固体物理学の初歩
固体(凝縮系)物理学は、多数の原子・電子が相互作用しながら作る「物質の性質」を、量子力学と統計物理を基礎に理解する分野である。結晶構造と対称性、格子振動(フォノン)、周期ポテンシャル中の電子(バンド)、さらに相互作用が生む磁性・超伝導・トポロジカル相などを、共通の言葉で記述することを目指す。
参考ドキュメント
- MIT OpenCourseWare, Physics of Solids I (8.231)
https://ocw.mit.edu/courses/8-231-physics-of-solids-i-fall-2006/ - 東京大学物性研究所, ISSP Note Collection(物性分野の講義ノート公開ポータル)
https://www.issp.u-tokyo.ac.jp/labs/tosyo/note/ - 理化学研究所(理研)プレスリリース, 結晶のひずみを抑えて超伝導を発現(2025-12-11)
https://www.riken.jp/press/2025/20251211_1/index.html
1. 凝縮系物理が扱う対象とスケール
凝縮系物理が扱うのは、固体・液体・超流動・超伝導など、粒子が高密度に存在し相互作用が支配的な状態である。固体に限っても、金属・半導体・絶縁体・磁性体・誘電体・超伝導体・強相関物質・トポロジカル物質など、性質は多様である。
重要なのは、単一原子の性質を足し合わせただけでは現れない「集団的性質」が現れる点である。例えば、電気抵抗の温度依存、フォノンによる熱容量、スピン秩序、クーパー対形成などは、多体系としての記述が不可欠である。
スケールの概観は次のように整理できる。
| 観点 | 代表的スケール | 具体例 |
|---|---|---|
| 原子間距離 | 0.1–1 nm | 格子定数、結合長 |
| 逆格子・波数 | 1/nm 程度 | ブリルアンゾーン、回折 |
| エネルギー | meV–eV | フォノン(meV)、バンド幅(eV) |
| 時間 | fs–ns 以上 | 電子散乱、スピンダイナミクス |
| 巨視的応答 | mm–m | 電気伝導、磁化、熱伝導 |
2. 結晶構造と対称性
2.1 ブラベー格子と単位胞
結晶は、平行移動対称性をもつ原子配列である。格子ベクトル
と表される。単位胞は、空間を重なりなく埋める最小の繰り返し単位である。基底(basis)を格子点に付与すると、具体的な結晶構造が得られる。
2.2 逆格子とブリルアンゾーン
逆格子ベクトル
を満たすように定義され、波数空間の自然な座標系を与える。逆格子点は
である。
第一ブリルアンゾーン(BZ)は、逆格子のウィグナー・ザイツ胞に相当し、電子状態やフォノン分散を議論する基本領域となる。
2.3 対称性と物性
結晶の点群・空間群対称性は、許される物性応答(テンソルの形)を制約する。例えば、中心対称性がある結晶では一次の圧電効果が禁制になるなど、対称性が直接物性選択則を与える。
3. 回折と構造因子:実空間と逆空間の接続
3.1 ブラッグ条件
X線・中性子・電子線回折は、格子の周期性を逆空間で観測する手段である。弾性散乱の条件は
であり、等価にブラッグ条件
としても表現される(
3.2 構造因子
単位胞内の原子位置
で定義され、回折強度は一般に
4. 格子振動(フォノン):弾性波から量子化まで
4.1 1次元単原子鎖:分散関係の出発点
質量
であり、平面波解
が得られる。小さな
4.2 単位胞内自由度と音響・光学分枝
単位胞に複数原子があると、音響(acoustic)分枝に加えて光学(optical)分枝が現れる。光学モードは赤外活性・ラマン活性など分光応答と結びつき、結晶対称性により選択則が決まる。
4.3 フォノンの量子化
格子振動の正準量子化により、各正規モードは量子調和振動子となる。1モードのエネルギー準位は
である。フォノンはこの励起量子として扱われ、比熱・熱伝導・電子散乱の主要因となる。
4.4 デバイ模型と熱容量
低温での固体の比熱が
が得られる。金属では電子比熱
5. 周期ポテンシャル中の電子
5.1 ブロッホ定理
結晶の周期ポテンシャル
と書ける。
5.2 ほぼ自由電子とバンドギャップ
自由電子では
- 部分的に満たされたバンド:金属
