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アモルファス磁性におけるスピングラス

アモルファス磁性では、結晶のような並進対称性が破れているため、交換相互作用や磁気異方性が空間的に揺らぎやすく、長距離秩序の代わりにガラス的凍結や短距離秩序が前面に出る。スピングラスはその代表であり、静的・動的指標を揃えることで、強磁性や反強磁性、クラスターガラス、ランダム異方性磁性と区別して整理できる。

参考ドキュメント

  1. J. M. D. Coey, Amorphous magnetic order, Journal of Applied Physics 49, 1646 (1978). https://pubs.aip.org/aip/jap/article/49/3/1646/505321/Amorphous-magnetic-order
  2. 若林 英彦, Fe-Laアモルファス合金のスピングラス(解説), 京都大学学術情報リポジトリ(1987). https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/92466/1/KJ00004774569.pdf
  3. 田中 勝久, 酸化物ガラスに見られるスピングラス転移, NEW GLASS(PDF). https://www.newglass.jp/mag/TITL/maghtml/119-pdf/%2B119-p007.pdf

1. アモルファス構造が磁気秩序を難しくする理由

アモルファス合金やガラスでは、原子配列が長距離で周期性を持たない。結果として、次の揺らぎが不可避になる。

  • 交換相互作用の揺らぎ:Jij が距離・局所配位・化学環境で大きく変動し、符号反転(強磁性的/反強磁性的)が混在し得る
  • 磁気異方性のランダム化:局所環境が非等価であるため、容易軸の方向 n^i が空間的にランダムになる
  • 相互作用レンジの複雑化:金属では間接交換由来の振動的相互作用(RKKY様)が有効になり、フラストレーションが増幅される場合がある
  • 構造不規則性の相関:無秩序が完全な白色雑音ではなく、短距離の構造相関を持つため、「相関したガラス状態」が現れる場合がある

このため、アモルファス磁性では「一様な秩序パラメータ(自発磁化など)だけで相を特徴づける」発想が破綻しやすく、短距離秩序とガラス的凍結を同格に扱う必要がある。

2. アモルファスに現れる磁気秩序の類型

アモルファス系の磁気秩序は、結晶の強磁性/反強磁性/フェリ磁性の単純な写像では足りない。古典的には、アモルファス特有の秩序として次が区別されてきた。

  • スピングラス(spin glass) 無秩序とフラストレーションにより、スピンがランダムな向きに凍結し、平衡化が著しく遅い相である。巨視的自発磁化は通常ゼロであるが、強い履歴依存(記憶・エイジング)を示す。

  • アスペロ磁性(asperomagnetism) 平均としては強磁性的相関を持つが、局所的にはスピンが散乱した配置をとる秩序である。ランダム異方性により磁化方向が空間的にゆらぐ「乱れた強磁性」の姿として理解される。

  • スペロ磁性(speromagnetism) 平均の自発磁化はゼロで、局所的には反平行相関を含むが、結晶反強磁性のような単一の長距離秩序ベクトルで記述できない秩序である。

  • クラスターガラス/スーパースピングラス スピン単位ではなく、クラスター(あるいはナノ粒子の超スピン)がガラス的に凍結する状態である。スピングラスと似た兆候(AC帯磁率の周波数依存など)を示すが、緩和時間スケールや非線形応答の形が異なる場合が多い。

これらは連続的に接続し得るため、分類は「単語の貼り付け」よりも、後述の観測指標(静的・動的)をセットで満たすかで判断するのが妥当である。

3. スピングラスのモデル

スピングラスの物理記述は、乱れた交換結合を持つ Edwards–Anderson(EA)模型である。

HEA=ijJijsisjihisi,si=±1
  • Jij が正負混在すると、同じスピンを同時に満たせない閉路が生じ、フラストレーションが発生する
  • 低温では、エネルギー地形に多数の準安定状態が形成され、緩和が極端に遅くなる
  • 秩序は磁化 m ではなく、自己相関に基づく凍結の指標で特徴付けられる

凍結の指標として、自己オーバーラップ(Edwards–Anderson秩序パラメータ)qEA が導入される。

qEA=limt1Ni=1Nsi(0)si(t)

qEA>0 は、時間が経ってもスピンが向きを保ったまま(あるいは有限確率で同じ谷に留まったまま)であることを意味し、動的凍結の核心を表す。

4. アモルファスにおけるスピングラスの発現

4.1 希薄磁性(canonical spin glass)

