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グランドカノニカルモンテカルロ法

グランドカノニカルモンテカルロ(Grand Canonical Monte Carlo; GCMC)法は、温度Tと体積Vを固定しつつ、化学ポテンシャルμによって粒子数N(または組成)を揺らがせるモンテカルロ法である。材料科学では、吸着・欠陥・表面被覆・合金組成など「開放系」の平衡を、実験条件(分圧・活量・電位など)に対応づけて予測するための基盤手法である。

参考ドキュメント(3件)

1. 何を解く手法か

GCMCが得意とする問いは次のとおりである。

  • ナノ多孔質材料(MOF、ゼオライト、活性炭など)における吸着等温線・選択性の予測
  • 表面の被覆率や吸着相(surface phase)の切り替わりを、分圧(μ)と温度で描く
  • 点欠陥(空孔・侵入原子)や軽元素(H, C, Nなど)の固溶量を化学ポテンシャルで制御して求める
  • 合金相図で本質的な「化学ポテンシャル差により組成が決まる」状況を、(半)グランドカノニカルMCで扱う

注意として、置換型合金(格子点が固定で原子種だけが入れ替わる系)では、粒子の挿入・削除よりも「原子種の交換」を行う半グランドカノニカル(semi-grand canonical; SGCMC)が使われることが多い。GCMCは連続空間の挿入・削除が自然な系(気体吸着、溶液、表面吸着など)で特に真価を発揮する。

2. 統計力学の定義(μVTアンサンブル)

GCMCはμVT(温度T、体積V、化学ポテンシャルμ一定)アンサンブルのサンプリングである。

  • 大分配関数
Ξ(μ,V,T)=N=0eβμNZN(V,T),β=1kBT
  • グランドポテンシャル(大自由エネルギー)
Ω(μ,V,T)=kBTlnΞ

バルク流体系では、平衡で

Ω=PV

が成り立つため、GCMCは(μ,T)から(P,T)へ写像して相境界を議論する入口にもなる。

3. 受理確率(挿入・削除・移動)

GCMCの骨格は、詳細釣り合いを満たすMetropolis受理である。単一成分で、配置エネルギーをU、熱ドブロイ波長をΛとする。

  • 粒子の挿入(N → N+1、エネルギー変化 ΔU = U_{N+1}-U_N)
Paccins=min[1,V(N+1)Λ3exp(βμβΔU)]
  • 粒子の削除(N → N-1、削除でのエネルギー変化を ΔU = U_N - U_{N-1} と定義)
Paccdel=min[1,NΛ3Vexp(βμ+βΔU)]
  • 位置移動(局所緩和;N一定)
Paccmove=min[1,exp(βΔU)]

多成分系では、成分sごとにμ_sとΛ_sを持ち、挿入・削除は各成分に対して同様に定義される。置換型合金のSGCMCでは、格子点iの元素A→B交換に対して

PaccAB=min[1,exp{β(ΔEΔμ)}],Δμ=μBμA

の形が基本である(一般には \Delta E - \sum_s \mu_s \Delta N_s)。

4. 化学ポテンシャルμを実験条件へ対応づける

材料応用では「μをどう設定するか」が最重要である。典型例は気相リザーバである。

  • 理想気体近似(目安)
μ(T,P)=μ(T)+kBTln(PP)
  • 実在気体では、圧力Pの代わりにフガシティf(あるいはフガシティ係数φ)を使うのが定石である。
μ(T,P)=μ(T)+kBTln(ff),f=ϕP

固体中の侵入原子Hを例に取れば、H2ガスの分圧からμ_Hを決め、固体側のGCMC(あるいは格子モデル+SGCMC)で固溶量や相転移を得る、という設計になる。

5. 相図をどう作るか(GCMCで得られるもの)

GCMCが直接返すのは、μとTに対する統計量である。

  • 平均粒子数・組成: ⟨N⟩, ⟨x⟩
  • 変動: var(N), var(x)(相転移の鋭さ・臨界性の手がかり)
  • 分布: P(N), P(x)(共存では多峰性が現れる)
  • 吸着等温線: ⟨N⟩ vs P(μ→P変換を介す)
  • (条件が整えば)グランドポテンシャル差: ΔΩ(相安定性の判定)

