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X線光電子分光法(XPS)の基礎

X線光電子分光法(X-ray Photoelectron Spectroscopy; XPS)は、固体表面から放出される光電子の運動エネルギー分布を測定することで、表面近傍の元素組成と化学状態を調べる表面分析法である。数ナノメートル程度の極表面に選択的な感度を持ち、材料表面の電子状態・化学結合状態を定量的に評価できる基本的な分析技術である。

参考ドキュメント

  1. 二股佑允「XPSの基礎および近年の動向」Vacuum and Surface Science 64, 20180794 (2021).
  2. 日本表面科学会編「X線光電子分光法」表面分析技術選書(丸善出版, 1998).
  3. JEOL, アルバック・ファイ、日産アーク各社によるXPS解説ページ(Web, 日本語).

1. XPSの位置づけと概要

XPSは、一定エネルギーのX線を試料表面に照射し、光電効果によって放出された電子の運動エネルギーを測定することで、電子の結合エネルギーを求める分光法である。結合エネルギーは元素種と電子殻(1s, 2p, 3dなど)ごとに固有であり、さらに化学結合状態(酸化数や配位環境)によってわずかに変化するため、元素分析と化学状態分析を同時に行うことができる。

XPSは光電子分光(PES)の一種であり、紫外光電子分光(UPS)が主に価電子帯の電子状態を対象とするのに対し、XPSは内殻準位の光電子を測定することにより元素および化学結合状態の同定に優れる。得られる情報は、表面から数 nm 程度の深さに限定されるため、「表面・界面の化学状態」を特徴付ける分析法として位置づけられる。

2. 光電効果と結合エネルギー

2.1 エネルギー保存則と結合エネルギー

XPSの基本式は、光電効果に基づくエネルギー保存則で表される。光子エネルギーを hν、放出された光電子の運動エネルギーを Ek、電子の結合エネルギーを EB、試料の仕事関数を ϕ とすると、エネルギー保存則は

hν=Ek+EB+ϕ

と書かれる。通常のXPS装置では、光電子は分光器(アナライザ)の基準電位に対してエネルギー測定されるため、装置側の仕事関数を含めた形で

EB=hνEkϕsp

と表現されることが多い。ここで ϕsp は分光器の仕事関数を含んだ有効仕事関数であり、装置校正により実験的に決定される。

2.2 表面感度と非弾性平均自由行程

固体中で生成された光電子は、表面に到達するまでに他の電子や格子と非弾性散乱を起こし、その結果としてエネルギーを失う。一次光電子が非弾性散乱を受けずに外部へ脱出する確率は深さ z とともに指数関数的に減衰し、一般に

I(z)=I0exp(zλcosθ)

と表される。ここで、λ は光電子の非弾性平均自由行程(inelastic mean free path; IMFP)、θ は表面法線に対する取出し角である。測定信号のおおよそ 95 % 程度は z3λcosθ からの寄与であるため、XPSの分析深さは数 nm 程度となることが多い。

IMFPは光電子の運動エネルギーに依存し、一般に 50–100 eV 付近で極小(数 Å 程度)となる「ユニバーサルカーブ」を示す。このため、励起X線のエネルギーや測定モードにより表面感度をある程度調整することができる。

3. XPSと他の表面分析法の比較

XPSは、同じ電子を検出対象とするオージェ電子分光(AES)や、X線を用いるが光子を検出するX線吸収分光(XAS)などと補完的な関係にある。表1に代表的な表面分析法との比較を示す。

3.1 表面分析法の比較

表1:XPSと他の表面分析法の比較

手法励起源検出する粒子主な情報分析深さの目安特徴
XPSX線(Al Kα, Mg Kα, など)光電子元素組成、化学状態、電子状態数 nm化学状態分析に優れる
UPS真空紫外光光電子価電子帯構造、仕事関数1–2 nm 程度価電子のバンド構造に敏感
AES電子線オージェ電子元素組成、若干の化学状態1–3 nm 程度微小領域分析に適する
SIMSイオンビーム二次イオン極高感度の元素・同位体分析サブ nm〜数 nmトレース元素分析に優れる
XASX線吸収光子局所構造、価数、配位環境バルク〜表面選択内殻吸収端の構造解析

XPSは、定量性と化学状態分析、空間分解能(マイクロ〜ナノメートルスケール)、深さ方向分析(スパッタリングとの併用)をバランスよく備えており、材料開発から品質評価まで幅広い用途で利用されている。

