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軟磁性体の物理

軟磁性体は、弱い磁場で磁化が大きく変化し、かつ交流磁化での損失を小さくできる材料群である。磁区構造と微細組織、電磁気学、スピン動力学が同じ土俵の上で結び付く点に本質がある。

参考ドキュメント

1. 軟磁性とは何か

軟磁性体の特徴は、磁化反転が容易で、ヒステリシスループが細いことである。評価指標は単独ではなく、用途の周波数帯・磁束密度・温度・形状で組が決まる。

代表的な指標は以下である。

  • 保磁力 Hc:ループの幅(反転しにくさ)の尺度である
  • 透磁率 μ:磁化のしやすさ。直流では微分透磁率 μdiff=dB/dH が効く
  • 飽和磁束密度 Bs:最大の磁束密度の上限である(電力機器では大きいほど有利になりやすい)
  • 抵抗率 ρ:渦電流損失と表皮効果を抑える鍵である
  • 損失(鉄損)P:交流での発熱。周波数・波形・バイアス磁場に依存する

材料内部の場の関係は B=μ0(H+M) であり、外部磁場 H と磁化 M の双方が磁束密度 B を決める。形状の反磁界を含めた内部磁場は Hint=HappNM であり、同じ材料でも形状(反磁界係数 N)で見かけの透磁率が大きく変わる。

軟磁性と硬磁性の対比

観点軟磁性体硬磁性体(永久磁石)
目的小さな磁場で磁化を追従させる外部磁場がなくても磁化を保持する
重要量高透磁率、低 Hc、低損失高保磁力、高エネルギー積
支配要因(典型)低異方性・低磁歪・低欠陥ピン止め・高抵抗率高異方性・微細組織による反転障壁

2. エネルギー地形でみる磁化

軟磁性体の磁化は、エネルギー密度 w を下げる方向に動く。規格化磁化 m=M/Ms を用いると、典型的なエネルギー項は

w=A|m|2+wani(m)+wZ(m)+wd(m)+wme(m,ε)
  • 交換エネルギー:A|m|2(磁化の空間変化を嫌う)
  • 異方性エネルギー:例として一軸異方性ならwani=Ku(1(mu)2)
  • ゼーマンエネルギー:wZ=μ0MsHm
  • 反磁界(静磁)エネルギー:磁極(磁化の発散)を作るほどコストがかかる
  • 磁気弾性(応力)エネルギー:磁歪 λs と応力 σ の結合で有効異方性を生む

磁気弾性の代表式として、応力誘起異方性定数は

Kσ=32λsσ

である。したがって λs が大きい材料は、残留応力・加工ひずみ・熱応力で軟磁性が劣化しやすい。

磁区と磁壁:回転と移動の二つの自由度

軟磁性の主要な磁化過程は、(i) 磁壁移動 と (ii) 磁化回転 である。磁壁の厚さとエネルギーは、交換と異方性の釣り合いで決まり、

  • 磁壁幅:δπAKeff
  • 磁壁エネルギー(面密度):σ4AKeff

ここで Keff は結晶異方性・誘導異方性・応力異方性などを含む実効異方性である。軟磁性とは、Keff を小さくし、磁壁が欠陥で強くピン止めされない状態を作ること、と言い換えられる。

3. ヒステリシスの起源:なぜ損失が出るのか

ヒステリシスは、エネルギー地形が滑らかではなく、局所極小と障壁により磁化が履歴依存になるために生じる。障壁の源は多様であり、たとえば

  • 欠陥・析出物・粒界・空孔・ひずみ場による磁壁ピン止め
  • 多結晶の磁気異方性軸の分布
  • 磁歪と残留応力の結合による局所異方性
  • 表面粗さや内部空隙による反磁界の増大(局所的には強い磁極を作る)

損失のエネルギー密度は、準静的には

W=HdB

で与えられる。周回積分の面積が小さいほど損失が小さい。

4. 周波数応答:複素透磁率

交流磁化では、透磁率は複素量

μ(ω)=μ(ω)iμ(ω)

で表される。μ は蓄える成分、μ は吸収(損失)成分の尺度である。代表的な指標として

tanδμ=μμ

が用いられる。

4.1 磁壁運動と磁化回転の周波数帯

周波数を上げると、磁壁運動は粘性やピン止めにより追従できなくなり、主役が磁化回転へ移る。さらに GHz 帯では強磁性共鳴(FMR)が支配的になる。

現象主自由度支配パラメータ(例)周波数の目安(材料依存)観測されやすい特徴
低周波の追従磁壁移動 + 回転欠陥、応力、粒径Hz–kHzHc、大きい μ
中周波の減衰・緩和主に回転減衰 α、異方性kHz–MHzμ の増大、損失増
共鳴領域スピン歳差運動Ms、異方性、反磁界MHz–GHz共鳴ピーク、μ が落ちる

4.2 表皮効果と渦電流

導電性が高い金属系では、交流により渦電流が流れ、磁場が内部へ侵入しにくくなる。表皮深さは

δs=2ρωμ0μr

で与えられる。ρ(高抵抗率化)、薄板化(積層)、粉末化(絶縁被覆)などが高周波化の基本戦略となる。

4.3 Snoek 則(限界):高透磁率と高周波は両立できない

初透磁率 μi を大きくすると、共鳴周波数 fr が下がりやすいという経験則がある。代表的には Snoek 則として

(μi1)frC(Ms)

