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動く磁壁が誘起する局所渦電流

導電性をもつ強磁性体では、磁壁が移動すると磁化分布が時間変化し、ファラデー誘導により局所的な渦電流が生じる。渦電流はジュール散逸として損失を与えるだけでなく、自己誘起磁場を通じて磁壁運動を抑制し、動的磁化過程(B-H ループ、Barkhausen 雑音、複素透磁率など)を変形させる機構となる。

参考ドキュメント

1. 磁壁は「移動する磁束変化源」である

磁壁は、磁化が反転する狭い遷移領域(幅 Δ)である。壁が速度 v で移動すると、磁化分布は概ね

M(r,t)M(rvt)

のように時間変化し、磁束密度

B=μ0(H+M)

の時間変化 B/t を生む。導体中ではこの磁束変化が回転電場を生み、渦電流を駆動する。

重要点は、磁壁運動による M/t が空間的に局在しやすく、試料幾何・境界条件に依存して「局所的に集中した電流ループ」を形成しうる点である。したがって、渦電流は一様磁化回転(全体が同相で変化)から期待される古典渦電流像よりも、空間的に複雑な分布をとりうる。

2. 磁気準静近似と構成則

多くの金属磁性体の低〜中周波域では、変位電流を無視した磁気準静近似がよく用いられる。基本式は

×E=Bt,×H=J,B=0

であり、材料の構成則は

J=σE,B=μ0(H+M)

である(σ は導電率)。渦電流損失(ジュール熱)の局所密度は

p(r,t)=JE=|J|2σ=σ|E|2

で与えられる。

ここで M は外生的に与える量ではなく、磁壁の内部自由度として運動方程式をもつ。代表的には LLG 方程式により

mt=γm×Heff+αm×mt,m=MMs

と書ける。したがって、電磁場(Maxwell)と磁化ダイナミクス(LLG)が結合した問題となる。

3. 1次元磁壁モデル:M/t の局在

例えば Bloch壁を1次元で近似すると、壁中心 q(t) に対して

mz(x,t)=tanh(xq(t)Δ),mx(x,t)=sech(xq(t)Δ)

などの形をとる(表式は磁気異方性と交換のバランスで定まる)。壁速度 v=q˙ とすると

mzt=q˙mzxvΔ

のように、時間変化は壁幅 Δ によって鋭く局在する。したがって局所的なスケーリングとして

|Mt|vΔMΔ

が得られる。

この局在した M/tB/t を通じて誘導を生み、結果として渦電流分布が磁壁周辺で強くなる。

4. 渦電流生成のスケーリング

ファラデーの法則

×E=Bt

から、代表長さ を用いた量的見積もりとして

E|Bt|

が得られる。ここで は磁壁幅ではなく、電流ループが回り込む幾何スケール(板厚、線幅、スリット間隔、積層ピッチなど)で決まる量である。

オーム則により

JσEσ|Bt|

損失密度は

pJ2σσ2|Bt|2

となり、導電率が大きいほど局所渦電流とジュール散逸が増えることがわかる。磁性体では μ が大きくなりやすく、後述の磁気拡散時定数や表皮深さにも強く影響するため、単純に「良導体ほど損失増」と言い切れない局面もあるが、局所誘導の感度は概ね増大しやすい。

5. 渦電流が磁壁運動を抑制する

渦電流は自己磁場 Hec を作り、レンツの法則に従って磁束変化(=磁壁運動)を妨げる。磁壁に働く反作用は、単純化すると速度に比例する粘性抵抗として

Fecηv

と書けることがある。

しかし磁場と電流の応答には磁気拡散の時間遅れがあり、壁の速度の履歴に依存する形が本質的になることがある。一般に

Fec(t)=0K(s)v(ts)ds

のような畳み込みで表され、K(s) は試料形状と境界条件で決まるカーネルである。

速度が十分にゆっくり変化する場合、畳み込みを時間微分の展開として

Fec(t)ηv(t)meffdvdt+

と整理でき、履歴効果は有効慣性項に見かけ上吸収される。このとき幾何によって meff<0 となる整理が与えられうることが知られており、Barkhausen 雑音やジャンプ統計の解釈に影響する(負の有効質量という言い方は近似表現であり、物理的には渦電流の遅れ応答を等価的に表しているに過ぎない)。

この反作用は磁壁の運動にのみ働くのではなく、磁区構造全体としての動的応答(透磁率スペクトル、磁化過程の緩和)を変えるため、周波数依存の損失成分と密接に結びつく。

6. 古典渦電流損失と異常(過剰)損失

交流磁化の損失はしばしば

Ptot=Phys+Pcl+Pex

のように分けて議論される。ここで

  • Phys はヒステリシス損失(不可逆過程、ピン止め)
  • Pcl は古典渦電流損失(連続体近似・空間平均的誘導)
  • Pex は異常(過剰)損失(局所磁壁運動の統計性・局在誘導などを含む)

である。磁壁移動に伴う局所渦電流は、Pex の代表的な物理像の一つとして整理される。

周波数依存の典型像として、Pclf2 に比例しやすい一方で、Pex は磁壁密度、磁壁速度の統計、微視的局在スケールの影響を受け、非整数べきに近い依存を示すことがある。現象としては「中周波域で f2 からのずれが現れる」「MBN のパルス形状や統計が変形する」などとして観測される。

注意として、磁歪・内部摩擦・粘弾性、あるいは複素透磁率の周波数分散などが、Pex と見かけ上似た周波数依存を与える場合がある。したがって局所渦電流起源を主張するには、電気抵抗・試料厚み・絶縁・スリットなど渦電流経路を制御した系統比較が有効である。

