリロスやスピン軌道散乱を含めた界面起源ダンピングの定量と材料設計指針化、(iii) 低損失材料(小
参考文献
Tserkovnyak, Brataas, Bauer, Enhanced Gilbert Damping in Thin Ferromagnetic Films, Phys. Rev. Lett. 88, 117601 (2002) https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.88.117601
Tserkovnyak, Brataas, Bauer, Spin pumping and magnetization dynamics in metallic multilayers, Phys. Rev. B 66, 224403 (2002) https://doi.org/10.1103/PhysRevB.66.224403
Brataas, Tserkovnyak, Bauer, Halperin, Spin battery operated by ferromagnetic resonance, Phys. Rev. B 66, 060404(R) (2002) https://doi.org/10.1103/PhysRevB.66.060404
Gilmore, Idzerda, Stiles, Identification of the Dominant Precession-Damping Mechanism in Fe, Co, and Ni by First-Principles Calculations, Phys. Rev. Lett. 99, 027204 (2007) https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.99.027204
Fähnle, Steiauf, Illg, Gilbert damping in itinerant ferromagnets, J. Phys.: Condens. Matter 23, 493201 (2011) https://doi.org/10.1088/0953-8984/23/49/493201
日本語講義資料:東京シティ大学 講義ノート(LLG とギルバート減衰の導出を含む) https://www.comm.tcu.ac.jp/quantum-device/semicon4/notes/note14.pdf
東北大学資料(日本語):磁気緩和に関する理論研究(スピンポンピングと緩和の説明を含む) https://www.csrn.tohoku.ac.jp/old/uploads/pdf/20210721062821_1762539142.pdf