ブロッホの定理
ブロッホの定理は、結晶のような周期構造をもつ系の量子状態が「平面波 × 格子周期関数」として表されることを保証する定理である。これにより無限に広がる結晶の問題が、第一ブリルアンゾーン内の波数
参考ドキュメント
- F. Bloch, Über die Quantenmechanik der Elektronen in Kristallgittern, Zeitschrift für Physik 52, 555–600 (1929), doi:10.1007/BF01339455
https://link.springer.com/article/10.1007/BF01339455 - (日本語)井野正三, 固体物理学 I 講義ノート(周期場中の電子と Bloch の定理を含む)広島大学(PDF)
https://home.hiroshima-u.ac.jp/ino/lecture/SSP1note7_ino2017.pdf - (日本語)名古屋大学 OCW, 量子力学 I 講義ノート(ブロッホの定理と周期ポテンシャルの例を含む)(PDF)
https://ocw.nagoya-u.jp/files/487/qm1-17v3.pdf
1. 位置づけ
結晶中の電子は、原子核の周期配列に由来する周期ポテンシャル(あるいは周期的な有効ポテンシャル)を感じて運動する。固体の電子状態を理解する中心概念は、(i) 並進対称性、(ii) 逆格子とブリルアンゾーン、(iii) バンド分散
ブロッホの定理は電子に限らず、周期構造をもつ線形固有値問題一般に現れる。格子振動(フォノン)では原子変位が、電磁波の周期媒質(フォトニック結晶)では電場・磁場の固有モードが、同種の「ブロッホ形式」を満たすことが知られている。
2. 周期ハミルトニアンと並進対称性
結晶格子ベクトルを
とする。単一粒子のハミルトニアンを
とし、ポテンシャルが格子並進に対して周期的
であると仮定する。このとき、格子並進演算子
で定義すると、
が成り立つ。すなわち、
ここで重要なのは、並進対称性が「波動関数そのものが同じ」という意味ではなく、「ハミルトニアン(観測の法則)が同じ」という意味である点である。固有状態は一般に位相因子を伴って変換され得る。
3. ブロッホの定理
周期ポテンシャル
の解は
と書け、
を満たす。これがブロッホの定理である。
この表現では、
(物理的に同一の状態を表し得る)という同値性をもつ。したがって、
4. 並進演算子による導出
を満たす。
と書ける。
さらに、並進群の性質
が成り立つ。この関係を満たす連続的な表現は
で与えられる。よって
となる。ここで
と定義すれば
となり、
5. 逆格子とブリルアンゾーン: の同値性
逆格子ベクトル
を満たすベクトル全体である。基本逆格子ベクトル
と表される。
ブロッホ状態において
である。括弧内は周期関数として再定義できるため、
6. バンド形成の物理:ブラッグ反射とギャップ
自由電子(
である。周期ポテンシャルが入ると、電子波は格子によって散乱され、
となり縮退が生じやすい。そこにポテンシャルのフーリエ成分
この描像は、ほぼ自由電子模型やクローニッヒ・ペニー模型で明示的に確認でき、バンドとギャップが結晶対称性から自然に導かれることを示す。
7. 有限サイズと Born–von Karman 境界条件
有限の計算セル(長さ
が要請される。ブロッホ条件
であり、許される
8. フォノンと周期媒質(光)への拡張
8.1 フォノン
格子振動では、原子変位ベクトルの集合を固有ベクトルとして、力定数行列(あるいは動力学行列)を対角化する。並進対称性により、フォノン固有モードも
の形(
8.2 フォトニック結晶などの周期媒質
誘電率が周期的な媒質
と表され、フォトニックバンド構造という概念が成立する。固体電子の「ポテンシャルの周期性」が、光学では「媒質定数の周期性」に置き換わるだけで、対称性に基づく還元の論理は同じである。
9. 外場がある場合:電場と磁場
9.1 一様電場とブロッホ振動
完全に周期的な結晶に一様電場を加えると、
が導かれる。散乱が無視できる理想化では、
9.2 一様磁場と磁気並進群
一様磁場
この領域は通常のブロッホ定理の直接拡張というより、「並進対称性の表現がゲージ場を含む形に拡張される」と捉えるのが自然である。
10. ブロッホ基底とワニエ基底の関係
ブロッホ状態は逆空間で自然であり、バンド分散やフェルミ面の議論に適する。一方、局所的な結合像や有効模型(タイトバインディング型ハミルトニアン)には実空間で局在した基底が便利である。ワニエ関数は、ブロッホ状態を逆フーリエ変換して得る局在基底であり、
が基本形である(複数バンドではユニタリ混合が加わる)。
ブロッホの定理は「周期系の固有状態の一般形」を与え、ワニエ関数は「その自由度(位相・バンド混合)を利用して局在表現を構成する」枠組みである。両者は対立ではなく、同一のヒルベルト空間上の表現の選択である。
11. 第一原理計算におけるブロッホの定理の意味
平面波基底を用いる密度汎関数理論(DFT)では、ブロッホ形式により
を前提として、
全エネルギーや電子密度はブリルアンゾーン積分で与えられ、数値計算では離散
12. ブロッホの定理がそのまま適用できない状況