4. XPS装置の構成

XPS装置は、一般に以下の要素から構成される。

  1. X線源(X線管またはモノクロメータ付きX線源)
  2. 超高真空チャンバー
  3. 電子エネルギー分析器(半球型静電アナライザなど)
  4. 電子検出器(チャネルプレート、マルチチャンネル検出器など)
  5. 試料導入・位置決め機構(マニピュレータ、冷却・加熱機構)
  6. 真空排気系(ターボ分子ポンプ、イオンポンプなど)

4.1 X線源

実験室XPSでは、Al Kα(1486.6 eV)や Mg Kα(1253.6 eV)線を発生するX線管が広く用いられる。これらは固定エネルギー線源であり、単色化(モノクロメータ)により高エネルギー分解能と低バックグラウンドを実現できる。シンクロトロン放射光を用いる場合には、X線エネルギーを連続的に掃引可能であり、共鳴励起や角度分解測定などより高度な測定が可能となる。

4.2 電子エネルギー分析器

最も一般的な分析器は半球型静電アナライザである。これは2枚の同心半球電極間に電位差を与え、特定の運動エネルギーを持つ電子のみを通過させる構造である。エネルギー分解能 ΔE は、通過エネルギー Epass とスリット幅 w に依存し、測定条件に応じて分解能と信号強度のトレードオフを設定する。

4.3 真空条件

XPSは、光電子が試料表面から検出器までの飛行中に気体分子との散乱を受けないよう、一般に 106 Pa 程度以下の超高真空環境で行われる。この条件により、表面の再汚染速度も抑えられ、安定した測定が可能となる。

5. XPSスペクトルと解析の基礎

5.1 スペクトルの構造

XPSスペクトルは、横軸に結合エネルギー EB、縦軸にカウント数(強度)をとったグラフとして表示される。1本のスペクトルには以下のような成分が含まれる。

  • 光電子ピーク(core-level peak)
  • スピン軌道分裂によるダブルピーク(例:p軌道の 2p₃/₂, 2p₁/₂)
  • サテライトピーク(shake-up, shake-off)
  • プラズモン損失ピーク
  • 背景(非弾性散乱による連続成分)

高分解能測定では、化学状態の違いにより同一元素のピークが複数に分かれて観測される。これを化学シフトと呼び、酸化状態や配位環境の違いに対応付けることができる。

5.2 化学シフトと結合エネルギー

化学シフトは、原子の形式的な酸化数、隣接原子の電気陰性度、結合の共有性・イオン性などによって変化する。一般に、より高い酸化数や電気陰性度の高い原子との結合では、内殻電子の結合エネルギーが高エネルギー側(大きな EB)にシフトする。たとえば、Si 2pの結合エネルギーは、Si⁰(Siバルク)、Si⁺、Si²⁺、Si³⁺、Si⁴⁺(SiO₂)の順に高エネルギー側へシフトすることが知られている。

5.3 電荷補正とエネルギー軸校正

絶縁体や半導体では、X線照射による帯電によりスペクトル全体が高エネルギー側にシフトすることがある。このため、表面に存在する炭素汚染層の C 1s ピークを 284.6–285.0 eV に合わせるなど、基準ピークによるエネルギー軸の補正が広く行われている。

6. 定量解析の考え方

6.1 元素定量の基本式

元素 i の光電子ピークの積分強度を Ii、対応する相対感度係数(relative sensitivity factor)を Si とすると、測定領域内の原子比 Ci

Ci=Ii/SijIj/Sj

と表される。ここで和は測定されたすべての元素 j にわたってとる。得られる原子比は、XPSが水素やヘリウムなど軽元素に感度を持たないこと、分析深さが数 nm 程度であることを考慮する必要がある。

6.2 背景除去とピーク分離

定量的なピーク面積を得るためには、非弾性散乱による背景信号をモデル化して除去する。よく用いられる背景モデルとして、直線背景、Shirley 背景、Tougaard 背景などがある。その後、Voigt関数(ガウスとローレンツの畳み込み)などを用いてピークを分離し、各化学状態に対応する成分の面積を求める。

化学状態定量では、同一元素のピークを複数の成分に分解し、それぞれの面積比から酸化状態や配位環境の割合を推定する。この際、既知の標準試料や文献値との比較が重要となる。

7. 深さ方向分析とスパッタリング

XPSは本来表面感度の高い手法であるが、イオンスパッタリングと組み合わせることで深さ方向プロファイルを取得できる。Ar⁺などのイオンビームで試料表面をエッチングし、一定時間ごとにXPSスペクトルを測定することで、元素組成や化学状態の深さ分布を求めることができる。

