VASP計算による磁気ダンピング定数
本稿は、ギルバート磁気ダンピング定数(Gilbert damping)を第一原理電子状態から導く理論式(線形応答・2次摂動に基づく枠組み)を整理し、VASPで得たSOC(スピン軌道相互作用)込み電子状態を用いて数値評価へ接続する方法をまとめるものである。VASPは基底状態DFTとして波動関数とバンド構造を与え、ダンピング定数は主としてトルク相関(torque–torque correlation)式を用いた後処理で評価する構成となる。
参考ドキュメント
- Akimasa Sakuma, Microscopic Theory of Gilbert Damping for Transition Metal Systems, Journal of the Magnetics Society of Japan 37(6) (2013). https://www.jstage.jst.go.jp/article/msjmag/37/6/37_6_343/_article/-char/en
- H. Ebert et al., Ab Initio Calculation of the Gilbert Damping Parameter via the Linear Response Formalism, Phys. Rev. Lett. 107, 066603 (2011). https://epub.uni-regensburg.de/24331/1/H_EbertPRL107.pdf
- VASP Wiki: LWANNIER90(VASP→Wannier90インターフェース) https://vasp.at/wiki/LWANNIER90
1. 磁気ダンピングの定義(LLG方程式)
単位磁化ベクトルを
である。
低対称(薄膜、界面、異方性の大きい結晶)では
の形で書かれる。立方晶バルクで等方的近似が成り立つ場合はスカラー
2. 電子論的起源:SOCと散乱により生じる散逸
ギルバートダンピングは、磁化のゆっくりした歳差運動(
この考え方は、磁歪・磁気異方性・ダンピングがいずれもSOCの行列要素とエネルギー分母に支配される、という統一的な見方につながる。磁歪や磁気異方性が「エネルギーのSOC起源の異方性」を見るのに対し、ダンピングは「緩和(散乱)を含む線形応答としての散逸」を見る量である。
3. トルク相関モデル(Kamberský形式)の基本式
3.1 線形応答としての表現
ダンピングは、横スピン帯磁率(あるいはトルク相関関数)の低周波極限として表される。概念的には
の形であり、
3.2 SOC由来トルク演算子
SOCハミルトニアンを
と表す(
で定義できる。磁化方向の微小回転に対するエネルギー変化を与える演算子として
3.3 代表的な数値評価式(一定幅 の導入)
準粒子の有限寿命(散乱)を、1粒子スペクトルのローレンツ幅
ここで、
はSOC込みKohn–Sham固有状態(スピノル)である。 は固有値、 はフェルミ準位である。 はブリルアンゾーン積分の重みである。 は単位体積当たりの飽和磁化である(VASPの磁気モーメントを体積で割り、SI単位に換算する)。 はランデ 因子であり、しばしば として扱われる。
幅
として用いられることが多い。抵抗率や温度依存を厳密に取り込むには、散乱の微視的模型(不純物、格子振動、スピン揺らぎ)を別途組み込む必要がある。
3.4 表式の分解(バンド内・バンド間)
上式の
表1:トルク相関モデルで現れる量と意味
| 記号 | 次元 | 意味 |
|---|---|---|
| 1 | 無次元ダンピング定数 | |
| エネルギー | SOCに由来するトルク演算子(回転に対する微分、または交換子) | |
| A/m | 飽和磁化(体積密度) | |
| eV(またはJ) | スペクトル幅(散乱の効果を表す) | |
| eV | フェルミ準位 | |
| 1 |
4. VASPで用意するべき電子状態(SOC、磁化方向、密な 点)
4.1 SOC込み非共線DFTの基本
VASPでSOCを扱うには、非共線(noncollinear)形式のスピノル波動関数を用いる設定が基本である。代表的には以下を用いる。
- SOCを有効化:
LSORBIT = .TRUE. - 磁化方向(スピン量子化軸)の指定:
SAXIS = (s_x, s_y, s_z) - 非共線の利用:
LNONCOLLINEAR = .TRUE.(VASPの設定により自動的に必要になる場合もある) - 対称操作の扱い:磁化方向を固定した比較(異方性や応答)では対称性が結果を混同させ得るため、対称の扱いを慎重に揃える。
磁気異方性(MAE)の計算でも同様に、磁化方向を変えたSOC計算を高精度に比較する手順が広く用いられる。ダンピング評価でも、基礎となる固有状態は同種のSOC計算で得る。
4.2 自己無撞着(NSCF)で密な 点を用いる理由
トルク相関式はフェルミ準位近傍の状態に極めて敏感であり、ブリルアンゾーン積分の精度が支配的になる。そこで、(i) まず適度な
VASPでは固定電荷密度でのNSCFに ICHARG = 11 を用いることが多い。これにより密な
4.3 必要となる出力
後処理でトルク行列要素やバンド情報を扱うため、少なくとも以下が必要になる。