非磁性金属母相に磁性不純物が希薄に入ると、間接交換相互作用が距離とともに振動し、Jij が正負混在しやすい。その結果、典型的なスピングラスの指紋(ZFC/FC分岐、AC帯磁率のカスプ、エイジング)が現れる。

このタイプは「構造がアモルファスか結晶か」と独立に成立し得るが、アモルファス化により局所環境がさらに多様化し、Jij 分布が広がる方向に働くことがある。

4.2 構造不規則性が直接ガラス化を誘起する

遷移金属系のアモルファス合金では、希薄極限ではなく高濃度でもスピングラス様の凍結が現れることがある。この場合、合金効果というより「構造不規則性そのもの」が局所モーメントや交換の無秩序を生み、ガラス化に至るという描像が議論される。

ポイントは、長距離秩序を支える結合ネットワークが、アモルファス配位のゆらぎで空間的に寸断され、秩序が空間的に相関した短距離領域へ分解されやすい点である。

4.3 ランダム異方性が支配する相関スピングラス(correlated spin glass)

アモルファス希土類–遷移金属(RE–TM)など、局所異方性が強い系では、乱れた容易軸がスピンの配置を空間的にねじれさせ、ガラス的応答を生む。ここでは、交換 J の乱れだけでなく、異方性の乱れが主役になる。

ランダム異方性の最小模型は次である。

HRA=JijSiSjDi(n^iSi)2
  • n^i がランダムに分布する
  • D/J の大小で、見かけの秩序(磁化の有無、相関長、履歴依存)が大きく変わる
  • 低温で「磁化は小さいが相関長は大きい」ような領域が現れ得る

この枠組みは、アスペロ磁性や相関スピングラスを連続的に記述する土台として機能する。

4.4 リエントラント(再侵入)スピングラス

高温側では強磁性的相関が勝って一度は自発磁化が立つが、さらに低温にするとガラス的凍結が強くなり、磁化の応答が記憶・履歴依存に支配される相へ移行する場合がある。これは「強磁性とスピングラスが別物として共存する」というより、無秩序と異方性が温度低下で顕在化し、秩序がガラス的に破砕されていく現象として理解される。

5. スピングラス判定

アモルファス系では、クラスターガラスやランダム異方性強磁性がスピングラスに似た兆候を示すため、複数の指標が必要である。

5.1 DC磁化:ZFC/FC分岐と不可逆性

  • ZFC(ゼロ磁場冷却)とFC(磁場冷却)の磁化曲線が、ある温度以下で分岐する
  • 分岐温度は測定条件(磁場、時間)に依存しやすい
  • 分岐だけではクラスターガラスと区別できないため、次のACと非線形応答が重要である

5.2 AC帯磁率:凍結温度の周波数シフト

スピングラスでは、AC帯磁率のカスプ温度 Tf が周波数 f で移動する。経験的指標として Mydosh パラメータが用いられる。

δ=ΔTfTfΔlogf
  • δ が小さいほど、臨界減速(スピングラス)に近い挙動になりやすい
  • クラスターガラスや超常磁性的ブロッキングでは、より大きい周波数シフトを示す傾向がある

さらに、臨界スケーリング(臨界減速)を仮定すると、

τ=τ0(TfTgTg)zν,τ=12πf

を用いて、Tg,zν,τ0 を評価する流儀がある。Vogel–Fulcher 型のフィット(有効障壁と相互作用を含む経験式)と比較し、どちらが整合的かを検討することも多い。

5.3 非線形帯磁率:スピングラス特有の発散

スピングラスでは、非線形帯磁率(例えば χ3)が Tg 近傍で強く増大することが理論的に期待され、クラスターガラスとの識別に有効な場合がある。測定ノイズや履歴依存の影響が大きいため、磁場振幅や測定手順の整合(プロトコル管理)が重要である。

5.4 時間依存:エイジング・記憶・若返り

  • 待ち時間 tw を変えると緩和の形が変わる(エイジング)
  • 温度ステップで一度作った状態が、再加熱で再出現する(記憶)
  • 温度を下げると新しい緩和が始まる(若返り)

これらはエネルギー地形の多谷構造と整合し、スピングラス性の強い根拠になる。

6. 実空間での描像:短距離秩序と相関長

アモルファス系では、秩序が「ゼロか非ゼロか」だけでなく「どの長さでどれだけ相関しているか」が本質になる。ランダム異方性模型では、相関長(あるいは磁化のコヒーレンス長)が、D/J と外場、温度で大きく変化しうる。