7. 電流ループの設計問題

局所渦電流は磁壁幅 Δ だけで決まらず、電流が閉じる経路に支配される。したがって、次の要因が決定的に効く。

  • 板厚・線幅・試料形状:電流ループの代表長さ L を変える
  • 積層や絶縁膜:ループの閉路を遮断し、等価抵抗を増やす
  • スリット・溝加工:渦電流の大域経路を分断する
  • 磁区細分化(レーザ処理等):磁化変化の分担と局所 M/t ピークを変える

磁気拡散の代表時定数は概念的に

τecμσL2

であり、L が大きいほど(厚いほど、幅が広いほど)渦電流応答の遅れが強くなり履歴が出やすい。周波数領域では表皮深さ

δ=2ωμσ

が重要であり、δ が板厚より小さくなると電流と損失が表層に偏る。磁壁運動が表層で偏在する場合は、局所渦電流との重なりがさらに強くなりうる。

磁区細分化は磁壁本数を増やすが、全体の磁束変化を多数の壁で分担すると各壁の必要速度が下がり、局所的な |M/t| のピークが下がる方向に働くことがある。一方で、壁本数増加はピン止めイベント数を増やし、Phys や MBN 統計を変える可能性があるため、単純な単調関係にはならない。

8. 観測シグナル

局所渦電流の影響は、複数の観測量に表れる。

8.1 動的 B-H ループと周波数依存

  • 低周波域:Phys 優勢になりやすい
  • 高周波域:Pcl 優勢(f2 的増大)になりやすい
  • 中間域:Pex の寄与が現れ f2 からのずれが見えやすい

厚みや絶縁で渦電流経路を変えたとき、ループのふくらみや損失の周波数依存が系統的に変化すれば、局所渦電流による反作用が疑われる。

8.2 磁気バルクハウゼンノイズ(MBN)

渦電流ダンピングは磁壁速度パルスを平滑化し、パルス幅・立ち上がり時間・統計分布を変える。拡散遅れが強いと、壁速度の履歴依存が MBN の非マルコフ性として観測される可能性がある。

8.3 空間分解観測との同期

Kerr 観察などで壁位置 q(t) を追跡し、電気信号(端子電圧)や磁化信号と同期させると、壁運動と誘導応答の因果関係が見えやすい。特に磁壁がジャンプする瞬間の信号波形は局所誘導の検出に向く。

9. スピンモーティブフォース(SMF)

磁壁運動に伴う電圧は、古典的なファラデー誘導に加えて、磁化テクスチャの時空間変化に由来する有効電場(ベリー位相起源)として記述されることがある。代表式は

Eem=2em(mt×m)

である(係数や符号は規約に依存する)。

SMF はナノワイヤ等で壁運動に同期した端子電圧として観測されるが、同じ実験で古典誘導(渦電流)も同時に起こりうる。切り分けには、以下が手掛かりになりうる。

  • 幾何依存:渦電流は電流ループの閉路と抵抗に強く依存する
  • 抵抗依存:σ の変化や積層絶縁に対する感度が大きい
  • 信号対称性:壁の伝搬方向反転や磁化反転に対する符号の変化則
  • 周波数・時間スケール:τec の有無(遅れ・履歴の出現)

10. 数値モデル化

目的に応じてモデルを段階化すると、解釈が安定する。

10.1 段階A:磁壁運動を与えて電磁場だけ解く

磁壁位置 q(t) あるいは M(r,t) を外部から与え、Maxwell(準静)を解いて E,J を得る。損失は

P(t)=V|J(r,t)|2σdV

で評価する。境界条件(外部回路に流れない、絶縁境界、電位ゲージなど)の置き方が結果を左右する。

10.2 段階B:反作用を有効項として磁壁方程式に入れる

磁壁座標 q(t) の有効方程式に粘性・履歴を入れ

Mqq¨+Γq˙+Uq=Fdrive+Fec[v]

のように扱う。Fec を畳み込みで与えることで、幾何に起因する遅れを再現する。

10.3 段階C:Maxwell–LLG の結合(自己無撞着)

LLG で M を更新し、B/t をソースとして電磁場を解き、得られた Hec を有効磁場に戻す。

Heff=Hext+Hex+Hani+Hdemag+Hec

この結合は計算コストが高くなりやすく、時間刻みは LLG の高速スケールと τec の双方を解像する必要がある。計算上は、準静近似の妥当性と、電磁場ソルバ(FEM等)の安定性が鍵である。

11. 典型パラメータの対応表

記号代表スケール増えるとどうなるか
導電率σ金属で大渦電流・ジュール散逸・反作用が増えやすい
代表幾何長L厚み・幅・ループ長τecμσL2 が増え、遅れが強まる
表皮深さδ2/(ωμσ)小さいほど表層集中し、局所重なりが変わる
磁壁幅Δnm–100 nm小さいほど局所 $
磁壁速度vm/s 程度大きいほど誘導が強くなる
透磁率μ拡散・表皮に影響し、損失の形を変える
磁区構造統計量材料依存磁壁密度・ピン止め統計が Pex と MBN を規定する

まとめ

磁壁移動は局在した M/t を通じて回転電場を生み、導体中に局所渦電流を誘起する。渦電流はジュール散逸を与えるだけでなく、自己誘起磁場による反作用として磁壁運動を粘性的に抑制し、さらに磁気拡散の遅れがあると速度履歴依存(有効慣性項)として現れる。損失分離の枠組みでは異常(過剰)損失の主要候補機構であるが、磁歪や透磁率分散など別機構との切り分けのためには、幾何・絶縁・抵抗率を制御した系統比較と、MBN・空間分解観測を組み合わせた検証が要点である。