モンテカルロ計算におけるクラスター展開モデル
クラスター展開(Cluster Expansion, CE)は、第一原理計算で得られた合金の配置エネルギーを、原子占有を表す離散変数(スピン変数)で表現し、全エネルギーを有効クラスター相互作用(ECI)として近似する手法である。第一原理計算のみで相平衡を求めることは計算量的に困難だが、CEによりエネルギー評価を高速化することで、モンテカルロ法(MC)による相平衡・相図計算が実現できる。
参考ドキュメント
- 東北大学多元物質科学研究所「クラスター展開法による合金状態図の計算」
https://www.tagen.tohoku.ac.jp/labs/ota/lecture/cluster_expansion.pdf - 名古屋大学・固体物理関連資料「第一原理計算とクラスター展開の基礎」
https://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~moriyama/files/cluster_expansion_intro.pdf - 大阪大学・材料計算ゼミ資料「ATATを用いたクラスター展開とMCによる相図計算」
https://www.mat.eng.osaka-u.ac.jp/lecture/cluster_atat_handson.pdf
クラスター展開の基本流れ
第一原理計算(DFT)
- 代表的な配置(スーパーセル構造)について全エネルギーを計算
- 計算対象は構造多様性・組成範囲をカバーするよう選択する
クラスター展開モデルの構築
- 占有変数 σ_i(例:A=+1, B=−1 など)を用いてエネルギーを展開
- 典型的なCEの形式
ここで:有効クラスター相互作用(ECI) :クラスター関数(対・三体・四体など)
- ECIs は回帰により推定(LASSO回帰や交差検証で過学習を防ぐ)
- 対称性で等価なクラスターをまとめ、「独立なクラスター」の有限個だけを残す。
- それぞれのクラスターに対応する係数を 有効クラスター相互作用 (Effective Cluster Interaction, ECI) と呼ぶ。
モンテカルロシミュレーション
- CEで得られた高速エネルギー評価を用いて、有限温度でMC計算を実行
- 得られる主な物理量
- 平衡組成・秩序度・自由エネルギー変化
- 相転移温度、相図、短距離規則度など
- 必要に応じて、代表構造を再びDFTで確認して精度を検証する
有効クラスター相互作用 (ECI) の決定手順
ステップ 1:構造サンプルの選定
- 単位胞・スーパーセルの各種秩序配置をいくつか作成(数十〜数百構造)。
- 各構造に対し、DFT 等でエネルギー
を計算。
ステップ 2:線形回帰によるフィッティング
- 各構造について、クラスター基底の「平均値」
を計算。 - 連立方程式
を解いて (ECI)を求める。 - 過剰適合を避けるため、LASSO・交差検証などを用いて「必要なクラスターだけ」を選ぶことも多い。
- 各構造について、クラスター基底の「平均値」
ステップ 3:検証
- フィットに使っていない追加構造で、CE による予測エネルギーと DFT のエネルギーを比較し、誤差・バイアスを確認。
- 誤差が大きい場合は、クラスターの追加・削除・学習構造の見直しを行う。
クラスター展開とモンテカルロの連携
CE により得られた有効ハミルトニアン:
を、統計力学のボルツマン重み
に代入すると、通常のスピン/占有格子模型の MC 計算と同じ形式になる。
エネルギー評価が高速:
- DFT:1 構造あたり「分〜時間〜日」オーダー。
- CE:1 構造あたり「μs〜ms」オーダー。
- → 各 MC ステップで何度もエネルギーを評価できるので、10⁵〜10⁷ ステップ規模の MC が可能。
MC で評価できる量:
- 秩序–無秩序転移温度
- 相図(温度–組成・外場・応力など)
- 自発秩序パラメータ、比熱・感受率
- クラスターごとの占有・短距離秩序 (SRO)
- 秩序–無秩序転移温度
磁性体・合金への応用
合金(例:Fe–Co, Fe–Cr など)
- DFT で各種規則構造の全エネルギーを計算。
- CE で「組成変化・配置変化に対する有効ハミルトニアン」を構築。
- その CE を用いた MC で、温度–組成平面の相図(秩序相・固溶体・分離相)を決定。
磁性体
- サイトごとにスピン変数
(またはベクトルスピン)を導入し、 - CE の形で有効スピンハミルトニアン(Heisenberg 型、イジング型+多体項)を構築。
- これを MC でサンプリングし、キュリー温度
、磁化曲線、スピン相関などを評価。 - 「第一原理 → CE → スピン MC」という流れで、実材料の Tc 予測が行われる。
- サイトごとにスピン変数
実装ツールの例
- CASM(Cluster Expansion and Statistical Mechanics)
- ATAT(Alloy Theoretic Automated Toolkit)
- ICET(Pythonベース、CE+MCが容易)
解析的なクラスター展開
- 統計力学の教科書で出てくる「高温クラスター展開」「バイリアル展開」も「クラスター展開」と呼ばれる。
- こちらは、分配関数・自由エネルギーを「結合グラフ」の寄与として解析的に展開する方法。
- 主目的は「級数としての厳密解・近似解」にあり、数値 MC とは別ライン。
- 合金・スピン系における CE+MC は:
- 「エネルギー汎関数を有限個のクラスター基底で近似 → 有効模型として MC にかける」 という数値的・データ駆動的なクラスター展開。
- 名前は同じ「クラスター展開」だが、
- 「解析的な系列展開」か
- 「数値 CE+MC 用の有効ハミルトニアン構築」か
を意識して区別しておくと混乱しにくい。
注意点
- クラスターの選び方
- 近距離のペア・三体・四体クラスターを中心にし、遠距離・高次数のクラスターは切り捨てる。
- どこまで含めるかは、クロスバリデーション誤差・物理的な知識(相互作用の減衰)を参考に決める。
- 学習構造のバランス
- 格子定数・応力・組成・秩序状態など、興味のある条件を網羅するように構造を選ぶ。
- 「相図のどの領域をよく再現したいか」で、サンプル構造の設計が変わる。
- CE の妥当性のチェック
- 追加の DFT 計算で予測のチェック、
- 実験の相図や Tc と比較、
- 物理的に不自然な秩序状態が現れていないか、などを確認する。
- MC 側の注意点
- 通常のスピン MC と同様に、熱化・自己相関・有限サイズ効果に注意。
- 相転移近傍ではクラスターアルゴリズム(Swendsen–Wang, Wolff)などの導入も検討。