周期性が厳密に成り立たない場合、ブロッホ形式は一般には成り立たない。代表例は以下である。
- 無秩序(置換乱れ、欠陥、アモルファス)により
が破れる場合 - 準結晶のように並進周期が存在しない場合
- 表面・界面・ナノ構造のように、ある方向に周期境界を課せない場合
ただし、近似としての超胞(スーパーセル)を用いれば「大きな周期」を導入してブロッホ形式を回復させられる。超胞では本来のバンドが「折り畳まれた形」で現れるため、逆空間の解釈(バンド折り畳み、アンフォールディング、スペクトル関数化)が必要になる。
13. 重要式の整理
| 概念 | 数式 | 意味 |
|---|---|---|
| 周期性 | 結晶並進に対する不変性 | |
| ブロッホ形式 | 平面波因子と周期関数の積 | |
| 周期部分 | 単位胞内自由度に還元 | |
| ブロッホ条件 | 並進で位相を獲得 | |
| 逆格子 | ||
| 群速度 | 波束運動の速度 | |
| 有効質量 | 曲率による応答の尺度 |
14. 比較:ブロッホ表現と局在表現
| 表現 | 基底 | 長所 | 主な用途 |
|---|---|---|---|
| ブロッホ表現 | 対称性と逆空間が自然である | バンド分散、フェルミ面、応答関数 | |
| ワニエ表現 | 実空間で局在し解釈しやすい | 有効模型、局所結合像、補間 | |
| 原子軌道LCAO | 原子軌道の線形結合 | 化学結合の直観が得やすい | タイトバインディング初期模型 |
まとめと展望
ブロッホの定理は、周期対称性をもつ量子系の固有状態がブロッホ形式で表されることを示し、無限結晶の問題をブリルアンゾーン内の有限自由度に還元する中核原理である。電子、フォノン、電磁波など、周期媒質に現れる線形固有値問題の広い範囲で同型の構造が現れ、バンドとギャップという普遍的概念が対称性から導かれることを明確にする。
今後の展望として、強磁場下の磁気並進群、準周期系や無秩序系のスペクトル理論、トポロジカルバンド理論と幾何学(ベリー位相)など、ブロッホの定理を出発点にした拡張が量子物質研究を駆動している。周期性という「対称性の情報」をいかに表現へ落とすかが、計算物質科学と実験物性の接続をさらに深める鍵である。
その他参考にした資料
- Chapter 3 Electrons in a periodic potential(Bloch の定理の教科書的導入を含む)(PDF, Universität Stuttgart)
https://www.itp3.uni-stuttgart.de/downloads/pdf/Chapter3.pdf - Bloch’s Theorem and Band Structure in One Dimension(講義ノート)(PDF, UC Berkeley)
https://bohr.physics.berkeley.edu/classes/221/9697/blochban.pdf - MIT OpenCourseWare: Quantum ESPRESSO handout(k点と周期境界条件の背景を含む)(PDF)
https://ocw.mit.edu/courses/3-320-atomistic-computer-modeling-of-materials-sma-5107-spring-2005/b5179173234e73513a10bd4dde535da0_pwscf_handout.pdf - Quantum ESPRESSO 関連資料(平面波基底と Bloch の定理の関係に言及)
https://www.materialssquare.com/docs/en/appendix - (プレスリリース例)東北大学ほか:歪フォトニック結晶による電磁波制御(周期媒質と波動の関係の文脈)(PDF)
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/newimg/pressimg/tohokuuniv_press0929_04web_photonic.pdf - (プレスリリース例)KDDI総合研究所:フォトニック結晶レーザーと周期構造の説明(ニュースリリース)
https://www.kddi-research.jp/newsrelease/2025/112602.html - Magnetic translation group と一般化ブロッホ条件に関する例(Hofstadter 模型・磁気ブリルアンゾーンの入門)(PDF, Universität Stuttgart)
https://www.itp3.uni-stuttgart.de/teaching/archive/ss21/tpm21/exercises/tpm_ss21_problemset_03.pdf - APPENDIX: Magnetic translation group and generalized Bloch theorem(Phys. Rev. B 87, 235429 (2013))
https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevB.87.235429