ただし、スパッタリングは以下のような影響を生じる可能性がある。

  • 元素ごとのスパッタ率の違いによる選択スパッタリング
  • 結晶構造や化学状態の変化(還元・酸化・アモルファス化など)
  • ダメージ層の形成と再構成

これらを考慮し、スパッタ条件(エネルギー、入射角、ガス種)や補助的分析(例えばToF-SIMSや断面TEM)との併用が重要となる。

8. 拡張XPS手法

8.1 角度分解XPS(ARXPS)

光電子の取出し角 θ を変えることで、有効分析深さ 3λcosθ を変化させることができる。この原理を利用した角度分解XPS(ARXPS)では、同一元素の表面・界面・バルク近傍の寄与を分離し、超薄膜や界面層の評価を行うことができる。

8.2 硬X線光電子分光(HAXPES)

従来のXPSより高いエネルギー(数 keV〜10 keV 程度)の硬X線を用いると、光電子の運動エネルギーが増加し、IMFPが長くなる。その結果、分析深さが数十 nm〜100 nm 程度へと拡大し、バルク近傍の電子状態や埋もれた界面の情報を得ることができる。シンクロトロン放射光施設において盛んに利用されている。

8.3 イメージングXPS・マイクロXPS

電子レンズ系やX線集光光学系を組み込むことで、数十 µm〜サブ µm の空間分解能を持つXPSイメージングが可能である。これにより、粒界・析出相・微小欠陥など局所構造と化学状態の関係を可視化することができる。

9. 日本国内におけるXPS研究・応用

日本では、表面科学会、表面技術協会、日本真空学会などが中心となり、XPSの基礎と応用に関する講演会や講座が継続的に開催されてきた。XPSを用いた表面・界面分析は、半導体・磁性材料・高分子・電池材料・触媒・バイオ材料など幅広い分野で利用されている。

装置メーカー(JEOL、アルバック・ファイ、日本電子など)は、装置性能とデータ解析環境の高度化を進めており、単なる元素同定にとどまらず、マッピング、イメージング、深さ方向分析、オージェ・SIMS・SEMなど他手法との複合解析が一般的となりつつある。また、受託分析機関や企業内分析センターによるXPSデータの蓄積が進み、ライブラリ化されたスペクトルや標準データベースの整備も進展している。

まとめと展望

X線光電子分光法(XPS)は、光電効果に基づき固体表面から放出される光電子の運動エネルギーを測定することで、数ナノメートルの極表面における元素組成と化学状態を同時に評価できる表面分析法である。本稿では、光電効果とエネルギー保存則、非弾性平均自由行程による表面感度、装置構成、スペクトル構造と化学シフト、定量解析の基本、スパッタリングを利用した深さ方向分析、角度分解・硬X線XPSといった拡張手法について概説した。

今後は、時間分解測定やその場観察手法との組み合わせにより、反応過程や電池・触媒の動作状態を直接追跡する研究が一層進展すると考えられる。また、機械学習を用いたスペクトル解析・自動フィッティング・化学状態分類の試みも始まっており、膨大なXPSデータを効率的に活用するためのデータ駆動型解析が重要になるであろう。シンクロトロン放射光や自由電子レーザーなど高輝度光源の活用とあわせて、XPSは今後も表面・界面科学の中核的手法として発展し続けると期待される。

参考文献

  • 二股佑允「XPSの基礎および近年の動向」Vacuum and Surface Science 64, 20180794 (2021).
  • 日本表面科学会編「X線光電子分光法」表面分析技術選書(丸善出版, 1998).
  • JEOL「X線光電子分光装置(XPS、ESCA)」やさしい科学・製品情報ページ(Web解説).
  • K. Siegbahn et al., “ESCA Applied to Free Molecules,” North-Holland Publishing (1969).
  • J. F. Watts and J. Wolstenholme, “An Introduction to Surface Analysis by XPS and AES,” Wiley (2003).
  • Wikipedia contributors, “X-ray photoelectron spectroscopy,” Wikipedia, The Free Encyclopedia.
  • ULVAC-PHI「X線光電子分光法(XPS)とは」技術解説ページ(Web, 日本語).
  • 日産アーク「X線光電子分光分析(XPS)による表面分析をわかりやすく解説」技術解説ページ(Web, 日本語).