VASPによる第一原理計算
VASPによる金属・磁性体の第一原理計算は、スミアリングとk点、初期磁気配置、対称性設定が結果を支配することが多い。ここでは、再現性のある入力の作り方と、典型ワークフロー(構造最適化→静的計算→DOS/磁性→SOC)を実務手順として整理する。
参考ドキュメント
- VASP Wiki(タグ仕様・注意点の一次情報) https://www.vasp.at/wiki/
- VASP Tutorials(磁性を含む例題) https://www.vasp.at/tutorials/latest/
- (日本語)名工大 量子ビーム・材料計算メモ:VASP https://ryokbys.web.nitech.ac.jp/pages/vasp
0. 何を計算しているか
- 金属では部分占有が本質であり、占有数の扱い(ISMEAR/SIGMA)とk点密度がエネルギー・力・磁気モーメントに直結する。
- 磁性体では、初期磁気モーメント(MAGMOM)と対称性(ISYM)が、収束先(FM/AFM/消磁)を分岐させる。
- SOC(スピン軌道相互作用)を入れるとエネルギー差が非常に小さくなることがあり(例:磁気異方性)、k点・電子収束の要求が一段厳しくなる。
1. 入力ファイルと実行バイナリ
入力は次の4つが基本である。
- POSCAR:格子と原子配置
- POTCAR:PAWデータ(元素と価電子の定義)
- KPOINTS:k点メッシュまたは自動生成
- INCAR:計算条件(電子・イオン・磁性・出力)
実行は目的で使い分ける。
- vasp_std:通常の(コリニア)計算
- vasp_ncl:非コリニア磁性・SOCを含む計算
2. 推奨ワークフロー
金属・磁性体では、次の2段階設計が事故を減らす。
- 収束設計(ENCUT/k点/スミアリング/磁性初期化)を決める
- 目的物性に応じて計算を派生させる(構造、DOS、MAEなど)
以降、よく使う順に手順を並べる。
3. 事前チェック
3.1 ENCUTと精度タグ
- ENCUTは必ず手動で指定し、比較計算間で揃える(元素が変わるとデフォルトが変動しうるためである)。
- PRECは通常 Accurate を基準にし、差分(磁気異方性や相対安定性)を見る場合ほど設定を固定する。
3.2 LREAL(実空間射影の近似)
- LREAL=Autoは高速化に効く一方、系・設定により(小さくない)誤差やエネルギーシフトを含むことがある。
- 表面/欠陥/組成差などのエネルギー差は、同一のENCUT/PREC/LREAL等で揃えて評価するのが基本である。
4. 金属計算の肝:スミアリング(ISMEAR/SIGMA)とE0
4.1 代表設定
金属の構造最適化(力を安定にしたい):
- ISMEAR=1 または 2 を用い、SIGMAを適切に取る。
- 目安として、OUTCARのエントロピー寄与が原子あたり十分小さい条件に調整する。
金属の静的計算(エネルギー比較・DOSなど):
- スミアリング条件を固定し、可能ならk点を増やしてE0(0 K外挿)側で比較する。
- 目的がDOSなら、スミアリング幅を過大にしない(ピークが潰れるためである)。
補足:
- エネルギー出力には自由エネルギー(F)と0 K外挿(E0)が並ぶ。金属ではFとE0のどちらを比較するかを最初に決め、論文・ノート内で統一するのが事故防止になる。
4.2 KPOINTSの考え方
- 金属はフェルミ面近傍が効くため、k点収束が遅い。最小でも「エネルギー差(meV/atom)」「磁気モーメント(μB)」「応力」の収束を確認する。
- 単位格子が小さいほど高密度k点が必要になりやすい。
- 自動生成(Gamma中心など)を使う場合でも、最終的には収束テストで数値を決める。
KPOINTS例(Gamma中心の自動メッシュ):
0
Gamma
12 12 12
0 0 05. コリニア磁性(FM/AFM)の標準手順
5.1 まずはスピン分極を入れる
- ベースは ISPIN=2 である。
- 初期磁気モーメント MAGMOM でFM/AFM/フェリの初期化を与える。
重要:
- 収束後にWAVECAR/CHGCARから再開する場合、MAGMOMを消すと対称化により磁化が落ちることがある。再開時もMAGMOMの設計を意識する。
5.2 AFM初期化の作法(例)
- AFMは原子ごとに符号を変えてMAGMOMを割り当てる。
- 同一元素でも結晶学的に非等価なサイトがある場合、サイト順(POSCARの並び)に沿って割り当てる。
- 対称性が強いとAFMが潰れる場合があるため、必要に応じて対称性設定(ISYM)を疑う。
6. SOC・非コリニア(磁気異方性やスピン方向を扱う)
6.1 SOCを入れる最小条件
- LSORBIT = .TRUE. はSOCを有効化し、非コリニア計算として扱われる。
- 実行は vasp_ncl を用いる。
- SOC計算では、対称性(ISYM)を切った場合に結果が変わるかを必ずテストするのが推奨である。
スピン量子化軸や向きは SAXIS や、非コリニアのMAGMOM(3成分)で与える。
6.2 磁気異方性エネルギー(MAE)の典型手順
- 高精度なコリニア計算で基底状態の電荷密度を得る(vasp_std)
- その電荷密度を固定して(ICHARG=11)、スピン方向を変えたSOC計算を複数回行う(vasp_ncl)
- 全エネルギー差からMAEを決める
MAEではμeV/atom級の差分を扱うことがあるため、k点・ENCUT・収束条件を強化し、設定を全方向で厳密に一致させるのが要点である。
7. INCARテンプレート
7.1 金属:構造最適化(非磁性または磁性弱い金属)
SYSTEM = metal_relax
ENCUT = (手動で固定)
PREC = Accurate
ISMEAR = 1
SIGMA = 0.2
EDIFF = 1E-6
EDIFFG = -0.02
IBRION = 2
ISIF = 3
NSW = 100
LREAL = Auto7.2 金属:静的計算(エネルギー・DOS前処理)
SYSTEM = metal_static
ENCUT = (手動で固定)
PREC = Accurate
ISMEAR = 1
SIGMA = 0.1
EDIFF = 1E-8
IBRION = -1
NSW = 0
LREAL = .FALSE.
LORBIT = 117.3 強磁性(FM)
SYSTEM = FM_relax
ISPIN = 2
MAGMOM = (原子数ぶん,初期値を与える)
ENCUT = (手動で固定)
PREC = Accurate
ISMEAR = 1
SIGMA = 0.2
EDIFF = 1E-6
EDIFFG = -0.02
IBRION = 2
ISIF = 3
NSW = 100
LORBIT = 117.4 SOC(例:方向を変えて回す)
SYSTEM = SOC_nscf
LSORBIT = .TRUE.
ICHARG = 11
ENCUT = (手動で固定)
PREC = Accurate
ISMEAR = 1
SIGMA = 0.1
EDIFF = 1E-8
SAXIS = 0 0 1
LORBIT = 118. 出力の見方
- OSZICAR:電子反復の収束、magの推移(磁性の有無の一次判定)
- OUTCAR:E0やエントロピー項、サイト・軌道分解磁気モーメント(LORBIT設定時)
- CONTCAR:緩和後構造(次計算へ引き継ぐ)
- vasprun.xml / PROCAR / DOSCAR:後処理(バンド、DOS、投影解析)
9. 注意点
- 構造緩和が不安定:金属でISMEAR/SIGMAが不適切、k点不足、EDIFF/EDIFFGの整合不足を疑う。
- 磁性が消える:初期MAGMOMが弱い、対称性で平均化される、再開時にMAGMOMを落とした、を疑う。
- SOC結果が揺れる:k点と電子収束を強化し、ISYMを切った場合と比較し、全方向で入力を一致させる。
まとめ
VASPで金属・磁性体を安定に計算する要点は、スミアリングとk点、初期磁気配置、対称性の4点を「収束設計」として固定することである。SOCや磁気異方性のような微小差分では、設定一致と収束の徹底が最重要であり、まず基底状態(コリニア)を確立してから非自己無撞着SOCへ派生させるのが実務的である。