のように、材料の磁化(おおむね Ms)で定まる上限が現れる。したがって、高周波側での高透磁率は、(i) 形状反磁界の工学的制御、(ii) 複合化や薄膜化、(iii) 異方性の設計、(iv) 減衰の低減、といった多面的な工夫で達成される。

5. 損失の分解:何を減らすと何が良くなるか

交流損失は単純な一つの原因ではなく、磁壁運動・渦電流・動的な追加過程が重なって見えることが多い。古典的な分解として、総損失密度 P

P=Ph+Pc+Pex

とし、

  • ヒステリシス損:PhkhfBmα
  • 古典渦電流損:Pckcf2Bm2
  • 過剰損(追加損):Pexkexf3/2Bm3/2

のような形で扱うことが多い。係数 k は材料と加工履歴に依存し、Pex は特に磁区構造や磁壁ダイナミクスへの感度が高い。

また経験式として Steinmetz 型

P=kfαBmβ

が広く使われるが、α,β は一定とは限らず、波形・直流バイアス・温度で変化しうるため、適用範囲を意識した同定が必要である。

6. 代表的な材料群

軟磁性材料は「高 Bs を狙う金属系」と「高抵抗率で高周波を狙う酸化物系」に大別でき、さらにアモルファス・ナノ結晶・粉末複合で中間領域を埋める。

材料群代表例強み苦手典型用途のイメージ
電磁鋼板(Fe-Si)無方向性・方向性電磁鋼板Bs、加工性、成熟した評価法高周波で渦電流が増えやすいモータ、変圧器(商用周波〜kHz)
フェライトMnZn, NiZn高抵抗率、渦電流が小さいBs が低い、共鳴制約電源、ノイズ対策(kHz〜MHz)
アモルファス金属Fe-Si-B 系など低損失化、薄帯で渦電流抑制脆性、応力影響省エネ変圧器、リアクトル
ナノ結晶合金Fe-Si-B-Nb-Cu などμ と低損失の両立、粒径制御熱処理窓・コスト・加工高周波トランス、チョーク
圧粉磁心・複合磁心絶縁被覆粉末、SMC3D磁束、渦電流抑制有効透磁率の制約、損失設計高周波インダクタ、モータ高周波成分

ナノ結晶合金の軟磁性が粒径と強く結び付くことは、ランダム磁気異方性モデルで説明される。代表的結論は、粒径 D が交換相関長より十分小さい領域で保磁力が

HcD6

のように急速に小さくなることである(係数は材料系と分布に依存する)。

7. 代表的な設計指針

軟磁性を改善する戦略は多数あるが、最終的には以下の少数の物理量へ集約される。

  1. 実効異方性 Keff を下げる
  • 結晶異方性が小さい組成
  • 応力(残留ひずみ)低減、低磁歪化(λs0
  • 誘導異方性を所望方向に与えて、不要な局所異方性を減らす
  1. 磁壁ピン止めを弱める(障壁を減らす)
  • 高純度化、欠陥密度低減、析出相制御
  • 粒界の性質制御(ナノ結晶では交換平均化が効く)
  1. 渦電流の回路を断つ
  • 積層(薄板化)、高抵抗率化
  • 粉末化+絶縁層で閉回路を壊す
  1. 高周波では「共鳴」と「減衰」を設計対象にする
  • 共鳴周波数の設計(異方性場、反磁界、形状)
  • 減衰 α の制御(組成・欠陥・界面・スピン散乱)

このように、低周波の軟磁性(低 Hc、高 μ)と高周波の軟磁性(高 f での有効 μ と低損失)は、同じ量を別の組み合わせで最適化している、と捉えると整理しやすい。

8. 評価と理論:測る量とモデルの量を対応させる

測定で得る量(B-H ループ、複素透磁率、損失)と、理論や計算で扱う量(MsKeffα、欠陥分布)の対応が重要である。

8.1 準静的評価

  • B-H ループの面積 HdB は、周期あたりのエネルギー損失に直結する
  • 反磁界の補正は形状依存が強く、比較には同形状試料が望ましい

8.2 交流評価(複素透磁率・損失)

  • μ(ω),μ(ω) は、磁化が外場へどれだけ追従できるかと、どれだけ吸収するかを同時に与える
  • 金属系では抵抗率と厚みが高周波の有効性を決める(δs との比較が基本である)
  • 共鳴(FMR)や磁壁共鳴が見える領域では、単一の Steinmetz 近似では不十分になりうる

8.3 動力学の標準形:LLG 方程式

磁化ダイナミクスの基礎方程式は Landau–Lifshitz–Gilbert(LLG)であり、

dmdt=γm×Heff+αm×dmdt

で表される。Heff は交換・異方性・反磁界・外場・磁気弾性などを含む有効磁場である。微細組織が Heff の空間分布と時間応答を作り、結果として μ(ω)P(f,B) が立ち上がる。

9. まとめ

軟磁性体は、磁区と磁壁の自由度、異方性と応力の結合、渦電流と表皮効果、さらに共鳴と減衰が重ね合わさって決まる材料群である。低損失化や高周波化は単一パラメータの改善では達成できず、Keff・欠陥ピン止め・電気抵抗率・共鳴周波数と減衰を同時に見ながら、形状と測定条件も含めて一貫して整理することが重要である。

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