実験的には、中性子散乱・μSR・メスバウアー分光などで、長距離ブラッグピークの代わりに散漫散乱や緩和率の温度依存として現れる場合がある。DC/AC磁化だけでは判別しにくいとき、これらの局所プローブが決定打になることがある。

7. 計算・シミュレーションでの読み解き方

スピングラスを「アモルファス磁気秩序の一形態」として扱うには、構造無秩序と磁気無秩序を同時に扱う必要がある。典型的な流れは次である。

7.1 アモルファス構造の生成

  • 溶融—急冷(melt–quench)により原子配置を作る
  • 複数サンプルを用意し、構造揺らぎの自己平均性を確認する
  • 短距離秩序(配位数、最近接距離分布、部分RDF)を管理し、構造同定の不確かさを減らす

7.2 有効磁気模型への写像

  • 第一原理計算やグリーン関数法から Jij を推定し、分布 P(J) を得る
  • 異方性 Ki や容易軸 n^i の分布を評価し、ランダム異方性の強さを見積もる
  • 必要に応じて DMI や双極子相互作用も含め、観測量に効く項を優先的に残す

7.3 平衡量の評価(凍結温度と相図)

平衡化が最大の問題であるため、交換モンテカルロ(parallel tempering)などの rugged 地形に強いサンプリングが有効である。

オーバーラップ

qab=1Ni=1Nsi(a)si(b)

や Binder 比

U4=1q43q22

を用い、有限サイズスケーリングで Tg を推定するのが定石である。

7.4 非平衡量の評価(履歴と周波数応答)

確率LLGやキネティックMCを用い、二時間相関

C(t,tw)=1Nisi(tw)si(tw+t)

tw 依存(エイジング)を直接評価する。AC応答は線形応答として時間相関から再構成するか、微小な交流場を直接印加して評価する。

この段階で、DC/ACで見た Tf の周波数シフト、緩和関数の形(伸長指数など)、温度プロトコルの記憶現象を、同一模型内で再現できるかが重要になる。

8. なぜアモルファスのスピングラスが重要か

スピングラス相そのものは「大きな自発磁化を取り出す用途」には向かないことが多い。一方で、次の点で重要である。

  • 軟磁性アモルファス合金における低温異常(透磁率の低下、磁化ノイズ、不可逆性)の起源を与える
  • RE–TM アモルファス薄膜などで、ランダム異方性と凍結が磁化反転プロセスや可逆性に影響する
  • 無秩序・多谷地形という抽象構造が、最適化やイジング型計算機の参照問題として用いられ、物理の視点から難しさの本質(障壁・準安定性・相関)を評価する基盤になる

このように、アモルファス磁性におけるスピングラスは、磁性の分類学に留まらず、無秩序系の普遍的なダイナミクスを実体物質で検証する舞台として位置付けられる。

まとめ

アモルファス磁性におけるスピングラスは、交換相互作用の乱れだけでなく、ランダム異方性や構造相関が深く関与する点に特色がある。ZFC/FC分岐やAC帯磁率カスプは出発点にすぎず、周波数シフト、非線形応答、エイジング・記憶といった動的指標を揃えることで、クラスターガラスや乱れた強磁性と区別できる。さらに、アモルファス構造生成と有効スピン模型の写像、rugged 地形に強いサンプリングと非平衡計算を接続することで、凍結現象を「現象論」から「機構論」へ押し上げることが可能である。

関連研究

  1. J. M. D. Coey, Amorphous magnetic order, Journal of Applied Physics 49, 1646 (1978). https://pubs.aip.org/aip/jap/article/49/3/1646/505321/Amorphous-magnetic-order
  2. R. Alben, J. J. Becker, M. C. Chi, Random anisotropy in amorphous ferromagnets, Journal of Applied Physics 49, 1653 (1978). https://pubs.aip.org/aip/jap/article/49/3/1653/505311/Random-anisotropy-in-amorphous-ferromagnets
  3. E. M. Chudnovsky, W. M. Saslow, R. A. Serota, Ordering in ferromagnets with random anisotropy, Physical Review B 33, 251 (1986). https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevB.33.251
  4. 梯 祥郎, アモルファス遷移金属磁性の新しい描像, まてりあ 30, 131 (1991). https://www.jstage.jst.go.jp/article/materia1962/30/2/30_2_131/_pdf/-char/en