摂動論の基礎と応用
摂動論は、厳密解が難しい系を「解ける基準系+小さな変化」に分け、エネルギー・波動関数・応答を系統的に近似する枠組みである。微小変形・弱い場・弱い相互作用に対する感度を数式として取り出せるため、物性の起源解析と計算手法の両方で中核となる。
参考ドキュメント
- 藤原毅夫, 摂動論 1(量子力学第2 講義ノート, 東京大学OCW, PDF) https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/engin_06/9/notes/ja/Fujiwara_Q2_6-1_j.pdf
- R. Kubo, Statistical-Mechanical Theory of Irreversible Processes. I, J. Phys. Soc. Jpn. 12, 570 (1957)(PDF) https://journals.jps.jp/doi/pdf/10.1143/JPSJ.12.570
- S. Baroni et al., Phonons and related crystal properties from density-functional perturbation theory, Rev. Mod. Phys. 73, 515 (2001) https://link.aps.org/doi/10.1103/RevModPhys.73.515
1. 小さなパラメータで展開する
系のハミルトニアンを
と分ける。
固有値・固有状態を
と級数展開する。実務では、無次元の小ささ
が十分小さい領域で低次(1次・2次)を使うのが基本である。
2. 定常摂動論
2.1 非縮退摂動論の標準公式
1次のエネルギー補正
2次のエネルギー補正
1次の波動関数補正(位相規格化の取り方の一例)
2次補正は「混成(ハイブリダイゼーション)」の寄与を明示し、準位反発や有効パラメータの起源を与える。
2.2 縮退(または準縮退)への対処
縮退(
投影演算子
の形で書ける。これは部分空間を「ダウンフォールド」して、低エネルギー模型(有効質量方程式、スピン模型、Kondo模型など)を導くときの共通言語である。
3. 時間依存摂動論:遷移確率と散乱・吸収
3.1 相互作用表示とダイソン級数
で与えられ、これを展開すると摂動級数(ダイソン級数)となる。吸収・散乱・励起寿命などの評価はこの骨格上にある。
3.2 フェルミの黄金律
摂動が弱く、十分長時間の極限で遷移率(単位時間あたり)は
となる(
4. 線形応答と久保公式:輸送・感受率・光学へ
外場
と書けるとき、観測量
応答関数は(平衡平均
である。電場への電流応答として電気伝導度、磁場への磁化応答として磁化率、ひずみへの応力応答として弾性・粘弾性などが同じ形式で統一される。
5. k·p と有効質量、バンド端の模型化
ブロッホ状態の波数
となり、光学遷移強度やg因子・スピン分裂を含む拡張模型(Kane模型など)に接続される。
6. スピン軌道相互作用、磁気異方性、軌道混成
スピン軌道相互作用
概念的には「占有状態
が生じ、どの軌道対(例:
7. 格子振動と密度汎関数摂動論(DFPT)
7.1 何を「摂動」にするか
DFTを基準に、原子変位
- 動力学行列(フォノン):
- 誘電率:
- ボルン有効電荷:
- 圧電テンソル、弾性テンソル
- 電子–フォノン相互作用(実装により)
7.2 ステルンハイマー方程式(線形応答)
占有KS軌道
(占有空間への射影条件つき)を解く問題に帰着する。有限差分(原子をずらして力を取り差分する)に比べ、微小摂動の極限を直接扱えるため効率が良い場合が多い。
8. 摂動論が効かない/効きにくい場面と回避策
8.1 近接準位・相転移近傍
分母が小さくなり、低次では破綻しやすい。縮退処理、部分空間化(有効模型化)、あるいは非摂動的計算(直接対角化、第一原理の全スケール計算、非線形応答)が必要となる。
8.2 収束と「級数の性格」
摂動級数は収束級数というより漸近級数であることがあり、高次が必ずしも改善を保証しない。現場では
- 小さなパラメータの見積り
- 1次と2次の比較での自己診断
- 摂動の取り方(
と の分け方)の工夫 が最も効く。
9. ワークフロー
- 何を摂動とみなすかを決める(外場、ひずみ、SOC、
ずれ、原子変位など) - 小ささ指標を作る(代表的
と準位差 ) - 非縮退か縮退かを判定する(近接準位があるなら縮退扱いで進める)
- まず1次で符号・支配項を掴む
- 2次で混成起源を特定する(どの状態間結合が効くか)
- 必要なら線形応答(Kubo/DFPT)で「微小極限」を直接評価する
- 摂動を止めて、非摂動計算(完全な数値計算)と突き合わせて妥当域を確かめる
まとめ
摂動論は、弱い相互作用や微小変形に対するエネルギー補正・状態混成・遷移率・線形応答を統一的に扱う枠組みである。非縮退・縮退・時間依存・線形応答・DFPTという主要ブロックを押さえることで、有効質量やスピン軌道効果、輸送、フォノン・誘電応答までを同じ言語で整理でき、計算結果の因果関係(どの結合が効いたか)を短距離で説明できるようになる。