相図構築の代表的な流れは次である。

  1. 温度Tを固定し、μを掃引して ⟨N⟩(μ), P(N|μ) を得る
  2. 一次相転移がある場合、P(N)が二峰性となるμ付近を探索する
  3. 共存条件は「相Aと相Bの安定性が等しい(Ωが等しい)」であり、実務上は二峰の重みが釣り合う点や、自由エネルギー整合条件を満たす点として決める
  4. これをT方向にも繰り返して共存曲線(相境界)を引く

表面相図(被覆率、表面再構成など)でも本質は同じで、μ(分圧)とTで相(被覆相)が切り替わる境界を求める。

6. 材料科学での代表ユースケース

6.1 多孔質材料の吸着(等温線と分離)

  • 入力:骨格構造(結晶構造)、ゲスト分子モデル(LJ、クーロン、分子内柔軟性など)
  • 出力:吸着等温線、混合ガスでの選択性、吸着熱、サイト占有の可視化
  • 注意:高圧・高密度での挿入受理率低下に対して、配置バイアス(CBMC)などの工夫が必須になることがある

国内公開事例として、MOFへのCO2吸着量をGCMCで予測し、吸着特性の要因を議論するケーススタディが公開されている。 https://www.mst.or.jp/casestudy/tabid/1318/pdid/719/Default.aspx

6.2 表面相図(分圧で切り替わる表面構造)

  • 目的:触媒表面や電極表面で、吸着種の被覆率・秩序相・欠陥濃度が(μ,T)でどう変わるかを得る
  • 設計:表面モデル+吸着種の挿入・削除でGCMC、あるいは格子吸着モデル+(半)グランドカノニカルMC
  • 近年:第一原理計算エネルギーと組み合わせ、現実的な表面相図を探索するab initio GCMCも報告されている

6.3 合金相図(SGCMC+有効ハミルトニアン)

置換型合金の相図では、以下の組み合わせが標準的である。

  • DFTで形成エネルギーを取り、有効ハミルトニアン(クラスター展開など)を構築する
  • SGCMCで(T, Δμ)空間を掃引し、秩序化・相分離・相境界を得る
  • 必要に応じて自由エネルギー面を補間し、相境界の自動探索や熱力学データベースへ接続する

この枠組みは、VASPなど第一原理計算と連携する相図計算ツール群(例:ATAT)として整備されている。

7. 注意点

  • μの定義ずれ:ガスリザーバの実在性(フガシティ)、参照状態(μ°)、温度依存の取り扱いを先に固定する必要がある
  • 挿入が通らない問題:高密度・強相互作用では受理率が極端に下がるため、CBMCや段階挿入、バイアス手法の導入が現実解である
  • ヒステリシスと準安定:相転移付近は初期条件依存が出やすく、分布P(N)の確認や掃引方向の往復が必須である
  • 有限サイズ効果:相境界や臨界点は系サイズでずれるため、サイズ依存の点検が必要である
  • 物理拘束の導入:化学的妥当性(結合、電荷中性、サイト占有制約)を、モデル(ハミルトニアン)か試行移動(許容操作)に埋め込む必要がある

8. 計算設計の手順

  1. 対象現象を決める(吸着、表面被覆、欠陥、合金組成など)
  2. 交換される量を決める(粒子数Nか、原子種か)
  3. エネルギーモデルを決める(古典ポテンシャル、クラスター展開、MLポテンシャル、第一原理オンザフライ等)
  4. μの参照と変換式(P↔μ、活量、フガシティ)を仕様として固定する
  5. 走査軸(T, μ)と、相転移判定に使う観測量(⟨N⟩、P(N)、変動)を定義する
  6. 近傍条件やサイズを振って、相境界の安定性を確認する

まとめ

GCMCは、化学ポテンシャルμを入力として開放系の平衡(吸着量、被覆率、欠陥・固溶量、相転移)を直接サンプリングする手法である。相図を得る鍵は、μの実験条件への対応づけと、相転移付近での分布・ヒステリシス・有限サイズを含む評価設計にある。