- 完全に満たされた価電子帯と空の伝導帯:半導体・絶縁体
という分類が現れる。
5.3 有効質量と準粒子像
バンド極値近傍で
と展開できるとき、電子は有効質量テンソル
5.4 状態密度(DOS)
3次元自由電子の状態密度は
である。一方、バンド構造ではバン・ホーブ特異点など、分散の鞍点・極値に起因する特徴が現れる。DOSは比熱、磁化率(パウリ常磁性)、光学吸収など多くの観測量に現れる。
6. フェルミ統計と金属電子:フェルミ面の意味
6.1 フェルミ・ディラック分布
温度
である。低温では
6.2 フェルミ面
フェルミ面は
フェルミ面の形は、単純金属では自由電子球に近いが、遷移金属・層状物質・強相関物質では複雑になり得る。
7. 輸送現象
7.1 ドルーデ模型(古典的出発点)
平均散乱時間
となる。これは古典モデルであるが、散乱時間という概念は量子輸送でも基礎となる。
7.2 ボルツマン輸送と散乱
バンド構造
を速度として輸送係数を評価できる。抵抗の温度依存は、主に
- 低温:不純物散乱(温度依存が弱い)
- 中高温:フォノン散乱(温度依存が強い)
という寄与の和として理解される。
7.3 ホール効果
磁場
であり、キャリア密度の指標となる。ただし多バンドや異方性があると単純な解釈は崩れる。
8. 半導体の基礎
8.1 キャリアと有効状態密度
バンドギャップ
と書ける。
8.2 ドーピングとフェルミ準位
ドナー(n型)・アクセプタ(p型)不純物の導入により
9. 磁性の基礎:局在スピンと遍歴電子
9.1 交換相互作用とハイゼンベルク模型
局在スピン系の出発点は
である。
9.2 磁化率と相転移
高温常磁性ではキュリー・ワイス則
が現れ、
9.3 遍歴電子磁性
金属では電子が遍歴し、スピン分極したバンド構造として磁性が現れる。パウリ常磁性は
のようにDOSに比例する形で理解され、強磁性はストーナー条件などで議論される。
10. 超伝導の基礎:マクロな量子状態
10.1 基本現象
超伝導の主要特徴は
- 電気抵抗がゼロ
- マイスナー効果(完全反磁性)
である。ロンドン方程式から磁場の侵入長(ロンドン浸透長)
10.2 BCSとギャップ
BCS理論では、フォノン媒介の有効引力によりクーパー対が形成され、エネルギーギャップ
という関係(弱結合極限)が得られる。
10.3 GL理論とタイプI/II
ギンズブルグ=ランダウ理論では秩序変数
により、タイプI(
が現れる。
11. 強相関電子系:相互作用がバンド像を超えるとき
11.1 ハバード模型
相互作用の最小モデルとして
がある。運動エネルギー(
11.2 準粒子と崩れ
弱相互作用ではフェルミ液体として準粒子が成り立つが、強相関ではスペクトルが分裂し(ハバードバンド)、単純なバンド理論が不十分になる場合がある。実験的にはARPES、光学伝導度、比熱、量子振動などから相関の強さを推定する。
12. トポロジカル物質:幾何学(ベリー位相)と物性
12.1 ベリー接続と曲率
ブロッホ状態
で定義する。これらは輸送(異常ホール効果など)や表面状態の保護と結びつく。
12.2 チャーン数と量子ホール
2次元絶縁体では、占有バンドのベリー曲率をBZで積分したチャーン数
この種の「トポロジカル不変量」は、散乱や連続変形に対して頑健である点が重要である。
12.3 トポロジカル絶縁体と表面状態
時間反転対称性などの対称性により、ギャップを持つバルクと、ギャップレスな表面状態が共存する相が現れる。スピン軌道相互作用が重要な役割を果たす場合が多い。
13. 相転移と秩序:対称性の破れと臨界現象
相転移は、秩序変数(例:磁化、超伝導秩序)と対称性で整理できる。
ギンズブルグ=ランダウの考え方では、秩序変数
を考え、
14. 実験手法:何を測ると何が分かるか
凝縮系物理では、構造・電子状態・励起・輸送・局所応答を多角的に測定する。
| 手法 | 主に得られる量 | 物理的解釈の焦点 |
|---|---|---|
| X線回折(XRD) | 結晶構造、格子定数 | 対称性、相同定、歪 |
| 中性子散乱 | 磁気構造、フォノン | スピン秩序、格子振動 |
| ARPES | バンド分散、フェルミ面 | 準粒子、相関、トポロジー |
| STM/STS | 局所DOS、欠陥状態 | 局所電子状態、ギャップ |