- SOC込みの固有値
(EIGENVAL、vasprun.xml等) - SOC込みの波動関数(WAVECAR)
- フェルミ準位
、全磁気モーメント(OUTCAR) - セル体積
(POSCAR/OUTCAR)
表2:VASP出力から得る量と後処理での用途
| VASP出力 | 含まれる主な情報 | 用途 |
|---|---|---|
| OUTCAR | ||
| WAVECAR | スピノル波動関数 | 演算子行列要素(トルク等)の評価 |
| vasprun.xml | 固有値、占有、DOS関連 | バンド・フェルミ準位の整合、補助解析 |
| EIGENVAL/PROCAR | 固有値、射影 | フェルミ面付近の状態の理解 |
5. ダンピング評価を現実的にするためのWannier補間(VASP→Wannier90)
5.1 なぜWannier補間が有用か
トルク相関式の
5.2 VASPのWannier90インターフェース
VASPは LWANNIER90 = .TRUE. によりWannier90用の入力(wannier90.win)と重なり行列(wannier90.mmn)、射影(wannier90.amn)、固有値(wannier90.eig)等を作成する。LWRITE_UNK = .TRUE. を併用すると UNK 系ファイル(ブロッホ関数格子表現)も出力できる。
その後、Wannier90でMLWFを構築し、実空間ハミルトニアン seedname_hr.dat)を得る。SOC込み計算ではスピノル(spinor)としての取り扱いが本質となるため、Wannier化の範囲(バンド窓)と射影の設計が重要である。
5.3 トルク行列要素をWannier基底へ写像する考え方
トルク演算子
と書ける(
実装としては、(i) VASP波動関数から直接
6. の換算(VASP出力→SI単位)
VASPが与える全磁気モーメントを
である。ただし単位換算として
を用い、
と簡約できる。
表3:よく使う定数
| 量 | 値 |
|---|---|
7. 数値評価で支配的になる点( 点、バンド数、 )
7.1 点密度
金属の
7.2 バンド窓(Wannier化の範囲)
トルク相関式は
7.3 幅 の物理的意味
一定幅
8. VASPでの位置づけ
VASPが直接与えるのは、SOC込みのKohn–Sham固有値・固有状態である。ギルバートダンピングは線形応答量であり、トルク相関式(または等価なGreen関数形式)を用いたブリルアンゾーン積分として後処理で評価する構成となる。
表4:計算構成の整理
| 区分 | 入力 | 出力 | 目的 |
|---|---|---|---|
| VASP(SOC計算) | 結晶構造、SOC設定、磁化方向、 | 電子状態の生成 | |
| Wannier90(内挿) | VASP→Wannier入出力 | 密な | |
| 後処理(線形応答) | トルク相関式の評価 |
9. まとめと展望
本稿では、SOCと散乱により生じるギルバート磁気ダンピングを、トルク相関モデル(Kamberský形式)の線形応答として整理し、VASPで得たSOC込み電子状態から後処理計算で
展望としては、一定幅
その他参考文献
V. Kamberský, On the Landau–Lifshitz Relaxation in Ferromagnetic Metals, Czech. J. Phys. B 26, 1366–1383 (1976). (出版社ページ等:入手経路により異なる)
P. Bruno, Tight-binding approach to the orbital magnetic moment and magnetic anisotropy of transition-metal monolayers, Phys. Rev. B 39, 865 (1989). https://journals.aps.org/prb/abstract/10.1103/PhysRevB.39.865
Wannier90 Documentation(ユーザーガイド/ファイル仕様) https://wannier90.readthedocs.io/https://wannier.org/support/
VASP Wiki: LWANNIER90_RUN(Wannier90をlibrary modeで実行) https://www.vasp.at/wiki/index.php/LWANNIER90_RUN
VASP Best Practices: ICHARG=11(固定電荷密度のNSCF) https://enccs.github.io/vasp-best-practices/fcc_Si_DOS/
D. Thonig et al., Magnetic moment of inertia within the torque-torque correlation model, Sci. Rep. 7, 15648 (2017). https://www.nature.com/articles/s41598-017-01081-z
VASP Wiki(SOC・非共線磁性の設定に関する各ページ) https://vasp.at/wiki/