| 輸送測定 | 散乱、キャリア、相 | |
| 比熱 | DOS、ギャップ、揺らぎ | |
| 磁化・MCD等 | 磁気応答、スピン分極 | 交換、磁気異方性 |
各測定は「観測量→モデル→パラメータ→物性像」という往復で理解が深まる。例えば、比熱の低温項から
まとめと展望
固体物理(凝縮系物理)の初歩は、(i) 結晶の周期性が逆格子とブリルアンゾーンを導き、(ii) 格子振動がフォノンとして量子化され、(iii) 電子がブロッホ状態とバンドとして整理され、(iv) 統計と相互作用により金属・半導体・磁性・超伝導などの相が生じる、という一本の流れで理解できる。さらに、強相関やトポロジカル概念は、バンド像の拡張として「相互作用」や「幾何学的位相」が物性を支配し得ることを示し、現代凝縮系の中心的視点になっている。
最後に、初歩として押さえておくと見通しが良い対応をまとめる。
| テーマ | 基本概念 | 代表式・量 |
|---|---|---|
| 構造 | 格子・逆格子 | |
| 振動 | フォノン | |
| 電子 | ブロッホ波・バンド | |
| 金属 | フェルミ面 | |
| 輸送 | 散乱と応答 | |
| 磁性 | 交換相互作用 | |
| 超伝導 | 秩序とギャップ | |
| 相関 | 競合 | ハバード |
| トポロジー | ベリー曲率 |
展望としては、第一に、実空間(構造)と逆空間(分散・BZ)を往復できる力が、理解の安定性を大きく高める。第二に、励起(フォノン・マグノン・準粒子)を「測定可能な分散関係」として捉えることで、理論と実験が直結する。第三に、相互作用・無秩序・トポロジーの組み合わせが新しい相と機能を生み続けており、量子材料設計、スピントロニクス、量子デバイスへと接続する基盤として、凝縮系物理は今後も発展していく。
参考文献・資料
京都大学学術情報リポジトリ, 中嶋貞雄「固体物理(講義ノート)」 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/85970
京都大学リポジトリ, 今田正俊「高温超伝導体の物理(講義ノート)」 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/bitstream/2433/182063/1/bussei_el_031208.pdf
基礎物性(磁性)の講義ノート例(東大物性研Note Collection内PDF) https://note-collection.issp.u-tokyo.ac.jp/katsumoto/magnetism2022/note01-14_jp.pdf
京都大学基礎物理学研究所(YITP)関連資料例:結晶対称性とトポロジカル絶縁体(PDF) https://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~ken.shiozaki/doc/Natsugaku.pdf
NIMS NOW(NIMS広報誌), 強相関・トポロジカルなど理論と計算の位置づけ(PDF) https://archive.nims.go.jp/publicity/nimsnow/vol13/hdfqf1000001v3u1-att/NN_JP_2013_11Nov_all.pdf
Nobel Prize(2016年物理学賞)関連解説PDF:Topological phase transitions and topological phases of matter https://www.nobelprize.org/uploads/2018/06/advanced-physicsprize2016-1.pdf
Nobel Lecture(Haldane, 2016)Topological Quantum Matter(PDF) https://www.nobelprize.org/uploads/2018/06/haldane-lecture.pdf
理研プレスリリース(例):トポロジカル物質で超伝導ダイオードを実現(2019-06-21) https://www.riken.jp/press/2019/20190621_1/index.html